アート のおしゃべり場


ふだんの生活の中になにげなくあるもの、それが絵画やアートとして、わたしたち
の目の前に出現したとき、わたしたちはそれにひきつけられ感動し慰められます。

単調なまでに繰り返される毎日にため息のでる時は、好きな画家の絵の前にたちます。
魔力を秘めた一枚の絵画は、わたしたちへの神からの贈り物のようにも思われます。

「おもしろき事も無き世」の中にあるおもしろき物。絵画やアートの世界か
ら見つけたもの見えてきたもの、そして感じた事などを書いてみたいと思います。




■みだし■


日記・随想
*ミクシィに移行しました。http://mixi.jp/show_friend.pl?id=12374884 *

画廊・美術館展

絵  画

丹 後 地 方

自己紹介







日記・随想


2007年10月21日(日) 一段と秋が深まっていく。風に雨に、まだまだ日差しの日もかさねあわせながら。
先日、芦屋の美味しいパン屋、ベッカライ・ビオブロードを教えてもらって行ってきたのだが、また別のパン屋を教えてもらい、 20日の土曜の絵画教室の帰りに行く事にした。絵画教室のあるJR芦屋より、もっと山側に上がったところに、目指す「cafe&bakeこだま」 はあるのだが、まだ運転未熟な私としては、道に迷いそうないやな予感が。やっぱり予感的中で右折すべき道をできず、通り過ぎてしまう。 どこで左折しようかとあせっている間に、結構上まで上がってしまい、やっとの思いでえらく急降下の道を降りてくる。 前も芦屋で、同じようなことをやったよなと思いながら。

ようやく「cafe&bakeこだま」に着くが、店の前の道が狭すぎ。無理やり止めるが、次回からは他を探さないと迷惑になる。実際、迷惑 になっているので、急いで焼きたての食パンを買って車にもどる。家で、早速食べてみるとこれが絶品である。苦労の甲斐があったという ものの、来週も買いに行けるだろうか、この分かりにくいパン屋に。美味しいものを得るには、苦労は付きものであるとは言うものの...。

21日の日曜は、久しぶりに関西学院大学に行く事になった。しかもまた車である。行きは娘が隣でナビをしてくれるのでいいが、 帰りは1人なので心配である。昨日のことも頭をよぎる。だが結局、行きのほうも大変だった。狭い道に、人と車が一緒に通るものだから、 ひやひやものであった。なんでこんなに道が狭いの。それにぐるぐるまわりながら、上がったり降りたり。関学って結構、山の上にあるんだ なんて、あらためて感心したり。

ようやく大学の正門に着き、娘に家への帰り道をナビにセットしてもらう。今までは不安で、ナビを使ったことがなかったのだが、今回 ばかりはもう完全にナビに頼りっきり。なんにも考えず、ナビの言うとおりに右折したり左折したりしていると、そのうち中津浜線に出た。 ああやれやれ、ここまで来ればもう安心である。本当にナビ様のおかげであった。これからは毛嫌いせずに使うことにしよう。


関学の時計台でも、撮ってこようと思っていたのになあ.....。

ナンキンハゼ



 芦屋本通りのナンキンハゼ

 青い実がはじけると、中は白い種が。















2007年10月14日(日) 秋の街路樹を歩く。たわわに実った、黄色い銀杏の実やナンキンハゼの青い実。そしてハクモク レンのかわいい赤い実。
12日の金曜に姫路市立美術館にでかけた。 9月15日から10月28日まで「シュルレアリスム展」が開催されている。10月も半ばになってから、やっと秋らしい気温になり 、ここ2,3日は絶好の行楽日和でもある。姫路までの電車の窓越しに見える風景も、秋のやさしい日差しの中でゆったりとして見える。 流れゆく風景を眼で追いながら、久しぶりにのんびりと小旅行を楽しむ気分である。

姫路市立美術館 姫路に着いて、商店街の中で昼食を済ませてから、そのまま歩いて姫路城へ向かう。
姫路市立美術館は、姫路城から東方向に少し歩いたところにある。前に広い芝生の庭のある、開放的なとても気持ちのいい美術館である。

今回はシュルレアリスムの作家が勢ぞろいした見ごたえのある展覧会であった。ルネ・マグリッド、マックス・エルンスト、ポール・ デルヴォーは勿論ではあるが、サルバドール・ダリやマン・レイのすばらしい作品群には圧倒されてしまった。それとハンス・ベルメールの 「人形」(澁澤龍彦の部屋にもあった)をモチーフにした写真集の、不気味なエロティシズムは写真でも充分、唸らせられるものだった。

平日ではあったが、美術館の入りは結構あり、シュルレアリスムへの関心の大きさを、改めて感じさせられた。帰りは姫路城の堀をまわって 城門をぬけて、JR姫路駅までのまっすぐの本通りを歩いた。街路樹の大きな銀杏の木は、枝がしなだれる程たわわに黄金の実をつけ、 落ちてつぶれた実があの独特の臭いをあたりに放っている。靴で踏まないように気をつけながら、秋真っ盛りの銀杏並木を歩く。


次の日の絵画教室は、電車で出かけることにした。今日も気持ちのいい日である。いつもは絵画教室のあるJR芦屋まで、芦屋川沿いを歩いて 行くのだが、今日は東よりの本通りを歩いてみることにする。芦屋川沿いは桜並木が続くが、ここはナンキンハゼの並木道である。ちょうど 青い実をたわわに付けた枝で、日よけのトンネルを作っている。私の頭まで届く枝を手折ってみると、中にはじけて白い実が出ているのもある。

秋の実 私の友人で、花のなかでも木に咲く花が好きという友人がいるが、花が終わり実をつけた木も、美しく気持ちを豊かにしてくれるものである。


             ハクモクレンの赤い実と、ナンキンハゼの青い実。→



山田風太郎を読み終わり、永井荷風の「問はずがたり」を読み始める。「小石川牛天神裏の長屋」とか「早稲田の古本屋」とか、もはや 今はない当時の東京の風景を思いながら、荷風の描く街を歩いてみたい気持ちを、彼の本を読むたび強く感じる。

織田作之助の本を片手に、当時の大阪の町を、荷風の本を片手に東京の町を、いつか探し歩いてみたいものである。




2007年10月7日(日) 10月に入ってからも夏日が続く。紅葉はまだ先のよう。
今月から、古本市のラッシュが始まる。まずは四天王寺の古本市と、天神さんの古本市がほとんど同時に開かれる。春に四天王寺に 行ったので、今回は天神さんに行く事にする。すでに4日から始まっているのだが、私は7日の日曜しか空いていない。掘り出し物は ないかも知れないが、天神さんの古本市は初めての体験なので楽しみである。

東梅田から地下鉄の南森町で下車。天神橋筋商店街の次の筋を入ると、そこに天満宮の鳥居が見える。鳥居のすぐそばは、上方落語の 「天満天神繁盛亭」の建物があり、入口に人が結構並んでいる。また次の機会に、私も上方落語を聞きに来たいと思う。今日はまっすぐ 鳥居を抜けて、古本市へと急ぐ。規模は天王寺の古本市の半分くらいか。私にはこれくらいが丁度いい。それに今日は10月に入った とは思えない暑さである。だんだん疲れてくる。それでもだいたいではあるが、一通りまわれたようだ。

内田百閧フ「阿房列車」昭和28年三笠書房、永井荷風「問はずがたり」昭和21年芙蓉書房、深沢七郎「笛吹川」昭和33年中央公論社。それに 小島政二郎の「舌の散歩」昭和35年毎日新聞社。小島政二郎は、荻原魚雷さんが「古本暮らし」の中でおもしろおかしく紹介していた。 芥川や菊池寛と友人関係にあったと言うこともあり、おもしろそうで買ってみた。それとSotheby'sのIMPRESSIONIST & MODERN ART。 マグリットやデュフィ。それにクリムトの裸婦の素描やダリの素描、すばらしいの一言。いろんな作家の作品が収録されている。今日一番 の収穫である。

お昼も過ぎたので、ここまでで切り上げて帰ることにする。帰りには武庫川の「街の草」に寄る予定なので、梅田で昼ごはんに蕎麦を食べる。 Sotheby's(サザビー)を見ながら、ゆっくり時間をかけて蕎麦を食べる。食べ終わると疲れも取れたようで、阪神電車に乗り武庫川で降りる。 少し迷って「街の草」に着くと、店の中のいた加納さんに声をかける。今日はお客さんも何人かいて忙しそうである。早速、天神さんの収穫 物をひろげてみせる。加納さんの仕事が一段落するまで、店の中を物色して、週間朝日百科の「世界の美術」を5冊と、内田百閧フ「随筆 億劫帳」昭和26年河出書房を購入する。



加納さんと近くの喫茶店で、いろいろ話をして帰る。11月23日から芦屋市立美術博物館で開かれる「ブック・アンデパンダン」展に「街の草」 さんも参加される。まだまだ古本市は続く。

天神古本市


 大阪天満宮の境内の古本市














2007年9月30日(日) 30度を切る日が出てきた。一気に秋へとなだれこむか。
先週の22日からお風呂に入れるようになっていたが、風呂の入口の壁貼りが29日へとずれ込んでいて、今日やっとそれも終わった。 新しくなったお風呂は、お湯をはる時や、はりおわった時に女性の声で教えてくれる。今までは、よくお湯を溢れさせていたので、安心 ではあるが、よけいなお世話と言う気も少しある。しかし、新しいお風呂は気持ちがいい。

ベッカライ・ビオブロード
秋といえば、読書の秋、それと食欲の秋である。

最近、とあるブログで、食パンの美味しい店を教えてもらい食べ比べている。29日には絵画教室に行く途中、紹介してもらった ベッカライ・ビオブロードに寄り、トーストブロートという食パンを買った。
帰って、まず生で食べてみると、もちっとして、噛めばあまい自然な香りが口にひろがる。トーストするとぱりぱりと香ばしい食感が 楽しめる。少し値段は高めであるが、今まで食べたことの無い風味豊かなパンである。次に行く時は食パン以外も買ってみよう。


林芙美子の「めし」新潮文庫を読了。面白くて一気に読み進めていたが、最後のページが「(未完)(絶筆)」で終わっている。昭和26 年6月に48歳で急逝する。知らずに読んでいたので少なからずショックを受ける。

以前にもこれと同じ体験をした。石川淳を読み始めた頃、これも知らずに彼の「蛇の歌」に魅了されて、一気に読み進めていた時も (未完)のページに行き当たった。この時は、石川淳の世界に引き込まれてしまっていたので、あっけにとられたような、無慈悲に突き 放されたような、何ともいえない不合理な思いがしたものである。

今は気を取り直して、山田風太郎の「風眼抄」中公文庫と、同じく「半身棺桶」徳間書店を平行して読んでいる。萩原魚雷さんの 文壇高円寺の9月は、山田風太郎月間となって いるのも面白い。


30日の日曜には、久しぶりに映画にでかけた。神戸三宮の シネ・リーブル神戸で現在上映中の「めがね」である。登場人物が、皆めがねをかけている。映画の舞台はなんにもない南の 島(ロケ地は与論島)。旅行者はここに「たそがれる」ためにやって来る。朝おきるとみんなで「メルシー体操」なるものをする。そして シャケや目玉焼きの朝ごはん、梅干は「一日の難逃れ」にひとつ皆でほおばる。あとは魚つりや編み物、浜辺にはあずき入りかき氷だけの 小さな店があり、皆が食べにくる。料金は決まっていなくて、皆がそれぞれ、ものを置いていく。そしてそのうちそれぞれに帰って行く。 そしてまたやって来て同じ生活をくりかえす。

映画を見ながら、私もメルシー体操を一緒にしたくなる。のんびりと海の風に吹かれながら、あずき入りかき氷を食べたくなる。


神戸大丸




 神戸大丸の窓辺の花壇

 四季折々の可愛い花が、道行く人を楽しませてくれます。

 いつも、若い女性が手入れをしています。












2007年9月23日(日) 夏日の中、秋分の日をむかえる。暑さ寒さも彼岸までとなるかどうか.....。
今週は18日からお風呂工事に入った。頑張って15年間働き続けてくれた風呂も、とうとう寿命を迎えたようである。風呂釜と給湯器 の全面入れ替えをすることになったが、見積ってもらうといい値段である。これで私の寿命がつきるまで持ってくれるといいのだが。 工事に入ると21日の金曜まではお風呂が使えないので、近くの銭湯に行く事になった。考えてみると阪神大震災以来である。

一日おきに行く事にして、まず19日の水曜は クワ武庫川に行った。混まないうちにと4時過ぎに出かけたのだが、お年寄りが結構来ていた。 湯船が何種類もあり、ひろびろしていて快適である。駐車場もすぐそばにある。ただ銭湯の中はお湯が立ち込めていて、のぼせやすい私 に長居は禁物である。食事前でもあり頭や体を洗って、お湯に浸かったらそうそうに洗い場から脱出した。温泉もあったのに。まあ次回に ゆっくり楽しむことにしようと、ガラス戸に手をやるとそこに「明日から3ヶ月間、改装工事の為休業」との貼紙が。えーっ、それ じゃあ、また銭湯を探さないといけない。

1日置いて21日は浜田温泉に行く事にした。少し遠いのが難ではあるが、車で行くのでたいして変わりないか。ここも温泉が湧いている。 この日は食事を済ませてから7時過ぎにでかけた。駐車場が狭くて止めるのに一苦労する。銭湯の中はクワ武庫川より狭い。まず2階の 露天風呂に向かう。誰もいないし広いし、露天なのでのぼせないし、非常に快適。ゆっくり温泉気分を味わってから下におりる。下は クワ武庫川と同じで小さい湯船が何種類かある。昔は銭湯といえば大きな湯船が真中にドンとあって、人が入ってくるとざーっとお湯が こぼれたものだが....。


先日、兵庫県立美術館で開催中の「川村記念美術館所蔵 巨匠と出会う名画展」に出かけた。頑張って早起きしてでかけたが、やはり 結構込み合っていた。エルンストやマグリットを楽しみにでかけたのだが、それぞれ1点ずつで少し物足りなさが残った。マグリット の「冒険の衣服」はまわりに異彩を放っていたし、マン・レイの「赤いアイロン」も面白かったが、しかし総体的には期待はずれであった。 いつも図録を購入するのだが今回はやめた。

10月に入ると古本市のシーズンとなる。古本ソムリエ(山本善行氏)のブログを覗くと「『萬巻』(天神さんの古本まつり目録)届く。」 と出ている。私が先日、口笛文庫でもらった目録だ。10月4日(木)〜9日(火)まで大阪天満宮境内で行われる。林先生のブログによると 10月8日には京阪電車出町柳駅下車川沿い北へ徒歩15分の、まほろば前ガレッジで「秋のまほろば古本市」が行われるとの事。荻原魚雷氏 も参加。行きたいが出勤日である。


先日、林先生からメールが届いて、お願いしていた絵が完成したとのうれしいお知らせ。作品の写真が添付されていた。今までの中で一番 素晴らしいような予感。実物を見るのが楽しみである。




2007年9月16日(日) 秋へと確実に進みながらも、立ち止まり少し後戻りする日々、お付き合いしましょう。
土曜の絵画教室にはいつも車で出かけているのだが、今回は帰りに古本屋に寄るため電車で行く事にした。少しずつ涼しくなっていたのに 15日の土曜はまたしても「どんど晴れ」の真夏日。絵画教室ではバングラディシュのモデルさんの最終日でもあった。最後に彼は流暢な 日本語で「今日は私の日本での、最後のモデルの日です。」と挨拶をし、皆は拍手しながら「ありがとうございました、お国に帰っても 頑張ってください」と彼にエールを送った。終わりに彼はサインを求められて、皆のキャンバスの裏に自分の横顔のイラストを、さらさら と慣れた手つきで描いてくれた。

絵画教室が終わり、JR芦屋駅から神戸行きに乗りJR六甲道で下車する。北に向かって少し行くと、左に宇仁菅書店が見える。帰りに 寄ることにして、なお道を上がって行くと右手にめざす口笛文庫が見えた。ガラス戸をがらがらと開けて中に入ると、眼の前には古本屋 らしくない明るい空間が、ぱーっと広がっていた。壁面には棚が張り巡らされていて、本がいっぱい詰まっているのだが、前面の空間は 可愛らしい表紙絵の児童書が、小さい子どもにも手に取りやすいようにと低い位置に並べられており、婦人向けの趣味や家庭書もたくさん ならんでいる。棚も白木の棚で圧迫感が無く、すべての配置に工夫がみられて居心地の良い空間を作り出している。

普通の本屋さんといった雰囲気で、私がいた間にも年配の女性や子ども連れの若い女性が、がらがらとガラス戸を開けて気軽に入って来た。 店主がまた若くてやさしそうな人である。児童書や婦人向け以外の品揃えも万全である。神戸の古本市で、口笛文庫からも何冊か買ってい たし、評判も聞いていたので一度行って見たかったのであるが、予想通りいい本がいっぱいある。

まず「本の本」創刊2号(昭和50年)の特集・永井荷風。こんな本があったんだ。古本愛好家のための本。付録に「本の本」誌上入札用 出品票がついている。また、ご出品の前にと題して「古書のねだん参考価格」が作家別につけられてもいる。毎月一回一日発行と書かれて いるが、2年後には廃刊になったようだ。ちょっとした古書ブームの今こそ欲しい本である。

続いて瀧口修造「幻想画家論」せりか書房。これは新潮社版を持っているのだが、新装改訂版ということで購入することにした。あとは、 林芙美子「散文家の日記」昭和21年実業之日本社、荻原井泉水「春夏秋冬」昭和17年桑名文星堂、澁澤龍彦「サド侯爵の生涯」昭和40年桃源社、 澁澤龍彦37歳の作である。若い彼の写真が表紙の折り返しに載っている。そして坪内祐三の「文庫本福袋」文藝春秋。坪内祐三は先日、 あかつき書房で「文藝春秋 八十年傑作選」を購入、今読んでいるのだが面白い。合計で6冊、おまけして貰い7千円、袋に入れてもらい 持ってみると結構重い。

こんな店が家の近くにあったら毎日でも行きたいなあ。とつくづく思う。店を出て駅に向かって歩く。下り坂なので少し楽ではある、 宇仁菅書店にも入ってみる。ここは古本屋然とした店内で、本棚と本棚との狭い通路を身を狭めながら進む。いい本がありそうだが荷物を 考えて、出口裕弘の「澁澤龍彦の手紙」朝日新聞社だけにする。疲れていたがJR六甲道の駅を過ぎて、下って阪神の新在家駅まで歩く。

家にたどり着いてみると、さすがに疲れた。


晩夏の空




 夏の終わりにわきたつ雲。











2007年9月9日(日) 今週は後半ショッキングな出来事がおきた。直接的なものではないが人の世の無常を感じる。
5日の水曜に、西宮市役所隣のアミティホールで行われた、姜尚中氏の講演会にでかけた。2、3日前、朝日新聞の折り込みチラシの中に、 「西宮教育通信」掲載の姜尚中氏の大きな顔写真を発見。読んでみると西宮市教職員組合主催の教育講演会で、姜尚中氏が“愛国心教育に ついて”と題した講演を行うとの事。入場無料。えらい唐突の感はあったが、ちょうど仕事も休みということもあって友人Tさんを誘って でかけた。

講演が始まり、そのとても穏やかで静かな話ぶりは、テレビで見た時と同じだなと思いながら聞いていたが、口調は穏やかながら次第に トーンが上がり、マイクに声をぶつけるような力のこもった話しぶりに変わった頃には、ノートを取る手も忘れて聞き入っていた。

以下にノートを見ながら、その内容を私なりにまとめてみた。 今まで自民を支えてきた地域の変化について、近頃は全国町村議会や地域での講演会の依頼が増えてきた事をあげていた。以前はそういった ところからの講演依頼は考えられなかった事と言う。それを保守の硬い岩盤の変化、保守のグラスルーツの変化、保守の反乱と彼は呼んだ。

小泉内閣の改革という名の新自由主義は、大切なことはマーケットが決めるという市場原理主義のもと、富の配分のルールを変えてきた。 個人の欲求や能力による自由競争の中で格差は拡大し、セーフティネット・公的扶助は自己責任にとって変えられその結果、国民無き国家に なりつつある。

その格差は都市部と地方との間においては、まるで一つの国民の中に二つの国民(都市と地方)がいるかのような様相を呈している。我々は 誰もが自分の生まれ育った郷土に愛情を持っている。その自然な感情はイデオロギーを問わぬパトリア(愛国)から出発している。 格差に苦しむその郷土への愛国心は、地方において新しい保守の再生、リベラルな保守として再生しつつある。

愛国とは、この国あるいは地域で生きるゆえに抗う、国あるいは地域を愛するがゆえに異議を申し立てること。皆が生き、支えられる、憲法の 理念に基づく多事総覧の社会。そこにこそ愛国の理念がある。


講演の終了後に本の販売があり、彼からサインをもらえるという事で私もサインを貰って彼と握手をした。大きな暖かい手だった。


織田作之助「文楽の人」昭和21年発行 白鴎社を読了。かつての、芸一筋に生きる人々への惜しみない愛を感じさせる作品である。 あとがきに作之助は「いつの世にも芸術の道は渝(かわ)らない。浮足立った昨今の人心に文楽の人達の血のにじむやうな修行振りを 知らせたいと思ふ。」と書いている。


姜尚中




 講演後のサイン会での姜尚中氏。











2007年9月2日(日) ふと街路樹を見上げると、ハクモクレンの青葉のなかに可愛い実が下がっています。
27日の月曜の夕食を済ませたころ、電話が鳴って取ると、朝日新聞の世論調査のお願いだった。「へえー。本当にやっているんだ。」 と妙に感心してしまった。「アンケートの結果は29日の朝刊に出ます。」とのこと、29日に朝日新聞の朝刊を見ると、その第一面に 「本社緊急世論調査」と題して、改造内閣の支持率やテロ特措法の延長の賛否などの、アンケート結果が載っていた。無作為に選んだ中に、 私の家の電話番号がたまたま入っていたということなのだろうが、こういうくじ運はいいのか。

声からして若い女性と思うが、録音テープを流すようなやり方ではなく、一つ一つ丁寧に聞き取って行く。「短い時間なのでお願いします。」 と言っていたが、終わってから電話機の会話時間をみると5分は話していた。たぶん朝日新聞の下請けのどこかの会社のパートさんだろうが。

2日の日曜版には、読書欄に「『古書店探訪』時空超えた「人」「知」との出会い」と題して、林先生の「古本屋を怒らせる方法」白水社、 荻原魚雷「古本暮らし」晶文社、岡崎武志「気まぐれ古書店紀行」等のスムース同人と、樽見博の「古本通」平凡社新書が紹介されている。 紹介文には「時空超えた様々な「人」や「知」との出会いは、古本のたのしみだ。〜天井近くまで本が並んだ細長い店内と年月を経た紙の 独特の香り−−ネット検索ではわからない、本の世界の味わいが伝わってくる。」と書かれている。朝日新聞に取り上げられるようになった のは、古本道を行く彼らの熱意の賜物だろう。これで少しでも、古本屋さんの売上げに繋がるといいのだが。


1日の絵画教室では、モデルに「ターバンを巻いた男性」が登場した。彫りの深い顔立ちで、鼻の下からあごにかけて髭で覆われている。 国はバングラディシュとのこと。頭にターバンを巻き、左肩からところどころに小さい刺繍の入った、朱色の肩掛けを垂らしている。 体つきも立派で、なかなかの男前である。何歳くらいだろうか。ちょっと年齢不詳なところがあるが、30歳前後だろうか。あんがい、もっと 若いのかもしれないが。あと2回残っているので、そのうち生徒からの質問ぜめにあうことになるだろう。


9月に入ってさすがに猛暑は去って行ったようだ。先日海文堂で購入した、ユリイカ「澁澤龍彦 二十年目の航海」をぱらぱら読んでいる。 ほかにも、まだ読んでない本がたくさんある。読書の秋である。これからどんどん読んでいこう。


タイサンボク ハクモクレン 

←左 ハクモクレンの実        タイサンボクの実 右→

 



 神戸元町の、この2種の街路樹に実がついているのを
 発見しました。       



 ハクモクレンの実を、植木鉢に植えてみましたが芽が出るかな。








2007年8月26日(日) ものすごい稲光と雷鳴が、途切れなくとどろき渡る。震えながら、自然の前での無力さを思い知る。
娘がカンボジアとベトナム旅行から帰ってきた。デジカメで撮ってきた写真を、ミクシイで報告している。私も覗いてみたが、カンボジア のアンコールワットはさすがに素晴らしい、が観光客の数もラッシュなみの多さである。ベトナムで仕立ててきたアオザイを取り出し着て みせる。少し余裕を持たした裁断にしてもらったようだが、やっぱりアオザイは、体にぴったりフィットしている方が可愛いいようだ。

22日の水曜の夜は、今まで経験したことのないような、すごい稲光と雷鳴と雨に見舞われた。ピッカー、ゴロゴロ、ガラガラが途切れなく 続く。絶え間のない稲光と、ほとんど同時に轟くものすごい雷鳴に、おそろしくて部屋の中をうろうろするばかりの私を、老猫のミ−コが 不安げに見上げている。そのうちどこかに落ちたのか、消防車のサイレンの音が聞こえていた。

会社の昼休みに、久しぶりに元町の海文堂にでかけた。新刊書店は本当に久しぶりである。海文堂ではSUMUSのメンバーもいろんな催しを 行っている。以前は会社が元町にあったので、昼休みによく行ったものだが、遠くなってからはなかなか行けないでいた。林先生の 「古本屋を怒らせる方法」と「SPIN02」も置いてある。そこでまずユリイカの特集「澁澤龍彦 二十年目の航海」を手に取る。続いて みずのわ出版の「本屋の眼」平野義昌著を購入。平野さんは海文堂の店員である。林先生が装丁をしている。レジに本を持って行きながら なんとなく店内を見渡している私であった。


土曜の25日にはいつもの絵画教室にでかけた。4階の教室にはエスカレーターで行くのだが、3階のホール前に大勢の人並みができている。 何事かと見てみると「小田実をしのぶ会」と書かれた案内が見える。先日、小田実が亡くなったと新聞に出ていた。学生時代に「べ平連」 の集会に、一度行ったことがある。場所はどこだったのだろう。大勢の学生が集まってテントが張り巡らされていて、そこで夜明かししたのを 覚えているのだが。

小田実の声が、マイクから流れていたのをうっすらと思い出す。




2007年8月19日(日) お盆が過ぎてもまだまだ暑い。ごろごろしてる間に短い夏休みが過ぎていく。
暑すぎて本を読むことも、外に出ることもできない。14日から京丹後市浜詰の実家に帰省したが、あまりの暑さにげんなりする。 これだと西宮の方が涼しいかもしれない。古本屋でもあればいいのだが、二駅くらい行かないとダメだろう。いつもは夕方に なると、涼みがてら海岸沿いを散歩するのだが、今回はひたすらクーラーのある部屋にこもっていた。

それでも「古本屋を怒らせる方法」と「SPIN02」を持ち帰っていたので、それを代わる代わる読み進めた。「SPIN02」の 北村知之の3月31日から5月30日までの日記(あるいは随想か?)には、彼が神戸に住んでいるらしいこともあって、私にとって身近な 地名や本屋、カフェが出てくる。彼はとても若いのだが、27歳くらいか、彼の文章は若者によくある力みや気負いがなく自然体で、一度 本にサインをもらったこともあって、その時のやさしくシャイな顔立ちを頭に浮かべながら読み進めている。

それと編集後記にあたるのだろうが、「みずのわ編集室2」も熱い。面白いというと怒られそうであるが、読ませられる。そして最後に ゆっくりと、林先生の「淀野隆三日記を読む 二」を読む。

資本主義の日本では儲けが出なければ、小出版社も古書店も、どんなに素晴らしい本を出版しようと、どんなに素晴らしい本を店に置こう と、成り立っていかない。しかもその本の良さが、誰にでもわかるという訳にいかないという悲しさもある。
だから、誰かが、その素晴らしさを多くの人に知らせることが必要だろう。


SUMUSの皆さんの活躍が、おおいに期待されるところでもある。


夕日 夕日 
 夕日ヶ浦海岸

 日本夕日百景のひとつ



 レンズを左に振ると、夕日を浴びた入道雲が。
 空気の澄んだ日は、岬の家並がうっすら見えます。       






2007年8月12日(日) うだるような暑い日が続く。それでも暦では立秋を過ぎた。
平日は会社の中の、クーラーの効き過ぎた部屋で、カーデガンで寒さを防ぎながら机に向かっているので、休日の家での暑さがことさら 身に応える。今日も35度は越しているだろう。こういう日は、ベッドに転がって本を読みながらくつろぐのに限る。

神戸さんちかの古本市が9日から始まり、会社帰りに9日、10日と出かけてきた。口笛文庫で永井荷風の「浮沈」昭和22年中央公論社、 中勘助「鶴の話」昭和23年山根書店、荻原井泉水「けんちん汁」昭和31年新世書房、宇野千代「おはん」昭和32年中央公論社 挿画は 木村荘八、江戸川乱歩「黒蜥蜴」「三角館の恐怖」角川文庫。他の書店で織田作之助「文楽の人」昭和21年白鴎社と澁澤龍彦「変身の ロマン」立風書房を購入。結構満足のいく買い物ができた。

林先生からも、お願いしていたサイン入り新刊「古本屋を怒らせる方法」白水社と「SPIN02」も届いた。「古本屋を怒らせる方法」と 「SPIN02」と永井荷風の「浮沈」とを平行して読んでいくことにする。11日から始まっている京都の「下鴨納涼古本まつり」や SUMUSのメンバー達が参加している「下亀 納涼古本まつり」には、残念ながら行けそうもないので、今回の買い物で慰めとする。


土曜の夕には、友人宅でミニコンサートがあり出かけた。ピアノ独奏、連弾、ジャズ演奏、ソプラノ独唱の「納涼コンサート」の後は お楽しみの、友人手作りのお食事会。全員で12人がテーブルを囲んで、おいしい料理に舌鼓を打った。今思い出してみるに、鯛の昆布しめ、 鮎の塩焼き、アジのタタキ、かしわの手羽のオーブン焼き、茄子とミンチの揚物のだし浸し、冬瓜の煮浸し、ずいきのあえ物2種、ゴーヤ のサラダ、きゅうり、にんじん、大根、セロリ、パプリカなどのピクルス。それに夏向きのさわやかチラシ寿司。すべて旬の食材。

私は飲めないのでビールをコップに少々だが、テーブルの上にはビール、ワイン、シャンパンなどが次々に抜かれていく。飲める人は いいなあとつくづく思う。夏の夕の宴もますます盛り上がり、時間を忘れて食べて飲んでしゃべって....。時計を見ると10時半を まわり、私たちはおいとまをすることに。自転車を走らせて家に着くとちょうど11時。後に残った人達は、いつまでいたのかわからないが、 楽しいひとときに感謝。


紅蜀葵 


 紅蜀葵(コウショッキ)

 アオイ科ハイビスカス属

 夏になれば一日だけの真っ赤な花を
 咲かせます。












2007年8月5日(日) 8月に入る。台風シーズンでもある、まず台風5号が吹き荒れた。
8月に入りますます暑い日が続いているが、3日には朝から台風5号が吹き荒れて、通勤の人群れを横殴りの大雨が襲った。 コンクリートの歩道にはみるみる水溜りができ、そこを避けながら飛び歩く靴の中には、いつのまにか雨水が入り込んでいる。 会社に着いて、濡れた靴の中にティッシュをまるめて入れて水気を取る。窓から外の様子を見ると、雨はいよいよ激しく、暗くかすんで よく見えない。早く着いてよかったあ。

台風が通り過ぎると、暑い暑い真夏日が襲いかかる。東北ではフェーン現象で38度まで上がったようだ。体温を越されるとクーラー 無しでは生きていかれない。土曜も暑かったが絵画教室には出かけた。車のおかげである。今回から「日傘を持つ女性」にモデルも変わり、 今のところはやる気満々である。

日曜には暑さを避けて3時過ぎから、神戸北野の「ギャラリー島田」にでかけた。「ミニアチュール神戸展2007」と銘打って、作家130名 の小品が展示されている。元永定正、奥さんの中辻悦子、我らが林哲夫、現在絵画教室で教えて頂いている岡田先生、その他多くの すばらしい作家達の作品群にかこまれて、しばし俗世の憂さを忘れて、身も心も芸術の精神世界に遊ぶ。やっぱり絵はいいなあ。


最近、古書店に行っていない。読む本が無い訳じゃないのでいいんだが、なんだか寂しい。神戸では9日から14日まで「さんちか古書 大即売会」がある。口笛文庫も出すようなので会社帰りに寄ってみよう。11日から始まる京都の「下鴨納涼古本まつり」は最終日の 17日に行けるかどうか。下鴨もだが、「下亀 納涼古本まつり」にぜひ行きたい。最終日に荻原魚雷氏に会えるかもしれない。

林先生がまた新しい本を出される。白水社より「『古本屋を怒らせる方法』[エッセイ]林哲夫著 8月9日刊 ■2100円 古本および、 古書店人やコレクターなど、古書をとりまく人々の生態を、ユーモアあふれる視点から活写。古本屋とのつきあい方を、自らの経験を もとに伝授する、古本マニア待望の書。」早速、メールでサイン入り本を注文。林先生にしては、題名からすると少々くだけた本っぽく、 今から楽しみである。


ギャラリー島田 


 ギャラリー島田

 「ミニアチュール神戸展2007」











2007年7月29日(日) 本格的な夏の到来。汗がだらだら出てとまらない、暑いなあ〜。
いつもながら体調が不安定で体重が落ちてきている。これ以上体重が落ちると、体力がますます無くなるのでなんとかしないといけない。 それと2〜3日おきに下痢になるのを、なんとかしないといけない。食後の整腸剤と、冷たいものを控える、ゆっくりよく噛んで食べるを 心がけてみたら、今週は調子がいい。体重は戻ったかみてみると同じ。それでもこの調子で夏を乗り切ろう。

ナンダロウアヤシゲさんのブログを見ていると「下亀納涼古本まつり」8月11日(土)〜17日(金)と書いてある。「下鴨古本まつり」 の間違いでは、と読んでみると「毎年開催されている古本界のフジロック「下鴨納涼古本まつり」。 下鴨神社境内にて、青空の下、 多くの古本屋さんが出店します。ガケ書房 では、それにビンビンと便乗します!下鴨祭りと同じ日程でそしらぬ顔で便乗します! 本家が‘鴨‘なのでガケ書房のご本尊は‘亀‘!! なわけで開催します「下亀 納涼古本まつり」」。

(古本提供者)順不同

友部正人 ふちがみとふなと 岸田繁(くるり) オクノ修(六曜社) あーす書房 蟲文庫 興居島屋 書肆砂の書 岡崎武志 山本善行 高橋輝次 南陀楼綾繁 荻原魚雷 尻プロダクション ふるほんミシシッピ Lマガジン編集部 ガケ書房

豪華な顔ぶれで東京からも参加。夏の暑さを吹き飛ばしてくれそうな、とても楽しみな企画である。ガケ書房のホームページには「初日と 最終日に、もしかしたらのゲストがあるかもしれません。」などと気になるコメントも。ひょっとして荻原魚雷?

朝日新聞、29日の読書欄に「地方出版など専門の書肆アクセス閉店へ」の記事が掲載されている。それによると「地域出版社や小出版社 の出版物を専門に扱う東京・神田神保町にある書店「書肆アクセス」が、11月17日で閉店することになった。」原因は、売上げ不振 である。「「書肆アクセス」は76年、地方・小出版流通センターの小売り部門「展示センター」として開業。80年に名称変更した。現在 は同センターと取引のある約1100社のほか、独自に約300社の書籍や雑誌も扱う。約10坪の店内に約1万冊をそろえる。」

ナンダロウアヤシゲさんたち、「書肆アクセス」を応援してきた人達は、この残念なニュースを受けて独自に『書肆アクセスの本』(仮題) を発行しようとしている。「私たちは、アクセスという場を通じて、さまざまな本に出会い、多くの人と知り合うことができた。本と人 との結節点である「アクセスという場」の記憶・記録を、一冊の本にとどめておきたいと思ったのである。」と。

本を読んでいる人は少数派なのだろう。本を読む暇があったら学生ならバイトしろ、社会人なら仕事しろというご時勢かもしれない。 本をよむのに、そんなに時間はいらないんだけどなあ。


娘が昨日から富士山の登頂にでかけた。ご来光を見るそうだが。




2007年7月22日(日) 新潟にまた大型地震が。震度6強に阪神大震災の悪夢がよみがえる。
テレビのニュースでは、新潟県中越沖地震の被災地からの報道が続いている。幸い電気、ガス、水道も復旧したようでよかった。 特に水道の有難さは、阪神大震災にあった私も身にしみて思い知らされたものだ。今はすっかり忘れ果てていて、被災地の人々が 復旧した水道管からほとばしる水をみて喜んでいる様子が、テレビに映し出されているのを見た時、当時が鮮明によみがえって 「ああ〜っ。」と思わず声がでてしまった。
瓦礫と化した家屋の傍らに花束のおかれている様子を見ても、悲しい思い出がよみがえる。はやい復旧を願うばかりだ。

先週は月曜が海の日で休日だったせいか、あっという間に過ぎた気がする。雨や曇りの日が続いて、三宮の古本屋もご無沙汰だが 家にはまだ読んでない本が山積みで、夜にベッドに入ってからぼちぼち読んでいる。内澤旬子さんの「世界屠畜紀行」は途中で中断 、江戸川乱歩全集6の「妖虫」を半分ほど読んだが、気持ちが悪くなり中断。これも読みかけの鮎川信夫の「時代を読む」の続きを 読み始めている。

21日の土曜には2週間ぶりに絵画教室にでかけた。キャンバスも絵具も教室に置きっぱなしなので、溶き油が無くなっているのに 気がつかず、借りることに。油絵具も3種類ほど使い切ってしまった。次の教室までに補充をすることを忘れないようしないといけない。

久しぶりに美術館にも行けそうだ。7月28日から 兵庫県立美術館で、川村記念美術館所蔵の「巨匠と出会う名画展」が開かれる。 兵庫県立美術館のホームページによると「17世紀オランダを代表する画家レンブラントに始まり、フランス印象派のモネ、ルノワール からマティスやピカソ、エコール・ド・パリのキスリングへと近代美術の流れをたどることのできる名品の数々は、多くの美術愛好家 を魅了してきました。また、前衛美術の体系的な収集も有名で、ロシア抽象絵画のパイオニア、マレーヴィッチやカンディンスキー、 シュルレアリスムの旗手エルンストやマグリット、戦後アメリカ現代美術を牽引したポロックやウォーホル、ステラにいたる作品群は、 日本において欧米のモダン・アートを紹介するのに最適なコレクションのひとつといえるでしょう。」とある。


カンディンスキーやエルンスト、マグリットが見られるとは、楽しみである。




2007年7月16日(月) 大型台風一過で久しぶりの晴れ。じめじめの部屋に風をいれましょう。
今週はたしか、ずーっつと雨。梅雨のうえに大型台風が到来、じめじめむしむしの日々が続いた。14日の土曜は台風4号の大雨 が関西へと進み、絵画教室はお休みにする。翌日の15日日曜には尼崎でフリマを予定していたが、このぶんだと無理だなと思って いたが、朝には雨も上がりまあまあの天気で、電話で問い合わせてみると開催するとのこと、あわてて用意してかけつけた。

フリマ 
客入りはまあまあなのだが、リサイクルの安い衣類や雑貨の店ばかりで、掘り出しの骨董品もなければ手作り品も見当たらない。

終わってみると、貝殻箱が3個、貝細工が3個、流木3個で出展費用がやっとまかなえる売り上げ。でもいろいろ勉強にはなった。 フリマにもいろいろな種類があって、扱う品物によって客層もおおきく異なるのである。

今回は事前の調査が足りなかったが、それでも少しでも売れたということはうれしかった。「きれいだな、かわいいな。」という だけの理由で買ってくれる人がいることが、とてもうれしかった。



百万遍手づくり市 
「よーし、今度は市場調査をしっかりしてたくさん売るぞ!」とばかりに、次の16日の祝日に急遽、京都の百万遍の「手作り市」 にでかけることにした。 百万遍手づくり市 

朝の9時半ごろ梅田から地下鉄で淀屋橋へ、そこから京阪電車で終点の出町柳までゆき、京都大学方向に向かって今出川通りを10分 ほど歩くと、右手に京大、左手に知恩院で行われている「手作り市」の赤い旗が見えてきた。

さっそく中に入ってみると大変な賑わいである。

和小物にビーズのアクセサリー、似顔絵、パンにクッキー、大阪からはかばん屋さんも来ていた。 遠いところでは北海道から、砂と水とガラスを使って動く絵画を創作した作家も来ていた。

あーす書房  ひととおり見てまわって、いろいろアイデアを盗んで、貝や流木を使った作品の無かったことに満足?して帰途に着くことにした。



それにしてもお腹がすいたね。と蕎麦屋を探して歩いて行くと古書店を見つけた。あーす書房である。古書ソムリエの山本善行氏 がブログに「今日は寝屋川の金箔書房に行こうと家を早めに出るが、あーす書房の店頭の本に呼び止められたので、ちょっと自転車を 降りた。....」と書いておられるあの「あーす書房」だ。ちょっと感激する。

中は結構雑然としていて、湿気ているのかちょっと臭いが気になる。ハンカチで口元をおさえながら棚を見ていくとすばらしい本が いっぱいある。澁澤龍彦や石川淳や三島由紀夫などはこれでもかと言うほどある。値段は高いは、ほとんど箱入りの重い本ばかりで 持って帰るのも一苦労である。結局、江戸川乱歩全集6「妖虫」講談社 5百円、「黒田三郎詩集」現代詩文庫5百円、中勘助「余生」 八雲書店 2千円 昭和22年発行を購入。

店の中の一部分をざーっと見ただけでこの収穫。なんだかいやになる。




2007年7月8日(日) 一日おきに晴れ間ものぞくが、まだまだ梅雨は続いている。
7月1日の日曜の夜、「情熱大陸」 に内澤旬子さんが出場。世の中にはすごい女性がいるものだ。ご主人は古本大好きの南陀楼綾繁(ナンダロウアヤシゲ)こと 河上進氏。河上氏はSUMUSの同人で二人のブログはたまに覗いていたのだが、テレビをとおしてではあるが、ご本人に対面して ますますその魅力的なキャラクターに引かれた。特に内澤旬子さんの、あふれんばかりの好奇心と、それに体ごとぶつかっていく エネルギーには感服してしまった。

見終ってから「古書ほうろう」で、彼女のサイン入り「世界屠畜紀行」解放出版社を注文。本の内容もであるが、イラストルポライター (彼女が命名した)である彼女のサインも楽しみである。
7日(土)に「世界屠畜紀行」が届く。「古書ほうろう」さんより丁寧なる手書きのお手紙が同封。「この度は『世界屠畜紀行』を お買い上げいただき誠にありがとうございました。内澤旬子さんがイラストを担当してくださっている不忍ブックストリートMAPも 同封いたしました。お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください。古書ほうろう」とある。表紙を開くと”内澤旬子”のサインと かわいい豚のイラストが。行きたいが東京はちょっと遠いなあ。

まえがきを読んでみる。
「屠畜という、動物を殺して肉にする行為をはじめて目にしたのは、1993年、モンゴルでのことだった。〜 ゲルの脇で夕食のもてなし のために、女性が数人がかりで羊の内臓を洗っていたのだ。血で赤く染まった鍋に浮かぶ長い腸を見てぐわんと衝撃を受けた。すごい! これをこれから食べるんだ。そうだよな。肉って血が滴るものなんだよな。〜 

