画廊・美術館展


最近訪れた画廊や美術館の作品展をご紹介したいと思います。



■みだし■



国立国際美術館
2004年12月12日

兵庫県立美術館


神戸市立博物館


大阪市立美術館


姫路市立美術館








国立国際美術館



国立国際美術館 『マルセル・デュシャンと20世紀美術』 
2004年11月3日(水)〜12月19日(日)

切符を早くから手に入れ、すぐにでも行きたかったのに今日(12月12日)になってしまった。
今日は日曜にしては早めの7時半ごろ目が覚める。先に 国立国際美術館に行ってきた友人によると、休日でも そんなに混雑していなかったそうであるが、来週で終了と