そういえば、いつも肉を食べてるのに、「肉になるまで」のことをまるで考えたことがなかった。日本ではどうやってるんだろう。  〜 帰国してから注意して探してみたものの、テレビでは動物をつぶす場面が出てくることはまずない。それどころか屠畜について 書かれた本もほとんどない。 〜 肉になるまでの過程について、まるでなにも想像してほしくないかのようだった。」

ここから彼女の「屠畜」への旅が始まる。韓国、バリ、エジプト、イスラム、チェコ、モンゴル、東京、沖縄、インド、アメリカ。 「気がついたらモンゴルの草原で羊を見てから13年が経っていた。 〜 ほんとはまだまだ行ってみたい国があるのだけれど、この 段階でひとまず、みなさんに読んでいただこうと思う。」
それでは私も早速読ませていただくことにする。



江戸川乱歩の「十字路」を読了。娘の小学生時代、学校の図書室では乱歩の少年探偵団全集が人気で、皆で読みまくったらしい。 こわい表紙画にこわい挿画を今でも思い出すそうである。


世界屠畜紀行 


 内澤旬子「世界屠畜紀行」解放出版社発行



 「不忍ブックストリートMAP」

 イラスト:内澤旬子
 編集  :南陀楼綾繁






2007年7月1日(日) 7月に入る。今年は猛暑との予想、今から気合を入れておこう。
先週の金曜から大阪OMMで古書展が始まっている。林先生、古書ソムリエの山本さんらSUMUSメンバーも既に行かれたようだ。 林先生は初日、翌日と続けて通われているらしい。私も気にしながらも、最終の日曜しか行けないので、彼らと張り合う訳ではないが (そんな恐れ多いこと....。)少しあせりつつ日曜になるのを待っている。

30日の土曜には絵画教室にでかけた。先週は帰省で教室を休んだ為、なんとなく意欲が萎えていたのを、ヌードの最終日でも あり、気持ちを奮いおこして出かけたのだが、行ってしまうとやっぱり楽しい時間を過ごせた。山形のさくらんぼ佐藤錦や、スイス 土産のチョコレートをおいしくいただいたりもした。絵の出来のほうは今ひとつではあったが。

7月1日の日曜はお待ちかねのOMMの古書展。梅田から谷町線で天満橋で降りて1番出口を出てすぐ、OMMの2階に上がり 古書展会場に入り「街の草」さんを探す。レジの当番をされているので、まず「街の草」さんのコーナーで本を探すことにする。 「与謝野晶子詩歌集」彌生書房、「芭蕉名句集」文進堂書店 昭和九年発行、「文芸読本 三島由紀夫」河出書房新社は目次を見て 埴谷雄高、武田泰淳、花田清輝、高橋和巳、澁澤龍彦、野坂昭如、吉本隆明、小林秀雄、川端康成、その他すごい顔ぶれに驚く。 石川淳「夷斎小識」中央公論社、黒田三郎「詩の作り方」明治書院と澁澤龍彦「快楽主義の哲学」文春文庫の6冊を購入。すべて 300円均一。

その後、他の店へと古本の波の中を泳いで行く。まず梁山泊で澁澤龍彦を3冊、「うつろ舟」福武書店と「暗黒のメルヘン」立風書房 と「世紀末の箱」筑摩書房で、今日の一番の高価な買い物。あとはいろんな店で、吉行淳之介「唇と歯」東方社、江戸川乱歩「十字路」 講談社、それに単行本で持っているのだが、石川淳の「鷹・珊瑚」と「新釈雨月物語」ミリオン・ブックスの新書を購入した。文庫の少し 大きくした大きさで持ち運びや寝ながら読むのに適している。表紙絵もかわいい。

今回は、大型古書展も何度か経験したせいか、疲れないようにうまく泳ぐことができたようだ。それでもホールを出た時には足腰は それなりにこたえていたが...。
帰りに「街の草」さんにおごってもらい喫茶店で休憩。いろいろお話できて楽しい一日でした。ありがとうございました。


タイサンボク 


 「タイサンボク」 モクレン科






  ※6月24日分が消えてしまった。「タイサンボク」だけ再掲。





2007年6月17日(日) もう梅雨に入ったのだろうか。しとしとと降る雨でなく、ざっーと降って後は真夏の日差し。
我が家の狭いベランダでは、ラベンダーやローズマリーの花が終わり、緑以外の色といえばセージの赤い花だけになってしまった。 つやつやした緑葉の椿やラベンダーたちの鉢のすみに、油かすを埋めてやる。植木市でいろいろ買ってきても、手入れをあまり しないので結局強いものしか残らない。それでも残ったものたちには、毎朝晩の水遣りだけは欠かさないようにしている。

あまり育ちやすいとは言えない環境ではあるが、このベランダに仲間入りさせたいと思っている木がある。オリーブの木である。 神戸大丸の花屋にも置いてあるが、少し値段が高そうなのでずーっと迷っている。月に一度行っている美容院にも、店の外回りに ぐるりと4、5鉢のオリーブの木が置かれてすくすく育っている。行く度に背も高くなり、いつかは濃いグリーンの実をつけてい たりするのを見ると、とても欲しくなる。それといつも今の季節になると紫陽花が欲しくなる。


今週もあかつき書房に顔を出した。外の均一台は見るものも無しで店の中に入っていくと、いつもと様子が違う。いつもの棚の いつもの位置の本が、大きく様代わりしている。久しぶりの澁澤龍彦「人形愛序説」第三文明社がまず眼に入る。続いて鮎川信夫 の「時代を読む」文芸春秋を取る。他に江戸川乱歩が2冊。あかつき書房で乱歩を見るのは初めてである。欲しいが高い。他にも 面白そうな本があるが時間切れの為、レジに澁澤龍彦と鮎川信夫の本を運ぶ。

女主人曰く「澁澤龍彦がお好きのようですね。」。結構、見てないようで見ているんだなあ。「乱歩も欲しいけど高いですね。」と 私が言うと「定価も高いですからね。」と本を裏返して見せる。「乱歩の本はめずらしいですね。」と言うと「文庫でもあまり見か けません。」と店主。そう言われると未練が残って、後ろ髪引かれる思いで店を出る。

今読んでいる岡崎武志氏の「古本でお散歩」筑摩書房に「古本屋の店主は、見ていないようで、じつは客の動きを目の端でちゃんと 捕らえている。店内に入ってきてからの一連の行動から、その客がどの程度の古本好きか、だいたい見当がつくものである。」と 書いている。また岡崎氏はこうも言っている。

「いろいろ本をいじくったあげくに一冊も買えないことがある。これはよくある。しかし、古本道をきわめるためには、多くの 古本屋に足を運んで、とにかくたくさんの本を手にとって場数を踏んでいくしかない。
そのためには、空振りの古本巡りを重ねることもやむをえない。店主もそのことはよく知っている。たとえ買わなくても、客が 訪れることでその店は呼吸をする。〜
あなたの態度や、買う本の筋が店主の気に入れば、思いがけず値打ち本を出してくれるかもしれない。逆に、それまでの作法が 悪ければ、たとえあっても「ないよ」と素っ気なく断られるだろう。買う方も、売る方もいい気分になる。そんな客になろう。」と。

あかつき書房にとって、私はどんな客か分からないが、ちょっとした言葉をかけてもらえるようになった。空振りの 時もあるが、最近は私にとっての面白い本に出会える確率が高くなった気がする。後はお金との相談になるのだが...。

土曜の絵画教室では、先週からヌードが始まっている。バックの処理にいつもながら手こずっている。どうなることやら。

林先生のブログによると、絵画教室のあるJR芦屋の、商店街の中にある古本屋「アシヤ書房」が5月いっぱいで店じまいしたらしい。 以前は、週一回の絵画教室にくるたびにこの古本屋に足を運んでいたのだが、車で来るようになってからは行っていなかった。店は 結構雑然と本が積まれていて、奥に女主人が座って本を読んでいた。創業者の父親と夫を亡くしてその後を引き継いでやっていたとの 事だが...。

「アシヤにはついに古本屋がなくなった。」と街の草さん。



2007年6月10日(日) 「南風と北風が交互に吹いて寒暖晴雨の常なく落ちつきのない季節が...。」
中勘助の「銀の匙」角川文庫を読了。永井荷風の「ぼく東綺譚」を読んだ時も感じた事だが、明治から大正にかけての作者の描く 日本語の、その言葉づかいのなんという美しさであることか。「銀の匙」の解説で郷原宏が「ここには明治二、三十年代、つまり 十九世紀末から二十世紀初めにかけての東京の自然や風俗が、和文脈を主にした美しい文体と、これまた耳にやさしい独特の方言 を使って描かれているが、言葉の意味とイメージが一体となって、それこそ匂いたつような詩的喚起力がある。内容の純粋さもさる ことながら、これほど純粋に日本語の美しさを感じさせる小説も珍しい。」と書いている。

本文の中から次の一文を拾ってみる。

「夏のはじめにはこの庭の自然は最も私の心を楽しませた。春の暮れの霞にいきれるような、南風と北風が交互に吹いて寒暖晴雨の 常なく落ちつきのない季節がすぎ、天地はまったくわかわかしくさえざえしい初夏の領となる。空は水のように澄み、日光はあふれ、 すず風は吹きおち、紫の影はそよぎ、あの陰鬱な槙の木までが心からかいつになくはれやかにみえる。蟻はあちこちに塔をきずき、 羽虫は穴を出てわがものがおに飛びまわり、かわいい蜘蛛の子は木枝や軒のかげに夕暮れの踊りをはじめる。

私たちは灯心で地虫をつり、地蜂の穴を埋めてきんきんいう声に耳をすまし、蝉のぬけがらをさがし、毛虫をつっついてあるく、す べてのものはみな若く楽しくいきいきとして、憎むべきものはひとつもない。そんなときに私は小暗い槙の木の陰に立って、静かに 静かにくれてゆく遠山の色に見とれるのが好きであった。青田がみえ、森がみえ、風のはこんでくる水車の音と蛙の声がきこえ、む こうの高台の木立ちのなかからは鐘の音がこうこうと響いてくる。」


荻原魚雷氏の「古本暮らし」晶文社も読了。

林先生のブログを覗くと「『月の輪書林古書目録十五 三田平凡寺』届く。」とある。「三田平凡寺に惚れ込んで平凡寺の 生涯と平凡寺の時代をまるごと浮き彫りにするかのような編集である。本文中、随所に差し挟まれた図版にも見所多し。」
別の紹介文によると、三田平凡寺の「末娘は漱石の長男でバイオリニストの夏目純一と結婚しました。彼らの長男が、漫画評論家・ エッセイストの夏目房之介氏です。」とある。私もその古書目録をみて見たいなあ。


私は古書目録と言うものは未だ注文したことが無い。一度、早稲田の古書現世の向井さんに頼んでみよう。


くひな笛 


 中勘助「くひな笛」宝文館発行

 昭和32年4月20日 第2刷発行


 くひな笛ふく息ほそし老の病み (中勘助)








2007年6月3日(日) 6月に入り今日は曇り空、梅雨入りも間近かそうな気配が...。
今日もいつものあかつき書房にでかけた。まず店の前の均一台で山口瞳の「結婚します。」新潮文庫を手に取り店内に入る。入って すぐの文庫の棚から、中勘助の「銀の匙」角川文庫を見つけてすぐ抜く。中勘助は一高・東大時代の漱石の教え子である。その漱石の 推薦により、当時東京朝日新聞に連載されていた漱石の「行人」が、病気の為中断した後を受けて、大正2年4月より「銀の匙」が 連載される。そしてその後はまた漱石の「道草」の連載が始まるのだが、大学を出て間のない27歳の中勘助が、漱石と並んで朝日 新聞に小説を連載するというのは、いかに漱石がこの「銀の匙」を高く評価していたかがわかる。

あとがきによると、漱石の推薦文には「〜文学士中勘助と申す男の作りしものにて彼の八九歳頃の追立記と申すやうなものにて珍らし さと品格の具はりたる文章と夫から純粋な書き振とにて優に朝日で紹介してやる価値ありと信じ候。尤も絵入小説の如く変化や進行は あまり無之其辺は御承知の上にて小生の後には何うか此御掲載願度・・・・・」と書かれている。

今日は続けてその中勘助の「くひな笛」宝文館も単行本の棚で見つける。こげ茶の渋い作りの箱からは明るめの鶯色した本が出てきた。 昭和32年3月第1刷発行で、この本は昭和32年の4月第2刷発行である。少し背文字の部分が日焼けしているが、ページを繰って みると旧かな使いのきれいな文字が並んでいる。今日はいい日になりそうである。

気分よく、次に先日から眼に留まっていた現代詩読本の「瀧口修造」思潮社を手に取る。少し期待しながら、目次を見て澁澤龍彦の 「『卵形の夢』瀧口修造私論」を見つけて、やっぱりあったか。他に花田清輝や小野十三郎、富岡多恵子、大岡信らそうそうたる 名前が連なっている。迷わず購入。久しぶりの澁澤龍彦である。こういう評論類にも、気になる作家は書いているので注意して見ない といけない。

レジに本を持って行くと、あかつき書房の女主人が先日購入した大岡信の「折々のうた」の事で話かけて来る。先日「折々のうた」3巻 を購入した際に、全部で何巻あるのか聞いたのを覚えていたようで「6巻くらいある。」との事だが、まあ是非とも全部揃えないと いけない事も無いだろう。「うーん。そうですか。」と返事をする。それにしても、私の新しい本箱のなかであかつき書房で購入した 本が半分以上、それ以上を占めるだろう。


あかつき書房の近くには「後藤書店」と言う神戸の老舗の古書店があるのだが、そちらにはあまり行かない。店との相性と言うものも あるのだろう。あかつき書房には、特別な稀少本があるわけでは無いが、ほどほどの本が、ほどほどの値段で買える事が分かってきて、 また、たまには本当にいい本に出会う楽しみもあり、そんなこんなで安心して通うことができるのである。



2007年5月27日(日) 真夏日のような暑い日が続くが、湿気が無いからか日陰に入るとひんやりと肌寒い。
そろそろどこかの美術館に行きたい気分である。京都の相国寺承天閣美術館で、 若冲展が開かれているが、今月中にはなんとか行きたい。伊藤若冲は見たいと思いながら、 今までにも何回か若冲展が開かれていたのに行けていなかった。少し遠いが頑張って行ってきたい。と書いてから林先生のブログ を覗いてみると、25日のどしゃぶりの雨の中を、東京からのお客を連れて若冲展に行かれたようだ。

ブログによると「平日、豪雨にもかかわらず長蛇の列だった。「釈迦三尊像」と「動植綵絵」全33点がおよそ120年ぶりに再会した というキャッチフレーズでかなり宣伝しているから当然かもしれない。しかし行列に加わった甲斐はあった。一室に「釈迦三尊像」 と「動植綵絵」が一望できるように展示されており(観客がいなければサイコーだが)、絢爛たるものだった。若冲は何度も見て いるけれど、この一室はもっとも印象深い。」と絶賛されている。これはどうあっても行かねばならない。

三宮のあかつき書房で大岡信の「折々のうた」朝日新聞社、三冊を見つけて購入する。朝日新聞に連載されていた「折々のうた」を いつも楽しく読んでいたのだが、本になっていたのを知らなかった。あかつき書房の女主人に「全巻で何冊までありますか。」と 尋ねると「たくさんありますよ。」との返事。全部集めるのはその時点で止めにする。一冊でも結構の厚さで、もう本箱が満杯状態 である。本を開くと、大岡信選集のすばらしいうた(俳句・短歌・漢詩・現代詩など)が、豊かな情感の世界を楽しませてくれる。


織田作之助の「可能性の文学」を読み進めていたが途中で止めてしまった。織田は「青春の逆説」のような小説の方が面白い。通勤 の電車で読んでいた内田百閧フ「長春香」福武書店は、期待どおりの面白さで家でも読み進めている。安岡章太郎の「私の墨東綺譚」 新潮社は、相当の期待を持って読み始めたが、あっという間に読み終わってしまった。木村荘八の挿画や、永井荷風自身が取った 玉の井や吉原などの花街の佇まい、銀座のカフェーなど昭和初期の写真も興味深く、期待以上の面白さであった。

その中の荷風の俳句より

(晩春の頃)
 ゆく春の秋にも似たる一夜かな

(偏奇館と呼ばれた家にて)
 雀鳴くまづしき門の藪つばき




貝あそび 


 浜詰海岸の砂浜から拾った貝と、
 丹後ちりめんの古布とのコラボレーション。

 翠作

 この地方では昔から、こんな可愛い貝細工を作って楽しみました。








2007年5月20日(日) 日陰に入ると肌寒くて、まだホットカーペットがしまえない。半袖の若者もいるのだが。
16日水曜に初めてブックオフに行って来た。話にはよく聞いていたのだが、やっと行くことが出来た。西宮の建石町のブックオフ は広い駐車場もありとても便利な場所にある。まず文庫の棚から見ていくが、たくさんの本が作家の名前順に整然と並べられている。

本の多さの割には欲しい本はなかなか見当たらない。やっと石川淳の「新釈雨月物語」角川文庫と山口瞳「血族」文春文庫を手に取る。 そこまでで文庫は諦めて単行本コーナーに行き、安岡章太郎の「私の墨東綺譚」新潮社を抜くと、値段は1200円といい金額である。 ただ、箱も中身も新品同然の美しさでもあり、荷風先生が写した写真も掲載されており、木村荘八の挿画などもふんだんに載っている のでよしとする事にする。

レジに持って行く途中で岡崎武志氏の「古本極楽ガイド」と「古本でお散歩」ちくま文庫を見つける。単行本で買おうと思っている間に 文庫になっていた。「古本極楽ガイド」の本文挿画は林哲夫。ただ、今年の3月に出て、皆に絶賛されている「読書の腕前」も文庫で買 うようなことにならないよう気をつけたいが...。文庫はすべて105円也。

翌日会社の昼休みに、三宮商店街のあかつき書房に顔を出したが収穫無しで、近くのブックオフに行く事にする。三宮センター街の地下 に下りて商店街の東の突き当たりにある。文庫は何も無さそうで、105円均一の単行本棚に眼をやり、江藤淳の「妻と私」文藝春秋 と、大岡玲の「表層生活」文藝春秋を見つける。それぞれ550円、1000円の値札の上に105円の値下げ札が貼られている。 もし105円になっていなかったら、買っただろうか。など思いながら、ブックオフの105円均一棚になお未練を残しながら会社に急 いだのだが、武庫川の古書店「街の草」さんの「ブックオフは古書店にとって脅威」との言葉も思い出していた。

20日の日曜にはいつもの絵画教室に出かけた。男性モデルの2回目で、黒炭でデッサンした上に絵具をのせていく。今回は男性と言う事 もあり、大胆に素肌の腕や足や顔に色を置いていくとシュールっぽいと言われてしまう。まだこれからどう変わって行くか、本人にも分か らないが、だんだん楽しくなってきた。


織田作之助の「青春の逆説」と「世相」を読了。続いて「可能性の文学」を読む。織田作之助の作品には、昭和20年前後の大阪の街が、 詳しく書かれている。たとえば「世相」の中の「− 私は道頓堀筋を歩いているうちに自然足は太左右衛門橋の方へ折れて行った。橋を 渡り、宗右衛門町を横切ると、もうそこはずり落ちたように薄暗く、笠屋町筋である。色町に近くどこか艶めいていながら流石に裏通り らしくうらぶれているその通りを北へ真っ直ぐ、軒がくづれ掛ったような古い薬局が角にある三ツ寺筋を越え、昼夜銀行の洋館が角にある 八幡筋を越え、玉の井湯の暖簾が左手に見える周防町筋を越えて半町行くと夜更けの清水町筋に出た。右に折れると堺筋へ出る。左に折 れると心斎橋筋だ。」

「世相」を読みながら、そこに描かれている大阪のあちこちを歩いてみたい欲求に何度も駆られた。



2007年5月13日(日) 初夏のような陽気も、やがていつもの春の気温へ戻り心地よい日々がやって来た。
今週の絵画教室では、初めて男性モデルを描くことになった。ショートパンツにランニングシャツの若い男性モデルに、今まで女性 モデルばかり描いてきた生徒達は珍しさもあって、やる気満々でキャンバスに向かっている。勿論私もその一人である。今回は、 構図もうまく決まり、出来上がりが楽しみである。

連休の疲れも取れ、今は織田作之助の「青春の逆説」三島文庫を読み始めているが、とても面白くて睡眠不足の日が続いている。 戦後すぐの、昭和21年6月に三島文庫から発行されたこの本は、戦後の紙不足からか、昔のざら半紙のように非常に紙質が悪く、薄くて 裏の文字が表に透けて見える程である。本の最後にある「三島文庫発刊に際して」を読むと、この織田作之助の「青春の逆説」が三島 文庫の初めての出版物のようであり、書かれた内容からは発行者、三島源治郎の当時の高い志を見ることができる。

「今や我が国は新社会を目指して、強く起き上らんとしています。この時に當り、荒廃せる人々の心に明るき灯をともし、高く豊かに 生きて行くための糧として、本社は、現代作家を網羅し、茲に三島文庫を発刊することになりました。
我が出版界は統制による萎縮状態より解放されたとは言へ心あるものは相も変らぬ良書の払底に嘆声を発している実情であります。 本文庫は読書子のこの嘆きに応え、正しき出版のあり方を、身を以て世に問う次第であります。 即ち、内容の充実を第一目標とし、新鮮発刺、一切のマンネリズムを打破し、嬉しく美しく読者の胸に通ずる良心的な文庫を造って 行きたいと念じています。また此の心だけが、吾人の自らの出版物に籠め得る正しき愛情と確く信ずる次第であります。」と。

また、この「青春の逆説」は昭和16年の発行直後に発禁処分を受けている。あとがきで織田作之助は「闇に葬られていた旧作が言論出版 の自由といふ司令部の指令によって再び世に出ることは、感慨無量である。〜 当時私は悲憤の涙にかきくれたが、この気持は著書を 発売禁止にされた人でなくてはわかるまい。そして今日再上梓するこの喜びもまた人にはわかるまい。」とその喜びの大きさを書いている。

SUMUS12号の特集「小出版社の冒険」で林先生が「三島書房管見」と題して書いておられるが、その中に「初めて三島書房の名前 に注意したのは、藤沢桓夫の『朝の歌』を買ったときだったろうか。田村孝之介の蘭を描いた表紙画に惹きつけられた。〜 本も状態が悪く、 五百円がいいところだった。〜 そして、織田作之助の『青春の逆説』を入手したあたりから三島書房の出版物を集めてみようと本気で 思い始めた。」

「しかしやはり何と言っても『文学雑誌』の発行こそが三島書房の最大の文学的貢献であったろう。一巻一号「新人創作 特選号」の目次に名前が出ている作家は次の通り。長沖一、石塚茂子、石浜恒夫、田木繁、中本弥三郎、瀬川健一郎、杉山平一、他に、 島本晴雄、小野十三郎、庄野潤三、斉田昭吉、井上靖、織田作之助、藤沢桓男、島津愛子、吉田留三郎、そして「表紙・扉・カット」が 後に具体美術協会の頭領となる吉原治良という陣立てである。」

しかし昭和22年に織田作之助が35歳で夭逝し、昭和23年に『文学雑誌』も三島書房の手を離れてからは、生き残りを賭けてか大衆文学路線へと 転換するも、そのうち活動を休止し消えていくのである。高い志だけでは何ともし難い、小出版社の悲しさである。


日曜に外出から帰って来ると、郵便受けに、注文していた荻原魚雷氏の「古本暮らし」が入っていた。急いで包装を取り、本を開いて見ると 「荻原魚雷」のサインと、サインの下に魚のイラスト、サインの右に「年金未納」と書かれている。
おいおい、いいのかい。年なんてあっと言う間に取ってしまうヨ。


庭シリーズ 


 ”庭シリーズ”の油絵と水彩画。

 岡田久美子作。











2007年5月6日(日) 連休の最終日は朝から結構な雨、ゆっくり本でも読みましょう。
連休前半、最後の休日の30日に、絵画教室で今年からお世話になっている岡田先生の個展を見に出かけた。場所は昨年の10月に 林先生が個展をされた、神戸北野にある ギャラリー島田である。

久しぶりの抽象絵画である。鮮やかな中にもシックなレッドの、ほとんど単色で塗りこめられた、100号を超える大きな作品 が、ギャラリーのガラス越しに見える。中に入るとレッド以外にも、薄いグリーン系で塗られた作品もあるが、ほとんどが レッド系の油絵具を、画面全体に何度も薄く塗りこめた作品である。下地のブラックやイエロー系の色彩と相まって、1点ずつ そのマチエールが微妙に異なり、見るものをそれぞれの幽玄の世界へといざなう。

抽象絵画と言えば独立美術や、昔なら具体美術やらの強烈な画面に慣れている私にとって、こんな静かな日本画のような作品は 初めてで、見れば見るほどその不思議な世界に引き込まれて行く。思わず油(先生のお気に入りの一点との事)と水彩の小品を 頂いてしまった。画廊には絵画教室の面々も訪れて、それぞれお気に入りの作品を購入して行った。来週の教室では先生の作品展 の話題で大いに盛り上がることだろう。


連休の後半は田舎に帰省した。今回は珍しくJRで、大阪駅から実家のある木津温泉駅まで直通の、タンゴエクスプローラー1号 を利用した。指定席券も当日に運よく買えて、福知山から宮津、天の橋立と車窓の風景を楽しみ懐かしみながらの、のんびり旅で あった。

5月10日は父のかぞえの八十八歳の誕生日で、連休はその米寿の祝いと、ついでに私の還暦も祝ってもらう予定になっている。 木津温泉駅に降り立つと、観光客の出迎えのための車が一台止まっている。駅舎の壁を見上げると40数宿の名前の入った案内版が 貼られている。

我が古里は、国立公園である風光明媚な海岸線と、ふくよかな香りの温泉と、おいしい蟹とで観光客を引き付けている。 蟹以外にもたくさんの海の幸、山の幸にも恵まれている。イカ、魚、若布、海苔に、桃や梨もとても美味しい。私の好きなサツマイモ もこの地の物が最高である。


連休最後の6日は朝から大雨で、止みそうに無い。連休の疲れか天候の急激な変化のためか、体調が最悪であるが、今日は先日の 古本市で購入した、黒田三郎の「死と死のあいだ」を取り出してじっくり読むことにする。

萩原魚雷氏は彼のブログで「黒田三郎という詩人の存在は、この先自分が生きてゆく上で、かなり大きなものになるかもしれない、と 予感した。「これは避けて通れないぞ」とおもった。こういうかんじは久しぶりだ。」と書いている。またこうも書いている。「黒田 三郎は、本のタイトルのつけ方があまりうまくない気がする。『死と死のあいだ』(花神社)にしても、せっかくいい本なのに、この 題だとちょっと買う気がしない。」と。

本当にそう思う。でも、とてもいい本なのは読み出してすぐにわかる。



夕日 


 浜詰海岸の春の日の入り。

 後は雲に入って雄大な姿は見えず。











2007年4月29日(日) この連休は古本で始まり古本で終わりそうな予感が。
今週もまた三宮の古書店へ行く。随分久しぶりな感じで、いつものあかつき書房の均一台を覗いて、文庫を物色するが、特に欲しい ものは見当たらない。が、山口瞳「『男性自身』傑作選、熟年篇」新潮文庫と山田風太郎「風眼抄」中公文庫を抜く。続いて店内に 入って行く。

無いなあと思いながらも、ふと一番下の棚を覗きこむと今、文庫で読んでいる富士正晴の「どうとなれ」中央公論社が眼 に飛び込んでくる。隣にも同じ富士正晴の「駄馬横光号」と「帝国陸軍に於ける学習・序」六興出版がきれいにパラフィン紙に包ま れて並んでいる。最近誰かが何かの理由で大事にしていた蔵書を手放したのであろう。きれいに扱われた古本を見ると、かつての 持ち主のことが思われて、私も大事にしますと心の中でつぶやきながら3冊ともレジに運ぶ。


今日29日は大阪の四天王寺の境内で行われている古本市に、初めて出かけた。連休の前半の日曜でもあり、お天気もよくJR天王寺駅 は結構な人込みである。駅前の天王寺公園を左に見ながら、四天王寺をめざして狭い商店街を歩くが、大変な人出でまさか皆が古本市に 行く訳でもあるまいにと心配したが、次の交差点で大部分は動物園方面へと流れて行きほっとする。

四天王寺の表門を入ると、境内では大古本市の名に相応しいたくさんの店が古本を並べている。後で知ったが東西南北と店舗が分けられて いたようだが、足の向くままに目指す古本を探して歩き回る。結局購入したのは単行本ばかり6冊、まず深沢七郎「極楽まくらおとし図」 集英社、海野弘「空間のフォークロア」駸々堂、荒俣宏「黄金伝説」集英社、石川淳「至福千年」岩波書店。

古本市は26日の木曜が初日で今日は4日目、明日が最終日である。もういい本は買われてしまっているだろうという諦めと、足の疲れと で気力が失せかけていたところに、黒田三郎「死と死のあいだ」花神社が目に飛び込んできた。黒田三郎については荻原魚雷氏が彼の ブログで何度も書いていて、一度読みたいと探していた作家である。3000円もしたが購入する。

俄然元気を取り戻した私は、この本を置いていた古書店「空閑(くが)文庫」の棚を探していくと、またあった。松本竣介の「人間風景」 中央公論美術出版、値段をみると4000円。高っかいなあ、と呆れるが新刊時の定価が5,150円では仕方がないか。それにしても 頑張った甲斐あって最後に2冊のいい本に出合えて、四天王寺の古本市は初めてにしては大成功であった。


早稲田の「古書現世」の向井さんにメールして、荻原魚雷氏の新刊「古本暮らし」晶文社のサイン本をお願いする。装丁は間村俊一で 林先生の風景画が表紙カバーに使われている。間村俊一・林哲夫コンビの本もこれで何冊目だろう。5月7日頃発送の予定と向井さんより 返事が届いた。いつも無理を言ってゴメンナサイ。

古本市 


 四天王寺境内の大古本市。

 春の日差しの中で本の虫干しにもいい。











2007年4月22日(日) 日本三大名湯、下呂温泉で極楽気分を味わう。残りの有馬と草津にもいつか行こう。
17日から18日にかけて下呂温泉にでかけた。名古屋まで新幹線で、そのあとは名古屋から特急ワイドビューひだに乗り換えて 下呂駅で下車。3時間程の快適な旅である。平日だったのでお客は少なく、露天風呂も大浴場も貸切に近い状態で、ほのかな香りと、 肌に柔らかい、日本三大名湯の下呂の湯にゆったり浸ることができた。

みやこ 
宿はみやこと言う名の中規模の旅館で、 ロビーや中階段、廊下などあちこちに本棚や本箱が置かれて、文芸書、美術書などが並べられている。小さい図書室もある。 都会の喧騒から逃れて、数日間ゆっくりと静寂の中で過ごしたい湯治客には、静かに読書も楽しめるこの環境はすばらしい。 猫 

インテリアにもさまざまな試みが為されている。黒光りのする時代がかったハシゴがインテリアとして床から壁に立て掛けられ、そこに 本や植物の鉢や置物がおかれている。

そういえば同じようなハシゴが立て掛けたり、柱の梁に沿わせて横にして置かれていたりして、 その上におかれた可愛い小物たちと共に一種独特の空間を演出している。

猫の置物が目につく。抱きかかえられないほど大きな物から、小指の先ほどの小さな物まで、招き猫やら眠り猫やら、さまざまな 姿態の猫たちがいたるところにいる。ここでは猫もその性質から、この宿のコンセプトである静寂の演出者である。そしてテレビなど 雑音を出す物は完全に排除されている。 合掌造り

下呂の郷

部屋の窓を開けると、白川郷から移転された合掌造りの家が見える。夜の食事までの間にそこに行ってみる事にする。まず民族資料館に なっている旧岩崎家に入ると、私の子供の頃によく遊びに行った、近所の農家を思い出させる作りになっていて少し驚く。

たとえば家の入口近くにあった便所(肥料の為の汲み取りの便利なように)や2枚の横長の板で作られた便所の形、家に入ると土間の奥に あった薄暗い牛小屋、藁ぞうりや2本の木に藁を渡して編んだ背負い用の農具、餅つき用の木のうすや杵、中二階での蚕の飼育などなど。


昔懐かしい昭和20年代後半は、もはや民族資料館で展示される時代となってしまっていた。





2007年4月15日(日) 各地で大古本市の季節、戸外市では春の気まぐれな天気が少し心配だが。
土曜の絵画教室で、講師のO先生から個展の案内はがきを頂いた。場所は ギャラリー島田で、昨年の10月に林先生が個展をされた同じ画廊で神戸北野にある。 100号の抽象画が何点か展示されるそうで今からとても楽しみである。

最近三宮の古書店には2、3日に1度はでかけている。先日もあかつき書房で古山高麗雄の「妻の部屋」文藝春秋を購入。パラフィン紙 で丁寧にカバーがかけられている。本の表紙には福井爽人の柿の絵が使われていて、装丁も全体にしっとりとした感じで好ましい。 古山高麗雄は荻原魚雷氏の好きな作家で、よく彼のブログでも取り上げられているので一度読んでみたかった作家である。

4月から5月にかけては古本市が目白押しである。4月13日から15日まで神戸サンボーホールで、26日から30日までは大阪の 四天王寺で、5月に入って1日から5日まで京都市勧業館でそれぞれ大古本市が開かれる。その合間の4月17日、18日は下呂温泉 へ、5月の連休には田舎へ帰省と楽しみな日々が続くことになっている。

まず13日の金曜、会社帰りに三宮まで足をのばして神戸サンボーホールの「ひょうご大古本市」に出かけた。元町にある会社から 海岸沿いに東へ、神戸ポートライナーの貿易センター駅のそばにあり15分くらいで着く。午後の六時頃に着いたので閉店の七時 まで1時間、先日目録から欲しい本をメモしていた紙を取り出し、まず 「口笛文庫」に急ぐ。洲之内徹の「帰りたい風景」「セザンヌの塗り残し」や滝口修三「ミクロコスモス」などはやはり売れて しまっている。それでもなかなかおもしろい本が目に付く。吉行淳之介「スペインの蠅」潮出版社を購入。ここの品揃えから見てもやはり 一度、口笛文庫の店には行くべきだろう。

その後「街の草」の加納さんに挨拶してそこの文庫を大量に購入。内田百閧フ「長春香」「古里を思う」「春雪記」「百闕タ談」すべて 福武文庫。まだ百閧ェ2、3冊あったが買い占めるのが憚れて、吉行淳之介「悪友のすすめ」角川文庫「焔の中」旺文社文庫、林芙美子 「めし」新潮文庫、山口瞳「旦那の意見」中公文庫、古山高麗雄「龍陵会戦」文春文庫を漁った後また覗いてみると、残りの百閧ヘすべて 無くなっていた。やはりへんな遠慮は禁物である。気を取り直してさらに吉行淳之介「目玉」新潮社を棚から抜くと装丁は和田誠である。

そのほか、他の店でアズ35号の「澁澤龍彦&シュタイナー」、織田作之助の「青春の逆説」三島文庫と「可能性の文学」文芸評論集と 「世相」八雲書店を購入。もうこれ以上は重くて持って帰れないしもうすぐ閉店の7時である。いろいろご足労掛けた加納さんにお礼 を言って帰路についた。

加古川焼 

 川西幹雄作。

 加古川焼 花いれ。

 説明文によれば、播磨の国の真中を流れる加古川の両岸には、奈良・平安時代の
 焼物である須恵器の窯跡が多く残されており、当時の焼物の主生産地であった。 

 その後、工人達は丹波や備前へと移って行ったが、今日加古川市の岸本一治氏に
 よって播磨の土を使った「加古川焼」が創始され、川西幹雄氏に受継がれている。

 まず形姿がいい。色合いも落ち着いていて素朴である。




2007年4月8日(日) 今日は県議会の投票日。昨夜の豪雨に耐えた満開の桜が会場の公民館で迎えてくれる。
会社の昼休みにいつもの古本漁りにでかける。まずあかつき書房で宇野千代「大人の絵本」角川春樹事務所を購入。東郷青児 の挿画がなんともいえない素晴らしさでこれだけでも充分価値がある。「大人の絵本」は昭和六年五月に、千代の短編を集め青児が 装幀し挿絵を描いた豪華限定本で白水社から刊行された。ちょうど2人が同棲を始めた頃で千代33歳。宇野千代の「青山二郎の話」 を読了、楽しく読めたのでこれも期待できそうだ。

あかつき書房から後藤書店に向かいそこで「ユリイカ」特集=埴谷雄高と吉行淳之介の「夜の噂」朝日新聞社を購入。「夜の噂」 にも朝倉摂の挿画が入っている。

今月の13日〜15日まで神戸サンボーホールで 「ひょうご大古本市」が開かれるが、目録をウェブ上で見てみると面白そうな本が何冊かある。木村荘八の「現代風俗帖」 二千円、織田作之助は「妖婦」千六百円と「青春の逆説」二千五百円と「恐るべき女」二千八百円、阿部知二「幻影」二千八百円。 結構みんな価格は高めである。永井荷風の「日和下駄」一万円は別格としても。

昨年の神戸サンボーホールの古本市には出かけてたくさん買ったので今年も行く予定だが、先日元町を歩いているとプロレス興行の 宣伝カーが、開催場所を神戸サンボーホールと言っていたので思わず振り返って宣伝カーを見てしまった。


土曜にはいつもの絵画教室に出かけたのだが、帰りには昼過ぎから降り出していた雨が本降りになって、車の窓を大粒の雨が叩き 視界不良の上、芦屋川沿いの帰り道が花見の為に通行止になっていて左折できない。ええっ−と一瞬戸惑うが、仕方なく そのまま川を渡って左折して川沿いを下りながら、川向こうの花見の通行止が終わる場所を横目で確認して、また川を渡っていつも の道に戻りやれやれと胸をなでおろした。

通行止は初めての経験であるが車の初心者には不安なものである。雨はますます激しさを増して来た。 花見客や川沿いにずらりと並んだテントの店は、この雨の中を大丈夫だろうかと少々心配しながら帰路に着いた。

桜 

 選挙投票場前の満開の桜。

 たわわに咲いた花が重たそう。











2007年4月1日(日) 近くの女子大の桜並木が薄ピンク色の帯となって続いている。東京ではすでに満開とか。
永井荷風の「ぼく東綺譚」の終わりに作後贅言として、作者が書名の説明や執筆当時の世相について書いているがこれがなかなか面白い。 当時の人間達を、明治時代に成長した我々(荷風)と大正時代に成長した現代人とに分けてその違いを次のように書いている。

「彼らは店の内が込んでいると見るや、たちまち鋭い目付きになって、空席を見いだすと共に人込みを押し分けて驀進する。 物をあつらえるにも人に先んじようとして大声を揚げ、卓子をたたき、杖で床を突いて、給仕人を呼ぶ。中にはそれさえ待ち切れず 立って料理場をのぞき、直接料理人に命令するものもある。日曜日に物見遊山に出掛け汽車の中の空席を奪い取ろうがためには、 プラットホームから女子供を突き落とす事を辞さないのも、こういう人たちである。戦場において一番槍の手柄をなすのもこういう 人たちである。乗客の少ない電車の中でも、こういう人たちは五月人形のように股を八の字に開いて腰をかけ、取れるだけ場所を取ろう としている。

何事をなすにも訓練が必要である。彼らはわれわれのごとく徒歩して通学した者とはちがって、小学校へ通う時から雑踏する電車 に飛び乗り、雑踏する百貨店や活動小屋の階段を上下して先を争うことによくならされている。自分の名を売るためには、自ら進んで 全級の生徒を代表し、時の大臣や顕官に手紙を送る事を少しも恐れていない。自分から子供は無邪気だから何をしてもよい、何をしても とがめられる理由はないものと解釈している。こういう子供が成長すれば人より先に学位を得んとし、人より先に職を求めんとし、 人より先に富をつくろうとする。この努力が彼らの一生で、その外には何物もない。」

これが荷風の言う大正時代人と言う訳なのだが、昭和、平成の時代と過ぎても状況はほとんど変化が無いというかもっとひどくなっている のは悲しい事である。時代の風潮に流されず「この努力が彼らの一生で、その外には何物もない。」と切り捨てられないような生き方を 考えないといけない。


今週は神戸元町の海文堂でおこなわれた岡崎武志氏「読書の腕前」トーク & サイン会 & 一箱古本市に行きたかったが行けなかった。 それに大阪天王寺美術館で行われている関西独立展にも友人から招待はがきを貰っていたのに行けなかった。京都の ガケ書房にも行けなかった。4月からは もっとあちこち歩き回ることにしょう。




2007年3月25日(日) 一雨ごとに春に近づいて行く。明日から冬のコートにもお別れできそう。
会社の昼休みにJR元町の高架下の商店街(モトコー)を歩いて見る。時間が限られているので足早に商店街の中を通り抜けて いく。時節柄かここでも今日は休業日かと間違うほどシャッターの下りた店が目に付く。ビデオ屋は繁盛しているようだが古本屋がなかなか無い。 時間切れすれすれにやっと見つけて均一棚を覗くと山口瞳の「居酒屋兆治」と「礼儀作法入門」ともに新潮文庫が各100円。続いて店内を見ると 棚に文庫がいっぱいある。そこで白洲正子の「両性具有の美」新潮文庫、宇野千代の「青山二郎の話」中公文庫、向田邦子の「無名仮名人名簿」 文春文庫を購入。5冊あわせても750円。モトコーは結構穴場かもしれない。

春分の日の翌日、会社の昼休みに油絵の溶き油を買いがてら、いつものあかつき書房に顔を出すと均一台の中がいつもと違う。珍しく も岩波文庫がずらりと5冊。永井荷風の「ぼく東綺譚」を取ってぱらぱらっと見ると木村荘八のたくさんのすばらしい挿画に目を奪われて しまう。踊る心をなだめながら次に手にした吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」は脇田和の挿絵である。続いて西丸震哉「山歩き山暮し」の これは中公文庫であるがカバー絵が長新太で、文中には著者作の愉快なカットが踊っている。今回はすべて挿画やカバー絵で買ってしまい、 吉野源三郎も西丸震哉も全く知らないのであるが、本の題名からしてなかなか面白そうな気がする。各150円也。

通勤の電車用に文庫の「ぼく東綺譚」を、家では先日購入した吉行淳之介の「菓子祭」を読む。永井荷風は文豪と呼ぶにふさわしい流麗な 文体でぐんぐん引き込んでいく。情景描写が抜群にすばらしいが、またその情景を木村荘八の明治の情感あふれる挿画で二重に楽しみながら。

吉行淳之介は「菓子祭」のあとがきに「いわゆる「奇妙な味」の小説についての嗜好が私にはあって、これらの短・掌編は、そのジャンル のものともいえる。ただし、その枠からなるべくはみ出すところが、その内容においてあるように心がけてみた。」とある。確かに現実ばなれ のした短編が続くがその淳之介の奇妙な世界にいつしか取り込まれてしまっている。

富岡多恵子の「丘に向かってひとは並ぶ」中公文庫は奇妙を通り越して、不気味であとがきの多田道太郎曰く「物凄い世界」がひろがっていく。 富岡多恵子詩集は私の学生時代に白石かずこ、関根弘とともに私の蔵書の一つだった。特に富岡多恵子は版画家の池田満寿夫と暮らしていたこと でも知られており興味深い存在だった。富岡多恵子の著書を眼にすると若い日がよみがえってつい手に取ってしまう。

いかなご釘煮 

 淡路産いかなごの釘煮。

 今年は暖冬のため不漁で値段もいつもの2倍。

 これで今年3回目だがもう一回作りたい。










2007年3月18日(日) 冷たい北風が吹き真冬の寒さとなる。暦では彼岸の入りなのだが。
林芙美子の「放浪記」が読み終わり、平行して読んでいた深沢七郎の「楢山節考」も読み終わり、久しぶりにこれも読み残していた 澁澤龍彦の「マルジナリア」を読む。澁澤龍彦の洗練された文体は就寝前の私の頭の中に精神安定剤のように心地よく沁みていく。 本の装幀も上品で、手に持った時の重みや感触もしっくりなじんでいい。あらためてこんな素晴らしい本を手に入れた偶然に感謝したい。

それにしても神戸でもう少し古書店を発掘したいものである。 日本の古本屋で神戸の古書店を検索してみると近くに結構ある。会社の昼休みに三宮のセンタープラザの中の古書店に行って みる。店の外には100円均一の文庫本の入った箱が置かれているが特に欲しいものは無い。続いて店に入って行くと非常に狭い店内の入口 のすぐ右角に女店主が座っていてちょっとびっくりする。店内は専門書が多くて期待はずれかと少しがっかりして帰りかかると吉行淳之介 の「菓子祭り」潮出版社が目に飛び込んできた。

そういえば荻原魚雷氏が吉行淳之介について書いた本を出版していたのを思い出し棚から抜き出してみると、装・挿画は池田満寿夫、装幀 は中島かほるである。内容は如何、本の作りや中の挿画だけでも充分見ごたえがある。が、多分高いだろうなあと値段を見てみると 三千二百円也。今まで三千円を越す本はほとんど買った記憶が無いので一瞬躊躇するが購入することにした。女店主は値段を少し下げました と言っていたが、日本の古本屋で検索してみるとこの半額以下でいっぱい出てきたのにはショックだった。まだ初心者の私に試練の日となる。

それでも帰りに寄ったいつものあかつき書房で、外の均一台で山口瞳の「庭の砂場」文藝春秋の文庫を見つけた。山口瞳もなかなか見つけ られないので嬉しい。150円也。ネットで大阪の古書店ベルリンブックスのホームページを見ると本の買い取り価格について出ている。 販売価格の10〜40%(基本は25%)とある。また現在特に譲って頂きたい本として、青山二郎・稲垣足穂・内田百閨E織田作之助・澁澤龍彦 ・田中小実昌・山口瞳....とあった。石川淳が無いのがちょっと不満ではある。


クリスマスローズ 

 我が家のクリスマスローズ

 花盛りのラベンダーやローズマリーと。












2007年3月11日(日) 三寒四温の言葉どおり寒さと温さが交互にやって来る。クリスマスローズは今が盛り。
我が家のベランダは椿の花が終わり今、青のローズマリー、紫のラベンダーが花盛り。そこに白いクリスマスローズがひそやかに 頭を垂れて咲いている。ここ2,3日寒い日が続き日本海側では雪も舞ったようであるが、神戸の街路樹のハクモクレンもその 白い大きな花弁に春の嵐を受けて吹き飛ばされんばかりにふるえていた。

先日から林芙美子の「放浪記」を読み進めているのだが、ようやく読了した。林芙美子は1903年(明治36年)に生まれ、1928年(昭和3年 )に19歳から23歳頃までの多感な放浪の日々を書き綴った「放浪記」を雑誌に連載、2年後には単行本を出しベストセラーとなる。

其の中には古本屋に行く箇所が随所に出てくる。たとえば「例の通り古本屋への日参だ。『小父さん、今日は少し高く買って頂戴ね。 少し遠くまで行くんだから...』この動坂の古本屋の爺さんは、いつものように人のいい笑顔を皺の中に隠して、私の出した本を、そっと 両の手でかかえて見ている。『一番今流行る本なの、じき売れてよ。』『へえ...スチルネルの自我経ですか、一円で戴きましょう。』」。

スチルネルとはマックス・スティルナーで「唯一者とその所有」を辻潤が「自我経」として訳す。かつて辻潤病にかかったという 荻原魚雷氏の文壇高円寺のペソアのトランクにちょうど 辻潤の「絶望の書」について書いている。

「放浪記」には「スチルネルの自我経。ヴォルテエルの哲学。ラブレエの恋文。みんな人生への断り状だ。生きていることが恥ずかしい のだ。.....今日も南天堂は酔いどれでいっぱい。辻潤の禿頭に口紅がついている。浅草のオペラ館で、木村時子につけて貰った紅 だと御自慢。.....辻潤訳のスチルネルがいくら売れたところで、世の中は大した変りばえもしない。」
当時は結構辻潤が読まれていたのか。私も古本屋で気をつけて見てみよう。

他に「かえり十時。道玄坂の古本屋で、イバニエスのメイ・フラワア号を買う。四十銭也。」「浅草の古本屋で、文章倶楽部の古い のをみつけて買う。」。面白いところで「大家さんの女中さんらしいのがかれすすきの唄をうたって横の道を通っている。大家さんは 宮武骸骨さんと云う人なのだそうだ。」あの宮武外骨の事か。骸骨にされている。「六本木の古本屋で、大杉栄の獄中記と、正木如丘編纂 の四谷文学という古雑誌と、藤村の浅草だよりという感想集三冊を八十銭で求める。」など。林芙美子は本はすべて古本屋で調達していたようだ。

古書ソムリエの山本善行氏のブログの3月5日分に 「ファブリ世界名画集」の澁澤龍彦解説のエルンストを105円で購入と出ている。善行氏は京都のガケ書房に善行堂というコーナー を持っているのでそこの棚に早く出して欲しいものである。


絵画教室は今週からモデルがマンドリンを持つ女性に変わる。面白そうで今回は20号の大きいキャンバスで頑張ってみようと思う。 モデルの女性はこの教室では初めてで、綺麗な人。あとは私の腕次第であるが。


ハクモクレン 

 神戸元町のハクモクレン

 朝の出勤時にパチリ。












2007年3月4日(日) 春の陽気に誘われて身体もムズムズ。ぼおーとしてたらすぐ夏になりそう。
昨年の寒い寒い大雪の冬から一転して、今年は雪不足の記録的な暖冬となった。春を告げるイカナゴ漁も早くも28日に解禁となり、 今年はイカナゴの生育も早そうで解禁と同時に買いに走った。さすがにまだ小さいが可愛いい釘煮ができあがった。3日の土曜に スーパーのイカナゴ売り場を覗いてみるともはや通常のサイズまで生育していた。こちらの釘煮を田舎の父へ送ることにする。 「明日の日曜はイカナゴ漁は休みです。」というアナウンスの声がする。かきいれ時でも日曜はしっかり休むようである。

先日林先生のブログを覗いていたら丁度読み終わったばかりの 宮武外骨の雑誌「変体知識」第2号が紹介されていた。宮武外骨による川柳研究雑誌であるがあまりのタイミングのよさにあっと驚いて しまった。コショスキー(林先生の奥さんが古書好きなご主人をもじってつけた名)はこんな雑誌まで持っているのかという驚きもある。

その林先生から「2007年 東美アートフェア 春展」 という図録が届いた。東京美術商協同組合が主催する絵画・近代美術展である。3年前に先生が銀座の岸本画廊で個展をされたことが あるが、今回東京美術商協同組合の組合員の岸本画廊に依頼され、林哲夫「開窓近作展」と銘うって3月16日〜18日まで新橋の東京美術 倶楽部の岸本画廊コーナーに出品される。先生自身、このような美術の業界団体が一堂に会して展覧会を開催しているという事は知らな かったようだが図録に載っている先生の作品はとてもいい、他に何点出されているのかそれらも見てみたいし、他の54画廊の出品作品 もみてみたいものだが。

林芙美子の「放浪記」がもうすぐ読了するが、まだ例の有名な「花の命は短くて〜」の文が出て来ない。半分これがどこに出てくるかを 楽しみに読み進めているのにである。確か「放浪記」だったと思ったんだが....。


ミーコ 

 老猫ミーコ

 こたつから首だけ出して熟睡中。












2007年2月25日(日) 2月も終わりに近づき、寒さも少しだけ戻ってきた。
21日の水曜に大阪中の島の国立国際美術館に行った。大阪の3ヶ所の美術館で共同開催される「大阪コレクションズ」の一つがここ 国立国際美術館で、「夢の美術館」と銘打って3月25日まで開催されている。もう1ヶ所の大阪市立近代美術館、心斎橋展示室では 「佐伯祐三とパリの夢」が同じく3月25日まで開催されている。そしてもう1ヶ所のサントリーミュージアムでは5月17日から 「20世紀の夢−モダン・デザイン再訪」が開かれる予定である。

阪神の福島駅で下車して南に徒歩10分程で恐竜の骨のような国立国際美術館の頭が見えてくる。周りを超高層ビル群に取り巻かれなが らもその異様な姿で存在感を誇示しており、いつも頭から突き出た長い触覚を見つけて美術館に近づいて来た事を確認する。 今回の美術展の目玉はモディリアーニ、エルンスト、マグリット(大阪市立近代美術蔵)か。他に眼を引いたのがモランディの静物(国立 国際美術館蔵)。

平日のしかも近代の画家の作品展にしては年配の入場者が多くて驚いた。圧倒的に女性が多いのだが、皆美術館から貸し出される案内用の イヤホンを耳に差して熱心に観てまわっている。絵画の愛好家は私が思っている以上に多いのかもしれない。展示作品は期待していた割に ちょっとがっかりの内容だったが、それでも大阪の美術館も頑張っていい作品を収集しているのがわかっただけでも観た価値はあった。


絵画教室も新しい先生になってから2作品目に入った。生徒それぞれの個性を大切に考えて指導してくださり、生徒も次第に打ち解けて きたようでいい雰囲気になってきた。今までとは異なった視点でのアドバイスを受けてそれに挑戦するのも楽しいものである。

最近、古書ソムリエの山本善行さんのブログを見だした。 彼の古書店通いは半端じゃない。そしていい本をゲットしている。私ももっと頑張らなければ.....。


国立国際美術館

  国立国際美術館 

中の島の超高層ビル群に囲まれた国立国際美術館。

1階はロビー、展示会場は地下2、3階。











2007年2月18日(日) チョコ一色だったデパートの食品売場もバレンタインデーが終わってやっと元の姿に戻る。
連休が終わってまたいつもの日常が戻ってきた。定年になると神戸にもそう度々は来れないかも知れないと思い、最近は会社の昼休みに は頻繁に三宮の古書店に顔を出している。だがいつものあかつき書房のいつもの棚には特に目新しいものは無い。続いて後藤書店まで足を伸ばす。 ここにも何も無いかと諦めかけたところで「宮武外骨」吉野孝雄 河出書房新社を見つける。宮武外骨は一度読みたいと思っていたので嬉しい。 レジで袋に入れてもらっていると年配の店主らしき男性が三宮街を紹介したフリーペーパーも一緒に入れるように指示する。

読みかけの本を置いて、「宮武外骨」にトレーシングペパーで丁寧にカバーをかけて読み始める。非常に面白くて夜布団の中で遅くまで読み続け ているものだから少々寝不足ぎみである。それにしても明治維新から日清、日露戦争にかけての外骨のジャーナリストとしての気骨は相当な ものがある。

明治34年に創刊された「滑稽新聞」35号の「迫害を畏るるは偽者なり」と題した文章中には「平常大言を吐くにも似ず、一社の変事に際会すれば 直ちに筆を止めて禁黙するは現在新聞紙の常態にあらずや、是れ其議論は偽論、記事は欺事たるが為めのみ、夫れ新聞は社会の耳目なり記者は 天職なりと説く者にして、富貴に淫せられざる者果たして幾人かある、正義の代表者なりと絶叫する者にして、威武に屈せざる者吾人未だ之を 見ず、〜彼等曰く、警察官や司法官に反抗すれば万事不利益なりと、然り不利益なり然れども其不利益なるものは国家の不利益か民人の不利益 か、嗚呼、是に拠て、之を見るも、滔々たる否蠢々たる新聞記者なる者は自己の肉体以外何者をも有せざる非天職者なること知るべきなり。」

また、本の表紙裏の紹介文によると「自ら企画執筆編集刊行するスタイルを生涯貫き、独立独行のジャーナリスト・操觚者として二百点に近い雑誌、 新聞、単行本を残す。その間に筆禍で入獄4回四年余、罰金刑15回、発行停止・発行禁止14回。」とある。
半分まで読み終えたが残りも一気に読み進めたい。


最近は毎日のようにあかつき書房や後藤書店を覗いているものだから先日はあかつき書房の女主人に「また来たか」というような顔をされた気が した。実は先日訪れた時、大量の本が持ち込まれていたのを横目で観察していたので、その本が出てないかという期待もあるのだ。 だが、期待に反していつもの棚はあまり変わり栄えはしない。それでも頑張って面白そうな題名の「文士風狂録」を棚から抜いてみると見たこと のある装丁である。表紙に林先生の絵が使われている。発行は筑摩書房で著者は大川渉、装丁は間村俊一。間村俊一は先日購入した林先生編集の 「SPIN」1号の中の珈琲漫談1で林先生含めて3人の会談の中の1人である。副題に「青山光二が語る昭和の作家たち」とあり、織田作之助、 太宰治、坂口安吾、林芙美子、花田清輝、埴谷雄高、三島由紀夫といった早々たる面々と青山光二との交友を大川渉が聞き取り書いたものである。

相当興味を引く内容であるが、まだ発行から1年ちょっとしか経っていないから新刊書店にもあったかもしれない。値段も定価より3百円程安い だけなので買ってしまってからちょっと悩んでしまった。古本買いもむずかしい。




2007年2月12日(月) 節分が過ぎ、立春も過ぎ、春なのだがあまりの暖冬の為特別な感慨も無い。
やはり冬はそれなりに寒くあって欲しい。春が来ても今年のような暖冬では、冬の厳しい寒さを乗り切った喜びも乏しく、その分 活力も湧き上がってこない気がする。それでも日々の雑事は寒かろうと暑かろうと変わりなくあって一日はあっと言う間に過ぎて行く。

林先生編集の「SPIN」1号が刊行される。いつもの 「みずのわ出版」からで林先生装訂。某紹介文によると「林哲夫編集による文芸誌が創刊!spin とは製本用語で「栞ひも」のこと。 今後、半年1回(1・7月)のペースで刊行の予定。また、掲載されている林哲夫の連載「淀野隆三日記を読む」の完結まで7、8年はかかる、 とのこと。注目!」とある。

淀野隆三に特に興味の無い私には他のエッセイ類や「みずのわ編集室1」が面白かった。神戸の小出版社「みずのわ出版」を応援したい。

10日から12日までの連休に田舎に帰省することになった。9日に急に決まった為、ばたばたと用意をして従妹2人と車に乗り込んで ばたばたと出かけた。目のまわる程の忙しさの中で溜まりに溜まったストレスを吐き出す為に無理して休みを作る。彼女達は車内でわいわいと にぎやかである。私は道を間違えないように行き先の表示板をチェックするが結局いつものように道を間違えてユーターンする。

今年の夏に車での帰省を考えている私には彼女たちの運転は参考にならない。やっぱり道路地図でしっかり道順を把握して出かけるのが一番 のようである。田舎では蟹シーズンの真っ最中で、年間の売上げの大部分をこの時期に売り上げる為村中が大忙しである。蟹や新鮮なさしみ を堪能してまたにぎやかに帰途についた。


冬の浜詰海岸 

 実家の裏庭から日本海の荒海をパチリ。

 暖冬のせいか波も小さいが波乗りの姿もちらほら。











2007年1月28日(日) 1月も終わりというのに寒中に似合わない暖冬の日々が続く。
今年は暖冬でインフルエンザの流行も遅れているらしい。私のほうは早々と風邪でダウンしていた。今回の風邪はお腹にきて、ただでさえ 胃腸の弱い私には相当の打撃であった。だらだらと長引く風邪に近所の行き付けのお医者さん曰く「一番いいのは絶食すること」。 それが無理でも胃腸が弱っているのだからなるべく休ませるのがいいらしい。

そのうちなんとか直ってきたが、昨夏から落ちていた体重がまた落ちてお腹周りがスリムになったがそれ以外の場所も肉が落ちて、お風呂 上りに鏡で裸を映してみるとなんとも貧相なものである。年を取ってからの体重の低下はあまりお勧めできない。

それでも27日の土曜には頑張って絵画教室に出かけることにした。久しぶりの車でのお出かけでもある。冬の日は早く車の中に入りたい のにいちいち初心者マークを付けないといけない。めんどうであるが6月までの辛抱である。教室に着き、描きかけのキャンバスをイーゼルに 掛けて眺めて見るが、出来の悪さにこの後どのように描き進めていいものやら。紙パレットに絵具を並べながらもう一度新たに描き直すつもりで モデルに対することにする。そのうち段々調子が出てきて少しましになってきた。最終の時間になってようやくそれなりの形が出来てきて 先生に見て頂く。来週もう一日あるのでなんとか完成するだろう。


先週の土曜の「辺見庸講演会」では辺見さんも風邪を押しての講演であったらしい。今回は入場者が前もって抽選で決まっていたので混乱 も無くゆっくり座席を確保できた。いつもの静かな語り口で最近のあまり良くないらしい身体の状況の中で我々に精力的に語りかけてくれた。 そのなかのジャン・グルニエの「存在の不幸」の中の一文として「意識の弓を引き絞る」。自分や他者の「内心の声」に耳をそば立てる。 単独者として物を考える。言葉の暴力をどこまでも拒む。....といった辺見さんの言葉が私のノートに記されている。それらを読み返し ながら今の危うい状況を少しでも正確に捉えられるようしたい。


なかなか本が読めていない。読書の時間をもっと作らないといけない。




2007年1月21日(日) 今年はもう風邪をひいてしまった。もっと体力をつけなきゃ。
2〜3日前から喉がいがらっぽい。空気が乾燥している為かと思っていたがどうやら風邪の前兆だった。19日の金曜は朝になっても 体がだるい。仕事を休んで一日寝て過ごすがそのうちクシャミがやたらと出て、かんでもかんでも鼻水が止まらない。それでも明日の 「辺見庸講演会」阿倍野区民センターには是非とも行きたいので大人しくしていたが、20日になっても良くならない。それでも行くだけ は行ってみようと、マスクをして完全防備ででかけた。

だが、お腹が痛くて1時間程で退席。詳しくは後日に。23日もまだ下痢が続く、明日はもう一度病院に行こう。




2007年1月14日(日) 10日戎も過ぎ、松の内も終わって2007年が確実に動き始めた。
先日、久しぶりに友人宅を自転車で訪ねた。今年は11月に定年を迎えるのだが、何かやりたいと数年考えてきたことが少し具体化しそうな気配 があり、意見を聞きたいと考えたのであるが本当に彼女に会うのは久しぶりだった。いろいろ話がはずみ古本の事に至った時、突然彼女の 口から先日でかけた武庫川の古書店「街の草」が出てきた。驚いたことに「街の草」の店主の加納さんとは同じ高校で彼女の後輩であった。 そういえば2人とも地元の人間なのだから不思議でもないのか。

彼女自身は、それほど古書店に出かける方では無いようだが、他に近くで面白い古本屋は無いかと聞くと 「蝸牛」という古書店を教えて くれた。名前は知っていたが彼女の家から自転車で10分程なので帰りに寄り、花田清輝芸術論集「さまざまな戦後」読売新聞社と、 深沢七郎「楢山節考」新潮文庫を購入。

13日の土曜は久しぶりに芦屋の絵画教室に出かけた。今日からN先生に代わって新しくO先生となる。教室にいつもの生徒達が集まり 始め、レオタードを着たモデルさんもポーズを決め、生徒のほうも先生のほうも少々緊張気味に始まった。80歳を越しておられたN先生 から43歳の若いしかも女性の先生に代わり、2ヶ月近くの教室の休止期間もあったりで私自身も以前のようにはうまくデッサンできず、 2時間の間悪戦苦闘する。少しづつでも描き続けることが大事とはわかっているのだが...。それでも久しぶりに楽しい時間であった。

また朝日新聞の土曜版には、今月の16日から大阪中ノ島の国立国際美術館で始まる 「夢の美術館 大阪コレクションズ」が紹介されていた。 紹介文に「国立国際美術館、大阪市立近代美術館建設準備室、サントリーミュージアム[天保山]という三つの美術館が館の「枠」を 取り払い、大阪の文化集積力をアピールするシリーズ展「大阪コレクションズ」。16日から大阪・中之島の国立国際美術館で始まる「夢の 美術館」は、大阪が蓄積してきた西洋の近現代美術の名品をえりすぐって一堂に公開する注目の展覧会だ。」とあり、ルネ・マグリット、 アメデオ・モディリアーニ、アンディ・ウオーホル、パブロ・ピカソなどの作品写真が掲載されている。年の始めを飾るにふさわしい素晴らしい 作品群に今からわくわくする。

14日の日曜には今はやりの岩盤浴を体験にでかけた。車で10分も走ったところに 鳴尾浜温泉「熊野の郷」があり、送迎バスが町中を走っているのをよく眼にしていたのだが一度体験して 見ることにした。私自身はお風呂はあまり好きではない。いや好きだがすぐに湯にのぼせるというか酔ってしまうので岩盤浴の部屋に入った 時はそのむっとする熱気にたじろいでしまった。それでも我慢して休憩しながら1時間を過ごすとその後の温泉は最高だった。特に露天風呂 はお勧めである。顔に冬の冷たい空気を受けながら温かい温泉につかるのは、のぼせやすい私に一番適した温泉の入り方である。




2007年1月8日(月) 神戸元町には華やかな着物姿の成人が街を行く。静かな休日の街に花が咲いたよう。
正月休暇は冬を忘れるような暖かな日が続き、スキー場は雪が無くて困っていたようだが6日から今日7日にかけて猛烈な寒波が到来 、朝から横殴りの雨がベランダにも降りこんでいる。昨日はどこにも出かけず家に閉じこもっていたのに今日もこの調子だと家籠りか とがっかり、外はいつの間にかみぞれ混じりの雪に変わっている。今頃、田舎の丹後も雪が積もっているだろうなと諦め加減でお昼ご飯 をとっていると外が晴れて日が差してきた。ここが裏日本の雪深い底冷えの丹後と違うところであり、私が西宮からなかなか離れられない ところである。

ベランダに出てみると風も止んでいる。よし、今から武庫川の古書店「街の草」に行こうと電話をすると「12時半に店を開けます。」 との返事、運動不足の解消も兼ねて自転車で行くことにする。ダウンを着、首にマフラーを巻きつけ帽子をかぶる。家を出てしばらく走り 武庫川を渡るが風も無く順調に「街の草」に着く。店主の加納さんが外で本の整理をしている。「こんにちわ。」と挨拶して店に入ると、 そこにマンガ家の松永豊和さんが来店。加納さん彼の作品 「バクネヤング」にサインをしてもらうことに。加納さんの娘さんが松永豊和さんのファンとか。

厚さ10cmもあろうかというその「バクネヤング」を少し見せてもらうとビッシリ絵が書き込まれている。1枚書き上げるのに1日掛かった そうで、それでは仕事としては話にならないらしいが途中で手を抜く訳にもいかず完成するのに相当の時間が掛かったそうだ。画風に似合わぬ (褒めているのかどうなのか)ごく普通の話しやすい男性である。本を見せてもらったが未経験の内容でなんとも感想が出ない。「マニヤック な人向き」らしいがじっくり読めば未知の世界が開けるかもしれない。とにかく相当な力作には違いない。

今日は澁澤龍彦の「夢の博物館」美術出版社と林芙美子の「放浪記」新潮社を購入。「放浪記」はいまさらながらまだ読んでいなかった。 家に帰って早速「夢の博物館」を開く。私にとっては中身も値段も豪華本、今年初めての古本購入となる。



帰りも武庫川を自転車で渡ったが、行きと違って強風に煽られ前に進めない。帽子も飛ばされそうで頭を抑えながら自転車を降りて引いて渡る 事になった。西宮とて冬を甘く見てはいけない。




2007年1月4日(木) 猪年の幕開けである。おみくじは半吉だった。
先日、朝日新聞を見ていて姜尚中の「愛国の作法」朝日新聞社が目に留まった。姜尚中の著書では以前「在日」を読んだ事がありこれで 2冊目となる。私の年代では愛国と言えば右翼がすぐ頭に浮かぶが、この言葉を突き詰めて考えた事も無い。カバーに「「改革」で政府 によって打ち捨てられた「負け組」の人々ほど、「愛国」に癒しを求めるのはなぜか。〜「愛国心」という怪物と真正面から格闘する。」 とある。早速、読み始めることにする。

年末が近づき気持ちばかりが追い立てられるようで落ち着かないが、まだ年越しの準備は何もできていない。とここまで書いたところで 2007年になってしまった。

今年は近くのN神社に初詣に行った。家から歩いて15分程、運動も兼ねて娘と歩いて行くことにする。神社に着いて「お百度」と彫られた 長四角の石を見つける。以前、田舎の弟が手術をした時この「お百度」の石と社殿との間を何回も往復して病気平癒を祈ったことを思い出す。 何人もの人に触られて頭が丸くなった石を見ていると当時を思い出す。おみくじを引くと第3番の半吉で、娘は第2番の吉。いいことばかり書いて あったので今年はいい年になりそうと単純に喜ぶ。


澁澤龍彦の「ねむり姫」と深沢七郎の「言わなければよかったのに日記」中公文庫を読了。続いて澁澤龍彦の「城」白水社に取り掛かる。それと 姜尚中の「愛国の作法」朝日新聞社を交互に読む。「愛国の作法」はなかなか進まないがこういう硬派の本も読まないといけない。 「辺見庸講演会」の参加券つきはがきも送られてきた。今月20日(土)阿倍野区民センター、元気な姿に会いに行こう。




2006年12月17日(日) スーパーでは正月商戦が早くもたけなわ、いやがおうにも年の瀬の慌しさにまき込まれてゆく。
土曜の夜を楽しませてくれていたNHKの韓国ドラマ「チャングム」が先日終わり、続いて同じく韓国ドラマ「チェオクの剣」が始まった。 2回程みたが、韓国ドラマと言うより台湾ドラマのような派手なアクション物で、空に駆け上がったり駆け下りたり忙しいことである。 多分何回か惰性で見た後は見なくなるだろう。柳の下にそうはドジョウはいない。

しかし、先日見た韓国映画「王の男」はなかなか面白かった。場所は岩屋のHAT神戸で久しぶりに車で神戸まで出掛けた。平日で人も 少なくゆっくりみる事ができた。時代は15〜16世紀、日本で言えば室町時代、朝鮮王朝の狂王と言われたヨンサングン(燕山君)と、 その時代が映画の舞台となっている。

当時の民族衣装もとても興味深い。チマチョゴリのゆったりとした赤いスカートをまくり上げておどける女形のコンギルがとても魅惑的で ある。コンギルの相方のチャンセンの綱渡りの演技も迫力がある。豪華な刺繍の入ったきらびやかな宮中の衣装も素晴らしいものだが、素朴 な色合いのチマチョゴリを着た民衆に取り巻かれ、みすぼらしい衣装、泥で汚れた顔ながら民衆の喝采を受ける最下層の旅芸人達の生き生き した演技が素晴らしい。

史上最悪の暴君といわれたヨンサングンは朝鮮王朝第10代の王で、最後には臣下のクーデターにあい30歳で死去する。次に王位に着いたのが ヨンサングンの異母弟でNHKの韓国ドラマ「チャングム」で医女チャングムが仕えたチュンジョン(中宋)である。数年前にソウルに旅した ことがあるが、その時民族村という昔の朝鮮の生活の場をそのまま残した場所に行き、そこの美しい景色に感動したことを思い出す。韓国の 時代劇の舞台にも多分使われているのだろう。「王の男」といい「チャングム」といい、異国の時代劇でありながら身近に感じられるのは 儒教という共通の文化と価値観を共有している為だろうか。



15日の金曜は会社の忘年会に芦屋のイタリア料理店「ブリーニ」に行った。今年も残り2週間ばかりとなる。

ベリーニ 

ベリーニ  芦屋のイタリアン料理店「ベリーニ」。

 クリスマスには赤いリボンで飾る。






   前庭には白いクリスマスツリーと輝く星。







2006年12月10日(日) 神戸の街はクリスマスの飾りも華やかに、恒例のルミナリエも始まった。
9日の土曜に、やっと神戸市立博物館で始まっていたオルセー美術館展にでかけてきた。1人で行くのならいつでも好きな日に行けるのだが、 今回は誘い合わせて行く事になっていた為、日にちに制約があり大分遅くなってしまった。神戸市立博物館は8日から始まったばかりの ルミナリエ会場のそばでもあり人ごみを心配したが、博物館の中は通常の土曜と同じ程度の混み具合であり、思った以上スムーズに観覧することができた。

図録によるとオルセー美術館展は、1996年に「モデルニテ:パリ・近代の誕生」と題して第一回、続いて1999年に「19世紀の夢と現実」 と題して第二回目が、そして今回第三回目が「19世紀芸術家たちの楽園」と題して開かれたとのこと。第二回展には出掛けた記憶があるが 図録が無いのでなんとも言えない。ともかく多くの宝玉のような作品を所蔵する世界に冠たる美術館であり、パリに行かなくてこれらの作品 が見られる事は有難いことではある。

マネの「ベルト・モリゾ」像が図録の表紙を飾っているが、神戸の三宮や元町の商店街にはこの「ベルト・モリゾ」のポスターがいたる所に 吊るされておりマネの好きな私でも少々辟易物であるのだが、博物館に入るとまずこのベルト・モリゾとマネの弟との娘を描いたルノアールの 有名な「ジュリ−・マネ」像が目に飛び込んでくる。ベルト・モリゾは大変綺麗な女性だったようでマネの作品にモデルとして何度か出てくる が、その娘も可愛かったのだろう、二度ルノアールのモデルを務めたとある。他にも当時の印象派と言われるモネやドガ、セザンヌや ゴッホ、ゴーギャンと言った画家の作品が次々に登場してくる。オルセー美術館の底の知れないすごさである。

私はマネが大好きなのであるが、今回一番すばらしいと感じたのはギュスターブ・モローの「ガラテア」であった。神戸市立博物館の一階 から三階へそして二階へと、旧銀行を博物館にリホームした会場を歩き疲れた頃に衝撃的に目に飛び込んでくる場所にそれは配置されていた。 象徴派の絵画が展示されているとは思ってもいなかった驚きに加え、とにかくその作品の素晴らしさに言葉を失って見とれてしまった。 昨年の6月から7月にかけて兵庫県立美術館でギュスターブ・モロー展が開催され、私もその絵に魅せられて2度ばかり足を運んだのだが 他にもこんな素晴らしい作品がオルセー美術館にあったとは。

この魅惑的な作品は図録で改めて見てもその素晴らしさが消えない。他にルドンの油彩や鉛筆画にも引き付けられた。それにロートレック までも。

博物館を出ると1時近くで、昼食のできるレストランを探したがあいにくどこも一杯である。そこで会社の昼食に最近よく行く湯葉と生麩の店に 行くことにした。平日しか行ったことが無いので土曜の込み具合が分からなかったがうまく席が開いていた。今日はいつもより豪華に湯葉と 生麩と野菜スープのセットを、一緒に行った従妹はそれの雑炊を注文。とても美味しく頂く。


先日から読んでいた林芙美子の「冬の林檎」を読了。面白かったので次も読んで見たい。内田百閧フ「東京物語」も読了。今は澁澤龍彦の 「ねむり姫」を読み始めた。

オルセー美術館展 



 神戸市立博物館のオルセー美術館展入り口。

 可愛いクリスマスツリーが迎えてくれる。














2006年12月3日(日) 12月、師走、いつからこんなにも一年が早く過ぎるようになったのか。
土曜に絵画教室に行かなくなって1ヶ月が過ぎた。一回や二回は無くても時間の束縛から放たれた様でのんびり過ごせるのだが、これが 一ヶ月二ヶ月となると油絵具の臭いが無性に恋しくなる。N先生もその後どうしていらっしゃるだろう。

就寝前に読んでいた内田百閧フ「麗らかや」が読了。続いて先日の海文堂の三箱古本市で購入した林芙美子の「冬の林檎」新潮社を読み 始めた。林芙美子の作品を読むのはたぶん初めてだと思う。若い頃は彼女の生き方に抵抗があり避けていたのだがこの年になれば素直に 読めるような気がする。「冬の林檎」という題名もなかなかいいなと思う。実際、読み始めの頃はこんなものかなと思ったのだが読み進 めるうちに、これはいいかもと思い出している。

先月の終わりごろに一枚のはがきが届いた。見ると「辺見庸講演会」第2弾のお知らせである。前回は6月に中ノ島の公会堂であったから あれから半年がたった。今回は1月20日(土)の午後2時から阿倍野区民センターで行われる。阿倍野(天王寺)までは電車を乗り継いで 1時間以上はかかるだろうから、開演が午後2時はうれしい。だが定員650人ということだから前回のように千人以上も申し込みがあったら 抽選にはずれるかも知れないが。


日曜の今日は外に出ると風がとても冷たい。日本海側の北国では初雪との便りもあったようだ。

パン 



 林先生のギャラリー島田での個展作品。

 リビングの椅子から丁度の位置においてある。
 見つめていると気持ちが豊かになる。









2006年11月25日(土) コタツで猫と一緒にうたた寝をする。お互いに年を取ったね。
今週は22日(水)から26日(日)まで連休である。特に用事も無くのんびり過ごす事にする。
23日の祝日には神戸元町の海文堂書店の三箱古本 市に出かけた。1店舗につき三箱の出店で林先生の「すむーす堂(京都)」を始めSUMUS同人の山本善行氏の「善行堂(京都)」 など、古本界で売り出し中の面々から、 「古書高橋(大阪)」「アカヘル堂(神戸)」 のような全くの個人の蔵書からの出品の店もある。勿論彼らと交友のある神戸、大阪、奈良、京都、倉敷などの古書店からの 出品もあり、2階の以前は海文堂ギャラリーとして使われていた一角は大盛況であった。

スポットライトしか無いため随分薄暗く狭い古書売り場に入って行くと、入り口近くのレジとサインコーナーで林先生が忙しそうに値段 読みの手伝いをしている。大変な混雑で箱の中の本を見て行くのも一苦労である。それでも澁澤龍彦の「空飛ぶ大納言」国書刊行会、 同じく澁澤龍彦の「城」白水社に林芙美子の「冬の林檎」新潮社、これは昭和26年1月25日発行の初版本である。それに深沢七郎の 「言わなければよかったのに日記」中公文庫、カバーの絵は佐野繁次郎と普段なかなかお目にかかれない本達に出会った。

混雑してよく見切れなかったのに短時間でこれだけの本が揃うとはうれしい。みずのわ出版の最新刊「神戸の古本力」の編者の林先生、 高橋さん、北村さんにサインを頂き、林先生とちょっとお話をして古書売り場から出ると、新刊売り場はあの喧騒が嘘のようで祝日の せいもあってか客も少ない。この連休はじっくりこれらの本を読もう。

今日は連休3日目の24日(金)、平日だが振休の休みにした。昨日は遅くまで起きていたので朝寝坊を決め込んでいたのだが、ミーコ(老猫) の枕元での執拗な鳴き声に降参し、通常通りの時間に起きてまず餌をやる。朝食を取り洗濯をしてから、パソコンのスイッチを入れ昨日 どうしても開かなかった北村さんのブログに再度挑戦すると、やっと開く。どれどれと眺めると誰かがコメントをいれており「それにして もあんなに千客万来とはびっくり!神戸の古本力はスゴイです。〜明日からは芦屋ですね。云々」とあるではないか。急いで林先生の ブログに飛び「芦屋即売会・モダニズム周辺 11月24日〜26日 芦屋市立美術博物館」を確認、やっぱりこれかと急いで着替えて車 で駆けつける。

昨日ほどでは無いが結構の客入りである。澁澤龍彦の「ねむり姫」河出書房新社、中井英夫「幻想博物館」平凡社、滝口修造「今日の美術 と明日の美術」読売新書を手に取り値段を確かめるとすべて武庫川の「街の草」さんの本である。レジに行くとそこに「街の草」店主の 加納さんがおられ挨拶をし、昨日の海文堂での盛況ぶりをお話しする。加納さん、私の本を受け取り「全部うちの本ですね。」とおっしゃる ので「偶然です。」と返事をする。帰ってから「神戸の古本力」をじっくり読んでみると3人の会談に質問に答える形で加納さんも出ている。

また第3章の「神戸の古本力アンケート」にも「街の草」が出てくる。その中で興味深かったのは元町の「黒木書店」である。たくさんの 人がこの古書店について書いている。その中から「元町駅を海側に下り、元町商店街を流していく。神戸高速の西元町の表示が見えてくる。 丁度そのあたりの海側に、そこだけ取り残されたような薄暗い、昔ながらの古本屋といった風情の黒木書店があった。この店主は毒舌で 話し始めたら一方的な独壇場だった。又、本の好き嫌いもはっきりされている。或る時、学生風の男が、澁澤龍彦の「夢の宇宙誌」はありま せんかと尋ねた。...「誰? シブサワ......。その方の本は取扱いしておりません。今後も取扱いしませんから、余所で探して下さい。」 男は、急いで出て行ってしまった。もう二度と来る事はないだろう。」と。

さしずめ私の様な偏向的嗜好な読者は寄り付けなかっただろう。「関西の古本屋メモ」と題して八木福次郎氏は「黒木さんは頑固な人で、店 の書棚に「ひやかし客お断り」と貼紙がしてありました。」と書いている。以前会社が西元町の近くにあった時代、お昼は元町商店街の 「つるてん」という蕎麦屋によく行ったものだが、確かその近くに古本屋があり「ひやかし客お断り」の貼紙を見た記憶がある。田舎育ちの私 には古本屋自体がもの珍しく、一回くらいは恐る恐る「ひやかし」をしたような気がする。そして今にして思えばこの「ひやかし客お断り」 の貼紙の記憶が無意識のうちにトラウマになっていて、その後古本屋に興味を持ち始めてからも店内に入っていくには相当の決断力がいった。





2006年11月19日(日) ようやく木々の紅葉が目立つようになってきた。一気に秋へと進む。
娘がアパートを引き払って帰って来た。5年近く一人暮らしをしていたので大部分の生活用品は処分して来た様だが、それでもいろいろ 持ち帰って来たので、この際家の不要な物を徹底的に整理して大型ゴミで出すことにした。

まづは、箪笥の上に10年以上乗っていた温風ヒーター、まだ新品同然で捨てるに忍びず取って置いたのだが、もう時代遅れだろうし これからも出番は無さそうで3百円カードを貼って廃棄へ。続いてIBMのディスクトップパソコンが乗っていたパソコン机、今や ノートパソコンの時代に全く不要となって6百円カードで廃棄。テレビも液晶デジタル時代に、和室の隅にある古いブラウン管テレビは 誰も見ない。但しこれは大型ゴミでは出せないのでベスト電気に古い洗濯機と一緒に持って行ってもらい、その引き取り料が約9千円。 そのテレビが乗っていたガラス戸付き台は3百円カードで廃棄。

IBMのディスクトップパソコンは一応ソフトで中身を綺麗に消してから(データをすべてゼロに置き換える方法)ネットで引き取り先を 探したが、結局メーカーに頼むことにして引取り料7千円也。

まだある。足の壊れた折りたたみ机3百円。これから捨てる予定の物として古毛布数枚、古い大きなラジカセなど。布団も羽毛布団を使い 出してからは出番が無くなっている、など。だが捨てるにも結構お金の掛かる世の中になったものである。教訓としてこれから買うときは 本当に必要かよーく考える事にする。

朝8時半までに大型ゴミは指定の場所に出して置くのだが、量が多かったので早起きして7時頃に出して仕事に行き、帰ってポストの中を 見ると清掃局から「温風ヒーターが出ていなかった。」という内容のメモが入っていた。誰かが持って行ったのか、そんなら3百円カード を貼るんじゃなかった。


日曜は独立展に大阪の天王寺美術館まで出掛けた。今回はいつも田舎に一緒で帰っている、絵の好きな従妹を誘った。いつもの部屋と違って いて全体的に狭くなったような気がした。それに会員の作品が多くてダイナミズムに欠けていて物足りない。最高の賞である独立賞を受賞し た作品もいつもの新人らしい斬新さに欠けているようで、あっと驚かせてくれるようなものは見当たらない。まあこんな年もあるのだろう。 その中で数年前に独立賞を受賞した私の注目している作家の作品は、一皮剥けてまたすばらしい作品になっていた。それでよしとしよう。

独立展 



 私の注目している画家。

 携帯で取ったので写りが悪いが。











2006年11月12日(日) 秋の嵐が吹き荒れ、熊も季節も冬の準備、今年も終焉へ。
今週は仕事の忙しい週で土曜も仕事、日曜にやっと部屋の掃除をしてホッと一息つく。郵便局では年賀状を売り出しているが、まだ 買う気にならない。まだ早すぎるやないの忙しないなあ、とブツブツ言っているうちにいつも買い遅れてしまうのだが。 来年は猪年である。猪年を迎えるのも5回目と言うことになるが、6回目までこの世にいるかは分からないなあと考えると来年は 私にとって特別な年になるのかも知れない。大丸百貨店の食品売り場にはおせちの予約コーナーも出現した。近くの通りでは今年も ルミナリエの準備が始まる頃である。

今、2冊の本を平行して読んでいる。どちらも内田百閧ナあるが通勤電車用には文庫本「東京日記」、就寝前用は単行本「麗らかや」。 文庫本のほうは百閧フ45歳から59歳にかけて(1934年〜1948年)、単行本は1968年発行だから百79歳の筆になる。同じ作者と思われない 程の読後感である。

「東京日記」の中の「白猫」「長春香」「柳の小閑」など、百閧フ脂の乗り切った時期の作品と言えるだろうが、 朝の寝ぼけた頭に刺激的というかその内容の不気味さに、電車が三宮に着くまでの間すっかり現実を喪失している。

就寝前に読む「麗らかや」は一日の疲れた頭を休めるに適した穏やかな作品が並ぶ。漱石にも可愛がられたようでその交友譚も珍しくて 面白い。家の表札用に漱石に頼んで木札に名前を書いてもらい門柱に打ち付けておいたのが盗まれてまた書いてもらった事とか、「道草」 の書きつぶし原稿が一尺近くも机に積み上げられているのをお願いしてそっくり貰った事とか、漱石の没後形見にもらった背広を着て着て 着つぶした事とか、当時の生の漱石が髣髴して非常に面白い。そしてそのうち睡魔に勝てずに眠りにつく。

今週はまた、三宮のあかつき書房で「前賢余韻」石川淳 岩波書店を購入。目次に「前賢余韻 鴎外全集月報記事」とある。その他に 「四畳半襖の下張裁判について」など懐かしい物もある。最後に「北京独吟」。わたしも何年か前に中国を旅行した。石川淳の中国旅行記 を読みながらかつて旅した時を思い起こすのも面白いだろう。




2006年11月5日(日) 11月に入ったが、初夏のような晴天続きの汗ばむ日が続く。
突然パソコンがダウンした。データのバックアップをしていなかったので少し慌てたが、メーカーに問い合わせてなんとか処置する。 ホームページもそんなわけで毎週の更新が目標だったのだが先週はできなかった。

土曜の絵画教室のN先生が病に倒れられ、教室が終了することになった。80歳を越えておられる年齢からしても無理なのだろう。 残念だが仕方がない。教室の皆は十年以上続いている人も多く、和気あいあいとした雰囲気の週一回のこの教室に通うのが楽しみ、 生きがいにもなっているようで非常に残念がっているがどうしようもない。

4日の土曜にはN先生の個展が開かれている大阪の茶屋町画廊 にでかけた。N先生は何ヶ所かの教室で教えておられるので、そこの生徒も多く来ているのだろうサイン帳には大阪や神戸、芦屋、西宮 などの住所が書き込まれ、病気見舞いの言葉も並んでいる。デッサンや水彩、ガッシュの小品が多いがそれらの作品の多くに売却済みの赤 の印が貼られている。私にとっては2年足らずの教室であったが、先生の個展を初めて拝見して失うものの大きさを再認識させられた。

11月14日からは恒例の「独立展」 が大阪の天王寺美術館で始まる。秋は全国展なので東京からも多くの作品が運び込まれ見ごたえがある。 独立美術協会の会友の友人からも案内のはがきが届いた、ということは東京の本展で入選したということである。関西展では常連の彼女も 東京の本展ではダメな場合もあるので、早速お祝いの電話を入れることにする。


11月は私の誕生月である。とうとう50代最後の誕生日を迎える。




2006年10月22日(日) 今年は例年になくいつまでも暑い。が、10月も後半さすがに夕に吹く風は肌に寒い。
土曜の絵画教室の帰りにいつもJR芦屋にあるコープで買物をするのだが、今、旬の栗が艶々とまさに栗色にかがやいて並んでいる。 栗とか芋とかが好きで、大分前栗の出始めの頃から栗ご飯をして食べているのだが、どうも今が旬のようである。大量の栗が並んでいる。 手を出しそうになったが、まだ先日の何回目かの栗ご飯が冷凍庫に残っているのを思い出して手を引っ込める。

日曜は神戸の北野にあるギャラリー島田まで 林先生の個展を見にでかけた。ほとんどの個展は東京でされているので神戸で開かれるのは久しぶりではないだろうか、というより神戸で されたことがあるのか知らないのであるが。
今年は四月に東京銀座の岸本画廊でされたのを、丁度運よく仕事で東京に出ていたので 見せていただいてこれで二回目である。東京では欲しい作品が既に売却済だったので買えずに帰ったのだが、今日は幸いにもパンの絵を 購入することができた。

会場のギャラリー島田は100号以上の大きな作品もゆうゆう展示できるスペースを持つ大型の画廊であり、前身の海文堂ギャラリー時代 には元永定正などかつての具体に所属していた作者の作品なども多く見て来ていたので、林先生のように全くの具象の小さい作品がどのように この大きなスペースを埋めるのか疑問だったのだが、ちょうど壁面の真ん中あたりに横一列に並べられた作品群は、上下に空いた大きな スペースも気にならないほど、しっかり自己主張していた。個性的な安藤忠雄の建築物であるが作品の引き立て役を充分にこなしている。

ここで林先生の「文字力100」みずのわ出版も購入、サインをして頂く。先生は本の装釘も数多く手がけておられるが、その本の表紙や背に 書かれた題名すなわち「文字力」についての考察と言う事である。本を開いて「はじめに」の中より「私は自分自身でも装丁の仕事を 手がけることがある。いつも思うのだが、装丁というのは、文字さえ決まれば、後は付け足しではないか、と。 〜絵や写真は人に対して具体 的な何かを与えるが、文字は人の中からイメージを引き出す、〜..それが文字力である。」

その「文字力100」に収められた本の一部、「河童」芥川龍之介 昭和21年刊 細川書店。「黒い影」阿部知二 昭和24年 細川書店。 面白いところで「駅の名前を全部言えるようなガキにだけは死んでもなりたくない」三代目魚武濱田成夫 平成4年 角川書店など100冊。
林先生は自他ともに認める非常な古本愛好家でもあるが、画家だけに表紙の題名の「文字」に人以上の、一冊の本にしてしまうほどの関心、魅力 を感じてしまうのだろう。先生が選んだ100冊の古本の表紙が写真入りで紹介されている。素人の私にもなかなか楽しそうな本である。


帰りに三宮の古書店、後藤書店により「麗らかや」内田百閨@昭和43年刊 三笠書房を購入。久しぶりに百關謳カにも楽しませてもらおう。

北野坂 



 前の広い道路が山手幹線。

 ここを渡って真っ直ぐ道を登れば
 ギャラリー島田はすぐそこだ。










2006年10月16日(月) 秋の京都、銀閣寺。いつまでも変わらずにいて欲しい。
今日12日は会社の昼食に例の「ゆばと生ふ料理とぞうすいのお店」”ひよひよ”に出かける。先日も昼過ぎに覗いてみたが お客で満席で仕方なく近くの”家族亭”で蕎麦を食べた。今日はと少々心配しながら覗くと空いていてほっとする。 口コミなのか結構の客足で、今日も後から予約のお客が入ってきた。野菜雑炊セットを注文、美味しくいただく。

昼食でここらまで足をのばすと三宮センター街の古書店に近い。いつものあかつき書房に向かう。「マルジナリア」澁澤龍彦  福武書店を購入。本を開いてみると東京、神田の神保町の古書店一心堂書店のレッテルが貼られている。今、古書現世の向井透史氏の「早稲田古書店街」を読ん でおり、早稲田のそれぞれの古書店の生い立ちや歴史というものの面白さを教えられているところなので、思わず東京の最大の 古書店街、神保町の老舗の一心堂書店のレッテルにしみじみと見入ってしまった。

いつの時代に作成されたレッテルなのかそのデザインを見ていると、大正8年から90年間の長きに渡って商売をし続けている という一心堂書店の歴史の香りが立ち上ってくるようである。東京神保町の一心堂書店から、はるばる神戸三宮のあかつき書房 へとやって来て今日私の手元にある「マルジナリア」、何時の日かまたどこかの古書店の店先に並ぶ事になるのだろう。


南禅寺 16日の月曜は先週の休日出勤の代休をとり京都に出かけた。毎年、春か秋に亡くなった伯母の墓参りに行っているのだが、先日 誘いの電話が入っていたのである。伯母は明治生まれ、父の一番上の姉に当たる。墓参りのメンバーは一番年下の叔母と私より4 歳年上の従姉の3人である。伯母の墓は南禅寺にある。阪急河原町の高島屋で待ち合わせてバスで南禅寺で下車、南禅寺の山門を 抜けてレンガ作りの水路閣を横切って、なお左方向の奥へと進んでいくと丁度南禅寺の裏山当たりに、墓石が並んでいるのが見え てくる。「イノシシに注意!」の看板もある程の少し寂しい場所である。墓を清めて花を入れ線香を供えて在りし日の伯母を偲ぶ。

おめん その後、私の提案で銀閣寺に向かうことになった。実は先日テレビで、銀閣寺の本堂にある与謝蕪村の襖絵が特別公開されている というニュースを見ており、銀閣寺自体も今まで見た記憶があやふやで、この機会にしっかり見ておきたい気持ちもあった。 南禅寺からはすぐであるが幸いにも従姉のご主人の車で近くまで送ってもらう事になった。すぐに銀閣寺に着くが、丁度お昼時でも あったのでまづ食事を取ることにして、近くの疏水べりの哲学の道を歩いていると「おめん」の看板が眼に入る。有名な京都のうどん 店である。幸い店も空いている。しこしこと美味しいつけメンに一同大満足する。

銀閣寺 お腹も一杯になって、さて目指す銀閣寺へと向かう。こじんまりとした門を入ると両側に高い生垣が中門まで続いている。その高い 生垣に囲まれた通路を行き中門をくぐると、目の前に素晴しい庭園が広がる。左に本堂、右手に銀閣寺。まづ本堂の襖絵、 与謝蕪村と池大雅の水墨画を見るが、正直言って私にはその良さはあまり分からない。

本堂を出て次に東求堂(とうぐどう)に入る。日本で初めての書院作りで茶室は日本最古のもの、国宝に指定されている。 段違いの飾りだなの奥の壁には絵らしき物が見えるが、今では何かも判別出来ないくらいぼやけてしまっている。その隣は机代わりに なった低い柱まで続く棚。その棚の前の白い障子。そこを少し開けてそこから見える風景を部屋の絵の代わりにしたと説明を受ける。
簡素な部屋に障子の白のアクセントがとても効果的である。

庭に降りて池をめぐり銀閣寺の方に歩を進める。池に映える銀閣寺。

やはり京都を代表する寺院であることを改めて実感する。




2006年10月8日(日) あちこちで展覧会が催されている。芸術の秋の到来である。
林先生から個展の案内状が届く。今回は神戸の ギャラリー島田で10月14日から25日まで。ギャラリー島田は神戸の北野にあるので三宮から歩くと結構 大変である。今までに1、2度行った事があるが、だんだんきつくなる坂道を歩き続けてため息が出てもまだ着かない。 安藤忠雄の例のコンクリートの打ちっぱなし建築なのですぐに見つける事はできるのだが。

7日の土曜には恒例の絵画教室に出かけた。講師のN先生が病気入院されていて3回程休まれていたので、心配していた が元気に出て来られていた。80歳を越えられているので皆で心配していたのだが、大分痩せられていたが元気な様子で ほっとする。N先生も10月29日から大阪の茶屋町画廊で個展をされる。その案内の葉書を頂く。N先生の作品を 観るのは初めてなのでこちらも楽しみである。

それに神戸市立博物館 では9月29日からオルセー美術館展が始まっている。案内のポスターは私の好きなマネのベルト・モリゾ 像である。神戸の大丸百貨店の店内にはたくさんのこのポスターがぶら下がっている。モデルのベルトも画家。他のマネ の作品にも登場している。多分この美術館展は土日は相当混んでいるだろう。水曜に出かけることにする。


ウーバレ・ゴーデン 8日の日曜には車で出かけた帰りに近所のイタリア料理店で昼食を取った。ネットであらかじめ探しておいたのだが、 なかなか素敵な店内だった。名前はウーバレ・ゴーデン 、ぶりとトマトのスパゲッティを食べる。あっさりとして美味しい。とても居心地のいい店なので私的にはケーキと紅茶で 本などを見ながら、のんびりくつろがせて貰えるともっと嬉しいのだが。




 ウーバレ・ゴーデンの玄関前

 ハーブとオリーブの生い茂る庭
 オリーブの木にはたくさんの実がついている。






2006年10月1日(日) 秋にふさわしい哲学的瞑想の中にたたずむ作品群。ジャコメッティ展を観る。
27日の水曜に兵庫県立美術館のジャコメッティ展にでかけた。人出がそれ程でも無く久しぶりにゆったりと観てまわれる。 それにしても彫刻展を見に来るのは初めての様な気がする。各部屋の入り口にある説明文をゆっくりと隈なく読んでから、 作品を鑑賞していく。

ジャコメッティ展 アルベルト・ジャコメッティは1901年にスイスに生まれる。父も画家である。ジュネーヴ工芸学校で彫刻を学んだ後 1922年にパリにアトリエを構える。パリではピカソ、エルンスト、ミロらの画家、シュルレアリスム運動の主唱者アンドレ ・ブルトンらのほか、ジャン=ポール・サルトルらの文人とも交友があった。キュビズムやシュルレアリスムに影響を受けた 作品を発表するが後にこの作風を放棄し「見えるものを見えるとおりに表わす。」ことに生涯をかけることになる。
ジャコメッティ展

ほとんどのブロンズ像は、胸像にしろ全身像にしろ男性にしろ女性にしろ、真っ直ぐ正面を見据えてそこにいる。見る先に 何があるのか、鑑賞者はそれらの像の前に相対して互いに見つめあうことになる。

私の前の男性は少し腰をかがめた姿勢で像を見つめ続けている。厚みのまったく無い針金のように引き伸ばされた像や小さな 10cmにも満たない像には顔らしき物さえ判別できないものもある。そういった像が何体も展示会場を埋めている。

そういった像に囲まれていると不思議な気分である。「見えるものを見えるとおりに表わす。」ことを追求していくと形が すり減らされてしまうのか。男女の判別もできなくなった像の、存在感だけは強烈に見るものに迫ってくる不思議さがある。


先日、向井透史氏の二冊目の著書「「早稲田古本屋街」が届いた。きちんとサインも入っている。ぱらぱらと見てから彼のブログを 覗いてみると「荻原魚雷氏のブログ「文壇高円寺」 がスタートしています。」とのお知らせが。急いで見てみる。楽しみがまた増えた。




2006年9月24日(日) また大型台風が発生。朝晩は半袖では寒いくらいに風が冷たくなって来た。
今年の4月に仕事で東京に行った折に、早稲田にある古書店「古書現世」に寄り、ここの二代目向井透史氏の著書「「早稲田古本屋日録」 を購入、サインをしてもらったのだがそれ以来彼のブログ を覗くのが日課になっている。

その彼のブログでSUMUS同人の荻原魚雷氏の著書 『借家と古本』がコクテイル文庫から発行されると知り、急いで向井氏に購入のメール を入れる。向井氏自身も未来社から新刊『早稲田古本屋街』を出すということなので、こちらの方は未来社の方に注文のメールを入れる。 荻原魚雷氏はSUMUS文庫でも『借家と古本』を出しており私も持っているのだが、増補復刻版ということなので彼のファンとしては購入 しない訳にはいかない。

その『借家と古本』の”時間がない時代の考察”の中から
「現代を生きていると、時間がないという錯覚、強迫観念がある。ひとつのことを厖大な時間を費やして考えるということは、かなり 億劫なことだし、そんな暇があれば、そこそこ楽しい娯楽を堪能した方がいいとおもってもしょうがない。そうやって死ぬまで楽な生き方を するのも人生である。
 本を読むのも、音楽を聴くのも、映画を観るのも、TVを見るのも、友人と遊ぶのも、恋をするのも、子育てをするのも、働くのも、 旅をするのも、忙しい現代を生きる私たちはすべて限りある時間の中でやりくりしなくてはならない。
 そして多かれ少なかれ、ほどほどにしかやりつくせないという諦めがある。だからできるだけ効率よく、いろんなことを味わおうとして しまう。そのことが今の日本人の空虚さにつながっているのではないか。」
「限られた時間の中で、貪欲になんでも充足させたいとおもうところからくる自己破綻をどう回避するか。
 怠けることをおそれず、本当に自分にとって必要なことを考える時間を作るしかない。」

そして続けて
「お勉強という形ではなく、思想や文学に耽溺しようとおもったら、世の中からドロップアウトするしかない。かつてエリート層がやって きた知的行為を、今や社会の片隅にひっそり生息しているフリーターが過不足なくやれる状況になったのである。文明の進歩と成熟の恩恵って やつだ。」と言い放つ。そして実際に彼はそれを実行して18年、今年で37歳である。

さらに彼の部屋に遊びに来る友人達については
「友人のミュージシャン連中は、みなモノをあまり持たない。仕事もあまりしない。ひと月分のバイト代を五日くらいでつかいきってしまい、 いつも食うや食わずである。そんな生活をしていたら、気持ちがすさんでしまうんじゃないかとおもうのだが、案外そうでもないようなのだ。 「外で働くのが好きだから」と工事現場でアルバイト。「高いところが好きだから」と窓ふきのアルバイト。「車が好きだから」と宅配のアルバイト。 とにかく動機がとてもシンプルでわかりやすい。」

だが、親には
「田舎に帰ると、かならず「食えているのか?」といわれる。「まあなんとか」。」

「なにをするかではなく、ただ、東京にいることが、なんとなく、目標になっている。いい古本屋やレコード屋がある高円寺で、ときどき 友人と飲んで、毎月の家賃の支払いに追われ、古本やレコードを売りながら、暮らしていくのも、わるくない。」

多分、彼の両親は私と同世代であろう。わが子がこんな生活をしていたらなんと思うか。世間的にはどうあれ結構すごい奴ではないか!


24日の日曜にまたニトリに出かけて本箱を買った。家に帰って組み立てて本を並べるとなかなかいい。ベランダからハーブを摘んできて ガラスの容器に入れてみた。

本箱

 やっと本箱が買えた。

 約3千円。安い!

 少し本を並べてみました。











2006年9月18日(月) 今年最大の大型台風が到来中。ますます秋の色が濃くなっていく。
今月にはいってから水曜は折角の休日なのに雨の日が多い。13日も1日中雨、家から一歩も出ず本を読んだり寝たりでグウタラを決込む。 明日は健康診断の日。最近あっさりしたものばかり食しているせいか体重が減ってしまった。通常は48kgから49kgあるのだが先日お風呂 上がりに体重計に乗って見ると46.6kgでびっくりする。そこで最近の食生活を振り返ってみると、土曜のお昼はだいたい抜いているか 菓子パン1個、通常の日の夜も冷蔵庫にあるもので簡単に済ませている。そんな食事に胃の方も慣れてしまったようで特に空腹感も無い。 まあ涼しくなれば一気に盛り返すだろうが。

今日18日は敬老の日で祝日、梅田の阪急三番街にある三番街シネマに「グエムル」を見に行く。大型台風もそれて空も晴れてきた。映画館 は8分の入り、1800円は少し高いか。

話はある研究施設で、ホコリ嫌いのアメリカ人上司が部下の韓国人にホルマリンの瓶に付いたホコリを指でなぞりながら、ホコリが付いている 瓶はすべて捨てるように指示するところから始まる。部下はこんな劇薬を下水に流すと漢江(ハンガン)が汚染されてしまうと忠告するが 「漢江という河はとてつもなく大きい。心を広く持とう。」とアメリカ人上司は答え、部下は研究室の洗面所に大量のホルマリンを流し続ける。

そこから「グエムル」という怪物が生まれ、その怪物に孫娘をさらわれたパク一家の怪物との戦いが始まる。死んだと思っていた孫娘ヒョンソ から着信が携帯電話が入るが、何の根拠も無く「グエムルは強力なウィルスを持つ」と宣言する韓国政府によりウィルスの保菌者として隔離さ れてしまっているパク一家の話には、誰も耳を傾けない。

孫娘ヒョンソを助けるため脱走を図った一家は怪物以外に新たに政府とも戦う事になる。途中でヒョンソの父親が捕まりウィルス検査をされるのだが 検査員が「トップシークレットだけどウィルスは無かった。」なんて言う場面もあって、最近どこかで聞いたなあなんて観客に思わせたりする。

パク一家のそれぞれの個性あふれる人物描写とその家族愛、そしてアメリカに対する痛烈なアイロニー。すばらしい映画である。韓国映画恐るべし。 次回のポン・ジュノ監督(36歳)に期待したい。




2006年9月10日(日) 涼しい日があるとほっとするが、いつもなにやら感傷的にもなる季節の変わり目。
今週の水曜は1日中家の中で掃除やら洗濯で過ぎた。いつもは車の練習がてら買物にも出かけるのだが午後から雨がひどくなり止めにした。 戸外の雨音を聞きながら、先日でかけた武庫川の古書店「街の草」の、道路に積み上げてあったあのたくさんの本達を思い出し、この 雨で濡れていないか少し心配になる。どこかに避難させているのかそれともビニールシートでも掛けて凌いでいるのかなど思ってみる。

今週は一ヶ月のうちで一番仕事が忙しい週なので土曜になるとほっとする。窓を開けたまま寝て朝方の寒さで風邪をひいたのか喉がいがらっぽい。 しかも今日9日(土曜)は朝からやけに蒸し暑い。涼しい日が続いていたので暑さがぶり返すと気持ちが萎えて余計暑さが身にこたえる。 お腹の調子もよくないが、頑張って絵画教室にでかける。体調のよくない日は車だと疲れが少なくて助かる。先週はうっかりして道を間違えた ので今日は慎重にそして安全運転を心がけて行く。車から流れてくる懐かしいメロディを口ずさみながら少し運転にも慣れてきたかなとも思う。

会社の昼食に新しい店を開拓した。紹介してもらったのだが、数種類のスープや雑炊に湯葉や生麩がついた定食のこじんまりした京風の店である。 たった1人で料理、お運び、レジ、皿洗いをこなしているので、急ぐ場合は料理ができる時間を聞いてくださいという断り書きが張られている。 初日は野菜スープと生麩のセット、2回目は鳥雑炊と湯葉のセットを食した。生麩も湯葉も初めての体験、思った以上に美味しいものである。 お腹にもやさしそうだし、お昼時もあまり混んでいないのもうれしい。ただ店が成り立って行けているのかが少し不安、頑張って欲しいものである。

昼食の帰りに古書店まで足を伸ばして、石川淳「新釈雨月物語」角川書店を購入。ぱらぱらっと見るがこれは面白そうである。来週はぐっと秋めいて 来るそうなので買いためた本がゆっくり読めるかも。読書の秋そして行楽の秋。どこかに行きたい。




2006年9月3日(日) 今年は台風が少ない。うれしい事だがまだ油断はできない。
29日の火曜の夜、くつろいでいる所に突然激しい雷雨。大きな雷鳴に老猫のミーコも首をもたげて不安げな様子。光ってから雷鳴までの 間が短い、多分近くに落ちているのだろう。外は激しすぎる雨で霞んで見えない。ベランダからちょっと顔を出しては雷鳴に慌てて首を 引っ込める。雷は幾つになってもあんまり気持ちの良いものではない、ミーコの骨ばった背をなでながら早く止んで欲しいねと話しかける。 しばらくして雨も止み寝室の出窓を空けると、雨で冷やされた涼しい風がさーっと吹き込む。今日もクーラーはいらないようだ。

水曜の仕事の休みの日に、昼からテレビを見ていると映画の紹介をしていた。カンヌ映画祭でも好評だったという韓国の 「グエムル」。 変わった題名だが怪物の名前?らしい。少しだけ予告編を流していたが面白そうである。

韓流ブームにはほとんど無縁で今まで韓国映画や韓国の男優にも興味は無かったのだが、最近NHKの土曜の夜11時放送の「チャングムの誓い」 にハマッテイル。多分6月頃だったと思うが夜遅くにチャンネルをあちこち変えていたら、たまたまNHKで韓国のドラマをやっていた。見るとも 無く見ていたのだが明日が日曜ということもあって、結局最後まで見てしまった。その時はそれほど面白かった訳ではない。それから土曜になると見たり 見なかったりしていたが、いつの頃からか土曜の夜11時が楽しみになってきている。それ以外に韓国映画を映画館で見るのは「グエムル」が初めてになる。

最近、古書店になかなか行けないでいるので家の近くに無いか探している。以前SUMUSで林先生が「武庫川の古書店”街の草”に寄って見る。云々」 と書かれていたのを思い出してネットで検索してみるがホームページは出していない。そこで電話をかけて住所を聞くことにする。土曜の11時頃 に掛けたのだが「今日は2時にならないと店を開けていません。」とのんびりした男性の声。住所を聞いて場所を道路地図で確かめる。 出かける時は電話をしてからの方がよさそうだ。

さて日曜、朝の予定を終えて武庫川の古書店「街の草」へと車で向かう。事前に道路地図でよく確認しておいたので、目印の尼信にはスムーズに到着。 ただ路上駐車になるので邪魔にならないように慎重に道路の端に止める。少し道に迷いながらも目的の「街の草」に着く。店の前の道路端にはまだ 未整理の本が大量に積み上げられている。実はこの道に積み上げられた大量の本に驚かされて店を見つけることが出来たのである。

積み上げられた本の中で店主が本の整理をしている。店の中に入るのを迷っていると「いらっしゃい。」と声を掛けられる。「電話をした者です。」と言うと どうしてこの店を知ったのか聞かれたので林先生のことを話す。店主が言うには近々に林先生と会う予定とか。結構先生と親しそうでいろいろ話が弾む。 店の中にも外にも面白そうな本で一杯である。こんな近くにこんないい本を揃えた古本屋があったとは、驚きである。

今日は「フルーラ逍遥」澁澤龍彦・平凡社と「水上庭園」富岡多恵子・岩波書店と「芸術の意味」ハーバート・リード(瀧口修造訳)みすず書房の3冊 を購入。店の外の上方の壁に開店時間は12:00〜19:00、水・木曜休み?とあった。またゆっくり来よう、休みの楽しみが1つ増えた。

フルーラ逍遥

 「フルーラ逍遥」澁澤龍彦 平凡社

 澁澤が自分の好きな花二十五種について書いている。
 本に挿入されている綺麗な国内外の花の図版もすばらしい。

 たとえば水仙、椿、梅、菫、チューリップ、金雀児(エニシダ)、桜....。













2006年8月27日(日) 8月は陰暦では文月、続いて葉月。葉の落ちる月新暦の9月がすぐそこに。
今週は2,3日ばかり涼しい夜が続いた。北からの気持ちのいい風が吹き込んで久しぶりにクーラーを止めて眠る事ができた。とうとう秋が やって来たかと喜んだが、昨日今日はまたクーラーのお世話になっている。まあ仕方ないか、行きつ戻りつして気が付けば秋のど真ん中に いたと言うことになるのだろう。デパートのショーウィンドウだけは既に濃い秋色の中にあるが。

秋になったらどこかに出かけたい。今年はまだ田舎にも帰っていない。せっかく車の免許を取ったのだから田舎道をのんびり走ってみたいものである。 今週は夏からの疲れが溜まったのかあまり本も読めずすぐ寝てしまう。結局何事も無くぼーっと1週間を過ごしてしまった。




2006年8月20日(日) 空に浮かぶ雲を見れば季節はもう秋、まだ暑さは続くだろうが。
土曜は久しぶりに絵画教室に出かけた。お盆の為先週は休みだったので2週間ぶりである。今回はヌードだがいつも前面からばかり描いている ので今回は思い切ってモデルの後ろにイーゼルを置いて背面から描いている。お尻を床に置き足を軽く折った座ったポーズだが、後ろから見る と背中からお尻、太もも、足のつま先までの曲線が思った以上に滑らかで、構図も満足頑張って挑戦している。

教室の入り口の出席簿のテーブルには、いろんな展覧会のパンフレットや案内のはがき等が置かれているが、そこにジャコメッティ展の パンフレットを見つけた。場所は兵庫県立美術館、日時は8月8日から10月1日まででもう始まっている。作品は彫刻42点、油彩画8点 、素描・版画66点など。数多くの作品のモデルとなった日本人哲学者の矢内原伊作との関係も興味深い。パンフレットを持って教室に入ると 先生からもぜひ見に行くよう薦められる。

日曜には「独立美術」の会友の友人の初の個展に出かけた。100号の作品が5点、3号の小品が5点、彼女らしい落ち着いた作品群がその 描かれた歴史と共に今日の最新作までの一連の流れの中でそれぞれの歌を歌っている。高校時代から途中の何度かの中断はあったようだが 今日まで延々と描き続けてきたその息の長さには改めて驚かされる。継続は力とはよく言ったものである。

帰りに久しぶりに梅田の古書店へ。そこで澁澤龍彦の「高丘親王航海記」文芸春秋を2千円で購入。辺見庸の「闇に学ぶ」も読み終わり、 石川淳の「諸国畸人伝」を読み始めていたが「高丘親王航海記」も並行して読むことになるだろう。それにしてもテーブルに次々と積み重ね られた本が崩れてしまう前に、早くいい本箱が欲しい。


牛骨と樹



 友人の初の個展

「牛骨と樹」を描いた最新作品














2006年8月14日(月) お盆の時期が来たが相変わらず暑い、明日は37度近くになると予報されている。
日曜にアップの予定で書き続けてきたが思わぬ事があったりで、気がつけば月曜になってしまっていた。まあ仕方が無い。田舎に帰る 予定も幾パーセントかあったがそれもダメになってしまった。諸事が落ち着き涼しく時期になったら帰ればいいだろう。

それでも日曜には「ゲド戦記」を娘と神戸のハーバーランドのシネモザイクまで観にいった。監督は宮崎駿監督の息子の宮崎吾朗、それ だけの情報のみで娘と観たのだが、ストーリーがまるでわからない。ただ登場人物はそれぞれに興味深く、意味がいまいちよく分からない ながらもアニメの画面の美しさに見入っていた。夜の7時に映画が終わって久しぶりにモザイクからJR神戸駅まで歩いた。会社が現在の 元町に変わる前のその前に会社はここにあり、今歩いている道が通勤で通った道だった。

「ゲド戦記」については娘が岩波書店の本を持っているが、今読む気力もそれほどの興味も無い。ただただこの暑さが早く去ってくれるのを 祈るのみ。



2006年8月6日(日) 暑い暑い日が続く、どこかでは38度を越したとか。ため息をつくばかり。
会社の昼休みに近くの大丸百貨店に行く。今日は地下で昼食用のお弁当を買ってから7階にあるギャラリーに向かった。今日は何を しているかなと覗いてみると平山郁夫の個展であった。シルクロードを題材にしていたように思うが、ざーっと流して観ただけで パンフレットや説明文は読んでいないので詳しくは分からない。ただその値段には呆れてしまった。ショーウインドウに飾られた金色 の駱駝の群れを描いた作品は6千万円也。そしてその値段の隅に購入済みの小さな赤のマークが付いている。金粉をふんだんに使って いるので金の重みでこの値段かなんてヤケクソな思いでバカなことを考えてみる。

画廊内の作品も同じような価格が付いている。日本の最高峰、東京芸大の学長であり日本で最も有名な画家である、当たり前と言うべきか。 購入済みの赤いマークがあちこちのウン千万円の値段の隅にあるのを見ると、絵よりそれにばかり眼が行ってしまう。号当たりで計算する と200万円である。林先生で5万円、平均的な値段であるがその40倍である。たとえ5万円でも私には平山郁夫に興味はないが。

先週から辺見庸の掌編小説集、「銀糸の記憶」と「闇に学ぶ」を読み進めている。「銀糸の記憶」は読了。期待以上に面白くてついつい 夜更かしをしてしまう。作者にはその人の好む語句、熟語が在るものだが、彼の場合最初はあまり聞き慣れない難解な言葉が目に付き 戸惑ったが、最近では違和感も感じなくなり彼の文体にのめりこんでいる。私と同世代と言う事もあるのかもしれないが、読めば読むほど 重いテーマとそれに負けない小説家としての才気に読者を魅了してやまない。

土曜の5日には絵画教室に初めて車で行った。教室にたまっているキャンバスを持って帰る為と、この暑さに堪り兼ねていよいよ車を使う 事にした。目指すJR芦屋まで30分程で、電車で行くのとさほど変わらなかったが、荷物を持たなくていいぶん楽ではある。駐車場が 一杯だったのでコープの駐車場に入れる。2000円以上の買物をすれば2時間は無料、その後は30分毎に200円増しで結局400円 支払う。ここの駐車場は少し芦屋駅から離れているせいか空いている。今の私にはうってつけの駐車場である。


夕日ヶ浦メロン



我が田舎、京丹後市浜詰で採れました。

浜詰の砂地で育った”夕日ヶ浦メロン”と
裏庭で母が育てた”まくわ瓜”。

どちらも水分がたっぷりで甘くて美味しい。







2006年7月30日(日) 梅雨は空けたのだろうか、強い日差しにぼおっとしたり一転曇って雨になったり。
7月も明日で終わる。子供達はとっくに夏休みに入っているのだろうが、近くにあったプールは閉鎖され夏の間中うるさかった子供達の歓声 や監視員のマイクの声も聞えなくなって久しい。子供達はどこに行ったのだろう。身近に夏を感じさせるものが減りただ暦のみに頼る日々と なり、いつの間にか7月も終わる。テレビでは隅田川の花火大会を伝えている。

子供の頃の夏休みは忙しかった。私の田舎は小さな村だが海に近く、夏になると近くに嫁いだ伯母たちが子供を連れて我が家に大挙して 里帰りした。またその逆に伯母たちの町での夏祭りには弟を連れて泊まりがけで出かけた。そこでは昼間は神輿が勇ましく練り歩き、 夜には神社までの道にたくさんの夜店が並び、身動きできないほどの人ごみの中を、迷子にならない様に手をしっかり握り合いながら 眼と頭は夜店のおもちゃの品定めに夢中になっていると、突然大きな花火がドーンと腹に応えるほどの迫力で上がり、驚いて上を見上げ ると大輪の花が夜空いっぱいに咲いているのである。

お盆の時期になると母の実家に行きそこでも1泊した。母の実家は兄が2人、弟が2人、妹が1人の6人が里帰りしていた。母の実家 は男性が多いせいか物静かだったし、顔立ちの整った人が多かった。特に母の一番目の弟は若いということもあったのだろうが子供の 私が見てもはっとするほどの男前だった。当時私とこの叔父との2人で取った写真があったがまだあるだろうか。夜に灯篭流しを 見にいった事もあった。真っ暗な海に丸太舟で灯篭流しの場所まで行くと、舟の両側を小さな灯火を付けた灯篭がゆっくり波に揺れな がら暗い海を流れて行ったのを思い出す。

母の実家は父の家よりもっと田舎で鶏を飼っていた。朝ごはんにはこの卵をかけて食べたがこんな食べ方は初めてで新鮮だった。家の まわりには大きな柿の木が何本かありその枝にブランコを作ってもらって弟と遊んだ。家の裏には椿の木がたくさんあり大きな実がつ いていた。祖母の鏡台にはこの実を絞った椿油が置いてあった。それを付ける所為かいつも祖母の髪はつやつやとカラスの濡れ羽色に 光っていた。


辺見庸の本がもっと読みたくて会社の昼休みにジュンク堂に行った。2階の棚の「へ」欄を探すと一番下段の見難い場所に2冊あった。 角川書店の辺見庸掌編小説集、白版「銀糸の記憶」と黒版「闇に学ぶ」。文字の如く装丁も白と黒。白版の帯には「艶やかで繊細」 「記憶と風景のあえかな美しさを描き出す41作品を収録」。黒版には「孤高でラディカル」「人間存在の深淵を描き切る34作品 を収録」とある。なかなか洒落た本を見つけた。当分、辺見庸の世界にどっぷり浸かることにする。




2006年7月23日(日) もう梅雨はたくさん、だが台風はこれからが本番。いつもの日本の夏。
真夏日が続き梅雨明けも真近かと思っていたが、今週は狂ったように大雨が続いた。本当に呆れるほど降り続き金曜の午後になって やっと止み新聞やテレビでは大雨による被害を報じている。自然の猛威の中では人間の力は本当に脆い。「こんなすごい雨はここに 住んで50年になるが初めてです。」とテレビのインタビューに答える声が聞える。自然のサイクルにしてみれば50年なんて時間の内 に入らないのだろう。それにどんなに頑張っても我々には大雨を止めることはできない。


京都で1人暮らしの叔母が本の整理に困っているというので、ネットで近くの古書店を探し電話をいれておいたのだが、その古書店 から若い男性が来て本を持って行ってくれたと連絡があった。叔母によると、前もって整理して入れていたダンボール3箱分の本は ダンボール毎、本箱に入ったままの本はさっさと紐で縛り持って行ったとその手際のよさに感心しきりであった。本の多さに比べ たいした本は無かったようで捨てる本の処分代を差し引いて5千円を置いていったとの事。ほとんどが亡くなった叔父の蔵書であり、 読み手を失った本の行く末と空っぽになった本箱を想像するとなんだか虚しい。


土曜になってやっと晴れてきた。洗濯物を干して車も洗車するためガソリンスタンドに向かう。洗車の後、手動でコーティングをして もらう事にする。40分後に行くと汚れが落ちて真っ白になった愛車が待っていた。明日からまた雨らしいが...。

図書館から借りてきた石川淳と辺見庸の本の返却日が迫っている。今日と明日とで読み終えないといけない。
やっぱり自分の本が欲しいなあ。日曜に綺麗になった車に乗って図書館に向かう。今日はまた雨模様、図書館に着くと駐車場が 一杯で難しい所しか空いていない。ミラーを覗くと後ろから車が来ている。警備員に導かれながら動かしだしたが見かねた若い男性が 入れてくれた。

図書館から出て今度はコーナンに向かう。本箱を見るためである。着いてみるとここも地上の駐車場は満杯、屋上の駐車場へと向かう。 初めての体験で不安な気持ちで3階まで上がって行く。そこで空きを見つけるが結構狭い。隣は外車のような立派な車。まごまごして いると後ろから車が次々と来る。また見かねた今度は中年の男性が車から降りてきて誘導してくれる。結局目当ての本箱は無かった。

今日はお世話になった皆様有難うございました。当分は混まない平日にします。

紅葉葵



紅蜀葵(こうしょっき)が咲きました。

夏が近づくとするすると1m近く伸びて
真赤な花を咲かせます。














2006年7月16日(日) 今日も34度を越した。祇園祭りも始まるが梅雨あけの発表は未だない。
タイミングよく林先生より石川淳の「夷斎風雅」が届いた。本当は昨年の年末に送って頂く予定だったのだが、急に思い出されたのか 。実はこの本を2,3度行きつけの古書店で見かけてはいたのだが買わずにいて正解だった。しかも半年遅れた為か(差し上げたく) と書かれてある。お言葉に甘えておくことにする。

石川淳の「マルスの歌」を読了。短編集なので他に「焼跡のイエス」などが収録されている。石川淳が小説を書き始めたのは37歳と いうのだから随分遅い方だろう。だが翌年の1937年には「普賢」で芥川賞を受賞している。小説を書き始める前は多くの翻訳本を手が けており筆力は十分磨かれていただろうから、たった2作目での受賞もそれ程不思議では無いのかもしれない。そして芥川賞受賞の翌年 1938年(昭和13年)に「マルスの歌」が「文学界」に発表される。

マルスとはローマ神話の中の軍神の名前であり、マルスの歌とはすなわち軍歌ということになる。当時は第二次大戦前の日本中を軍国 主義が席巻し、町は軍歌であふれ自由にものの言えない時代の中で彼の作品は反軍的であるとして発禁処分となるのであるが、この本 中に次のような一文がある。

「ひとびとを清澄にし、明確にし、強烈にし、美しくさせるために、今何が欠けているのか。ここでも先刻茶店で秋を探りあてたときの ように、何か非常に判然としたものの前でわたしは惑い、焦れ、平静をうしなっているようであったが、やがてその何かが遅く来て、 しみじみと、根強く、隙間なくわたしのうちに満ちひろがったとき、そんなにも判りすぎているもののまわりに足踏みしなければなら なかった自分が迂闊に鈍物に見え、わたしはたいへん恥かしく、ひとりでに顔が赤くなった。思想、ああ、思想……はげしくのどが乾 いて来た。現実のわたしののどのほかに、どこかでのどが大きく渇いているような気がした。」

先の講演会で辺見庸は何度も「恥、恥辱」という言葉を口にした。日々の日常生活の中に潜んでいる恥や罪、それを感じる事もそれに ついて考えることもしなくなり、当然憤るべき事に対しても真面目に怒る人を冷笑したり嘲ったりする風潮。まさに現在は石川淳の 「マルスの歌」の時代の再来を予感させるようなきな臭い出来事が多い中で、どこか諦めに似た気持ちで他人事のように冷笑する自分 に活を入れられる思いである。




2006年7月2日(日) 暑さに弱い私にとって一番苦手の7月8月に入った。ジリジリ照りつける太陽を思うだけでうんざり。
6月24日の大阪中ノ島公会堂での辺見庸講演会の余波がまだ残っている。講演の中で何人かの作家とその作品も出てきたが、その中で 一番最初に登場したのが石川淳の「マルスの歌」だった。その事がとても以外で、結局辺見庸についてなにも解っていないんだと納得、 彼の本をもっと読むことから始めることにした。

まず新刊書店で「赤い橋の下のぬるい水」文春文庫1996年を見つけた。今村昌平監督、役所広司、清水美砂主演で2001年に映画化された。 読んでみると、今までの作品「もの食う人々」「眼の探求」「抵抗論−国家からの自由へ」等よく知られた彼の作品とは全く異質なもの だった。例えば石川淳に似た世界と言えばいいのだろうか、現実と幻想が融合した不思議な世界がそこにある。これを映画にすると どういうことになるのか想像がつかない。

解説で吉本隆明が「ここにあつめられた作品は、ひと口に辺見庸の奇譚小説だといっていい。」「この奇譚小説という言い方を、まえに サド裁判の証言のときに使ったことがある。サドの『悪徳の栄え』のような作品は、奇譚小説といえるものだ。」と書いている。この裁判 の被告とはあの澁澤龍彦であり、当時吉本隆明、埴谷雄高らが弁護側の証人としてたった。勿論石川淳も無縁ではない。読んですぐ石川淳 に似た世界を感じたのも不思議では無かったのか。

有名新刊書店を数当たってみたが石川淳の「マルスの歌」はなかなか無い。後はネットとで探すしかない。ただ石川淳については「諸国畸 人伝」中公文庫と「安吾のいる風景・敗荷落日」文芸文庫を見つけ出した。それと久しぶりに内田百閧フ「東京日記」。

辺見庸講演会で、私の左隣に座った若い男性(大学生か?)はノートを膝に置きしきりにメモを取っていた。私も手帳を出してメモしようと 眼鏡を探すが忘れてきたようである。講演中ライトも小さく落としてある。仕方が無いので兎に角書き付けていく事にした。後で見てみると それなりに書いてあり読める。その中に吉本の言葉として「非善非悪地帯」グレーゾーンという言葉。またルーティンroutineと言う言葉。 自分は善では無いかも知れないがしかし悪では無いという意識。誰に言われた訳でもないのに自分で無意識のうちに聖域を作り、これ以上は 踏み込まないでおこうとする無意識の意識。現在のマスコミがそれであると辺見庸は憤る。聖域を作らないで境界線を超えよと彼は訴える。


新聞を読むな、テレビを見るなと彼は言う。「小指の先から一滴でも血を流す覚悟」を持って人として憤れと。




2006年6月25日(日) 今日は朝から雨、昨日の暑さを忘れさせてくれる心地よい湿り加減。
21日の水曜は午前と午後に車の練習をした。今日も暑かった、運転する私の右腕にじりじりと厳しい陽が照りかかる。夏場の運転 は大変そうだ。今日も家の周囲や教習で回った懐かしの経路をまわって帰って来た。よく知った道は走りやすいがそれにしても車 が多い。大型トラックに挟まれるとちょっといやだが、こんなにトラックが多いとは景気が回復してきたんだろうか。

水曜の朝日新聞の夕刊の"単眼複眼"の「抜けるか冬の時代(都の美術館7年ぶり購入予算)」に眼が引かれる。なんと5つの美術館を 抱える東京都の収蔵品購入予算が今年度、7年ぶりに復活したという。と言うことはこの7年間は収蔵品購入予算がゼロだったので ある。日本の首都である東京都でこの有様、経済大国がこれではちょっと悲しい。やっと今年度復活して計1億5千万円。3つの美 術館の予算のようで1ヶ所当たり5千万円。有効に使って欲しいものである。でも少ないなあ。それに今回の予算復活も一時的なもの であり、将来は運営が企業に代わる可能性もあるとのこと。

他府県の事情も載っている。千葉県立美術館、埼玉県立近代美術館はゼロ。神奈川県立近代美術館は数百万円。我が兵庫県立美 術館もゼロ。あの安藤忠雄設計の馬鹿でかい美術館の外観に比べ、収蔵品のなんとお粗末なことか。収蔵品購入予算がゼロと聞いて へんに納得。それにしてもあの立派な美術館の建築費用の幾パーセントなりと作品の購入費用にまわす配慮を、誰も考えなかった とは考えられないが。

24日の土曜は大阪の 中ノ島公会堂に辺見庸の講演を聴きに行った。彼は2004年3月新潟での講演中に脳出血で倒れ、 その年の春に京都の市民グループが企画した「憲法改悪にどこまでも反対する。」と題した講演会の出席が中止となってしまう。 脳出血の後遺症の右手の麻痺や言語障害をリハビリで頑張る彼に追い討ちをかける様にガンが襲う。その中で今回、2年前に中止と なってしまった講演会を彼の申し出で再開することになった。

梅田から地下鉄で淀屋橋まで行き、土佐堀川を渡り右に折れて歩くと前をたくさんの人々が行くのが見える。そのうち今回の講演の実行 委員会のメンバーが入場者の整理をしておりその列の最終に並ぶ。6時半から始まるのであるが今は6時に少し間がある。早く来過 ぎたと思っていたが遅いくらいであった。入れるのか少し心配になる。これ程今日の講演に関心を持つ人々がいたとは正直驚いた。 やっと中ノ島公会堂に入れたが1階は既に満員で2階に上がるよう言われ、2階の一番前の1つだけ開いた席に運よく座れる。ここから だと距離はあるが講演者を真正面に見ることができる。

最初に今回の講演の開催者である京都の市民グループの代表の女性が挨拶に立った。少し興奮した様子で「これ程の入場者があるとは 思いもかけなかった。」大ホールの定員は約1千2百人であるが入りきれない人には3階のモニター室に入ってもらった。との事。 その言葉の端々にいかにも市民の手作りの講演会といった朴訥さが滲んでおり、その素直な興奮ぶりは聞き手にも素直に伝わってきた。 彼女の挨拶を聞いていると、辺見庸に病をおしてでも約束を守りたいと思わせたものの何かが分かる気がした。彼はこういう場所でこそ 話をしたいのであろう。

続いて辺見庸の登場であった。脳出血の後遺症の残る身体を引きずり麻痺の右手で宙を切りながら、写真で見覚えの帽子を被った彼が 壇上に着いた時皆は割れんばかりの拍手で彼を迎えた。満身創痍の彼は、それから定刻の9時を過ぎるまで休み無く我々に語りかけた。 講演会が終わり一度椅子から立ち上がりかけたが無理だった。椅子に倒れこんでしばらく時間をかけてから再度立ち上がり、不自由な 身体を少しづつ前に押し出すようにゆっくりゆっくり歩いて我々の前を退場して行った。講演の内容は後日まとめて見たい。

辺見庸講演会


中ノ島公会堂1階大ホール

「辺見庸講演会」の終了後










2006年6月18日(日) 真夏の日があれば次の日はびしょ濡れの大雨。しとしとと降るいつもの梅雨が懐かしい
6月も既に半ば、今年も半分きたと言う事か。年の始めに特に計画を立てている訳では無いが、なんだかあっという間に半年過ぎた。 特に今週は何も目立った事もなく、ゆっくりと1日が過ぎて行った。

休みには少しだけ車の運転をしてみているが、なかなか上手くいかない。遠くに行ってみたいが帰りに迷ったら困る。小粋な喫茶店 にでも行って見たいが駐車場にきちんと車庫入れする自信が無い。と言うわけで家の近くをぐるりと回って帰って来て、車庫入れで 難渋すると言う事を繰り返している。そのうち慣れてくると言われながら.....。

今週の24日の土曜には中ノ島の公会堂に辺見庸の講演を聴きに行く予定である。中ノ島の公会堂は、学生時代フォーク歌手の岡林 信康の歌を聴きに行って以来であるが、当時と違って今は中もきれいに生まれ変わっている筈である。



2006年6月11日(日) 「知らない町へ行ってみたい。どこか遠くに行きたい。」のメロディを口ずさむ、車の来た日。
先先週の水曜の検定試験が無事終わり、今週の水曜は明石へ免許取得試験にと出かけた。朝早く7時頃家を出て、8時過ぎには試験場に 着いたがもうすでに受付では2本の列が出来ていた。手続きが済み大教室の机に貼り付けた受験番号を探して座る。何人位入っているん だろうか。100人以上はいる様に思ったが、そのうち時間が来て試験が始まった。どちらとも取れるような問題も多くてあまり自信無く 終了したが運よく合格。ようやく運転免許証を取得した。

土曜には新車が届き、初運転。知人のベテランドライバーに横に乗ってもらい、教習所の車とは一味違う快適な乗り心地に驚く。早く1人 で乗れるようにならないといけないが少々不安でもある。

日曜には従妹と京都近代美術館に「藤田嗣治展」にでかけた。テレビや新聞で何度も宣伝していたのできっと大勢の入場者だろうと観念 していたが、5月に神戸であった「ボストン美術館の所蔵展」の北斎等の浮世絵展程のひどさでは無かったが、日曜と言うこともあり 結構賑わっていた。

藤田嗣治 それにしても藤田の作品の多さとその多彩さにはあらためて驚かされた。勿論有名な乳白色の肌を持つ女性の裸体画は、彼にしか描けない 独特の質感を持ってマチエールの中から浮き上がっている。思わず指でその滑らかな肌をなでて見たい欲求にかられる程である。

藤田嗣治 批判のあったという戦争画も、私はそこに戦争の狂気とそれを描き切る藤田の力量に驚かされたが、やはり彼本来の作品とは異なるものだろう。

晩年の子供たちを描いた一連の作品は、好きなものを楽しんで描いている藤田の気持ちがにじみ出ており見る者も楽しい作品となっている。



帰りには図録を購入した。
帰ってまたゆっくり藤田の世界に浸りたい。


5月中休んでいた絵画教室をまた今月から再開した。教室に入ると「もう止めてしまったのかと思った。先生も寂しそうだった云々」と言われて しまった。またその日はたまたま長く休んでいた人も来たりして久しぶりに賑わって、皆で楽しく絵の制作に励んだ。これからは心配かけない ように真面目に絵の方も頑張ろう。



2006年6月4日(日) 今年は5月になっても春から夏への清々しい風に吹かれた事も無く、街ではノースリーブの若い娘が行く。
朝日新聞の「素粒子」に「ことしばかりは初夏の風らしい風に吹かれた記憶もなく5月が終わろうとしている。」とあった。そして 早々に梅雨入りとの事。ここ2、3日は夏が来たような暑さである。

先週の水曜は車の検定試験の日だった。9時前に教習所に着いて教室で待つ。仮免の時と同様に4人ずつ4グループに分けられ、先頭 から運転、2番目は車の後ろに乗る。私は4番目で最後、前の2人が済むのをしばらく待つことになった。そのうち順番が来て3番目の 人が運転席へ私は後部座席に座る。私のグループは全員女性で、3番目の女性は40歳台といった感じ、相当上がっている様子が見える。 出発時点から運転が相当ぎこちない。教習所を出て最初の止まれの表示で「完全に停車が出来ていない。」と教官にブレーキを踏まれ、 その時点であえなくアウト。

今日の教官は30歳台の若い女性で、一度教習所内の教習の時、彼女に当たった事があるが女性で「よかった!」と思ったのは一瞬 だけで、基本に厳しく無駄口は叩かず注意されっ放しで、自分の甘さを悔やんだものだった。その彼女の横に座っていよいよ私の番 である。いまさら上手に運転は無理だから兎に角安全運転に徹していくことにする。幸いと言えば悪いが、前の女性の運転は後ろに 乗っていた私も怖い程不安定だったので、少々の失敗には感覚が鈍っているかも知れない。なんて不遜な思いがちらっと頭をよぎる。

路上はなんとか無事に終えたが、教習所内での方向変換でつまづく。3度切り返してようやく成功、ぎりぎりセーフだった。 すべて終え車から降りた私に、教官の彼女のお言葉「運転はうまくは無いけど一生懸命安全運転しようとしているのはよく分かった。 横に座っていてこのまま眠っていても大丈夫と思える安心感があった。初心を忘れずに安全運転に心がけてください。」と。 「そうか、やはりこれくらい慎重に運転しないといけないんだな。」と彼女の言葉を有難く聞かせてもらい、私の教習所通いもようやく 幕を閉じました。

気持ちにゆとりも出て、会社の昼休みに行きつけの古書店に走る。そこで澁澤龍彦の「幻想博物誌」を発見。装丁を見てびっくり、 池田満寿夫である。学生時代によく読んだ「美術手帳」には、当時美術界の寵児であった池田満寿夫の文章がよく掲載されていた。 絵画ばかりで無く文章にも彼の才気が光っており、「美術手帳」が出る度に彼の文を探したものだった。彼独特のエロチックな版画を 見れば澁澤龍彦との交友も別段不思議は無い。「幻想博物誌」のカバー絵も池田満寿夫の作である。

「幻想博物誌」が昭和53年発行で前年の昭和52年には池田満寿夫は「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞しているが、「美術手帳」に書いて いた当時彼は30歳前半で、その時代の彼の文章に非常な興味を持った私も、それ以降はなんとなく興味が失せ「エーゲ海に捧ぐ」も読んだ 記憶が無い。

幻想博物誌


角川書店 昭和53年12月15日初版発行

澁澤龍彦50歳、池田満寿夫44歳















2006年5月28日(日) 会社の窓から見下ろす街路樹の、緑もいよいよ濃く道行く人々を染めていく。
もう季節は確実に春から夏へと向かっているが、まだ昼と夜の気温差に対応できず風邪気味な日が続いている。それでも車の教習には 真面目に通った甲斐あってか、ようやく検定試験の許可が出た。今週の水曜に試験を受けて合格すれば明石の筆記試験で終了である。 このまますんなり終わって欲しい。車も6月中には来る予定である。

今月はなにやかやで結局一度も絵画教室には行かなかった。土曜に雨降りが多くて行く気が削がれてしまった事が一番の原因ではあるが、 車の教習を優先した為でもある。これからは土日がゆっくり過ごせると思うと正直うれしい。やれやれである。絵の方も6月からは気を 入れ直して頑張りたい。

あまりゆっくり出来なかった5月だったが、就寝前に少しずつ読み進めていた上林暁の「白い屋形船」が読了した。上林暁を読むのは 初めてで来歴も良く知らなかったので調べて見た。上林は明治35年(1902年)高知県生まれ、東大文科卒業後昭和2年から9年まで「改造社」 に勤務、編集者として横光利一や井伏鱒二と交流を持つ。並行して昭和2年に創刊した同人雑誌「風車」に執筆活動もしていた。 昭和6年の「欅日記」、昭和7年の「薔薇盗人」で川端康成から評価されて文筆活動へ入る。その後病妻を描いた「聖ヨハネ病院にて」 「晩春日記」、当時上林自身も住み他にも多く住んでいた杉並の作家達の様子を描いた「阿佐ヶ谷会」「高麗村」「外村君と私」がある。 私が今回読んだ「白い屋形船」は妻の死後、2回の脳溢血で不自由な身体となった昭和37年からの妹の口述筆記に寄るものである。 「私小説、短編ひとすじに歩み続けた作家。」と紹介されている。

「白い屋形船」もそういえば上林の私生活がそのまま描かれていると言えるだろう。でも私を赤裸々に曝け出すというのではない。晩年の 作と言うことも関係しているのか読後感もしみじみとした心情にさせられるものであった。機会があれば「薔薇盗人」を次に読んでみたい。


今は澁澤龍彦の読み残していた「太陽王と月の王」を就寝前の読書に当てている。これがまた面白くて寝不足にならない様に気をつけなければ ならない。5月30日からは京都国立近代美術館で「生誕120年藤田嗣治」展が開催される。大勢の入場者に悩まされるだろうが是非出かけたい。

神戸本町ビジネス街


会社の前の街路樹、青さが増してきた。

強い日差しを遮って木漏れひが、行きかう人や車の上に落ちる。










2006年5月21日(日) 晴れと雨と天気がくるくる変わる5月も終盤へ、このまま入梅へとの予報も。
たたき付ける様な激しい雨と風の日の次は、夏を思わせるような汗ばむ陽気にと、最近の天候に身体がいつまでついて行けるか心配である。 コタツはまだ寒い日が心配で出したまま、冬物はもうクリーニングに出したいが土日が雨で出しそびれている。そういえば2、3日前に 友人の家に行ったらリビングで扇風機がまわっていたっけ。こんなチグハグな生活がいつまで続くのかと思うがおてんとう様に聞くしかない。

今週は特別な事も無く過ぎた。車の教習もまだ続いている。早く終わらないと休日が教習の為につぶれてしまっている。もう終盤に来ている と本人は思っているのだが、教官はそうは思っていないのか、なかなかOKを出さない。今月中に免許取得の予定だったのだが....。



2006年5月14日(日) 初夏の陽気と激しい雨の日の繰り返しの中、柔らかい新芽が勢いよく伸びていく。
5月11日の朝日新聞の夕刊をめくっていると「『窓』論説委員室から」の欄の「久生十蘭(ひさおじゅうらん)とブログ」という文字が 眼に飛び込んできた。読んだことは無いが久生十蘭という変わった名前に見覚えがあり、確か澁澤龍彦が著書で彼について書いていたな と本棚から「偏愛的作家論」を取り出し目次を見るとやはりそこにその名前があった。

澁澤龍彦が偏愛的と書いているようにそこには「フィクションとしての小説というものが、無から有を生ぜしめる一種の手品だとすれば、 まさに久生十蘭の短編こそ、それだという気がする。作者は作品のかげに完全に隠れてしまって、ついに最後まで、ちらりとも姿を現わ さず、私たちの目を奪うのは、凝りに凝った、あまりにも凝りに凝った作者の小説技巧のみなのだ。」「それにしても、スタイルのため に骨身をけずることこそが、作家にとっての本当の意味での倫理なのであって、人生の求道やら何やらを作品のなかに持ちこむことなど は、要するに田舎者の勘違いにすぎない云々...」と澁澤特有の論調とちょっと過激な文章が続く。

朝日新聞の「久生十蘭(ひさおじゅうらん)とブログ」にも「妥協のない創作態度が生んだ懲りに凝った文章で妖しい虚構の世界にいざな われること、うけ合いだ。」と書かれている。最近は何かと忙しくて本を読む時間が無かったが、少しずつ片付いてきたので上林暁を読 み始めて、読書の楽しさを再認識しつつあったが次には久生十蘭を読んでみよう。確か三宮の古書店、後藤書店で見た覚えがある。

12日は元町から会社の用事で三宮まで歩いた。会社を出て少し東へ歩くと左に神戸市立博物館がある。今はボストン美術館の所蔵展を 開催中でいろんな場所で、日本初公開の歌麿や北斎の浮世絵が紹介されている。私も券を持っているので今度の日曜あたりに出かけよう かと考えているのだが、博物館の玄関が見えるあたりまで来ると大勢の人が列を作っている。平日なのになんでこんなに混んでいる んだろうと日曜の混雑が少し心配になる。

帰りに三宮の後藤書店に寄りいつもの棚を見るとまだ久生十蘭が売れずに残っている。箱入りのその本を出そうと本の背を下に向けて何回 も振ってみるが出てこない。それに箱も本も埃っぽくて汚れが目立ち次第に買う気を削がれて行く。諦めて他の本に目をやるとなんと澁澤 龍彦の「裸婦の中の裸婦」が飛び込んできた。文庫本では持っているが、澁澤龍彦が選んだ12人の裸婦像の写真入りのいわゆる彼の美術 エッセイであり、とても欲しかった1冊である。急いでゲット。「裸婦の中の裸婦」は澁澤龍彦の最後の1冊である。彼が選んだ12人の裸 婦像のうち最後の3人は澁澤の病死により巌谷國士に受け継がれた。


14日の日曜には 神戸市立博物館に「ボストン美術館の所蔵展」を見にいった。宣伝が行き届いている所為か、美術愛好家が 多いのか、やはり心配していたような大勢の入場者であった。作品の保護の為室内は薄暗く、たくさんの人の列の後ろから伸びあがって覗く がなかなか見えなく疲れるばかりで途中からざっと流すような見方で終わってしまった。ただ、葛飾北斎の「鏡面美人図」の前に辿り着いた 時はその作品のすばらしさに今までの疲れも吹き飛んでしまった。続いて同じ葛飾北斎の「鳳凰図屏風」も色彩豊かな迫力ある屏風絵で見る ものを釘付けにしていた。私もその細密で鮮やかな色彩の中央でこちらを睨む鳳凰の眼光に射竦められながら、その斬新な色使いに今更ながら 北斎の並々ならぬ才能を感じた。図録は既に完売してしまい予約の受付をしていた。少し迷いながらも今回は買わずに出た。後で後悔するかな。



2006年5月7日(日) 新緑の薫風の中、結ばれる二人に幸多かれと祈る。
5月5日の節句に甥の結婚式があった。5月に入ってからは季節は初夏の様相をおび、長く寒かった日々が嘘のような汗ばむ陽気となって いたが、5日の結婚式当日も木々の若葉に薫風の吹く絶好の結婚式日和であった。甥の結婚は、家族は勿論親戚中が待ちわびていたもの だった。本人達の希望で内輪だけのささやかな式と披露宴だったが、出席した者全員が本当に心から喜びあい二人を祝福した。披露宴の 途中からは甥の若い従妹達も合流、新郎新婦を祝いながら二人の写真を取りまくり、彼女達の登場で座もますます賑わい華やいでいった。 叔父様群は少々お酒が過ぎて女達に小言を言われながらもニコニコと酒を注ぎあっている。二人はこの後新婚旅行でイタリーに旅立つ。 ちょっとうらやましい。


3時過ぎに式も終わり、会場だった全日空ゲートタワーホテル大阪から南海電車で今度は一転、友人の病気見舞いに行く。彼は私と同年齢で 昨年の10月から頚椎の動脈が詰まるという厄介な病気に罹り現在も療養中である。心臓や脳の血管が詰まるのはよく聞くが人間にはいろんな 動脈が走っているのだからどこでも詰まる可能性があるのだろう。若い頃は動脈が詰まるなんて年寄りの病気とばかりに自分とは無関係と思 っていたものだが、何年か前に1つ年下の友人が心筋梗塞になり、今度は同年齢で頚椎の動脈が詰まる友があり、私もとうとう年寄りの年齢 になってしまったのだった。

久しぶりで話も弾み気が付けば夜の8時半である。もう帰らなくてはと腰を上げると家まで車で送ってくれるとの事。勿論奥さん(私の従妹) であるが、最近免許を取ったばかりの彼の大学生の長男も同行し、帰りの運転は練習を兼ね長男がすることとなる。ここから我が家までの間に 湾岸線(高速)を通る。もうすぐ教習で高速を走る予定の私には、夜の高速を走る彼女の運転は非常に興味深い。

隣席で見ていると彼女はハンドルはほとんど動かさず、100キロ以上のスピードで快調に高速を走りつづける。上手いものである。 「僕は70キロしか出せない。」と大学生の息子。「こわいん?」と私。「うん、こわい。」と正直な彼。「私ね、車線変更が苦手や。」 「それ僕も。」と話が弾む。それを聞いていた彼の母「二人の会話を聞いてたら同級生の会話みたいやね。」と笑う。



連休には友人夫婦と私と娘の4人で長谷寺と室生寺にも出かけた。何十年ぶりであろう。室生寺は再建されてからは初めてである。
長谷寺の牡丹 長谷寺では牡丹や芍薬が今がちょうど盛りである。 長谷寺の回廊


大輪のみごとな花が咲き誇る広い境内では、カメラマンがレンズを覗きアングルを変えながら絶妙のシャッターチャンスを狙っている。

カメラによる写真作品には絵画とは違う魅力があり、素晴しい作品は私達を楽しませてくれるが、そんな作品を求めてか大きな牡丹に食い 付かんばかりの距離で熱心にカメラを覗くカメラマンのそばを通り、その被写体の牡丹の見事さに我々も足を止める。





室生寺の五重塔 室生寺は長谷寺より境内も小さいが、やはり五重塔は人気のようで大勢の人々に取り囲まれていた。

見るものをほのぼのとした気持ちにさせる。

塔のまわりを鬱蒼と取り囲んでいた杉は、何本かは取り払われたのか周囲はすっきりとして、塔のそばの数本の杉の大木の、天を抜かんばかりの 高さがよけい室生寺の可愛さを引き立たせている。
室生寺の石楠花


室生寺もまた花に飾られていた。

石楠花である。
新緑の木々の中をピンクや白の可愛い石楠花が映えて、境内中をやさしく彩っている。

牡丹や芍薬のような豪華さは無いが、思いのほか可憐なかわいい花である。
そういえば「夏が来れば思い出す。はるかな尾瀬、野の小道」の歌の最後に「石楠花色に黄昏る。はるかな尾瀬、遠い空」と石楠花が 歌われているが、淡いピンクのやさしい色合いが見る者の心を和ませてくれるような気がする。



2006年4月29日(土) 4月も終わりに近いこの頃、だいぶ暖かくはなって来た。
25日の火曜に仕事で広島へ出かけた。新神戸から新幹線のぞみで1時間30分程である。岡山までは行ったことがあるが広島は今回が 初めてである。今まで島根に子ども時代出掛けた記憶がかすかにあるが、そこから西方面は行ったことが無かった。新神戸からのぞみに 乗りいざ広島へと出発したが、見慣れない車窓の風景になんだか戸惑ってしまった。窓から見えるのは関東方面へ行く時と同じ日本の似た ような田園風景なのに、やはり違うのだろう。

広島市に到着し迎えの車で1時間。市内から外れて随分山の中の田舎に来たが、田圃や畑の中に点在する家々はなかなか立派な構えが多い。 そしてなぜか屋根瓦に茶色が多い。ざっと見た感じ、9割が茶色で1割が黒い瓦である。緑の田園に茶色の瓦が映えていい感じではある。 建築に詳しくないのでうまく言えないが、2階建てにもう1階小さな屋根が付いている。部屋にするほどの大きさは無い気がするので なんに使うのか、見張り用か屋敷の誇示の為か分からないが、今まで見たことの無い建て方である。

「随分市内から遠くにきましたね。」と迎えの車のお客さんに聞くと「まだ市内ですよ。」と笑う。「合併、合併でこんな所まで広島市に なりました。」との事。なるほど。今日は仕事が終わり次第すぐに神戸へ帰る予定なので市内を見学する時間も無いが、また来ることが あればのんびりと市内散策をしてみよう。


車の教習の方は、早く学科試験を受けないといけないのだが試験勉強が出来ていない。このままだと確実に落ちるだろう。でも身が入らない。 ちょっと中だるみ状態である。やり初めは元気がいいのだが飽きっぽいのである。一応机の上にはテキストを置きながら、娘の机にあった 角田光代の「愛がなんだ」角川文庫を手に取ってみる。こんなのを読んでいるんかと思いながら、ページを繰っていき、そのうち引き込まれて しまう。きっと読了するまで車の学科試験の方はお預けだろう。


28日は会社から総会後の会食に神戸北野のフランス料理店に出かけた。神戸には店は小さいが美味しいフランス料理店が多いが、ここも こじんまりとした店で20人も入ればいっぱいだろう。会社からトアロードを真っ直ぐ北野に向かって歩いて15分。前に六甲の山が見え出し ちょっと坂道がきつくなってきたと思うまもなく、前庭を小さな可愛い花々に彩られた店に到着。評判どおり料理もワイン(よく分からないが 多分?)も美味しく、タイミングよく次々と出てくる料理とワインに舌鼓を打ちつつ気が付けば10時。お腹も一杯になりご機嫌で外に出ると 寒さも和らいでいる。またみんなでトアロードをゆっくり歩いて帰りました。




2006年4月21日(日) クリーニングに出そうとよけていたウールのセーターを引っ張り出す。春は名のみの風の寒さよ。
もういい加減にしてと言いたい昨今の寒さ。会社に着ていく服装もここ数日悩みの種になっている。折角の桜も度々の雨や風で花見に行く 間も無く早々に散ってしまった。今年はどうなっているんだろう。阪神タイガースも負け続いているし、と愚痴を並べても仕方が無いか。

先日の朝日新聞に掲載されていた、日本古書通信社長の八木福次郎さんの話の続きだが、SUMUS文庫の「私の見てきた古本界70年」 (八木福次郎さん聞き書き)でインタビューしている「若手の古本屋さん三人」の中に、先日東京の早稲田で会った「古書現世」の向井 透史氏がいた。SUMUS文庫の中の「八木さんを囲んで」と題した全員写真の中にも早稲田で会った時と全く同じ顔の向井さんがいる。 太めのどっしりとした彼を見つけて、まだこの間会ったばかりなのになんだか懐かしい。

八木福次郎は兵庫県加古郡出身、現在は明石市に合併されているが加古川中学(旧制)現在の加古川東高校出身。今もだが当時も有名な 進学校である。そこを昭和8年に卒業後すぐに上京して兄の伝手でまずは出版社に勤める。当時兄は神保町の一誠堂という古書店の番頭 をしており、その後独立して『日本古書通信』を創刊し、後に弟の福次郎が継ぐのであるが、それが今日まで続けられているとは驚異的で もある。その間、執筆を依頼した人は千五百人以上。出会った文人は永井荷風、吉川英治、佐藤春夫、野村胡堂、江戸川乱歩等々。日本 古書界の「生き字引」と言われるゆえんである。あの岩波書店も最初は古本屋だったのだとか。

東京に何年か前に行った時、神保町の古書街にも足を運んだことが2度程あったが、あまりの多さと広さに圧倒されてどこを覗いたらいいのか 分からず早々に引き上げたが、今度機会があればぜひ日本古書通信社が入っている古書会館に立ち寄ってみたい。八木さんに 会えなくてもちょっと覗いて見たい気がする。

SUMUS文庫のあとがきに向井透史氏は「「吉川英治がねえ」「荷風はね」昔からの知り合い に話し掛けるように優しく語りかける八木さんの言葉を聞いていると不思議な気分になる。」と言っている。 まだ32歳の彼もこの大先輩のように、本の魅力に惹かれて集まる多くの有名無名の人々との出会いを積み重ねて行くことになるのだろう。 そしてまた彼自身からも多くの楽しい話を聞けたら嬉しい。

筍

今年も京都の向日市名産の筍が届いた。

今年は寒さのせいで発育が遅くて少ないそうな。

早速、筍ご飯と筍煮でおいしく頂きました。








2006年4月16日(日) 野菜箱にイカナゴのくぎ煮用の生姜がころり。あっという間にイカナゴ漁は過ぎ去った?
もう一度イカナゴのくぎ煮を計画していたのに、マーケットの魚売り場のどこにもイカナゴは見あたらない。そういえば生姜や醤油 たちもいつもの売り場に帰って行ってしまったようだ。今年はまだ2回しか煮ていない、是非とも3回目に挑戦したかったのになあ。 我が家の台所のじゃがいも入れには出番を無くした生姜が一個さみしく残っていて、たまにじゃがいもと間違えられている。

土曜の朝日新聞の「be on saturday」に「古書街の変化見続ける「ミスター神保町」」と題して日本古書通信社長の八木福次郎が 紹介されていた。どっかで見た名だなあとSUMUSを何冊か引っ張り出して見ると、2004年2月にSUMUS文庫から発行された 「私の見てきた古本界70年」(八木福次郎さん聞き書き)が出てきた。南陀楼綾繁という怪しげな名前(著名)を持つ古書界では知ら れた存在の彼が編集している。本の「はじめに」に「『日本古書通信』の八木福次郎さんといえば、戦前から現在までの古書界をよく ご存知の、いわば「生き字引」的な存在だ。」とある。『日本古書通信』とは本や古本屋を巡るエッセーやニュースが満載の読書家向け 雑誌で、もちろんいろんな作家達にも投稿してもらっている。



SUMUS文庫を読み返しているうちに興味がわいてきた。もう一度じっくり読み返してから続きを書きます。




2006年4月10日(日) 我が家近くの学園の校内から、塀越しにこぼれんばかりの桜花。今年はとりわけ眼に染みる。
先日東京で見た満開の桜が1週間遅れで関西にもおりてきた。まだ肌寒くて春爛漫という訳にはいかないがここまで来ればもう 季節も後戻りはできないだろう。

忙しかった3月も終わり4月に入って生活も落ち着いてきた。久しぶりに仕事の昼休みに三宮まで足をのばして、新刊書店ジュンク堂 に行く。先日朝日新聞の書評欄で紹介されていた上野千鶴子の「生き延びるための思想」(ジェンダー平等の罠)岩波書店を購入する 為である。 実は会社帰りに下車する駅前書店では手に入らなかったのである。書名を告げるとそこの書店員に「うちでは岩波書店の本は扱って いません。」と言われてしまった。そうか、岩波では返本できないんだったっけ、そんなことを聞いた覚えがある。本屋泣かせの書店 、それにしても「お取り寄せしましょうか?」とも聞かれなかった。こういう書店は取引もしてもらえないのか、それともしないのか 。勝手な想像に過ぎないのだがなんだか後味が悪い。

やっと手に入った本をめくり誰の装丁か調べて見ると、カバー・表紙写真が 安藤忠雄「光の教会」(1989)/撮影:新建築写真部とある。あとがきに上野千鶴子は「本書の装丁に、敬愛する建築家、安藤忠雄 さんの作品「光の教会」を使いたい云々〜作品の使用を快諾して下さった安藤さんに深く感謝する。」と書いている。そうか彼女の希望 だったのかと安藤忠雄嫌いの私はまたもがっかり。ダブルパンチで読み気を殺がれてしまった。まあ本の中身には関係ないんだけど。

気を取り直して次におなじみの古書店あかつき書房に向かう。そこで澁澤龍彦「太陽王と月の王」大和書房をゲット。ぱらぱらと目次 を見てみると「古本屋の話」という箇所がある。昭和18から19年当時新刊書店の棚はがらがら状態で当時中学生だった澁澤はいつしか 古本屋に出入りするようになったとある。「神保町界隈の古書店街をしらみつぶしに見て歩くのも、中学生のころから始まった私の 楽しい習慣だった。」と続く。なんだかうれしくなって来る。もう一冊彼の「玩物草紙」朝日新聞社が眼に入る。これは読んだおぼえが あるのだが文庫だったか思い出せない。挿絵は画家の加山又造、取り置いてもらって家に無いのを確かめてから後日購入する。

続いて後藤書店に向かう。いつもの棚に直行するとそこに上林暁「白い屋形船」講談社が。急いで棚から抜き購入。上林暁はまだ一冊も 持っていないのでとても興奮した。ただ本が増えて棚はいっぱいになり、テーブルに積みだしたがそれも限界に近づきつつあるのをどうにか しないといけない。


相変わらず車の教習にも励んでいる。4月になってぐっと教習生が減ってきた。そういえば見覚えのある顔がなくなっている。皆卒業した のだろうか。私の卒業はいつになるのか。少しづつは前進しているのだからいつかは卒業できるのだろうが....。




2006年4月1日(土) 東京へ出てみれば暖かな日が続く。中野の駅前は桜祭りの赤提灯の列。
3月も終わり近くの27日から29日にかけて東京に出張した。2年ぶりであるが前回は自由時間が無かったせいかあまり記憶に 残っていない。今回は29日は仕事が無いのでどこへ行こうかと今から楽しみである。

富士山 朝の早い新幹線に乗る。いつもながらビジネスマン達で結構混みあっている。日頃の疲れが溜まっているせいかなんとなく体がだるい。 それでも富士山は見逃すまいと、東京近くになったら頻繁に窓に眼をやると、春霞に霞む優美な富士が突然私の眼前に出現した。 富士の姿が見られた時はなんだか得した気分でうれしいものだ。いつまで見ていても飽きない。

東京での仕事は28日の夕刻に終了。ホテルに帰らずに仕事の会場のある中野から高田馬場へ向かう。高田馬場を降りて早稲田 通りを早稲田に向かって10分程歩くと、右手に小さい道がありそこを2、3歩入ったところに目指す古書店 「古書現世」がある。 ここの二代目向井透史氏に会うのが今日の目的であるので、店の玄関から奥を覗いて体格のいい(というか太った)若い男性がこちらを向いて 座っているのを発見した時はやれやれであった。

小さな店であるがきちんと整理された棚が気持ちがいい。行きつけの神戸の古書店では見かけない本もいろいろ並んでいる。この 本達は店主向井透史氏に、また間接的には彼のお客達に選ばれてここに並んでいるといえるだろう。まさに「古書現世」とは本好きな人に とっては宝の館なのであろう。最近彼が出した「早稲田古本屋日録」(帳場から見た風景)が玄関近くの棚に乗っているのを一冊取り出して彼にサインを 入れてもらう。その後彼と少し話をしてから棚の本を見てまわったが仕事の疲れのせいか集中できない。 今日は買わずに帰るが東京に来る機会があれば、ぜひとももう一度来たいと強く思う。店を出て折角来たのだからと早稲田通りを早稲田大学 へと向かう。そのうち左手の高いビルの上部左側面にWのマークが見えた。あれが早稲田大学のようだ、が疲れもピークこれ以上は歩けない。

ニコライ堂
翌日の29日は天気予報がみごとに外れていいお天気である。ゆっくり朝食を取ってから御茶ノ水にあるニコライ堂に向かう。ここは 松本竣介が何点か描いており、画集を見るたびに一度実物を見ておきたいと思っていたのである。彼の描くニコライ堂より色彩豊かな新しい建物 でちょっと意外だったが、現在も使われている教会なので修築もされているのだろう。ケイタイで何枚か取る。松本竣介がイーゼルを置いた 場所はどこかあたりを見回したがちょっと分からない。それでも念願がかなって満足した。

その後、御茶ノ水から銀座へと向かう。松坂屋の食堂街で昼食を取り、約束の1時に間にあうように林先生の個展が開かれている岸本画廊へ 向かう。銀座は広くて道に迷いやすい、というか方向オンチの私はいつも迷って疲れている。既に三越を松坂屋と間違えて反対方向へと歩き 余計な労力を使ってしまっている。松坂屋を出てからは個展の案内状の地図を何度も見ながら慎重に岸本画廊へとたどり着く。

既に林先生は来ておられて作品も展示が終わっていた。 松坂屋で買ってきたお土産を渡して、昨日「古書現世」に行った事や今日は朝からニコライ堂を見てきたことなどを話す。「早稲田古本屋日録」 をカバンから出して向井透史氏のサインを見せる。この本の装丁は林先生である。本のカバー写真には我が家のミーコに似た可愛い猫。 昨日は見なかったが「古書現世」で飼われている何代目かのノラちゃんだろう。林先生に装丁の細かいところの説明をして頂く。先生に指摘され 本の帯をよく見ると猫の尻尾がさりげなく描かれてあったりする。

最後になってやっと先生の作品の話へ移ったが何点かは既に売却済か商談中 との事。さすが画廊の街東京の銀座である。私が目をつけていた作品も勿論売却済とのことで諦めるしか無い。今年の秋には神戸で個展を予定 されているので「その時はこれに似た作品をお願いします。」と頼んだが色よい返事が無かった。後で考えるに傍に画廊主がいたからかな。



3時頃の新幹線で帰阪。新幹線の中で向井透史氏の姿を思い浮かべつつ「早稲田古本屋日録」を読む。とてもいい。彼は当年33歳、只者ではない。


帰りも富士山が見えた。疲れたが楽しい東京旅行が終わりました。




2006年3月26日(日) 少し暖かくなればベランダに並んだ植木鉢たちの元気な事。私も見習いたい。
芦屋の画廊での作品展も無事終わり、25日の絵画教室では皆またいつもの製作に戻った。作品展後の打ち上げで親しくなった せいか、いつもの雰囲気と少し違う和やかな感じがある。次回も頑張ろう。

娘が高校生を連れて海外研修にでかけた。シンガポール経由でオーストラリアへ行くのであるが昨日はシンガポールからメールが 届いており元気そうで一安心と思っていたら、今日はオーストラリアのホームステイ先からガラガラ声で電話があった。飛行機の 中で風邪を引いてしまったようだ。旅行前の雑事で疲れがたまっていたところに日本の冬からオーストラリアの夏への急激な気温 の変化に体が付いていけなかったのだろう。これから2週間のオーストラリア滞在が少し心配である。


私の方も最近疲れがたまって来たようで肩こりがひどい。それでも昨日、今日と車の教習にはでかけている。今日は路上教習が始 まって5回目であるが、高校野球が始まり車の数も増えてきて緊張感が増してきた。そのせいか終わって家に帰ると疲れる。 明日からは東京出張もある。ということで今日はこのくらいで早く寝ます。




2006年3月19日(日) 植木鉢にチューリップの葉が一本にょきりと出ている。残りはじっと土の中。
16日から21日まで芦屋の画廊で絵画教室の作品展が始まった。仕事やらでまだ出かけていないが21日は午後から当番だし 搬出日でもあるのでこの日まで待つことにする。3月の後半は仕事で東京にもでかけるのだが、ちょうど林先生の個展の案内状も 届いて久しぶりの銀座の画廊巡りが今から楽しみである。


先日の14日、冬に戻ったかのような寒い日に車の仮免試験があった。朝早くからダウンにマフラー、厚手の帽子にほっかほか カイロという真冬並みの完全防備で出かけた。まず第3教室で4人づつのグループに分けられたが、私は第1グループ。そのグループの4人 にまた順番を付け1番と2番が女子大っぽい女の子、3番が男子大学生(後で知った)で最後の4番が私となった。1番から運転し、 2番はその後部座席に座る。これを順繰りにやって行くのだが、先頭の彼女達が終わるまでの時間、残された男子学生と話が弾んだ。

真面目そうな大学生で12月に入所したが大学の授業もあってなかなか教習所に来れないそうだ。今日の仮免試験も最後の教習から1週間 も空いてしまい自信がないと言う。私なんか11日も空いてるよ。なんて自慢?しあいながらもなんとか試験も終了、その後教室で合格 発表となる。「呼ばれた人は第2教室に入りなさい。」との事で、まず彼が呼ばれる。彼ちょっと驚いたのか「第2教室に入りなさい。 」と再度言われて立ち上がる。次に私が呼ばれる。教室に入り彼とにっこり。続いてペーパーテストがあるが彼は授業の為帰る。帰り際 に「頑張って下さい。」とエールを送られる。 おかげでペーパーテストも合格。晴れて仮運転免許証を頂く。
彼も早く取ってネ。


それから4日目にやっと路上デビューを果たす。


ペリカン像


 かつての、阪神パークへの道筋に何体かの
 いろんな種類の動物像が建っている。

 ふと見上げるとマフラーをまいてもらったペリカンがいた。
 今日は3月も半ばだが、春とは名ばかりの厳しい寒風が
 1日中吹き荒れていた。


 前にみえるのは甲子園球場







2006年3月12日(日) 昨日は春真っ盛りで今日からまた冬へ。こんな季節は身にこたえるなあ。
最近の天候不良からか教習所通いのストレスからか体調が良くない。長年の更年期障害による火照りも一向に良くならないし 最近解消したと思っていた不眠症まで復活してしまった。睡眠導入剤のレンドルミンが残っていたのでそれで凌いでいるが この薬無くなるまでに快復して欲しいものである。

先日、朝日新聞の「漂流する風景の中で」のシリーズに辺見庸の「小泉時代とは」が掲載されているのを見つけた。彼の寄稿も 随分久しぶりだなと作者の紹介欄を見てみると、「04年春に脳内出血で倒れたが」とあり「近刊に、リハビリ、そしてがん宣告 という過酷な状況下で時代と自身に向き合った『自分自身への審問』。」と続く。すごい人である。脳出血と癌という二重の災禍 に襲われながらそれでもペンを置くことをしない。「自分自身への審問」毎日新聞社を購入して少し読んでみたが今の私には中身 が重すぎて続かない。少しづつ読み進めることにする。

昨日は絵画教室の日だったがここ数日の睡眠不足でなかなか布団から抜け出せない。夢と現の間を行ったり来たりしている内に 気が付くとお昼近くになってしまっていた。今から出かけても1時間近くの遅刻になる。今日は休もうと頭では考えながら手の 方はさっさとバックに油絵具を詰め込んでいる。教室に着いてみるとやっぱり1時間近くの遅刻だった。残りの時間も1時間。 手早く準備して描いていく。同じモデルで計4回のところを今日は2回目。1回目の時うまく描こうと意識したのが祟って気に いらない出来上がりになってしまっていたが、今日はそんな意識をする時間が無かったのが幸いしたのかそこそこ満足の仕上がり になった。

無心ということの大切さをいつも思うのであるが俗人の悲しさですぐに忘れてしまう。帰りは気分もすっきり、それにしても絵が 好きなんだなあとつぐづく思う。



2006年3月4日(土) 銀色に透き通った小さなイカナゴに春の光を見る。すべてを飲み込んで季節は巡る。
先日近くのスーパーに行くとイカナゴが透明なパックに入れられて売られていた。もうこんな時期になったのか!近くには イカナゴ煮の三点セット、ザラメ砂糖・生姜・醤油が置かれている。そういえば田舎の父が「まだか?」と言っていたっけ。 透明なパックからイカナゴを透かして見るとまだまだ小さい。もう少し大きくならないと煮崩れてしまう。でも油断すると イカナゴの時期があっという間に過ぎてしまうので用心しないといけない。今日はとりあえず生姜を1個買って帰る。

今日のSUMUSによると林先生が3月30日から東京銀座の画廊で個展をされるとの事。ちょうど仕事で27、28日と 東京に行く予定だが29日には帰らなくてはいけないので作品を拝見できるか微妙である。早速先生にメールを入れると 「29日にはもう展示してあると思いますから、時間があれば、のぞいてください。その日は、私も昼すぎに一度銀座の画廊 に寄ろうと思っていますので(京都から直行)、会場でお会いすることも可能かと。いずれにせよ、案内状が出来ましたら、 お送りします。」と親切なお返事を頂戴する。

確か、日本の画廊の大半は東京の銀座に集中していると聞いた事がある。以前、洲之内徹の現代画廊を訪ねて銀座に行った時、 かつて洲之内徹の現代画廊で働いていた肥後静江さんの、銀座の並木通りにあった「空想ガレリア」にも2,3度立ち寄った。 林先生も個展をされたことのある「空想ガレリア」は坂口ビルという恐ろしく前時代的なビルの6階にありしかもエレベーター がなかった。そして5階あたりの踊り場に休息用の小さな丸椅子がちょこんと置いてあった。その代わり展示されている作品には 6階まで頑張る値打ちが十分にあった。その後ビルの建て替えと共に画廊も閉鎖となり肥後さんにも会えなくなってしまった。 とにかくこの銀座には恐ろしい程の数の画廊が密集しているので今回はインターネットでじっくり調べておかねばならない。
ほかに時間があれば神田の古書店も覗いてみたい。


先日の水曜は雨の中での教習。教習中に「あっ。あそこに土筆が。」と先生。「えっ。どこどこ?」と声には出さず探す私。 終了後に「学科の試験を受けておいてくださいネ。」と先生。そろそろ教習所に別れを告げて路上へと繰り出すのかも。 確かに教習所の箱庭を走るのに飽きてきた頃でもある。

教習の続き。今日は土曜日、昨日も寒かったが今日も寒い。それでも木曜に学科試験にパスしたので今日は期待して教習所へ向かう。 今日の先生もやさしい。なんとかミスも最小限?に済ませ待望の1段階合格のAをもらう。 この後は仮免の検定と学科試験(またかい。)に合格すると晴れて路上デビューとなる。それにしても今年はいつまでも寒いなあ。




2006年2月25日(土) 柔らかい日差し、ベランダでごろごろころがり砂だらけの愛猫。
今日は暖かくて春の陽気。薄めのセーターに代えて教習所に向かう。ほぼ1週間の内、水、土、日と3日通っているが回数的 にはそろそろ仮免の時期のようだ。教習の先生から「どうです、運転は楽しくなりましたか。」なんて言われてグッと言葉に 詰まってしまう。早く、楽しく運転ができるようになりたいものだ。だが今日もミスを連発してしまった。

実習後先生から「免許取るのを急いでますか?」と聞かれ「いいえ。」と答えると「じゃあ、もう少しここで頑張って見ましょう。」 と言われてしまった。私のほうもまだ路上に出る自信はないので「はい。」と答える。みんな私の年を考えてかミスしてもやさしい。 それに甘えて焦らずのんびり楽しくがんばろう。


土曜は昼から絵画教室もあって忙しい。3月にはグループ展があるが出品する作品は先週先生に見て頂いて決まっている。 20号を1点、絣を着た女性像である。教室での4回の製作だけで描き上げた作品で、もう少し筆を入れたほうがいいのではと 思ったが先生に「もうこれでいい。これ以上は描かないほうがいい。」と言われる。描きこめば描きこむほどいい作品になる と言う訳でもなくどこで筆を置くかは結構むずかしい。

もう1点、バレリーナの女性像の作品も見て頂いたがこれはまだまだ 未完成と言われた。こちらの方は自宅に持ち帰り何倍もの時間をかけて描いたのだが。絵とは不思議なものである。対象に 素直に向き合えば相手側からすっと入ってきてくれる。こちら側だけでどんなに頑張っても独りよがりに終わってしまう。 まあ画家ではないのだからこちらの方ものんびりとやればいい。今日は油はやめてゆっくりと木炭のデッサンを楽しむことにする。

教室が終わって戸外に出てみるとまだ3時過ぎで暖かい。今日は久しぶりに近くの古書店を覗いてみることにする。荷物も少ないので 本を買い込んでも平気である。ガラス戸を引いて店内に入りいつものコーナーを覗いてみるとあるある、石川淳「天門」集英社の 初版本。それと久しぶりの澁澤龍彦「唐草物語」河出書房新社。中島かほるの装丁が美しい。澁澤の方はあっという間に読了 してしまうだろう。


唐草物語


 澁澤龍彦「唐草物語」河出書房新社。


 箱や本の美しさだけででも十分に満足させてくれる。








2006年2月19日(日) 今年もあっという間に過ぎてしまいそうな予感、少し暖かくなってきた。
毎日がばたばたといつの間にか過ぎているが本当はゆっくりと1日中、本でも読んで過ごしたい。振り返ってみるにやはり学生 時代が一番時間があった。絵を描いたり画廊巡りしたり分からないながらも本もよく読んだ。明日を心配する必要もなくやりた い事を時間を気にせずできた。初めて就職した時は、この貴重な時間を会社に売っているようでしばしば登校拒否ならぬ出社拒否 をしたものだ。

だがいつの間にか会社員という仕事の形態にも慣れ、自分の大部分の時間がそれに費やされる事への拒否感も薄れていった。 そして時が流れもうすぐ定年を迎えるまでになって、またあの学生時代の有り余るほどの時間を取り戻す事ができる予感にわくわくする。 この年で特別な事ができる訳ではないし頑張り屋でもないのだから、結局ぼーっと過ごすだけかも知れないがその束縛の無い時 がうれしい。

今日の朝日新聞の13面、読書欄の「著者に会いたい」に近代(コダイ)ナリコの「本と女の子」が載っていた。キンダイと読まず コダイと読むようだ。林先生のSUMUSの同人 扉野良人の奥さんである事は知っていたが、35歳で若い女性だ。ミニコミ誌「Modern Juice」 を発行。ある書店では「京都発、女の子のためのミニコミ誌。女性性というフィルターで漉した読み応えのある誌面は、独特の世界を 抽出しています。文の合い間に紹介されている古本もツボにはまる、古本好きな女の子にもおすすめのミニコミ。」と紹介されている。

最近、続々とSUMUS関連の人物や本が新聞で取り上げられるようになってきた。古本の世界もマニアックな人々だけの物でなく 、その面白さが世間でも再認識されだしたのか、それともマスコミによる一時的な流行なのかは分からないが....。



神戸郵船ビル



 神戸旧居留地

 会社の西に50m隣の神戸郵船ビル
 大正7年築








2006年2月12日(日) デパートのいたる所でチョコの販売。贈るあても無しバレンタインデー。
お昼の食事はほとんどを行き付けの蕎麦屋のおろし蕎麦に決めている。夏は冷たい蕎麦に冷やしたタレを、冬は暖めた蕎麦に 暖かいタレをかけ大根おろし、葱、ゴマを蕎麦に絡ませて食べる。量も丁度よいし味も最高、お気に入りのメニューであるの だが、最近はお昼に戸外に出て思いがけず冷たい風と冷え込みにさらされると、その蕎麦屋まで歩く元気が急に削がれてしまい 、途中の大丸百貨店の蕎麦屋で済ましてしまう事が多くなっている。

同じ蕎麦だが味も違うしなにより大丸の方が値段が倍近く高い。兎に角神戸の大丸は高級店なのである。9階の食堂街に行っ ても千円以下では食事ができないのだから。もったいないのだが寒さには勝てず急いでデパートの中に駆け込むと、最近はバレ ンタインデーとかでやたらとチョコ買いの女性で混みあっている。いつもは婦人服のバーゲンをやっている9階の特設会場も チョコ売り場に早変わりして大勢のご婦人方で混雑している。私の様に贈りたい人のいない者は関係ないのだがそのチョコは 年々高級化、高額化しているようだ。
その高級チョコ店では、ヨーロッパの本店から借り出された?青い目の外人さんも接客に当たっている。彼の眼には日本のこの 喧騒がどう映っているのだろう。それにしてもなんでチョコなの?


教習所通いももうすぐ1月になる。だいたい1週間に3日のペースで行っているが確かに2月に入ると混んで来た。今日も 教習所の中は若者達であふれていたし、コースでの実習の時も他の車の通過を待つ時間が結構あった。おばさんは急がないから 皆が卒業してからゆっくりやってもよかったんだけど。
それでも実習も10回を過ぎると、いかに運動神経の鈍化が進んでいる私でも徐々に慣れてきたようだ。でも仮免はまだ受けさせて もらえそうに無い。今日もSコースの出口で乗り上げてしまったしネ。

商船三井ビル



 神戸旧居留地

 会社の東隣に建つ 商船三井ビル
 大正11年築







  




2006年2月5日(日) 神戸南京町の春節祭も今日でフィナーレ。街路樹の木蓮の蕾も膨らんできた。
毎日の会社への通勤で神戸南京町の門の前を通る。神戸への観光客はこの中華街が観光コースになっているらしくその前には よく観光バスが横付けされている。そのバスから乗降して来る人々の話し声に耳をすませていると中国人や韓国人らしい言葉 が飛び交っているのも珍しくない。中華街の料理を食べながら「やっぱり中国の方がおいしいね。」とか「日本食や洋食より 中華料理が一番だね。」とか言っているんだろうか。私も外国に行きながら日本食の店を目ざとく見つけてしまうように。 本当に中華の美味しい店は中華街とは外れた場所にあるんだけどネ。

中華街
先週から朝日新聞の土曜の"be on Saturday"の「逆風満帆」に 辛淑玉(シンスゴ)が紹介されている。以前テレビでの彼女の理路整然、簡潔明瞭、おかしな 事はおかしいと言い切るそのぶれの無さにすっかり魅せられていたのだが、読み進むうちにその過酷な生い立ちに、今更ながら 在日の人々の苦難の人生に言葉を無くしてしまった。

いくら頑張っても希望を見出せない日本での生活に北にすがりたくなる気持ちを抑えられず、高校2年になった辛は担任に 「帰国船で北朝鮮に行く。」と告げたが、担任の奥田先生は「ぜったいに行くな。〜これからどうやって生きていくか、 一緒に考えるから」と止めた。「あの時、先生のあの愛情がなければ、私は今ここにいない。」

そして北に渡った母方の祖父と2人の叔父の悲惨な運命。祖父は栄養失調で亡くなり叔父の1人も死亡。もう1人の 叔父は自分の生活を助ける為に、辛に朝鮮総連の活動をして欲しいと繰り返したとある。その叔父も亡くなり辛は「今でも叔父の 慟哭が聞える。見殺しにしてしまった。生きていて申し訳ない。」と。
中華街、夜


以前、彼女の本を1冊読んだことがあるがもっと深く彼女について知りたい思いが強くなってきた。











  

2006年1月26日(木) 大寒も過ぎたが、まだまだ寒中の真っ只中に身も鼻も凍る。
朝起きてベランダから戸外を見ると晴天ではあるが、出勤の支度をして外に出てみると冷たい風が身を刺す日が続いている。 1月はそろそろ終わりだがもう1ヶ月寒さに耐えなければならない。

教習所通いも順調?に続いている。「2月に入ると卒業生がどっと押し寄せて来るので、今の空いているうちに頑張って教習を 受けるように」と先生は言うが、私にとっては1日1時間の実習で疲れ果ててしまう。一度キャンセル待ちをして1日に2時間 の実習を受けたが、2時間目は緊張が続かずハチャメチャ状態だった。年を考えてゆっくりやることにする。

教習所に通って初めて分かった事がいろいろあるが、ハンドルは回し続けても2回転ほどで回せなくなると言う事。 左右にバックするのもハンドル操作は前進するのと同じと言う事。当たり前と言われればそうなんだろうが、なんだかへーって 言う感じ。
それにしても路上では皆結構なスピードで走っているんだなとつくづく感心した。自分で運転してみると少しスピードを出し ただけで飛んでるような感じがして恐ろしい。が、そのうちそれにも慣れていくのだろう。


それと今通っている絵画教室の展覧会が3月にある。その出品の為20号の作品と格闘中でもある。2点描いてどちらかを出すつもりだが 力不足の為なかなか思ったようには出来上がらない。これと教習所通いで、本読みが進まない。古本屋にも行っていない。 当分は仕方が無いか。

先日娘に「3月にオーストラリアに行く事になった」と言われ、ふっと自分のパスポートが頭に浮かび取り出してみると心配 したとおり1月末で切れるところだった。急いで三宮の神戸国際会館14階の兵庫県旅券事務所に更新の手続きに行った。
1週間程で新しいパスポートができたが、そのパスポートと一緒に「高病原性鳥インフルエンザ流行地域に旅行される皆様へ」 と題したチラシをもらった。そこにはインドネシヤ、ベトナム、タイ、カンボジヤ、中国での確定症例数と死亡例数が載っている。 断トツでベトナムが多い。流行地域に渡航する場合は通常のインフルエンザ予防接種をお勧めします、とある。最近ニュースで あまり聞かなくなったと思っていたが安心はできない。

ともかくこれで10年間は大丈夫。前の10年間で中国、オーストラリア、韓国、ハンガリー、オーストリア、ポーランドに旅したが今度の 10年間ではどこに行けるだろう。イタリーとオランダには是非とも行きたいのだが。




2006年1月18日(水) 阪神大震災も11年目となるが、悲しみの記憶は消えない。
今年も阪神大震災の日がやってきた。今年の1月17日も寒い日になりそうだ。阪神大震災といえば脳裏に焼きついて忘れられない 光景がある。当時会社は神戸元町の西にあり、三宮のビル群の壊滅的な被害から考えると考えられないくらい被害が軽かった。 パソコンが床に転がったくらいでビルも大丈夫だったので、神戸市に住む社員達で比較的早く仕事が再開できたのであるが、 私の場合は会社までの通勤手段である阪神電車が不通になって、一月くらい家に待機していたように思う。

やっと阪神御影まで電車が通るようになり通勤する事になったが、これがたいへんだった。神戸市の東側の被害もとてもひどくて 阪神御影までは電車が通るようになったが、そこから三宮まではなかなか復旧しなかった。神戸への通勤者は御影駅で下車後、バスで 三宮まで通ったのであるが、そのバスに乗る為に寒風の中を大勢の通勤客が長蛇の列を作って順番を待った。

そしてその長蛇の列が道なりに蛇行して何十メートルとなく続く道の両側は、見るも無残に文字通りぺちゃんこに壊れた家々が並び その所々に花束が手向けられていた。灘の酒処でもあったので、壊れた酒蔵から流れ出た酒の香があたり一面を覆ってもいた。

何日経っても家々は片付けもされず、その変わらない光景の中で、雨の日も風の日も肩にリュックを背負いズック靴でデコボコの道を バスを待ってのろのろと移動していたのであるが、そんなある日、列が進んである家のそばに来た時その家の玄関の前に腰を落として ぐったりとしゃがみ込んでいる初老の男性がいた。

その男性の目の前には、バスを待つ長い列が続いているのだが、彼にはそんな物は目に入っていない様だった。この想像を絶する地震 の後である、よほどの事があったのだろうと列を作る皆は思っても、声も掛けられない程の悲しさが彼の背中から感じられた。

会社の帰りにまたその道を通ったが、その時は彼はいなかったしその後も彼を見ることはなかった。
1月17日に阪神大震災のニュースが流れると決まって彼の事を思い出す。


すずめ



 すずめが何匹?
  
 今日はバスに乗っていて異常にすずめが群れているのを見た。
 家に帰り着いてベランダに出ると前の電線にもすずめが鈴なり。
 今日はすずめ達のなんなのだろう?
 思わずデジカメでパチリ。








2006年1月14日(土) 昨年からの厳しい寒さにのに今年1年の幸を祈る。
昨年からの厳しい寒さが一向に衰える気配がない。まだ1月が始まったばかりでこれからが寒さの正念場だというのに...。 毎日のようにテレビに映る北国の6m、7mいったすごい積雪量からも今年の異常な寒さが思いやられる。

通常なら我が故郷の丹後では、1年で一番のかきいれどきである蟹のシーズンで、盆も正月も無いといった猫の手も借りたい時期で ある筈なのだが、この寒さで海が荒れて蟹漁の船が出せない、お客は道路が雪で車が通れない、でせっかくの正月が暇だったようだ。

それでも今日、田舎から蟹が届いた。冬の日本海は恐ろしく厳しいのだが、今年の海はどんなか想像もできないが、その厳寒の海へと 乗り出して獲ってきた極上の松葉蟹である。ありがたく頂く。


今年は思い切って運転免許を取ることにした。定年が近づき、時間の束縛が無くなってあちこち出かける機会が増えると自動車があると 何かと重宝である。大きなキャンバスと油絵具を肩に担いで教室に通うのも、だんだん大変になってきている事情もある。若い時より 足腰や体力の衰えてきた今の方が利用価値も大きいだろう。今だとタイミングよく駐車場も空いている。早速30万円を払い込んで来週 より若者に混じって教習所通いが始まる。


1月11日から大阪中之島の国立国際美術館「プーシキン展」が 始まっている。券は既に入手してある。フランス印象派が主になっているようで日本人好みの展示内容だ。券に使われているのもルノワール 。モネ、ルノアールは私の好みから言うと好きな方ではないが、美術館の入場者数を確保するのには適した画家達であるようだ。 今年最初の美術館巡りになるので何はともあれ楽しみではある。


当分は教習所通いと学科試験のお勉強とで、絵の方と読書の方がおろそかになりそう。そうならないようにしたいが....。





2006年1月1日(日) 小春日和の暖かい正月に今年1年の幸を祈る。
昨年の12月初旬からの厳しい寒さに、体のほうもその寒さに慣らされてきたとはいえ、今日のように風の無い暖かい日差しを 感じるとなんだかほっとする、そんな穏やかな元旦である。ベランダに出て静かな町の青く澄んだ空を眺めながら、今日から始まる 新しい年に思いを馳せてみる。今年は50代最後の年である、なーんて深刻ぶる訳ではないがいつもの年よりやはり感慨深いものがある。

雑煮を食べて年賀状を一通り見てもまだ昼には間がある。外はいいお天気である。去年と同じ広田神社に初詣に出かけることにする。 近くには西宮戎もあるが、ここは人ごみがすごいのでいつも敬遠している。また広田神社は阪神タイガースの優勝祈願の神社でもある。

賽銭箱に100円玉を投げ入れて「さて何をお願いしようかな?」と独り言を言うと娘がすかさず「世界平和!」と声をかけてくる。 それではと「世界平和に娘の良縁に家内安全に...」と100円玉一個で虫の良すぎるお願いをして、帰りに御神籤を引いて今年の 運勢を占ってみる。娘は「吉」で私は「小吉」。だが書いてある内容はほとんど変わらない。いいことばかりが書かれている。それを そばの小枝に結び付けて機嫌よく帰途に着きました。


広田神社



 広田神社 (2006年初詣)
  
 










12月26日(月) 新しいカバンに、幼い日のランドセルと同じ香をかぐ。
今年のクリスマスは娘と2人で神戸まで買い物と食事に繰り出した。まず三宮のそごう百貨店のカバン売り場に行く。高級店を覗いた 後で値段の手ごろな店へと移動する。「K」のマークでお馴染みのキタムラの店で、黒の牛革の、真ん中に「k」とくり貫かれたイニ シャルも可愛いオシャレなカバンを購入。カバンに入っていた栞によると、キタムラは「明治15年、横浜元町に生まれ...」とある。 これは私の誕生日のプレゼントとなる。

続いて三宮の街に出て娘のお気に入りのカバン店に向かう。IL BISONTE イルビゾンテ、イタリー高級店である。商品もいいが値段もいい。 娘はここで目的の財布を探すが、なかなか気にいたものが無いようだ。私も店内をざーっと見渡してながら、そこに布製のラフなショル ダーバックを見つける。絵画教室に行く時や旅行でそこらをぶらつく時重宝しそうである。値段はと見ると先ほ どのキタムラのおしゃれカバンより高い!。迷っていると娘がこれはクリスマスプレゼントにしてくれるという。有難く甘えることにする。

結局彼女は財布はあきらめて「OPA」でセーターを買う。 ちょっと疲れて時計を見るとちょうどお昼前である。そこで今日の一番の目的だったランチを食べに、ホテルトアロードの1階にある クリクリに向かうことにする。 ホテルにあるレストランにしては、こじんまりとした可愛いいレストランである。前庭にはテーブルや椅子があり、お天気の日には庭に出て 食事をするのも楽しそうだ。ただ、冬の今は植栽達もしおれて元気が無い。1200円のランチを注文する。パンと飲み物はバイキングで 食べ放題。あと、前菜、スープ、スパゲティと出てくる。おいしく頂く。

お腹もいっぱいになったところで、トアロードを南へ下って行く。あちこち画廊も目に付くが時期が時期だけに たいしたものはやっていない。そのまま歩いて三宮センター街まで出て古書店に向かう。一軒目のあかつき書房は収穫無し。二件目の後藤書店 で花田清輝の「シラノの晩餐」未来社と「随筆三国志」筑摩書房を購入。どちらも初版本で値段も高い、別に初版本にこだわりは無いので 安い方がうれしいのだが...。正月休みの楽しみである。


今日、出勤途中に郵便局に寄り、筆記テーブルの下の棚を何気なく見ると黒革?のサイフが目に留まった。一瞬えーっと思ったが、結構厚みの あるそのサイフをつかんで郵便局員のお姉さんに渡した。年の暮れも押し迫るとこんな失敗も多くなる。気をつけようーっと。





12月23日(水) 今年のルミナリエは昨日で終わる。雪の舞う厳しい寒さとともに。
昨年の12月12日の日記を見ると「朝から12月とも思えない暖かさ。太陽も冬のものと思えない異様な照り方である。」とある。 今年の異常な寒さにはまいってしまうが昨日は朝から雪で、神戸の元町駅に着いた時は路面に雪が積っており、そこを恐る恐る踏みながら 会社へと向かった。西から神戸に向かう電車やバスは雪で遅れたようだ。

久しぶりの雪の感触が小学や中学時代の大雪の記憶を思い出させてきた。当時中学は隣村との中間にあり、朝の通学時に村の中では まだ人の歩いた跡が道を作ってくれていたが、村外れまで来るとその自然道も無くなり腰まで積もった雪を掻き掻き進んだものだ。 あたり一面真っ白な雪面を朝の光が照るとまぶしくて、その中を長靴で道なき道をのろのろと進み学校に着くころは汗をかいていたのを 思い出す。それでも休み時間になると外に飛び出して雪合戦で遊ぶのが楽しみであった。


先日トルコ旅行に行かれていた林先生からお土産が届いた。黒に近い濃いグレーの「パシュミナ」。カシミヤに似ているが山羊の中毛を使って いるとか。肌触りがよく暖かくこのごろの寒さに最適である。毎日首に巻いて出勤している。有難うございました。

明日はクリスマスイブ、年賀状も書かないといけない。大掃除もと思いながらいつもながら年は明けていく。

ルミナリエ



 神戸ルミナリエ (2005年)
  
 毎年、形が違っているらしい。
 会社からの帰り道に大丸のそばから撮りました。













11月23日(水) 11月も後わずか。暦の速度に気持ちが置いてけぼりを食っている。
ほとんど毎日覗いているSUMUS の11月22日で「吉原治良展」が紹介されている。その中で、林先生は「正直まったく期待していなかった。 ところがどっこい。驚くほどの充実ぶりで、ほんとうに驚いた。」「とにかく、とてもいい展覧会なので、ぜひご覧いただきたい。」 と。私も入場券だけは確保していたが、吉原治良の作品は折々に何度か見ていたので、それほど乗り気になれずにいたのだが先生の 言葉に次の日飛んで行った。

梅田まで出て地下鉄でコスモスクエアまで行き、ニュートラムに乗り換えてトレードセンター前で下車。駅からATCニュージアム までは結構かかった。

展示会場に入るとまず吉原治良の初期の作品(1923〜1932)から始まる。吉原治良は1905年生まれなので18〜27歳までの時代。 油絵の実技は山本の「油絵の描き方」1冊をたよりに独学で描いた。兵庫県芦屋に住み関西学院に入学、絵画クラブ「弦月会」に入会。 この頃の絵には魚が多く登場する。まだこの頃は具象であるが、彼独特の白と青を多用した1つの確立されたスタイルがある。1929年に 一時帰国していた藤田嗣治に絵をみてもらい、他の作家の影響を厳しく指摘されたとある。この言葉に相当なショックを受けたが この「人の物まねでない」作品作りを生涯の戒めとした。そして1934年に再度帰国した藤田嗣治にやっと認められる。

次に1930〜1940年、父親の経営する現在の吉原製油に入社。勤務する今津工場にアトリエを設け、周囲の港や浜辺の事物をモチーフに 作品を制作、藤田や東郷青児に推薦され二科展に初出展し、5点すべて入選し脚光を浴びる。その後デ・キリコに影響を受けつつシュール レアリズムから完全抽象へと進む。シュールレアリズム時代の多くの風景画が特に印象に残った。

そして1940〜1945年、戦時色が強まる中、前衛美術は次第に抑圧されることとなり、1941年4月にはシュールレアリズムを推進していた瀧口 修造が治安維持法違反で検挙される。吉原も具象へと戻っていくが、そこには抑圧されながらも自分の目指す造形への探求を続ける姿が 観る者の胸を打つ。この時期の作品は今回初めて観たが、林先生も言われているように同時期の松本竣介を思い浮かべる。先生は 「ひょっとして松本竣介が長生きしていれば、吉原のようなコースをたどっていたのではないか、などと夢想もしたのである。 それほど戦前から敗戦直後の仕事は竣介と重なっているように思われた。」とも言われている。

1946〜1954年、敗戦後吉原は「私は戦争によって絵が変わった。抽象だけでは気がすまないような、いわば人間が再び絵の中にはいりこんでこなければ おさまらない感じだった。」と「わが心の自叙伝」で述懐しているが、やがてそれもしだいに抽象性を帯びて1950年台のアンフォルメル 時代に入る。そして1954年に「具体美術協会」を立ち上げる。吉原49歳。私が大学の美術部にいた頃はすでに「円の時代」で、中ノ島の 吉原製油の倉庫跡の「グタイピナコテカ」には、200号の大きなキャンバスに黒地に白や赤の巨大な円を描いた作品群が何枚も壁に立てかけ られていた。


芦屋市展で審査委員長の彼に出合ったのが吉原63歳の時。そして4年後の1972年に帰らぬ人となる。


吉原治良展



 「吉原治良展」ATCミュージアム 
  















11月16日(水) 急な冷え込みに、年賀状の売り出しにもクリスマスツリーの飾りつけにも妙に納得。
昨日、今日と会社の休みで、しかも昨日はいい日和だった。天王寺美術館まで友人の「独立展」を鑑賞に出かける。 今や春と秋の恒例となっている。春は関西だけの「関西独立展」であるが、秋は全国展であり展示作品も格段に充実している。 ただ、秋の全国展は審査もきびしく、友人が入選しなければ行けないというか行かない。

昨日は「独立展」の初日であり、東京から会員の先生が来阪し、希望者に作品の批評をしてもらえるということで、その時間に 合わせて美術館で待ち合わせた。

批評をしてくださる先生は 本田希枝、東京藝大卒。スリムな、どちらかと言うと小柄な女性。短い限られた時間に、そばに付き添った男性に、 時々先を急がされながら次々と精力的に、作品の批評をこなして行く。

展示されているものは全て入選作品なのだから、それなりの経験を積んだ作者達なのだろうが、批評の内容は特別なことではなく、 素人の私が聞いても理解できるような、基本的なことばかりである。その基本的なことが一番むずかしいということかも知れない。

前回、独立賞を受賞していた若い女性の作品の前にきた。私の好きな作家で注目していたが今回も良い作品を描いている。 本田先生もお気に入りのようで、今回の作品は少し苦言も言われたが、この調子で頑張ってとエールを送っておられた。



今日は私の誕生日である。還暦まであと2年。


作品



 私のお気に入り、今後が楽しみである。














10月28日(金) 最近、通勤電車で遠足の小学生達とよく乗り合わせる。みな足を踏ん張って立っている。
今年も後半に入った。急に冷え込んで秋が飛んで行ってしまったかと思われたが、ここ数日は秋晴れのいい日和が続いている。
林先生の新潟での個展も終わり、その中の一枚を購入。私にとっては大金である、にもかかわらず、大胆にももう一枚購入。 別に文句を言う人もいないのに、いろいろ自分で自分に言い訳し、納得させる。

そして昨日作品が届いた。題名はどちらも「樹」。一枚は葉の落ちた丸裸の白木の肌もあらわに、左右に枝を張りながらすっくと伸びた樹。 もう一枚はところどころ赤茶に変色させながらも、鬱蒼たる葉を枝にまといながらそびえる樹。どちらもどこと言って変哲ないよく見か けるありふれた樹ではあるが、絵のなかに置かれると樹の魂に満ちた迫力ある一枚となる。今までに林先生の油絵を3枚購入したが、 その中でも一番のお気に入りになりそうな絵である。

ただ、今年はもう贅沢はできない。ひたすら倹約に励むことになるだろう。

今月はまた絵の教室の方も再開した。教室を水曜から土曜に変更した為講師の先生もかわったのだが、私の絵に対する批評が講師によって 大分変わった事には驚かされた。今まで注意を受けていた点が今回の先生にはよしとされたのである。へーっと思ったが、わが意を得たりとの感もあり。 今回は楽しめるかも。

先日来、石川淳にはまっており、彼の本を片っ端から読んでいる。ちょっと気持ちの悪い箇所もあり、あんなに上品な顔をしてよくこんな事 書けるなあ。と唸りながら読む場面もあるが、癖になりそうな作家である。林先生に送ってもらった「鷹」「狂風記」「紫苑物語」。先日 神戸の古書店で「夷齋風雅」を見つけたが、林先生が年末に送って下さる予定なので買わずにおいた。

倹約をしないといけないが古本くらいはいいだろう。


樹



 「樹のシリーズ」林哲夫。














9月21日(水) 今年はまだまだ暑さが続く。空は高く吹く風は秋なのに。
9月に入ってもまだぐうたらな気持ちが直らない。一時まさに秋到来の爽やかな日があったが、その後の暑さのぶり返しで気持ちもしぼんでしまった。 そして11日は衆議院の選挙で自民が大勝した。
それにしてもニューヨークの同時多発テロと同日の選挙に、日本でもその日を狙ったテロが心配され、電車などで爆弾の捜索が行われている映像を テレビで見た時は、日本もここまで来たかと空恐ろしかったが、この分だとまだまだひどくなると覚悟しなければいけないだろう。

先日購入した石川淳の「蛇の歌」を読み始め、あまりのおもしろさにあっという間に読み終えたのだが最後のページに「未完」とあった。 思わず「えっ!」と声がつまり、非常に残念であった。幻想世界と現実世界の融合というのだろうか、そこに少しも違和感がないというかより深く現実が 感じられるのが不思議であった。今まで経験したことの無い小説で、非常に興味深いものだった。
林先生の新潟での個展が9月12日から始まったが、 とても新潟までは行けないので作品をホームページ上で見れないかお願いしたら、 SUMUSにアップしてくださった。その中の一枚を予約までさせて頂いた。新潟でこの作品が買えなかった 人、ごめんなさい。 SUMUSには古書店スムース堂のページがあるが、そこで石川淳の本を探すことにした。あった。「夷齋風雅」集英社 1,500円也。早速メールで 注文すると、林先生より返事があり「石川淳「夷斎風雅」はあまりに売れないので郷里の書棚に入れてしまいました。年末に取ってきましょう。手元には、 それ以外に「紫苑物語」講談社文芸文庫、「鷹」講談社文芸文庫、「狂風記」上下、集英社文庫の四冊があります。文芸文庫は各200円、「狂風記」も二冊 200円でいいです。もしご希望でしたらお送りします。」との有難いお言葉、お願いする。


18日の日曜日には久しぶりに京都にでかけた。叔母の知人のお父さんで京友禅師「坂田彩湖」の遺作展が京都文化博物館でひらかれている。それ程興味があるわけでは 無いがお供をする事にした。阪急の四条烏丸で降り、待ち合わせの大丸の前に出ると外は真夏の暑さである。四条から北へ三条に突き当たるまで歩く。 汗をかきかき、やっと着いた。

すべて手描きという京友禅は、思った以上にデザインが斬新で色使いも洗練されている。案内文によると「友禅模様は絵画ではなく文様である。自然の情景 事物を文様化する所に、友禅師の芸術家としての行き方が有る。」と書かれている。展示されている作品はほとんど作者の身内の為に製作された物である。 娘達へ姉妹へ贈られた作品は、客の注文に比べて作者の自由な創造意欲を引き出すものとなったのではないか。1つ1つの作品の前に立つと、草木が細かく文様化 され新しい自然世界がそこに出現している。
帰りには京友禅の端布を何枚か頂いた。額装しても面白そうである。

その後で陶芸の個展を見に「ギャラリー吉象堂」に向かった。女性の作家で京都教育大の彫塑専攻し、国立ローマ美術学院彫刻科に留学しながら陶芸に転向したと いう経歴の持ち主。20cmほどの瓢箪型の壷を1万円で購入。そういえばローマの塑像を思わせる白い肌のなめらかな作品である。


京友禅



坂田彩湖 96歳没
















8月27日(土) 見えないところで季節は確実に過ぎていた。天高く秋風渡る。
お盆に実家に帰った。子供の小さかった頃は実家も海水浴や魚釣り客で賑わっていたが、子供たちが社会人になり、大人たちは歳をとり めっきり静かなお盆になってしまった。

私の子供の頃を今思い出してみると、とても現実にあったとは思えない夢のような気持ちに襲われる。
私の父は長男の跡取りで姉が3人、妹が2人、弟が1人いたが、お盆には皆が子供を連れて里帰りをした。その中の12人程の子供達が 親と一緒に泊まった。母が大量の夏布団を押入れから出して、部屋いっぱいにそれを敷き詰め、私達こどもがその布団の上できゃあきゃあと 、ふざけて転げまわった、その布団の臭いを今でもなつかしく思い出す。


久しぶりに田舎の道を歩いていても出会う人はほとんど知らない。たまに昔の面影のある老人を見かけても、あまりに歳を取っている為 思い出せないか、あるいはあまりの変わりように呆然としてしまう。浦島太郎の心境である。

今年は中学の同窓会のはがきをもらっていたのだが、それには「還暦前の同窓会」とぎょっとするような文面があった。
集まったのは30数名だったが、中学卒業以来という懐かしい顔もあった。皆それぞれ、人生の荒波を生き抜いて今日まできたのだろう と思うと感慨無量であった。


お盆が終わり、またいつもの日常にもどり、会社のお昼休みに三宮の後藤書店にでかけた。 そこで石川淳の「蛇の歌」集英社と「文林通信」中央公論を購入。


牡蠣・鮑



大きな牡蠣と鮑。夏牡蠣は美味しい。













7月30日(土) ボン、シュルルと夜空にはじける花火の音が遠くに聞こえる。煩悩を払いながら7月も終わる。
暑くて何もしたくなかった7月が終わる。いや何もしなかった言い訳ができる7月が終わる、かな。

それでも美術館には行った。7月の20日には神戸市立博物館の 「ベルリンの至宝展」にでかけた。
午後3時に博物館に到着するように出かけたのだが、まだまだ暑かった。旧銀行のリホームの博物館なので、螺旋階段に眼を回しそう になりながら進んで行くのだが、目指す絵画の展示になかなか行き着けない。

古代から順に展示がされているのだが、まず古代エジプト期の遺物の展示が続く。それほど興味は無いのだが、石版に描かれた象形文字の ような絵柄には、クレーの絵画を感じさせる物もある。

最後近くになってようやく観覧券にも使われている、ボッティチェリの「ヴィーナス」のフラスコ画の前にたどり着いた。
縦長の額に収まったヴィーナスは見る者皆を魅了する輝きを放っている。

そしてヨーロッパ近代美術のコーナーのエドワール・マネの「温室にて」が現れた。私の大好きな画家である。 才能あふれる彼のタッチが絵画に満ちている。人物の顔にも、背景の植物の葉にも。近づいたり遠ざかったりしながら、その瑞々しい画面から あふれる出る香りを満喫した。

その後近くのカフェ・レストランE・Hバンク に向かった。神戸旧居留地にありバンクと言う名のとおり、英国のチャータード銀行の建物を使用している。会社から一度来た があまり混んでいなくて長居ができる。



また29日(金)には会社の帰りに再度、兵庫県立美術館のギュスターヴ・モロー展に行った。金曜と土曜は夜8時まで開いている。空き空きの 美術館でゆっくり楽しもうと考えていたのだが、結構人が入っている。そういえば「ベルリンの至宝展」も、平日にも関わらず多かった。 神戸人は芸術好きが多いようだ。

2度目のせいか、落ち着いてゆっくり吟味しながら鑑賞することができた。1度目とは違う箇所で感動したりもした。モローただ一人の作品群 が続くのであるが、ほとんど題材を神話から取ってきている為か、見るものを宗教的な幻想的な深い精神世界へと導びいて行く。

また一枚の絵画を描く為に、多くの習作がかかれている。習作を重ねながら多くのすばらしい作品群を描き残し、その作品を自分の手元に 置き手放さなかったというモローにとって、作品群は画家自身だったのだろう。





7月14日(木) 夏空に向かって高くのびた鉾の先端で、きらりと光る長刀を見る。祇園祭始まる。
祇園祭の鉾の組み立ても完成、昨日は菊水鉾のお茶席に出かけた。先日来の激しい雨が心配だったが、曇りながらなんとか持ちそうな空模様である。

長刀鉾 阪急の烏丸駅に12時丁度に到着、待ち合わせの大丸に急ぎ、叔母と従姉と叔母の知人の4人で大丸の食堂街で蕎麦を食べてから、京都の町に繰り出した。

菊水鉾
大丸を出て四条通りを西へ行くとすぐに、山鉾巡行の先頭を勤める長刀鉾が見えて来る。
こんな山鉾が32個もあちこちの通りに立っているという事であるが、年に一度のこの日の為に、各町内会で早くから準備を進めて きたのだろう。

商店街や昔からの住民だけでなく、たとえば最近越してきたマンション住民たちも町内会の一員として参加すると聞いた。

たいへんでもあるが、遣り甲斐もあり楽しいそうだ。
それもそうであろう全国から注目される、歴史ある格式高い祭りなのだから、それに参加できるのは誇らしくもありまた、充実感もあるだろう。



山鉾のそばにはテントが張られ、中でちまきが一個千円で売られている。 菊水鉾
このちまきを買うと山鉾に登ることができる。

山鉾に登るための券をもらって山鉾の裏にまわると、結構急な木の階段がありそこを恐る恐る登って行く。と、板敷きの箱状になった場所にたどり着く。 ここで笛を吹いたりコンチキチンと鉦を鳴らすのだろう。ふちに腰をかけて笛吹く形をとってみたが、足の裏がむずむずするようで怖くて私には無理のようだ。

菊水鉾のお茶席 鉾の上から下界を見下ろすと結構高く感じる。 鉾の真下をのぞきこむと神殿でみかける、榊とお神酒が供えられているのが見える。

また京都の祭りらしく、山鉾のそばの別室ではお茶席が設けられており、誰でもここで一服頂くことが出来る。ほとんど毎年菊水鉾で行われる そうであるが、もちろん無料と言う訳ではない。

1000枚近いお茶席券が、いろいろな流派のお茶の先生方に割り当てられ、叔母もその何枚かを こなす為私や従姉を招待してくれたという訳である。

13日に一番乗りした我々は、裏千家のみごとなお手前を見せていただいた。その道に不如意な私にはよくは解らなかったが、それでも無駄の無い 流れるような手さばきや、見ている者に敢てお手前をしているという改まった感じを持たせない、形を形と意識させない、普段お茶を頂く時のような 何気ない動きにまで昇華された手さばきには、私のような素人でも感動させられた。



帰りには久しぶりに、大阪梅田の地下街にある古書店萬字屋書店に立ち寄ってみた。
そこで滝口修造「画家の沈黙の部分」みすず書房と、「アンドレ・ブルトン集成5」人文書院(滝口修造監修)と、澁澤龍彦「夢の宇宙誌」 美術出版社の3冊を購入。

最近怖いほど、続けざまにいい本が手に入る。





7月2日(土) 空梅雨かと思いきや、昨日・今日とどしゃぶりで、草木も人間も一息つく。
先日新聞をながめていると 「ベルリンの至宝展」神戸市立博物館の記事が眼に入った。なになにとよく見ると、私の好きな画家マネの 「温室にて」が掲載されている。日本初公開の絵だそうだ。東京上野の博物館で開かれていたのが神戸に巡回してきたらしい。朝日新聞の 主催である。急いで新聞販売店に電話して2枚の無料観覧券をゲットする。今月の9日から始まる。楽しみがまた増えた。

昨日は久しぶりに会社の昼休みに、神戸三宮のセンター街にある「あかつき書房」に行ってみた。最近ここでおもしろい本をいろいろ 見つけている。店内で物色していると、少し足の不自由な男性が入ってきてレジの男性に「本を持ってきたので見て欲しい」というような ことを言っている。あいにく店番の男性は最近入店した新人(年齢は十分中年だったが)らしく、他の人を呼びに行きその人が代わって対応 している。横目でどんな本かなと盗み見たが見えない。本を売りにきた男性は、値段が決まるまでさりげなくあちこちの棚の本を物色し始めた。

私もまた棚に目を移し探し始めると、稲垣足穂の名が眼に飛び込んできた。非常に興味のある作家で、全集以外になかなか見つけることが なかったのだが「パテェの赤い雄鶏を求めて」という新潮社からでたエッセイ集である。装釘は野中ユリ。これは掘り出し物である。 「やった!」と心の中で叫ぶ。

澁澤龍彦は「偏愛的作家論」の中で「たとえて言うならば、稲垣足穂氏は、ハレー彗星のように巨大な形而上学の抛物線を描き、夢と ポエジーの美しい尾を曳きながら、昭和元禄と呼ばれる猥雑きわまりない時代の夜空にふたたび現れた、一個の高貴かつ無垢なる星なのである。 〜この星を遠く近く仰ぎ見て、もしも諸君が、イデアの永遠に思いをいたし、黄金時代へのノスタルジアに浸され、童心の無垢を解し、玩具の 美学にあこがれ、愛の倫理に目ざめ、夢と現実の可逆性におどろき、エロスと抽象衝動の拠って来たる淵源の奈辺にあるかを知るならば、 あたかもよし、諸君は足穂文学の魔界に参入する資格を有することになるであろう。これまで、ふやけた文壇小説しか読んだことのなかった諸君は、 ここで必ずや、真正の文学作品のきびしさと香気に搏たれ、目から鱗の落ちる思いをするであろう。」と書いている。

この文章は昭和44年に書かれたものだから、昭和3年生まれの澁澤龍彦の41歳の時の文章である。彼にしては結構、感情を直接的に吐き出した ような文章である。それほど稲垣足穂に心酔していたのかと思うとますます読むのが楽しみである。

他に夢野久作「梅津只圓翁伝」葦書房。これを読みきるのはちょっと困難かも。それに開高健の 「生物としての静物」集英社と「シブイ」TBSブリタニカ。 開高健の2冊は装釘と挿絵に引かれて購入。装釘と挿絵だけでも十分満足できそうな気がする。こんな経験は初めてで自分でも驚く。4冊で3,800円也。

開高健



「生物としての静物」集英社

1984年10月10日 第一刷発行

挿画 滝野晴夫










6月19日(日) 梅雨に入っていると思えないいい天気が続く。暑さも厳しい。
5月の連休は田舎の丹後へ帰省。6月の最初の土日も丹後へ帰省。6月の帰省は年相応に少し疲れた。

6月11日(土)は大阪のCaloで林先生の「読む人」 展の最終日であり、友人と二人で出かけた。以前、友人も先生の生徒だった。12時丁度に着いたが(Caloが12時から開くため)、 1時半からは映画(ミリオンダラー・ベイビー)を見る予定だったのであまりゆっくりは出来ない。それでも、久しぶりに先生と話を したり、友人は先生にスケッチをお願いしたりして、楽しい時間を過ごした。
Caloは書店でありギャラリーであり喫茶店でありの、それぞれがうまく融合された快適空間だった。将来画廊主を夢見る私にとって、 とても参考になるものでした。

約1時間後、後ろ髪を引かれる思いでCaloを後にして映画館に急いだ。「ミリオンダラー・ベイビー」、クリント・イーストウッド監督、 ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマンが出演のアカデミー賞受賞作品である。
さすがと思わせる3人の演技にあらためて映画の魅力を再認識させられた。ただストーリーには素直に頷けない気持ちが残った。 女性のボクシングシーンや血の飛び散る壮烈な場面に、熱狂的な歓声を上げる女性をも含めた観客にも違和感を感じた。そこを勝ち上 がり大金を手にして行くのであるが、最後には汚い手を使う相手によって首から下が動かせない体になってしまう。そして最後は安楽死へ。
やはりどうしてもこの展開には無理がある。そんなに簡単に取り上げるべきではないあまりにも重いテーマに、消化不足のような 不満感が残った。

次の土曜日(18日)には楽しみにしていた 「ギュスターブ・モロー展」にでかけた。会場の神戸の兵庫県立美術館では、以前腹立たしい思いをしたので、今回は十分用心して 行かないといけない。
阪神岩屋駅で下車後、美術館の2階へ通じる道を無視して、1階への入口に向かった。 気のせいか道行く人は皆、美術館の1階入口へ向かっている。うっかりして、美術館の2階へ通じる板張りの心地よさそうな道を選んだら最後、 えらい遠回りをして会場へ行かなければならないのだ。
1階入口で案内人風の女性に(なぜか今回は案内人の姿が目につく。)3階の会場にはエレベーターしか無いのか、聞いてみると「そうだ。」 と言うのでしかたなくエレベーターに乗る。3階でエレベーターから降りて「また遠回りして行くのか。」と少しムッとしたが、「そうか。階段を 下りて上がればいい。」と気付く。この方がだいぶ早く展示会入口に着く。 何のことか分からない人は総合案内 の美術館建物写真集の展示棟3F展示室エントランスをご覧下さい。

ギュスターブ・モローは19世紀のフランスの象徴画家として知られている。今回一番楽しみにしていた「オイディプスとスフィンクス」は 習作しかなく、残念だったが、モローの世界にじっくり浸ることができ、うれしかった。観客も土曜にも関わらず思ったほどではなかった。 皆、大阪のゴッホ展に行っているのかもしれない。中でも「レダ」油彩は、白鳥との構図があまりにも艶かしく美しく、何度見てもその度 同じ感動が突き上げてくる。帰りに図録を購入してそのページを開いてみたが、残念ながら図録では無理のようである。ギュスターブ・モロー展 の券はもう1枚持っているので、またその感動を味わいに行くつもりである。





5月15日(日) いつの間にか5月も半ば、汗ばむ日が多くなってきた。
気がつけば5月も半ばに入ってしまった。代わりばえのしない日常だが、特別問題も起きていないのだから贅沢は言えまい。

先日会社からビジネスセミナーなるものに出かけた。講師は今テレビでよく見かける 森永卓郎である。テレビでいくらかは想像できたが、それ以上に見かけはいいとは言いがたかった。が、愛想は非常に よく、リップサービスもよすぎる程であった。

彼によると今日本では所得格差が非常に広がっているそうである。彼の著書に「年収300万時代を生き抜く経済学」があるが、300万は昔の話で 今や年収100万以下が人口の1/3の時代であると言う。長引くデフレにより所得格差が広がり、金持ちはますます金持ちに、貧乏人はますます貧乏に なっていくという。「年収100万ではいくら頑張っても、生活するにはちょっと無理だ。」と、今の政府のデフレ政策を批判していた。
私のまわりにも真面目に働いてもそれに見合う報酬が得られない人達が多い。その職種が衣食住に関係のないもの、生活の必需品でないものは特にそれがひどい。 美術館が閉館したり、町の小さな本屋や画廊が店じまいしたりしている。寂しい限りである。


先日、会社の昼休みに三宮まで足をのばした際にセンター街のあかつき書房に寄り、澁澤龍彦の「美徳の不幸」桃源社と「ヨーロッパの乳房」立風書房 を見つけた。先月も澁澤龍彦の「記憶の遠近法」大和書房の初版本を購入したばかりである。私にとって要注意の書店になった。早速、パラフィン紙で 丁寧に本にカバーをして読み始めた。

「ヨーロッパの乳房」は1970年に澁澤龍彦がヨーロッパ旅行にでかけた際のエッセイを一冊にまとめたものである。読み進んでいき「昔と今のプラハ」 と題する箇所にきた時、ある期待がこみ上げてきた。実は私も2001年の夏の終わり頃にブルガリア、プラハ、ウィンと東欧を旅したのだが、もしかして 彼も私と似たコースをたどったのでは、と考えたのである。ただ、彼が訪れたのは私より30年前のまだ社会主義時代のプラハであり、社会主義国にありがちな 不自由さや当時の時代の雰囲気は私の時とはだいぶ異なるようだ。しかし、町の景観やそこから受ける感慨はほとんど変わっていない。

たとえばある箇所の「九月とはいえ、やや肌寒い夜風に吹かれながら、私たちは散歩がてら、ヴルタヴァ河に架かった長大なカレル橋を渡った。市の中央を 南北に縦断するヴルタヴァ河と、左右の両岸をつなぐカレル橋と、その橋から眺めた丘の上の王宮フラッチャニ城の遠望とは、プラハのなかの最もプラハら しい光景....」とか「カレル橋を渡って右岸に出ると、そこは旧市街であった。この地区の異様な暗さと静けさは、ますます私を驚かせた。..... ブリュージュよりも、トレードよりも、プラハの旧市街の石甃や壁は、目に見えない時間の侵食の跡を完全に保っているような気がするのだ。コンクリート 道路が極端に少なく、ほとんど街中の路面が昔の石甃のままであるのも、プラハの市街の大きな特徴と言えるであろう。こつ、こつ、と深夜に靴音を響かせ てつつ、「プラーグの大学生」やドラキュラ伯爵がマントをひるがえして出現するのは、このような古びた石甃の上でなければなるまい。」といった文面を 読み進んで行くうち、4年前に訪れたプラハの街が目の前に彷彿とよみがえってくるのを感じるのである。

旅行の前にこの本に出会えていたら、と悔やむばかりであるが、来年予定しているヨーロッパ旅行に向けてじっくり読み込んでおこうと思う。


神戸港



5月のいいお天気の神戸港。

会社のお昼休みに、のんびりベンチでくつろぐ人が増えてきました。
時折、爽やかな風に乗って潮の香が鼻をかすめていきます。










4月13日(水) 4月に入り暖かい日に喜べど、今日の寒さに震える桜花。
今年はすんなりと春になってくれない。ここ数日は春になったり冬になったりで、毎朝通勤の為あれこれ衣服を引っ張り出すのだが 結局中途半端な服装ででかけて、夕方の急の冷え込みに震え上がるということになる。こんな日が続くと結構身にこたえる。

それでも10日の日曜は急に思い立って、近所に花見にでかけた。満開の桜の木の下で寝転がって見上げていると風に吹かれて花吹雪が舞い上がる。 顔や口にも体全体に花が舞い落ちてくる。満開の桜の花の隙間から潤んだような青い空がのぞいている。と西行法師の「ねがわくば花の下にて春死なん そのきさらぎのもち月のころ」の歌が自然と口をつく。実際はらはらと散り急ぐ桜の花には死への誘惑を覚える。

頭の上で「菜の花畑に入日薄れ....」と唱歌を口ずさむ中年男性の声が近づきそして遠ざかって行く。武庫川の土手を下りた河原には菜花畑が広がっているのだ。 私も同じように口ずさみながらその情感を共有させてもらう。


先日やっと林哲夫氏の「帰らざる風景」美術論集(みずのわ出版)が届いた。本を開くと「一語一絵 林哲夫」とサインが入っている。画家が本業であるが本の装釘も 多く手がけておられる。勿論この本も彼の装釘による。渋く上品な作り、本好きの作者の、思いの込もったすばらしい本である。 スムースにも詳しい紹介がある。

澁澤龍彦の「偏愛的作家論」を読んでいたが中断して「帰らざる風景」から読み進めることにする。
あとがきに「研究とか学問という場所からはほど遠いもので、「美術論」なる一語を副題に加えたのも、考えてみればおこがましい。」「当たるも八卦、 当たらぬも八卦、根拠希薄な論理の飛躍をごく気軽に楽しんで頂ければ、それだけで著者としては十二分に満足である。」と謙遜して書いておられるが、 なんのなんの氏の広範な博学博識と、それに裏打ちされた筆先鋭い論説ぶりは知る人ぞ知るである。多くの人に勧めたい一冊である。

他に、ねじめ正一の「高円寺純情商店街」を読み終えた。第三十一回H氏賞を受賞した詩人で第一作目の小説集と紹介があった。古本市でカバーの絵(植松利光) に引かれて100円均一台で購入したのであるが、思いのほか面白くてあっという間に読了した。
また友人から恒例の「関西独立」展の案内状が届き、9日の土曜には天王寺美術館で彼女の力作や他の作品を見てまわった。それに刺激を受けた訳でもないが、 今月からまた絵画教室にも通いだした。なかなか上手くならないが林先生に「弟子」と認知された事もあり少しはいい絵が描けないと申し訳がない。


桜



武庫川の河原で咲く桜。

子どもが小さい頃お弁当を持って
近所のお母さん達とよく来ました。










3月26日(土) 明るく晴れた空が急に曇って雪が舞い、雨になり、また晴れる。
昨日は雪まで降ってきて気温も10度を切った。今日は朝刊によると14度に上るようだ。朝から急いで洗濯を済ませて、神戸の古本市に出かけることにする。 切り抜いておいた新聞記事によると、兵庫古書組合震災10年記念事業古本市が、25日(金)から27日(日)まで神戸サンボーホールで開催されるとの事。

県下最大の古書即売会で約10万冊が販売される。本当は初日に行きたかったが、仕事が終わってからではじっくり見る時間が無い。それに昨日の冬に逆戻りした ような寒さにそんな元気はとてもない。

三宮駅に着き、そこから歩くことにする。海に向かって歩いて10分程行くとポートライナーの貿易センター駅が見えてきた。 そのそばに古本市と書いたノボリが2、3本、強い風にばたばたと煽られている。ここだ。中に入ってみるとさすがに広い、そこに置かれた10万冊の本にちょっと たじろぐ。これを全て見て歩くのはたいへんなことである。

意を決して、まず100円均一台から始める。なかなか無いものである。それでも表紙の絵に惹かれて、ねじめ正一の「高円寺純情商店街」を購入する。 100円均一台はそれで諦めて、他の棚に移動するがなかなか無い。かなり足も疲れてきた。そこに洲之内徹の「気まぐれ美術館」が眼に入るが、これは持って いる。本好きは同じ本を何冊も買うようであるが、私はまだその域に達していない。箱つきなので一瞬迷うが...。次に「画商の眼」という本が目に留まる。 私もいつかはギャラリーをと考えているのでこういう本には弱い。手にとって見ると著者は神戸の元町画廊の主である。
続いて富岡多恵子の「大阪センチメンタルジャーニー」。そして次に見つけた澁澤龍彦「偏愛的作家論」青土社には文字通り眼が釘付けになる。 いよいよ佳境に入ってきたようだ。

結局、今日の買い物は他に、澁澤龍彦「長靴をはいた猫」大和書房初版本、瀧口修造「点」みすず書房(カバー絵、装釘は瀧口修造)、「現代詩手帖」(特集 瀧口修造) 、「ユリイカ」(特集バタイユ)。全部で8冊、9000円也、高いか安いか分からないが、多分ふだんよりは安くなっていると思うことにする。

結局2時間近くいたと思う。足と腰が疲れ果てたが、充分の収穫に帰りの足取りは気持的には軽かった。





3月20日(日) 春めいて見上げれば、木蓮の並木にも大きなビロードの蕾が。
三寒四温とはよく言ったもので、そのままの天候がここ数日続く。喉の痛い咳がたまに出るが、春の天気のように治まってみたりまた出てみたりしている。 それでも確実に冬から春へ向かう気配がそこここに感じられてうれしい。

通勤のコートも冬から春の綿のコ−トと絹のスカーフに変えた。身も心も軽い。まだ油断は出来ないがやっと春の実感に気分も浮き立つ。そうなると 現金なもので冬眠状態だった私の体も動く意欲が少しばかり出てきたようで、昨年から始めたイカナゴの釘煮に再度挑戦してみる事にした。

今年は例年より遅く3月7日がイカナゴ漁の解禁であった。例年この時期になると、家々からイカナゴの釘煮の臭いが道を行く人々に届く。醤油と砂糖と しょうがの勝った独特の香りである。2、3年前、神戸市兵庫区の町に降り立った時、町中がこの香りに包まれていて驚いた事を思いだす。

近くのスーパーで今日の昼前に入荷したばかりの「瀬戸内海産」のイカナゴを買って来て、料理上手の友人から教わったレシピを取り出し、2キロ分の釘煮を作った。 次の日は2キロ、また次の日は1キロと合計5キロを煮てみたが成功作は2キロのみ。簡単なようで火加減がなかなか難しい。成功作は田舎に送る事にする。


少し前の朝日新聞に、島根県立美術館の開館6周年を記念して開催される「ギュスターヴ・モロー展」の記事が出ていた。3月19日〜5月22日まで。 島根県立美術館はちょうど宍道湖のほとりにあり、日没時はさぞ素晴らしいのだろう、美術館のホームページには月別に毎日の日没時間が出ている。 泊りがけで行こうかと悩んだが、もしかすると関西にも巡回して来るかもしれない。そこで美術館に電話して見ると、やはりこの後兵庫県立美術館に来ると言うことであった。

島根県立美術館のホームページによると、モロー美術館の改修工事のため絵画の貸し出しが可能となったということだ。油彩48点、水彩44点、素描80点 これほど大量な展示は初めてとの事、ファンにはたまらない。

イカナゴ




イカナゴの釘煮



今年初めての作

まだ2cmから3cmで可愛い。
春を告げる魚である。









2月20日(日) また今日も雨で、気も滅入る。
今週は雨の日が多い。昨日の土曜、今日こそは映画に行こうと意気込んでいたが朝から雨である。洗濯物もたまっている。ベランダに出てみると 風が冷たい。なんとなく背中がゾクゾクするようだ。風邪の前兆かもしれない....。今日は映画はあきらめよう。
洗濯をして室内に干し終わってやれやれと外を見ると、雨が止んで陽が差している。よしっ!思い切って出かけようと時計を見ると10時前で、 ちょうど11時からの放映に間に合う。急いで用意して「パッチギ」が上映されている大阪の梅田ブルク7に急いだ。

あっという間に7階にある映画館に着いて切符を買って入場しようとすると「10分前にならないと入場できません。」と言われる。時間をつぶしてやっと 入場するが、そこから1人がやっと進める細いエレベーターに乗り10階まで上がる。後ろの方から「火事でもおきたらどうなるんだろう?」という 話声が聞こえる。まったくである。やっと10階に着き、なんとなくほっとした気持ちで館内に急ぐ。

館内はあんがい狭い。客の入りは6〜7分くらいか。ゆっくりと見られそうである。館内には「イムジン河」のメロディが流れている。 時代は1968年、舞台は京都。団塊の世代が青春の真っ只中の時代である。観ているうちその時代に引き戻され、一緒に生きているかの錯覚を覚える程のなつか しさである。全共闘、毛沢東語録、グループ・サウンズにフォークソング、そして朝鮮半島と日本列島。

朝鮮高校生と日本の高校生との間に繰り返される乱闘と朝鮮高校の女子生徒との恋。そして映画の要所要所にあの哀調を帯びた「イムジン河」の名曲が流れる。
「パッチギ」とは頭突きとか突破するといった意味の言葉だそうだが、乱闘シーンでも頭突きがよく見られた。 簡単には突破できない溝をそれでも体当たりで何度も頭突きを試みる。乱闘にしろ恋にしろ不器用すぎるほどの真っ正直さに見るものは涙を止められない。 今年最初のすばらしい映画であった。それにしても本当にこの「イムジン河」の曲の素晴らしさをこの映画で再認識させられた。



1月に開催された大阪梅田の阪神百貨店での、岡田優氏の作陶展で購入した作品が届いた。陶器・磁器などの、作品の販売を手がけている私の従兄弟が 今一番期待している作家の一人である。早速、桃の小枝を入れてみた。

壷



岡田 優 作

1963年生まれ、41歳の若手作家。
京都、宇治市在住。













2月16日(水) 昨日、今日と雨の1日をのんびり過ごす。
2月に入って公私ともに忙しく、今日やっとのんびりできた。
メールをチェックしていると、2本の映画についての感想が寄せられている。ひとつは「パッチギ」井筒監督の話題作、もうひとつは 第七藝術劇場の「ニワトリはハダシだ」。とても感動したということだ。私も終わらないうちに早く見ないといけない。

続いてSUMUSを覗いてみると、林哲夫氏著「帰らざる風景」美術論集が近々みずのわ出版から出されるということだ。どこかで聞いた ような題名ではある。そうか洲之内徹の「帰りたい風景」だ。 書肆アクセスによると、1.のぞく画家 フェルメール/マルメロの陽光/抱擁について/クリストを包むもの〜6.帰らざる風景 洲之内 徹論/渇愛の眼差し 洲之内徹の女性像を読む などと主要目次の紹介がされている。洲之内徹は林哲夫氏に最も注目されている人物である。
早速メールを入れてサイン本をお願いしないといけない。

先日は林哲夫氏著「読む人」スムース発行本が届いた。林哲夫氏のスケッチ本である。昨年の12月にはそのスケッチを1枚購入して額に 入れ、玄関に飾ってある。若い女性が立ったままで熱心に本を読んでいる、一番気に入った1枚である。 スケッチ本には、書店や電車の中などで本や携帯を見ている老若男女の、いろいろなポーズのスケッチがおさめられている。私も真似て電車で何度か 試みてみたが、なかなか難しいものである。

そこで私の場合は「読む人」のスケッチをそのまま模写してみることにした。ざっと数えてみても100人以上の人物が描かれている。 すべてを模写してみよう。今回はいつもの絵画教室を3月まで休んでいるのでちょうどいい。それとたまっている描きかけの油絵を仕上げないといけない。

第3期第1号から第9号までまとめ買いした「サンパン」は、やっと第3号目に入った。これも早く読み終えたい。うれしい事だが次々に 読みたい本がたまってくる。



ハナカンザシ
和名「ハナカンザシ」
12月に買った時は硬い蕾で、花ひらく日を
心待ちにしていましたが、2月も半ばになって、
ようやく可愛い花びらをみせてくれました。

そばに行くと濃厚な香りがします。
昔どこかで嗅いだような.....

幼い頃ままごとで、土のごはんの上にかけた
菊の花びらから香ってきた匂いです。







1月20日(木) 今日は大寒。朝からさすがに寒い。
今年に入ってから本を買っていない。芥川賞や直木賞の受賞者も決まったようだが、いつの頃からかそういった賞の作品に、興味がなくなった。 でも何か新しい本が欲しい。

ほとんど毎日見ている スムースの中の「サンパン」という小冊子の紹介文に眼がとまった。以前から気になっていたのだが、最新号(九号)が出たような ので購入する事にする。 正式には「サイパン」第三期第九号、EDIの発行である。 第一号から第九号までまとめて買った。第一号の表紙には次のような文面がある。

「「サイパン」第三期第一号の本誌には、平井功/結城信一/小沼丹/伊上凡骨/加納作次郎/高橋新二/小野松二/古木鐵太郎と いった人物や、丘陵詩人といった雑誌や、作品社といった出版社が登場します。おそらく日本国民の九九・九九%は、聞いたこともない 名前ばかりだろうと思いますが、「サイパン」第三期は、そんな人物や雑誌や書籍や出版社が、これから続々と登場します。それがどういう 意味をもたらすのか、ということは、この冊子が、皆さまのお力添えで継続することが出来、あるヴォリュームに達した時に明らかにされる でしょう。そうしたこともあって、敢えて今回はマニフェスト(?!)を掲げないで出帆いたします。何卒ご支援のほどお願い申し上げます。」

「サンパン」とは、中国や東南アジアの沿岸を行き交う小舟のこととの説明もあった。 スムース同人の林哲夫氏も「小野松二とその作品社(その一)」を執筆している。一冊60頁程の厚さなので、持ち運びにも便利である。 早速読み始めたが、思った以上におもしろい。

結城信一について、中島和夫(「群像」の旧編集長)が書いている中に、おもしろい一文を発見した。清岡貞行が藤田嗣治と岡鹿之助の 二人の画家を「画工藤田嗣治」「画家岡鹿之助」と結論付けているとしている箇所である。
中島和夫は、まったく同感です。岡鹿之助からの血脈を受け継ぐ結城信一は、岡鹿之助に似た清冽さがある。とも書いている。 そういわれてみれば藤田嗣治の絵は、自分の巧みさに寄りかかりすぎている気もする。嫌いではないが(高くて手も出せないが)胸を打たれる というのとは違うようだ。



先日、朝日新聞の夕刊を読んでいて映画の紹介欄に目がとまった。「ニワトリはハダシだ」という変わった題名に引き込まれたのであるが 舞台は舞鶴、私の故郷に近い。実際に行ったことは無いのだが、学生時代に帰省する時は京都から舞鶴線で帰ったし、今は車で帰るときに、 新しく開通した舞鶴道を利用する。なので舞鶴は、故郷に似た懐かしさを思い起こさせる地名なのである。

かつての軍港であり、戦後は大陸からの引揚者が帰港し、また帰国途上の大勢の朝鮮人が溺死した浮島丸の悲劇でも知られている。 主人公の15歳の少年サムは、この浮島丸で奇跡的に生き残った女性の孫という設定である。

「ニワトリはハダシだ」という題名の意味は「わかりきったことの例え」、当たり前のことが通用しない現代への痛烈な批判がこめられている。 映画の上映は、あの大阪十三の第七藝術劇場である。





1月13日(木) もうすぐ1月17日が来る。あの日から10年がたった。
私には小学・中学と仲良く過ごした友がいる。彼女らは高校を卒業後、田舎で就職、結婚して現在も田舎で暮している。二人とも子どもを3人 もうけ、共に長男に嫁ぎ気難しい舅・姑と同居しながら、家事・育児・仕事に頑張ってきた。特に1人の友は夫が単身赴任で長く家を空 けていた為、苦労も並大抵では無かったようだ。
3人目を出産する時は、職場での産前産後の休暇を産後にまとめて多く取る為に出産直前まで仕事をして、陣痛がおきた時は自分で車を 運転して病院まで行ったそうだ。看護婦さんに叱られたと笑って話してくれた。

それでも3人の子ども達が卒業してそれぞれ就職が決まった時は、ほっと一息つけると喜んだのだが、そんな彼女のもとに2人の震災孤児が 託されたのである。ちょうど今から10年前の事である。中学と高校の多感な兄弟の母親代わりとなり、また頑張る事となった。

その後の10年で自分の3人の子ども達をそれぞれ結婚させ、舅・姑を介護し、そして看取り、里の父母を看取り、震災孤児となった二人の 甥を進学させ就職させて来た。「本当に激動の10年だった。」と電話口で語ってくれた。「よく体が持ったねえー。」と私はただただ感嘆 するばかりだったが、彼女自身も無我夢中だったのだろう。
阪神大震災は形を変えて、いろいろな人の人生を大きく変えてきた。

もう1人の友は、話に聞く限りではもっと条件は悪い。しかし彼女には何が起きても前向きに進めるという資質がある。パワフルな行動力もある。 どんなに落ち込んだ時でも彼女に会うとそれだけでパワーが出るらしい。新婚当時から事あるごとに口の悪い姑から「浜詰(実家)に帰れ!」と 怒鳴られてきたという。今では姑も寝たきりになり彼女に介護される身となったが、気に入らない事があるとまだ「浜詰(実家)に帰れ!」と 怒鳴るという。みんなが施設に入れるよう勧めても、彼女は出来る限りは家で介護したいと頑張っている。姑と彼女の間には他人には分からない 長い間に培ってきた信頼関係のようなものがあるのだろうか。

2人の友に共通して言える事は、ただただ優しいということである。だが帰省しても彼女たちに会うことはなかなか難しい。私は暇なのだが....。
もう少し年老いて、のんびりできる時が来たらそれまで元気でおられたら、また3人集まって小さい時のように遊びたい。

紅唐子





知人の庭の椿(紅唐子)がやっと咲き出しました。
昨年の猛暑にやられ花の色にも元気がありません。
挿し木を頼んでいたのですが、猛暑にすべてダメだったそうです。

濃朱紅色の一重で、オシベが花びら状になり色も同じ紅色の可愛い椿です。












1月9日(日) 長い正月休暇もいつの間にか終わり、寒さが厳しくなる。
今年は初詣に初めて広田神社に行った。 昨年の初詣は10日戎で有名な西宮神社、その前は近所の鳴尾神社といった具合で、毎年その時の都合で初詣の神社を決めていたのであるが、 今年は元旦の墓参りの帰り道にちょうど広田神社があったからである。

古い由緒ある神社にしては参拝客は思ったほど多くない。昨年の西宮神社の混雑振りが頭をかすめ、少し心配だったのでやれやれである。 神社の鳥居を入ったところの水場でゆっくりと手と口をすすぎ本殿に向かって歩いて行くと屋台が2,3件程でている。ほとんどは 西宮神社に行っているのだろう。焼きソバの好いにおいに引き寄せられながらも、石段を上り賽銭を投げ入れ参拝をする。

広田神社は阪神タイガースが必勝祈願する神社としても知られているが、私は個人的にも忘れられない神社である。 本殿の左方向に眼をやると「広田山荘」の案内版がある。懐かしくて娘とそちらの方向に行ってみると古びた木造の建物が見えてきた。ここは30年程前に結婚式ぽいものをした場所 である。友人達がすべてを仕切ってくれて当人は出席するだけでよかったというたいへん有難い式であった。勿論会費制だったし、当人達は ただでしかも残った会費をもらって帰った。ほん隣に広田神社があるのに祝詞を挙げてもらうということも無く、参拝くらいはしたのだろうか 。ただ、人に聞かれた場合は結婚式は広田神社で挙げたと言うことにしている。

参拝後お神酒を頂き、おみくじを引く。
いつもは子どもに引かせて、自分自身はあまりおみくじを引いたことがないのだが、昨年ごろから私も引いて見るようになった。特に理由は無いが 今年1年の自分自身の運勢に興味が出て来たのかもしれない。結果は「吉」であった。娘は「半吉」。「半吉」などあんまり聞いたことが無い。 そこでふたつのおみくじの内容を比べてみるとすべて同じで、最後の締めくくりが「吉」の場合は「・・で今年は吉である。」と結ばれ、「半吉」の場合は 「・・で今年はいいだろう。」と若干違っている。が、まああまり変わりはありませんと言うことなのだろう。

ところで、おみくじには非常にいやな思い出がある。
娘が大学受験をひかえていた平成7年。今年は特別な年だからとばかりに張り切って、学問の神、菅原道真を祭る京都の北の天満宮に、 合格祈願のお守りを貰いがてら初詣に行ったのであるが、大勢の人込みを掻き分けふうふう言いながらやっとこさ引いたオミクジが、こともあろうに 「大凶」だったのである。

娘が「お母さあん。」と持ってきたオミクジを見て、私は「ええっ!。なんだこれは!」と心の中で叫び「なんという神社だ。こんな時期に大凶なんか を入れて置くなんて!」と罵りながらも、動転している様子を娘に悟られないようにと、落ち着いた声で「お守りを買おう。お守りがあれば すべての悪運から守ってもらえる。」と、急いでお守りを買ってきて「これで大丈夫。これで大丈夫。」と、大凶のお札はそこらの木にくくり付けて 帰って来たのだった。

ちょうどその年である。1月の大学センター試験が終わったちょうど次の日の17日あの阪神大震災に見舞われたのである。その後娘は運良く大学に入学 できたが、当時は願書を持って郵便局に走るのも一苦労であった。自転車でそり返ったガタガタ道を、道路の傍の全壊した家屋が今にも倒れ掛かろうか という道を、開いている郵便局を探して走り回ったのである。やっと見つけた郵便局で願書を出しても「いつ着くか確約はできません。」と言われて それでも他に手段は無いので、そのまま帰ったのを思い出す。その阪神大震災も今年で10年の節目を迎える。






12月12日(日) 12月とも思えない暖かさ。暖かすぎて異様な感じも。
朝から12月とも思えない暖かさ。太陽も冬のものと思えない異様な照り方である。今日は待ちに待った 国立国際美術館で開催中の 「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展を見に行く。

大阪の西梅田から地下鉄四ツ橋線に乗り肥後橋で降りる。西口の階段を上り地上に出ると目の前が土佐堀川である。右手に三菱商事ビル。 橋を隔てたその前がフェスティバルホール。橋を渡ると中之島である。学生時代に中之島の図書館でバイトをしたことがある。中之島公園 では野外展もした。そうだ!中之島公会堂での岡林信康のコンサートにも来たっけ....。などなどと懐かしんでいるとやっと国立国際 美術館の特徴のある建物が見えてきた。

デジカメで建物の写真を何枚か取る。丸い胴体に細長い尻尾が付いて大きな長い触覚を持った昆虫。そんな感じである。 玄関を入るとすぐにエスカレーターで、地下3階の展示室まで降りる。地下室の美術館である。

マルセル・デュシャンの作品をじっくり見たのは初めてだったが、想像していた以上によかった。当時は相当前衛的だったのだろうが 現在見ると、すっかり古典の領域に入った観である。
また常設展では思いがけず舟越桂の彫刻に出会った。見たいと思いながら、なかなかその機会が無かったのでうれしかった。


13日には林先生からスムース文庫2冊が届いた。 「ふるほんやたいへいき」大庭柯公著の複刻版と、「ヒコーキ野郎のフランス便り」築添正生編である。2冊とも読みづらい面もあるが頑張って みよう。
林先生からは、先日スケッチ1枚を購入した。スムースに新しくアップされた「読む人」(スケッチ)の中の1枚である。早速、額に入れて 玄関に置き、楽しませて頂いている。

読む人


林先生のスケッチ作品「読む人」。














12月4日(土) はやくも12月。年を取るごとにその感慨が薄れていく。
今日は久しぶりの雨の週末になった。朝から雨が降り出しだんだん雨脚が激しくなってきた。買い物に出かけるタイミングを逸してしまい、 残り物で食事を済ませることにする。

私の住むマンションの目の前には、阪神パーク跡地に先日オープンしたばかりの大型ショッピングモール「ららぽーと甲子園」がある。 その中には「イトーヨーカドー甲子園店」もあり、雨にもかかわらず今日も多くの買い物客でにぎわっている。

甲子園に住むようになって25年以上になるが随分様変わりした。

住み始めた頃は買い物と言えば灘生協、コープしか無く団地に住んでいた当時はコープの特売品を眺めながら、今晩は殆どの住民がこのおかずを 食べるのだろうかと思い、なんだかぞっとするような異様な心持がしたのを思い出す。が、今や甲子園には私が知っているだけでも「ライフ」に 「関西スーパー」「イカリ」「ピーコック」そして「イトーヨーカドー」と、「コープ」の首の根は完全に締め付けられてしまったかのようである。

そうして、阪神パークが消え、阪神パークに付随していたプール場が消え、スケート場が消え、その跡は大型ショッピングモールと広大な大駐車場と なった。
また住宅地の中にあった競輪場が消え、今その跡地には近隣の住民の大反対の声を無視して高層マンションの工事が続いている。 そして我がマンションの西隣のゴルフ場も、同じく高層マンションへの建替えの為、ガラガラと重機の破壊音が一日中響いている。 来年の今頃は、玄関を開けると広がる六甲の山並みも見えなくなるのだろう。
そろそろ住み慣れた甲子園から脱出する時期がきたのかもしれない。



先月の11日には「むくげの会」のメンバーと、 大阪鶴橋の韓国料理「福ちゃん」に行った。
今年の4月に新大阪の「セント」に行ってから2回目である。「セント」はお洒落な店だったが今回の「福ちゃん」は本当に庶民的な小さな店であった。 鶴橋駅から続いている鶴橋商店街の中にある。

今回の食事は、豚のばら肉焼きと鍋料理にキムチやチジミだった。庶民やお金の無い学生達の食べる料理だそうである。
豚バラ肉の薄切りを、真ん中に穴の開いた丸いすり鉢様の鉄板に並べて焼くと、バラ肉に付いた油が穴を通って下で受けている碗にたまる。 余分な油の落ちた豚肉を、ゴマの葉やチシャのような葉にのせ、その上にモヤシやキムチやなんでも置いて最後に辛ミソを付けくるくる巻いて食べる。 安くて美味しいのであるが、私の場合は胃をいたわって少しだけ頂いた。

続いてチゲ鍋がでた。なかにはホタテやワタリガニや海鮮物が先に入っており、大皿に白菜やうどんが盛られている。白菜が煮えたところで箸を入れて 見ると、サザエが殻丸ごと出てきた。ホタテも丸ごと入っている、とに角豪快な海鮮鍋で美味しい。私以外はみんな酒豪でビールやマッコリや焼酎や で盛り上がっている。

鶴橋商店街の入口に古書店があった。今回はその横を通っただけだったがちょっと覗いてみたかった。また機会があったら入ってみたい。

椿


我が家のベランダで咲いている椿です。

去年は未だ花をつけることができなかったけど
今年は小さな枝に蕾をたくさん付けて重たげです。











11月6日(土) 11月に入り晴天の日も増えたが、街路樹は塩害で枯れ葉が多い。
先月の24日(日)に従姉妹と京都に行った。我々の共通のいとこ(従弟)が新京極のギャラリーで陶芸の展示会をしている。 春と秋の2回、数名の作家の作品を展示販売するのだが、その案内状が届いていた。

折角久しぶりに京都に出かけるのだから、常々行って見たかった所にも行く事にした。
11時に大阪で待ち合わせて阪急に乗り大宮で降りた。そこから スムースで紹介されていたラトナカフェに行く。 四条堀川だから歩いて10分くらいだろう。着くとちょうどお昼の時間だ。町屋を改装した店内に客は誰もいない。2階の一部が吹き抜け風に なっていて開放感があり、ゆったりとして落ち着ける。

スムースの林先生夫婦と同じカレーを注文する。初めて口にする味だがおいしい、癖になりそうだ。レモンの漬物もおいしい。食後のチャイも とても口当たりがいい。二人して、おいしいおいしいを連発する。近くにあれば毎日でも行きたいお店である。 湯呑

お店を出て阪急大宮駅まで歩き、今度は終点の河原町で降りて、目的地の新京極蛸薬師にある「工芸ギャラリー蓮」に向かう。

新京極はいつもながらたくさんの人である。若者の店が多い。その中に思い出したように京都のみやげ物店がぽつぽつとある。 花瓶

ギャラリーでは湯のみと花瓶を買う。秋の草花が描かれた湯のみは、昔どこかで見かけた懐かしさがある。
花瓶は薪でなく炭で焼いたそうで、たくさんの炭が要ったと言うことだ。
きれいなグリーンが出ていて形も優美である。

主催しているいとこ(従弟)と少しおしゃべりしてから、次に恵文社一条寺店 に行く事にする。

新京極から京阪三条まで歩いて、そこから京阪電車で出町柳まで行き、叡山電車に乗り換え一条寺で下車し、少し歩くと左手にある。 店内は普通の本屋とは趣が大分異なる。

若者が多い。みんな自転車でやって来る。近くに大学か下宿屋があるのだろうか。
きれいな絵本もたくさんある。若者が好きそうな雑貨を置いたコーナーもある。新刊ばかりではなくどう見ても古本と思われるものもある。
店の奥の棚にはいわゆる幻想小説類もある。ゆっくり見たかったが疲れてきたし、時間も経っていたので今日はこれでお終いにする事にした。

次の機会にはじっくり本だけを見てみたいと思う。






10月27日(水)台風23号の被害に加え、新潟県中越地震でも大きな被害が。
先週の水曜(20日)は絵画教室の日で、前日から画材をカバンに詰めて準備をしていたが、台風23号の激しい雨風がベランダのガラス を叩く音は激しさを増すばかりで、明日の教室は休みになるかもしれないなと思いつつ当日になった。が、激しい雨はやみそうも無い。 念のために教室に電話を入れてみたが、つながらない。

まったく、今年の台風の多さと激しさにはうんざりしてしまう。ベランダのガラスは何度もやってきた台風の為、汚れの上にまた汚れが加わり どろどろ状態だが、まだまだ掃除をする気にならない。台風24号も発生しているという。

しかしながら、時々ベランダの窓越しに外の様子を眺めて、雨の降り加減を見る以外にこの天気では、何もすることが無い。 テレビをつけて台風の進路や被害状況をみていたら、兵庫県や京都府北部で大きな被害がでている。特に兵庫県豊岡市では円山川の堤防が 決壊して市内が水につかっているとの報道がされている。京都府北部の由良川も決壊したようだ。

兵庫県豊岡市は私の故郷に近く、田舎の友の家もある。心配になって電話を入れてみるが、こみあっていて掛からない。
とにかく今は無事を祈ってもう少し落ち着いてから、再度電話を入れることにする。

豊岡市は子供の頃の私にとっては一番の都会であった。 かばんの町として有名で、小学校に入学すればランドセルを、修学旅行に行くようになれば旅行カバンを、母親に連れられて買いに行った。 当時の豊岡の駅前商店街は非常な賑わいを見せており、迷子にならないように母親の手をしっかり握り締めて緊張して人ごみの中を歩いたものだ。 そして買い物が終わると、駅の近くの食べ物屋に入り食事をするのだが、それがまたとても楽しみだった。

今ではその商店街は当時の面影も無く寂れてしまっているが、そこも水に浸かったようだ。
車で帰省しない時は、山陰線で大阪から豊岡に行き、弟に豊岡まで車で迎えに来てもらうのだがその途中の橋も壊れたそうだ。 車で帰るときは由良川沿いに走るのだが、その由良川も決壊した。



1週間たって豊岡の友人に電話を入れた。彼女の地区は運良く水害は免れたと言う事でほっとするが、彼女の娘や親戚はすべて被害にあったという。 お見舞いを言うだけで何も出来ない。疲れを出さずに頑張ってね、また会おうねと言って電話を切る。
テレビでは新潟県中越地震のニュースも伝えている。震度6の揺れが3回も来るなんて想像できない怖さだ。もうすぐ今年も終わりに 近づいたというのに悲しい出来事が続く。






10月17日(日)久しぶりに、秋晴れの清々しい日曜日。が、既に台風23号が接近中。
今年はしつこく台風がやって来る。だが今日の日曜は、久しぶりに晴れ渡り、快適な秋日和となった。 大型台風23号がせまっているようだから、今日を家で過ごすのは惜しい気がして、友人宅に電話を入れて、3時頃行く事が決まった。

そこで午前中、掃除と洗濯と買出しに汗を流し、昼食は久しぶりにお好み焼きを作った。気がついてみれば、お好み焼きの似合う季節に なっていた。山芋を入れすぎて柔らかくなり過ぎたが、ふうふう言いながらの、久しぶりのお好み焼きは美味しかった。

昼食後、少し昼寝をしてから、ケーキを買って友人宅に自転車を走らせた。 マンションの1階に住む友人は、夫婦とも私と同年齢の、いわゆる団塊の世代である。今日は大学を卒業後、看護学校で学ぶ娘さんもいた。
最近の看護学校では、患者とのコミュニケーションを重視しているのだろうか、毎日の宿題に、その日の会話の内容と、その時の 自分の受け答えに対する評価を書く、というのがあるそうだ。なかなか良い宿題だと思う。普段言いっぱなしの私は、見習うべきと反省した。

その後、彼女の血圧測定の稽古台になり、血圧を測ってもらう。聴診器を腕の関節あたりの、脈の打つのがよく聞こえる箇所に押し当てて、 ポンと言う音が聞こえた時の、血圧計の針のさすところが高い方の血圧になるらしい。
だが、なかなかポンと言う音が聞こえないらしく苦心している。何回かでやっと聞こえたが80位のところらしく、彼女は「おかしいなあ。」 と繰り返している。母(友人)は「そんなに低かったら生きられない。」と言う。そこで看護歴30数年のベテラン看護師の母(友人)にバトン タッチとなった。しかしベテラン看護師が測っても同じである。そこで血圧測定の練習はおしまいとなる。

その後はケーキを食べながら、楽しいおしゃべりが続く。そのうちに西宮冷蔵の話になった。もう忘れかけていたが、雪印牛肉偽装事件を内部 告発し為、取引先から次々取引を打ち切られ苦境に立っていた。彼女(友人)によると、まだ会社が立ち直っておらず、水谷社長は今も頑張っているそうだ。
彼女は大阪に出かけた際、梅田で街頭演説をして支援を呼びかけていた水谷社長や社員の為に1万円のカンパをしたという。 私は「ええっー、すごいなあ。」とその金額に驚いたが、彼女はその理不尽さが許せないのだろう。

その後、街頭での募金活動に話が飛んだ。「最近動物愛護の募金活動をよく眼にするが、見ていると皆動物にはやさしい。犬の頭をなでながら募金をしている。 でも、親を亡くしたあしなが募金などの、人間に対する募金には冷たい。まず人間に対してするのが先だろう。」と彼女は言う。
私はそれを聞いて少し驚いた。彼女は自他ともに認める動物大好きおばさんである。特に猫には目が無く、飼い猫だけでなくノラも分け隔てなく可愛がる。 私はひそかに彼女は猫の生まれ変わりと信じている。

西宮冷蔵の話といい、街頭募金の話といい、考えてみれば今まで、あまりそんな話はしてこなかった。彼女の新しい面を知った気がした。 私はなにをしているだろう。月に2回、元町駅でビッグイシューを購入している事くらいである。その話をすると彼女もビッグイシューの事を知っており 、購入もしていたのだった。






9月27日(月)連休をおおいに遊び、少々疲れ気味。
20日の敬老の日、23日の秋分の日、そして土日にかけて、方々に遊んだ。

まず、20日の敬老の日は天王寺美術館で、世界遺産登録記念の特別展「吉野・熊野・高野の名宝」展に出かけた。 うっかりしていて、気が付くと最終日になっていた為、混雑を我慢しなければならなかったが、行かずに後悔するよりましだと ばかり、人ごみを覚悟して出かけた。

実際、よく混んでいたが見るものも多かった。特に高野山、金剛峰寺の如意輪観音像は秀逸であった。

四天王寺 昼食後、四天王寺に出かけた。天王寺にはしょっちゅう来ているのに、四天王寺には未だ一度も行った事がなかった。 JR天王寺駅から、北に15分ほど歩いて行くとある。途中の道には、狭い歩道の両脇に、様々な店が並んでいる。 それが、寺院に近づくにつれ、それらしい店、数珠やろうそくなど、お寺に関係した店構えが増えてくる。

聖徳太子が、6世紀に建立したこの寺院は、さすがに古い。彼岸の入りとあって、多くの参拝客でにぎわっている。我々のように 観光気分で来ている者と違って、お参りに来ている人々にとっては、地元の親しく信仰を集めている四天王寺さんであろう。 ほとんどの人が、熱心にお祈りをしている。

五重塔まで来ると、今日は特別に塔の上まで100円で上れると言う事で、螺旋状の階段の急傾斜を、眼をまわしそうになる程、 ぐるぐる、ぐるぐると上って行った。
上からは、四天王寺の境内がぐるりと見渡せる。螺旋状の階段を上るのは大変だったが、そこからの眺めはなかなかよかった。

神戸港 23日の秋分の日は、墓参りのあと、娘と神戸で遊んだ。
長らく神戸で仕事をしていながら、まだ神戸ポートタワーや神戸港遊覧を経験していなかった。 神戸ポートタワーは休日にもかかわらず、寂しい客入りだった。まあ仕方が無いかと言う感想である。 神戸港

続いて神戸港の遊覧に行く。 神戸港を巡る50分の遊覧である。この日は波も静かでお天気もよく、絶好の遊覧日和ではあった。 遊覧客は若い女性のグループ、アベック、おばちゃんのツアーなど。

潮の香をいっぱい吸い込んで、短い船旅を楽しんだ。

左は今、建造中の大型船である。



続いて、25日の土曜には、姫路市立美術館で開催中の「ヨーロッパ幻想の系譜」展にでかけた。

JR姫路駅から、姫路城の周りを走るループバスに乗り、美術館前で降りれば、目の前が美術館の入口である。料金も100円である。
贅沢にも姫路城を借景にして、広い緑の芝生の前庭の奥に、赤いレンガ仕立ての姫路市立美術館がゆったりと建っている。
明治時代の建造物で、旧陸軍が使用していたが、後に姫路市役所となり、現在は姫路市立美術館となっている。 地方都市の美術館であるが、政令市に負けない個性的で充実した所蔵品を持ち、ポール・デルヴォーのすばらしい作品も所蔵している。

久昌院 最後は、26日の日曜に、京都の建仁寺の久昌院でのお茶席にでかけた。

建仁寺は鎌倉時代の建立で、日本最古の禅宗、臨済宗建仁寺派の大本山である。 お茶席

久昌院は建仁寺塔頭の一つで、「遠州別好ノ席」という三畳台目の茶室があり、今日はここで六つの流派が集まって、これまでに 亡くなられた家元を法要する、お茶席が開かれている。
懐紙と扇子を持って、茶室に入る。着物の若い娘さんのお点前をみる。正客のこれも着物姿の老年の男性が、小道具や掛け軸 などを女性の主人に、いろいろ尋ねていく。 それらは、待合の「茶会記」に記されてはいる。たとえば
”床  写経 観音さま” 妙心寺管長古川大航老大師 筆
”風炉 釜” 朝鮮切?
”水指” 
いった具合に続いていく。 お茶席
そのうちに、和雁という名の和菓子の入った菓器を持った女性が、ちょうど私のところで坐ったので、丁寧におじきをして頂戴する。

お茶も、まもなくまわって来た。おいしく頂く。だんだん、しびれて来たが足を横にずらしたりして、我慢する。

少し緊張したが、本格的なお茶席もいいものである。できれば着物姿で来たかったか。 








9月18日(土)都会の川辺にもマンジュシャゲが。
夕方になると風も涼しく、やはり秋が、眼の前に来ている事を、感じさせられる。

最近購入した本が、期待どおりとてもおもしろくて、それをかわるがわる読んで楽しんでいる。

昨日の金曜には、会社の昼休みに三宮まで足を伸ばして、古書店のあかつき書房で、またいい買い物をした。
まず、内田百閧フ「贋作我輩は猫である」六興出版、同じく内田百閧フ「たらちをの記」六興出版。
「贋作我輩は猫である」は文庫本でも持っているが、本のカバーの猫の絵が可愛くて思わず手にしていた。
それと、1989年11月から1990年5月まで、大阪・京都・東京・姫路・横浜で行われた「ポール・デルボー展」の図録。
しかも、今日のテレビ欄をみると、テレビ大阪の「美の巨人たち」で「ポール・デルボーの魔女とエロスの謎」をやっている。 なんという奇遇!。電車と骸骨と美女と眼がねの男。不思議な世界とそこに漂うエロスと死の影。やはり本物を見たいと思う。

また、20日までには大阪市立美術館に「祈りの道」〜吉野・熊野・高野の名宝展〜を見に行かねばならない。
それと姫路市美術館では、「ヨーロッパ幻想の系譜」展をやっている。ここは10月24日までだからまだ安心であるが。

今週の始め頃から、BS11の午後8時からやっている「コナン・ドイルの事件簿」に、はまっていた。 見たい番組が無くて、なんとなくチャンネルを変えていたら、行き着いたのである。すると次の日も次の日もやっていた。 今日はどうかと新聞を見ると、「シャーロック・ホームズ・バスカビル家の犬」になっていた。コナン・ドイルの代表作と 言うことか。

明日からは「シャーロック・ホームズ」物が続くのかな。
それにしても1時間半ぶっとうしで、毎日見続けるのは、時間が惜しいような気もするが(本を読む時間が少なくなる。) ツタヤでビデオを借りて、返すのが遅れ、1600円も遅延金を支払うよりよほどいいか。






9月8日(水)大型台風が去った空に秋が近い。
たて続けに大型台風16号、昨日の18号と関西を直撃した。
その2日前には震度4の地震である。マンションの6階の我が家もグラグラとゆれ続け、壁の額や鏡も一緒に ゆれ続けた。
最近1人暮らしをしている私は、神戸の大震災を思い出して動揺したがどうしようもない。早く揺れが収まるのを、 ひたすら祈るのみであった。

愛猫のミーコも、リビングの椅子の下から不安そうに私を見上げている。
いつもは餌さえ食べればどこに行ったやら、姿を見せない彼女であるが、今日は私を頼りにしてくれているようである。

昨日は台風18号が吹き荒れた。パソコンで台風情報を見ながら仕事をしていたが、神戸から西方面の電車が止まったと いうので、まだ大阪方面の電車が動いている間にと、午後5時前に退社した。バスを降りて家路を急いだが、強風で吹き飛 ばされそうだった。翌日の朝刊には10人死亡21人行方不明と、大きく見出しにあった。広島で最大瞬間風速60.2mである。

それに浅間山が噴火したニュースもあった。


私は毎週日曜の、NHK教育テレビ午後8時の新日曜美術館を、楽しみに見ているが、今週は「ギュスターブ・モロー」であった。 詩人の高橋睦郎が解説していた。
1826年パリに生まれる。孤高の幻想画家と呼ばれ、彼の絵はギリシャ神話や聖書を題材にした象徴的、幻想的絵画と言われている。 結婚せず家に籠もって製作に没頭し、密室の画家とも呼ばれた彼の残した作品は油彩797点、水彩575点、デッサン700点。 遺言によりアトリエ兼自宅をギュスターブ・モロー美術館にすると言う条件で、全作品が国家に寄贈された。

高橋睦郎はこの美術館を訪れたそうで、その時の感動とすばらしさを語っていた。 後年モローは手早く仕上げる事のできる水彩画を描くようになったそうだが、その水彩画は絵画の宝石とよばれるほどすばらしい物 のようだ。
私もモロー美術館で、多くの彼の絵画に囲まれてみたい。

また、この19世紀にはパリ万博が開かれ日本の浮世絵や仏教美術も展示されており、モローにも影響を与えたという。
そう思って見るとモローの描く女性像はどこかアンドロギュヌス的であり、日本の観音像に似ていると言う解説も頷ける。
最晩年の大作「ユビテルとセメレー」も神話の世界であるが、どこかの寺院で見た仏教画のようでもある。

またモローの絵画に描かれる世界は、「宝石細工人や彫版師の芸術から、その最も繊細な技巧を借りた芸術」であるとともに、 不吉で邪悪な、永遠に苦悩のうちにとどまる、希望のない不安な世界である。 モローの生きた世紀末から21世紀の今日を見ても、それは変わりの無い、否もっと邪悪な苦悩の世界であろう。

今月の初めには、北オセチア共和国でチェチェン独立を求める武装集団による学校占拠事件が起き、300人以上の死者が出た。 半分は子供である。
イラクでもまだ戦闘が続いている。テロが世界のどこでおきてもおかしくない情勢でもある。



会社からの帰り道、元町商店街の入口付近で、憲法改正反対の署名運動をしていた。


今、これを書いている最中にも部屋の揺れを感じる。多分先日から続いている余震だろう。






8月28日(土)満月がきれいな空に、大型台風が近い。
今年の夏休みも終わった。とともに常軌を逸したような暑かった夏も終わりを告げそうな気配である。

毎日暑い暑いと言いながら、何もせずゴロゴロと怠惰に過ごしながら、それでも夏の終わりを感じると、 毎年物悲しいのはなぜだろうと思う。

TSUTAYA(ビデオ)の会員になってビデオを2巻借りた。
1巻目は「めぐりあう時間たち」。ニコール・キッドマンが主演女優賞に輝いた映画。私はメリル・ストリーブのファンで 楽しみにしていたが、話は複雑で途中で寝てしまった。起きてみるとまだビデオは続いており、娘が観ていた。

2巻目は「クリクリのいた夏」。これは単純明快でよくわかる、昼寝せずに最後まで見れた。

本も何冊か買った。
まづ、内田百閧フ「贋作我輩は猫である。」と「冥土」。ちくま文庫、装幀は安野光雅。
澁澤龍彦の「玩物草紙」「エロティシズム」中央公論新社。
それと、三宮センター街の古書店「あかつき書房」で海野弘の「魅惑の世紀末」美術公論社。
吉村昭の「私の引出し」文芸春秋、これは吉村のサイン入りだった。

その中でも澁澤龍彦の「玩物草紙」は買って一気に読みきった。あとがきで彼も「ともあれ、短い断片をあつめるという形式は 私の資質に合っているので、全体として『玩物草紙』は楽しい読み物になっていると思う。」と言っている。
加山又造の挿絵がまたいい。


話は変わるが、年々夏の暑さが身にこたえるようになり、今年は田舎(丹後)に帰るのを見合わせることにした。
魚
それではと、田舎より父の釣った魚と野菜が届いた。

私の田舎では、大きい頭をしたのをガナと言い、煮付けにする。
それ以外はブンジと言い焼き魚にする。
両方とも、とても美味しい。
まくわ
それに私の大好物のまくわ瓜。
都会のスーパーでは見た事が無い。
最近は田舎でも売っていないので、裏の畑で作っている。
癖の無い、程よい甘さが口の中に広がって、とても好きである。










7月25日(日)あい変らず暑い日が続くが、その中に涼風もあり。
暑くなってから元々胃腸の弱い私の体は、気をつけていてもなかなか良くならなかったが、ここ2、3日やっと この暑さに慣れたか、少々食事の量が増えても変調を来たさなくなって来た。

今日は、今月の始め頃切り抜いておいた映画の記事を思い出し、行ってみる事にする。
場所は大阪の十三、第七藝術劇場のドキュメンタリー映画『HARUKO』である。 新聞の記事に「済州島で生まれ、12歳で日本へ。7人の子をもうけるも、亭主は酒と女とバクチに入れあげ、 やがて出奔。次女は家出、三女は北朝鮮へ渡ったきり。ヤミ商売で逮捕歴37回。家族を守り、異国の地で がむしゃらに生きてきた母・金本春子さん。傍らでカメラを回し続けた長男の映像を交えたドキュメンタリー映画」 と紹介されている。

上映時間は午後1時、2時40分、4時20分となっており、まず部屋の掃除や洗濯をしてから決めることにする。
掃除や洗濯はいつもなら土曜にするのだが、昨日は午後から会社の講習で出かけたので今日になってしまった。
掃除が終わったら疲れてしまって、また行けないかも知れないという危惧はあったが、11時頃に終わり、今からだと 午後1時の上映に間に合いそうである。 シャワーを浴び、急いで用意して出かけた。

阪神電車で梅田まで出て、阪急電車に乗り換えつぎの駅の十三で降りる。実は十三の町に行くのは初めてである。
西口に出て、目印の牛丼の吉野家を探す。周りはパチンコ、ゲームセンター、ピンクサロンというのであろうか 、そういう店がひしめきあった、栄町商店街にある。
映画館を探すが眼のやり場に困るような、場違いな所に入り込んでしまった感じがして焦るが、折角来たのにと 言う気持もあり、とにかく早く探そうと焦るに焦る。

私の想像の中にある映画館らしい建物は見当たらないが、駅から3分ならここら当たりに無ければいけない。人に 聞けばいいのだが、そこここに立っている男性には聞きづらい感じがある。
映画館は6階だから上を見上げながらそれくらいの高さのビルを探す。やっと見つけるが映画の看板も何も無い。

とにかく6階に上る。でもそこはゲームセンターみたいで大勢の若い男性とはち合う。ゲームセンターの受付の男性に 「映画館はどこですか?」と訪ねると「左端の黒いドアです。」とのこと。左端まで戻って黒いドアを押して見ると、 確かにそこは第七藝術劇場だった。 狭い通路に切符売り場があり、そこで1枚1,500円で買い、1時の上映まで5分程待つ。
やれやれ間に合った。
それにしても、早い時間帯に来てよかったと、つくづく思う。

映画館の中は6席つながった席が左右に8列づつあり、全席96の小さい映画館であるが、ゆっくりくつろげてなかなか快適 である。まわりを見渡すとお客は15、6人程であった。中年の女性連れや夫婦、なかには若い(と言っても30代かな) 男性や女性が坐っていたが、どういう人たちかは分からない。

映画が始まり、涙もろい私は時々ハンカチで涙を拭きながら観たのだが、87歳という主人公の金本春子さんがだんだん 3年前に91歳で亡くなった叔母とオーバーラップしてきた。叔母も晩年は足を骨折したりで歩行車を押して歩いていた。
叔母は春子さんより、もっと腰が曲がってしまっていたが、春子さんと同じ小柄な女性だった。

もちろん苦労の度合いは違っただろうが、ともに戦後の混乱を必死に生き抜いてきた誇り高き女性である。 年を取って体が思うように動かなくなっても、信念を曲げない頑固さやたくましさも似ている。

「ヤミ商売で37回の逮捕歴。怒涛の人生を生き抜いてきた在日一世の母」とパンフにあるが、ハングルも日本語も読めない 彼女が生きて行くには、それしか無かったのであり、パチンコの景品を買い取って売ると言う当時はヤミの商売も、今日では 合法となっている現実を知る時、時々の国家の都合で定める合法・非合法のかくもいい加減さにあきれるばかりである。

”第七藝術劇場”の ホームページです。

紅葉葵



今、我が家のベランダに咲いている「紅葉葵(もみじあおい)」です。

花言葉は温和、思いやり。
夏から秋にかけて、毎日花を次々に咲かせます。
別名は「紅蜀葵(こうしょっき)」です。

花は一日だけ咲いてしおれていきます。












7月13日(火)昨日は涼しくて快適な1日、今日は梅雨も明けて暑さも戻る。
昨日は久しぶりに涼しくて快適な1日で、しおれかかった花が生き返った感じで、身も心も爽快であった。
しかしそんないい日は続いてくれない。今日からまた暑さに耐えながら働く事になる。

私の会社は神戸の元町にあり、毎日JR元町駅の南出口を出て神戸大丸の方向へ、歩いて通勤しているのであるが、 その南出口を出たあたりはちょっとした広場になっており、そこの植え込みあたりに”ビッグイシュー日本版” を売っているおじさんがいる。

今年の1月からずっと同じ場所で、ほとんど毎日売っている。
その月刊誌を、私はだいたい月初めに購入する事にしている。1冊200円である。
その表紙には「ホームレスの仕事をつくり自立を応援する」とある。1冊200円で売ると110円がおじさんの儲けになる。

”ビッグイシュー”の活動は今年の初めごろ、私の知る限りでもテレビで2、3度紹介されており知ってはいたが、 神戸の元町駅に、はじめておじさんが現れた時、売り手も買い手(私)も相当緊張していた。

おじさんの「ビッグイシューいりませんか。」という呼び声は小さく、駅前の喧騒に掻き消されそうであったし、 私の「ください。」という声もどこかオドオドしていた。
それでも何ヶ月かたつ間に、売り手も買い手も慣れてきて、おじさんも大きな声で「ありがとうございます。」と 返してくれるようになった。

しかし、なかなか売れていない。
テレビでの放映があったりで、それなりに反響があった頃は、通勤途中の若い娘さんや男性が買っているのをよく見かけ、 おじさんの「ありがとうございます。」の声を後ろに聞きながら、会社に向かったものだったが、最近はほとんど見かけない。

毎日おじさんの前を通って通勤する私は、今年のから梅雨の猛烈な暑さに耐え、その中に立って大きな声で呼びかける おじさんの声がいつまでも続いていく事を願わずにいられない。

”ビッグイシュー日本”の ホームページです。





6月30日(水)連日30度に近い気温。
先日から読み続けていた辺見庸の「抵抗論―国家からの自由へ」毎日新聞社をようやく読了。

本の中から気になった箇所を1箇所書き留めてみる。

第四章、もっと国家からの自由を−−闘いとるべき「知」の境界
「「もし誰もが有罪であるなら、もはや誰も有罪ではない」。集団というのは、右にせよ左にせよ、成員間で 相互に倫理上の痛覚を無化し麻痺させ合うものです。〜 つまり、自称"リベラル"は掃き捨てるほどいるけれども 、抗って傷つく「私」がさっぱりいない。〜 リベラルを自認する者たちの過半は、沈黙と傍観というすぐれて 政治的な自己決定をしているのです。」


リベラルでは無いけれど、私の日常は沈黙と傍観で過ぎている。が、今の日本や世界の動きを自分なりに注視して いきたい。


芦屋川 今日は、朝から絵画教室の日である。今、モロッコの衣装の女性を書いているが、今日で4回目で最終回である。
結構うまくいっていると思う。
20号で描いているのでなかなか仕上がらないが、デジカメに撮って残りは家で 描く予定である。

帰りに、寄り道して古書店に入る。
いつも思うが、これだけいろいろ揃っているのに私の読みたい本が無い。
買わずに出るのも癪なので、すみからすみまで眼を通すと、あったあったユリイカの澁澤龍彦の総特集号が眼に入る。
汚れも無く新品同様である。たまにはこういういい日もある。1000円也。


絵画教室は、左の写真の芦屋川を上に上って行くとあります。

お天気の日は川沿いの松並木を歩いて行きます。





6月22日(火)台風が去ったが今日も蒸し暑い。
土曜(19日)から胃の調子が悪い。
月曜に病院に行くと、胃にウィルス菌が入っている可能性があるとの事。
薬をもらってその日は会社を休んだ。食欲も無いが、おかゆやうどんばかりで力が出ない。

一日、本でも読んで過ごす事にする。先日買っておいた本が2冊ある。
1冊は永六輔の「老い方、六輔の。」飛鳥新社。
以前「大往生」や「職人」を読んだが、なかなか面白かったので買ってみたのだが。ちょっと期待はずれ。
「あとぎき(あとがき)」で矢崎泰久との対談形式の最後に永六輔の言「本音で言います!買うほどの本じゃ ありません(笑)」に納得。

2冊目は辺見庸の「抵抗論―国家からの自由へ」毎日新聞社。
彼の初めて読んだ本は「もの食う人びと」、それに「眼の探求」とあと1冊くらい読んだと思うが本箱に無い。
力強い内容にぐいぐい引き込まれ、私にとって教えられることの多い作家である。

久しぶりに彼の本を読んで、現実の日本を突きつけられた思いがするが、まだまだほんの少ししか読めていない。
胃炎で弱った体にはちょっときついが、頑張って読了したい。

抵抗論―国家からの自由へ





6月5日(土)30度近い気温で体調が悪い。
5月の25日から30日まで西宮市立市民ギャラリーで「西宮洋画グループ連盟展」が開かれ、私も出展した。
やれやれである。 独立美術協会に毎年出展している友人を誘い、西宮市大谷記念美術館で開催されている「絵画と裸体表現」と 私の絵を見に来てもらった。

「絵画と裸体表現」の作品は大谷記念美術館の所蔵品で、梅原龍三郎や児島善三郎、林武などの裸婦が展示 されていた。児島善三郎はアサヒグラフで見るだけだったので、本物を見てその美しさに感激した。

美術館に来ているのは我々だけで、心ゆくまでゆったりと、これらのすばらしい絵画の独り占め状態を楽しむ事ができた。


昨日、会社の昼休みに三宮の古書店をのぞきに行った帰り、ふと思いついてジュンク堂で姜尚中の「在日」を購入した。
以前、朝日新聞での彼の文章や、偶然テレビで見たドイツへの旅での彼の発言を聞いていて読んでみたいと思っていた のだが、その事を急に思い出したのである。

昨日の夜から読み始め、今日も昼すぎから残りを読んだ。彼は1950年生まれで私とあまり変わらない年齢だ。 お互いの母親も同じ年代である。

本の中味はあまりにも重い。

彼は、エピローグで「読者は、本書の中にひどい逆境の中で育ちながらも、ひたむきに努力して「成功」を勝ちえた 「在日」二世のサクセス・ストーリーを見出すだろうか。それとも、どんな逆境に育とうとも、人との出会いに恵まれれば 、人はまともな人間になれるものだという処世訓をみつけ出すだろうか。あるいは、自分の知らなかった「在日」の 同時代史を半ば驚きの念をもって顧みる格好の「生きた」教材を発見するだろうか。
そのいずれであっても、それはわたしがもっとも望んでいない解釈の例であることだけははっきり断っておきたい。」 と言う。

頭をたたかれる思いであった。





5月25日(火)今週は快晴が続く。今日も晴れ。
今週の日曜(23日)に、SUMUS(スムース)12号が届く。「小出版社の冒険」が特集に組まれてある。
いつものように読みやすい所から読み進める。まず私の好きな荻原魚雷氏の「芹沢博文と山口瞳」。将棋指し芹沢博文 九段について書かれている。 「学ぶよりも退歩の方が早いであろうと思うが、学ぶ」芹沢博文の言葉。

続いて岡崎武志氏の「私設おおさか お笑い図書館 いとし・こいしの巻(後編)」。
そして山本善行氏の「古本泣き笑い日記8」。 そういえば、彼の最近の著作「関西赤貧古本道」をまだ購入していない。

そこまで読み進めてから、本の先頭に戻り、林哲夫氏(かつての私の絵の先生)の「高桐書院と淀野隆三」を読む。

特集「小出版社の冒険」の前書きに書かれた「情熱を支えとして荒野をめざす」の林先生の一文から。

「そもそも小出版社の歴史というものは、ごくまれにオアシスのうようなものが見つかるとしても、荒涼たる風景の連続 である。そのまるで屍で埋まった原野へ乗り出してゆくに等しい旅、それを支える自信過剰の楽観と意気込み、 それらが何にも変え難い魅力を、触れれば今にもバラバラと崩れそうな書物群に与えているような気がするのである。」と。

世間から見れば、皆ほとんど無名の出版社であり、無名の編者であるが、そんな戦後の埋もれた出版物の中から鉱石を探し当て るような丹念な作業で、それらを現在に蘇らせる。そこから見つけ出した、すばらしい作家や彼らを世に送り出していた出版社主を、 SUMUSで教えて頂き、読ませて頂いているという事であり、有難いとつくづく思う。

「SUMUS」の ホームページです。





5月18日(火)昨々日からの雨がやっとやむが曇天。
今日は、会社の昼休みに神戸の三宮まで出た。会社は元町にあるので歩いても10分程である。
用事を終えて商店街を元町に向かって歩いていると、左手に後藤書店が目に入る。古書店である。

実は、澁澤龍彦の「幻想の画廊から」をやっと読了し、彼の次の芸術論書を新刊書店で注文しようと考えていたのだが 暇が無くそのままになっていた。そこであまり期待はしないで入ってみる事にした。

店の入口付近から多くの本が積み上げられている。探すのも面倒で店員に「澁澤龍彦の本はありますか?」と 聞いてみると、「25巻の全集ならあるが、バラではどうかな。」と言う。私は今のところ彼の芸術論 だけでいいので、そう言うと、その棚を教えてくれた。

澁澤龍彦は無かったが、滝口修造の「幻想画家論」が目に入る。千五百円。澁澤龍彦も本の中で滝口修造に触れていた。 滝口修造は1903〜1979、澁澤龍彦は1928〜1987であり、ふたりを読み比べるのはおもしろそうだ。

また、同じ棚に曽宮一念の「夕ばえ」の初版本あり。昭和18年発行、四円五十銭が二千五百円。
洲之内徹の「帰りたい風景」で彼を知ったが、画家であり文筆家でもあったのか。
2冊で四千円。ちょっと高いかも知れないが、いい買い物だったと思うことにする。

洲之内徹と言えば、16日(日)の朝日新聞の死亡欄に松田正平(洋画家、91歳)があった。 洲之内徹と親交の深かった画家であり、洲之内徹は、松田正平のバラの絵などは梅原龍三郎、児島善三郎と並んで指折りの一人と 非常にかっていた。

洲之内徹は1913〜1987で17年前に74歳で亡くなっているが、松田正平とは、たしか同い年だったはずである。
いつか、曽宮一念や松田正平の本物の絵をじっくり見たいものである。




4月17日(土)今年初の、竹の子がきた。
昨日、叔母から電話があり竹の子を送ったから、明日の朝には届くだろうとの事。
叔母は、京都市西京区の向日市に住んでおり、そこは有名な京たけのこの産地である。

隣の夫婦と一緒に、朝早く午前8時頃に竹の子の農家に出掛け、掘りたての竹の子が帰って来るのを待ったと言う。
その甲斐あって、一番に掘りたてのみずみずしい竹の子を買うことが出来たそうである。 毎年送ってもらうが、買うのもたいへんだなと感謝している。

竹の葉が添えられた竹の子は、土の香りまでもかぐわしい上品な品々であった。


竹の子

早速、一番大きい竹の子を、若竹煮と竹の子ごはんにしておいしく食べました。




向日市商工会の ホームページです。









4月3日(土)晴れ
今日は、夕食を韓国料理店ですることになった。場所は大阪市営地下鉄の東三国駅下車5分、店の名前は「セント」と言う。
少し早く着きすぎたが、もう4,5人は来ていた。今日のメンバーは「むくげの会」の人々。

会は1971年1月結成。 植民地下朝鮮における抵抗運動を象徴する花の「むくげ(無窮花)」を会の名とする。朝鮮の言葉・歴史・文化を学ぶサークル、と もらった「むくげ通信 203号」にある。

ぱらぱらと読んでみると、研究レポート「韓国のコンビニについて」とか、朝鮮の花「ケナリ」とか、「丹波国風土記」散歩とか、 おもしろいところでは「始めて明らかになる焼肉の歴史・覚書」とかが書かれてある。

みんなは、ハングル語は読み書きともよく出来、私の頭の上をハングル語が行きかう。また、近所に住む在日の夫婦も合流してますます、 お酒と会話が進む。

私はひたすら料理に注目する事にして、次々テーブルに乗るのを、1つ1つ名前を聞いて行く。

まず、水餃子、パジョン(チヂミのねぎの多いもの)、チャッチェ (春雨の肉いため)、チヂミ、マッコリ(米のにごり酒風)、マチャ(山芋の飲み物、精力がつく)、プルコギ(すきやき風) 、チゲ、ごはん(五穀米)、トッポギ(もちの甘辛煮)。
みんなは、酒も強くビールやマッコリを飲みながら話が盛り上がっている。
私はあまり飲めないので、マッコリをちびりちびりと、飲みながら料理を食べる。

どれもこれも美味しいが、マチャはちょっと私には合わない。パジョンが一番気に入った。
丸い鉄板の上に乗って、焼きあがったパジョンが運ばれてくる。 ピザのように切れ目が入っており、チヂミよりふかふかしておいしい。

4、5年前にソウルに行ったが、その時は東大門市場で食べたチゲと、料理屋で食べた石焼ビビンバくらいしか 美味しかった記憶がないので、今回の食事会は出席してよかった。また誘ってもらう事にする。

利休梅



左の「利休梅」は、知人の庭で今が花盛りです。















3月18日(木)またまた冬に逆戻り、寒い
春の嵐から抜け出し、春の陽気...と書いたばかりなのに、夜間に激しい風雨があり昼間も薄ら寒い日 となった。こういう日が続くと、人心も何かと不安定になるようであるが、テレビによると桜の開花した地域も出てきたようで、もう少しの辛抱である。

20日(土)からは私の郷里である丹後に、今年最後のカニを食べに出かける予定である。
3月3日付、朝日新聞の夕刊の「窓」欄に、「ブランド化」と題した一文が載っていた。内容は冬の味覚ズワイガニについてである。
ズワイガニは地域によって松葉ガニ、越前ガニなどと呼ばれるが、京都府・丹後半島の小さな漁港、間人(たいざ)漁港のカニは、 間人(たいざ)ガニと呼ばれ、他の物より3割方高いとの事である。

丹後地方のカニは、通常松葉ガニと呼ばれ味もよく人気も高いが、間人(たいざ)ガニの事は初めて知った。
私の郷里と同じ網野町にあるが、何かと一目置かれている地域である。
新聞にもあるが、聖徳太子の母、間人(はしひと) 皇后が政争の飛鳥から逃れ、しばらく暮した言い伝えがあり間人(たいざ)という地名がついた、と言われている。

なぜか、美人が多い。それもとびっきりの美人である。弟が高校生の頃、彼らの話題に上る女性はほとんど間人(たいざ) の女の子であった。網野町も美人が多いと思うが、もう少し山側に入ったところにある加悦町にも美人が多い。

若い時から不思議だったが、探っていけば何か魅力的な物にぶつかりそうな私の故郷丹後地方を、これからじっくり観察していきたい。

加悦町の ホームページです。



3月14日(日)昨日から春の陽気
初春の不安定な天候、春の嵐から抜け出し、やっと昨日から気温18度、春の陽気となった。
昨日は久しぶりに何処にも出掛けず、家で絵を描いた。書きかけのキャンバスが、溜まりにたまって 我ながら、何とかせねばと追い詰められた気持ちになった為であるが、時間が経つばかりで思うようには 出来上がらない。

それでも所属する絵画教室の、5月の展覧会に出品する作品を、何とか完成させなければいけない。
普段は仕事があるので、土日にやりたいのだが、別の予定があってなかなか思う様にいかないのである。

先日も書いたが、朝日新聞の夕刊に載っていた、澁澤龍彦の初期の代表作『黒魔術の手帖』を購入した。
ついでに、同じ棚にあった「イコノエロティシズム」澁澤龍彦美術論集、河出書房新書発行と「幻想の画廊から」 青土社発行の2冊も購入。

あとがきの解説によると、澁澤龍彦の純然たる美術書と呼べるものは5冊だそうで、「幻想の画廊から」 「幻想の肖像」「幻想の彼方へ」「悪魔の中世」そして死後刊行となった「裸婦の中の裸婦」との事。今回の 「イコノエロティシズム」で6冊目となるのであろう。
私が読んだのは、「裸婦の中の裸婦」だが、図書館で借りたもので手元に本は無い。

文庫の『黒魔術の手帖』は仕事の行き帰りの電車の中で、「イコノエロティシズム」は寝る前の布団の中で、 それぞれ短い時間を惜しんで読んでいるが、おもしろい。
一種独特の内容ではあるが、彼の文体に引きずられてしまうのである。しかし、彼の場合は美術書だけにした方 がよさそうか。

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3月6日(土)真冬のような天気、みぞれ降り寒い
3月3日は絵画教室の日であった。 久しぶりで朝から気持ちもはずむ。
予定表を見ると、ヌードデッサンとある。 スケッチブックを、カバンに入れでかける。

モデルはふっくらとしていて、とてもいい感じである。
今までの経験から、やせっぽちを想像していたが、予想に反して胸も豊かで、 児島善三郎の絵に出てくるモデルのようである。

意欲満々で取り組んだが、悲しいかな腕がついて行かない。
もう一度挑戦したいが、一日でデッサンは終了である。 でも、それはそれで大満足の日だった。

今日3月6日は、朝からとても寒い。
いつもなら掃除の日であるが、寒くてしたくない。 洗濯機を回しながら、朝ごはんを食べていると、友人からお食事会への、招待の電話がくる。 非常に料理の上手な友人である。5時頃来るようにとの事。有難い。

メニューはチラシ寿司、かぶと菜の花と海老のあんかけ、白菜とうすあげの煮びたし、わかめの吸い物。
それぞれが、似合ったうつわに盛られ、一人前ずつ、えんじ色の膳にのっている。
それに、今年初のイカナゴのくぎ煮。 眼も楽しいが、味の方もどれもこれも、一流料亭並みの出来栄えである。

食事の後、彼女の最近始めた、うるし塗りの作品を見る。 これ以外に染めを教え、お茶の教室にも通いだしたとの事。
なお、下のお雛さんは、もう一人の友人の和紙の作品で、いただいた。
いい友人に恵まれ、つくづく有難いと感じた一日だった。

雛














3月2日(火)曇天、寒い
3月1日から、仕事に出掛けた。 交通事故で1週間仕事を休んだので、疲れないように気を付ける。

バスで駅まで行く。当分、自転車は怖い。 今日で仕事開始2日目。少々疲れたが明日は休みだ。

家に帰り、晩御飯を食べ、朝日新聞の夕刊を広げる。
一枚をめくると、「澁澤龍彦」の文字が目に飛び込む。
澁澤龍彦の初期の代表作『黒魔術の手帖』が文春文庫から再発行され、解説があの 独特の個性の、嶽本野ばら。

嶽本野ばらは、テレビで一度見たが、少し得体の知れないところがある。 ともかく、早速買わねばなるまい。
と、その記事の下段をみると、モード*ア*ラ*モード欄に「使い込む老舗の逸品」 として、東京銀座の月光荘画材店のトートバッグが紹介されている。

そのトートバッグを京都・一乗寺の「恵文社」で見つけた。と記事に出ているのだ。 「恵文社」は「SUMUS」の販売店でもある。
古書店とばかり思っていたが、いろいろおもしろそうな物も置いている。 ぜひ一度行ってみねばならない。

またまた、新聞をめくると、文化欄に安藤忠雄のコラム。 先日私も行って来た、神戸市の兵庫県立美術館で開催中の「『具体』回顧展」に触れている。
自分の設計した美術館である。触れずにはいられないだろう。

現在、美術館はどこも財政難のようだ。 兵庫県立美術館はどうなんだろう。あんな大きな立派な高そうな美術館を建てて、維持していける 目算があるのか。
私達のために新しい、いい作品を購入する余裕はあるのか。

安藤忠雄は、予算が限られているなら、住民や芸術家の力を借りればいいと言う。ボランティアとして。 そうだろうか。
私だったら、もっと建築コストを抑えながら、展示室に工夫を凝らした美術館を、設計費用は安いが 才能にあふれた若い建築家に、建ててもらう。

そして、感覚のすぐれた若い学芸員に、国内外のたくさんの画廊や美術館で、才能ある真の作家を数多く発掘させ、 その作品を企画展示して、みんなに見てもらう。
きっと、発表場所を持たないで埋もれていた、すばらしい絵画が多く見られるだろう。

財政難を言う前に、みんなは、いい絵画に飢えているのだと言うことがわかって欲しい。 名前の知らない作家でも、いい作品であれば人は美術館に行くのだ。
評価の確定した画家ばかりの展示会では、我々は物足りないのだ。

「恵文社」の ホームページです。



2月28日(土)晴れ
今週の初めはたいへんだった。

勤め帰りに自転車で、横断歩道を通行中に交通事故に会った。
結局、大事にいたらなかったが、たいへんな経験であった。

骨折も、たいした怪我も無かったが、事故直後は立ち上がれなかった。
非常なショックを受けると、体が動かなくなるのだ。
あらためて、交通事故は誰にでも起きると実感した。

今週の中頃には「SUMUS」の発行者、林哲夫氏よりスムース文庫2冊が届いた。
「一読書人の日記」林哲夫 編と、「私の見てきた古本界70年」南陀楼綾繁 編である。
早速、「一読書人の日記」から読み始める。

その読書日記は、1935年(昭和10年)から、84年(昭和59年)まで。
あと書きによると、この日記は、あの1995年1月17日の阪神淡路大震災で破壊され、放置された、 膨大な被災世帯の品々の中から発見された。
その為、作者を特定する事はできない。

その内容は、本物の本好きとは、こういった人を言うのか!とあらためて感嘆させられる。
また、もう一人の本物の本好きの編者に「嗚呼、ここにも一人いた!」と言わしめるのである。


また、現在平行して読んでいるのが、内田百閧ナある。
「百鬼園随筆」を終わり「続百鬼園随筆」に入っている。

とにかく、おもしろい。
なんと言うことも無い日常が、たんたんと語られるのだが、その文体にひき付けられ飽きない。
まだ、5冊残っている。 絵のことが書かれていないか、注意しながら読み進めている。



2月12日(木)晴れ
きょうはとてもいい天気で、3月の陽気という。
先日、朝日新聞の広告欄に、世界文化社発行、洲之内徹の芸術随想「おいてけぼり」が載っていた。

彼の新潮社発行の「気まぐれ美術館」の原形を含む、未収録文と言うことである。 もちろん、早速買ってきて読んでいる。

題字・扉字・装画は松田正平。洲之内徹の最も親しい友人の一人である。
先日、古書店で偶然にも、洲之内徹の「気まぐれ美術館」の単行本を手に入れた事を、書いたば かりなので、なんともうれしくも不思議な感じである。

しかしながら、やはり単行本はいい!。そして新品である。 きれいなカラーの絵がたくさん入っている。文庫では、こうはいかない。

それと平行して、内田百閧フ文庫も読んでいる。 どちらも面白くて、夜更かしをし過ぎて、2日前から風邪ぎみである。

そうこうしていると、林先生より「SUMUS」パラダイス展の案内のパンフが届いた。
29日はちょうど、京都の国立近代美術館に友人と行く予定なので、寄ってこよう。
文庫王の岡崎武志氏も来るらしい。 今日は早く寝ます。





具象絵画へ(2月6日)
月日は流れて、中高年世代になったが、絵をもう一度描きたい、という気持ちを無くした訳では なかった。が、私の頭には絵イコール『具体』の絵しか無かった。

でもあんな大きな絵は、小さな我が家のどこを見渡しても、置くスペースも、描く場所も無かっ たので、心の隅に追いやられたままに、なっていたのである。

世の中には、定年を迎えたり、子育ての終わった主婦の、カルチャーセンターがあちこちにある が、ある日、新聞の折込みチラシにあった、某カルチャーセンターのスケッチの講座が目にとま り、隔週の日曜で、我が家からバスで行ける距離であることもあり、行って見ることにした。

やっと一歩動き出したのである。 抽象から具象へ!。
人とは逆のコースをたどりながら、私はその教室でまた、林先生というすばらしい人物にめぐり 会うことができた。

先生は、すばらしい絵を描く具象画家であり、文筆家であり、古本大好き人間である。
「SUMUS」という、古本好きの、美術や本などに造詣の深い人達で作る雑誌の同人でもある。

その雑誌の愛読者となった私は、そこから、今まで知らなかったすばらしい世界を教えてもらう事 になった。

まず、「SUMUS」第5号の特集、「洲之内徹気まぐれ美術館」で、洲之内徹を知った。
かつて、東京銀座にあった現代画廊のオーナーであり、「芸術新潮」に連載コーナーを持ち、それ をまとめて、新潮社より出版された「気まぐれ美術館」、他に「絵のなかの散歩」「帰りたい風景」 などの著者でもある。

何度もそれらを読み、かつての日本のすばらしい画家達を知ったのである。
佐藤哲三、海老原喜之助、関根正二、長谷川利行、そして松本竣介。
その他のたくさんの、日本の画家達の存在を知り、画集を見、また展覧会に出かけて、その作品に じかに触れた。

「SUMUS」はまた、私に、私の知らなかったすぐれた小説家・文筆家も教えてくれた。
木山捷平、上林暁、青山二郎、澁澤龍彦。先日は内田百閧フ文庫本を7冊、まとめ買いしてきた。
「百鬼園随筆」から読み始めたが、非常におもしろい。絵について何か書いていると尚良いんだけど。


1月24日から3月14日まで兵庫県立美術館で 『具体』回顧展をやっています。





『具体』との出会い(2月4日)
私が唯一アートで賞らしきものをもらったのは、芦屋市展での教育委員会賞である。 その時の審査委員長があの『具体』の創設者であった吉原治良氏である。

当時関西のとある女子大の学生であった私は、そこの絵画部に入りそこで月1回クラブの指導に 来られていた元永定正氏に出会った。

絵が好きではあったが、それを学んだり描いたりする機会に恵まれなかった私は、油絵を基礎か ら学ぶつもりで、勇んで入部したのであったが、そこはまったく、私が思い描いていた世界とは 違っていた。

具象絵画はもちろん、多分当時の抽象絵画もそこでは描く雰囲気は無く、ついていけない新入部 員はやめて行ったのであるが、他に美術関係のクラブもなく、納得できた訳ではなかったが、ぐ ずぐずしているうちに、なんとなく残っていったのである。

そのクラブがなぜ『具体』の画家に、指導に来てもらえるほど親しかったのかは、わからないが 多分クラブを作った先輩の関係があったのだろう。今思えば、たいへんな幸運に恵まれていた訳 である。

画廊でクラブ展をする時は、必ず元永先生と白髪先生が来てくださったし、あの中ノ島近くにあ った、『具体』の本拠地である「グタイピナコテカ」にも、私たちはよく行って当時の外国や日 本の前衛画家の、すばらしい作品にふれる事ができたのである。

当時日本でより、外国での評価が高かった、元永先生や白髪先生達は、現在日本でも高い評価を 勝ち得ておられる。

もちろん、当時の芦屋市展は『具体』の色濃い絵画展であったのであり、その審査委員長である 吉原治良氏の、愛弟子であった元永先生に、指導して頂いていた私が賞を取るのは、そんなに不 思議なことでも無かったのかもしれない。

私の、自分でも意味不明の線を描いたスケッチ帳を繰りながら、先生は「これはおもしろい」な どと言いながら、数枚を選んでくださり、それを120号か200号のキャンパスにアクリルで描いて いくのである。

もちろんそんな大きなキャンパスは手作りである。材木店から四角の長い棒を買ってきて、大阪 の松屋町の問屋で、キャンパス用の布を大量に買ってきて張るのである。
私は大工仕事は結構うまく、釘を打つのが生まれて始めて、という新入部員達を助けたりしたの である。
出来上がったキャンパスを壁に立てかけ、白いファンデーションを2回から3回塗って、やっと出 来上がりである。

とにかく、そんな大きなキャンパス2枚に、意味不明の線を描いた私の絵が賞をもらう事になり、 審査委員長の吉原治良氏より賞状と副賞の額を頂いた。
出席されていた芦屋市長に「これは何の絵ですか?」と質問されておおいに困った思い出がある。

最初のうちは、ただただ「これって何?」と思っていた、絵やタブローやオブジェのよさが自分 なりに、分かるようになって来たのには、驚いたものである。

大学を卒業し、長い空白期間が過ぎ、中高年と言われる年齢になっても、当時の『具体』の絵画 、特に「グタイピナコテカ」で、作品群に囲まれながら感じた何ともいえない感覚。
そこに凝縮されていた、当時の前衛画家達の力強くも洗練された感性に圧倒され、魅了され、何 度も何度も通い続けた思い出を忘れる事ができない。



1月21日(水)晴れ
きょうは10時半から絵画教室がある。10号のキャンバスと、油絵具のセットを肩にかけて、でか けた。
いつもは20名程の生徒が、ところ狭しとイーゼルを置き、準備もととのい、おとなりや先生とお しゃべりしながら、開始時間を待っているのだが、今日は少し冷え込んだせいか、まだイーゼル を置く場所に余裕がある。

画材は石膏デッサン用の男性頭(マルス像)と青いビン、ゆびの模型、黄色の水差し、ねこの顔 のある時計、その他いろいろなモチーフが、テーブルにおかれており、 気にいったアングルを探 して、ぐるぐるまわる。

12時半で教室が終わり、もより駅までいつものように歩き出したが、あまりの冷たさに、やはり バスで帰るべきだったかと、悩んだがふと隣をみると、ちょうど以前、一度だけ入ったことのあ る古書店の前である。

のぞいてみると、いつもの女主人(40代)が、正面に座っているのがみえる。 暖まりたかったこともあって、思い切って入った。
素人のわたしにも、なかなか充実した品揃えにおもえ、期待しながら、絵画コーナーらしき棚に たどりつき見上げると、なーんと!感激!感激!。 洲之内徹の「気まぐれ美術館」新潮社の単行本を発見!。

目次の最後をみると、外函は松本竣介、表紙は西脇順三郎(洲之内徹の顔)、扉は佐藤哲三。 そうそうたるメンバーだ。 しかし残念ながら外函はなかった。非常に残念である。

それと鶴書房の美術文庫25の「マネ」。 わたしの大好きな画家だ。名前をみるとついつい買ってしまう。 2冊で、1,100円!。

バス代を倹約しようかとちらっと思ったが、寒さに負けてバスの停留所に急いだ。
今日は最近にないいい日だった。











自己紹介


部屋 いま、わたしのいちばん好きなことは絵をかくことです。みるのも好きです。すきな画家の絵を買って小さなへやの白いかべにかざります。
そしてわたしが買えないようなたかい絵は画廊や美術館でたのしみます。


あるときは本をよみます。澁澤龍彦の「滞欧日記」だったり、青山二郎の「鎌倉文士骨董奇譚」だったり.....
こういう本をみると、作者がどんな絵が好きかよくわかって楽しいです。いままで気にとめていなかったり知らなかったりした絵がおもいもかけずこちらにうったえかけてきたりして楽しいです。

猫 またあるときは気のあった友達をたずねます。

そこのうちの猫たちをだっこしながらながーくからだを伸ばしたのや、くるくるにまるまった猫の姿態の造形のすばらしさにうっとりしたりします。




馬
今うちのまわりではプールや遊園地がこわされてひろーい更地がひろがっています。



かつては休日ともなればたくさんのこどもが走りまわっておりました。うちのこどもも、となりのこどもも、みんなここで走りまわっておおきくなりました。







そんなこんなの日々にみつけた魅惑あふれるアートの世界をたくさんたくさんおとどけしたいとおもいます。

          1.名前   kazu

          2.性別   女性

          3.年齢   50代

          4.住所   関西

           よろしくお願いします。!!

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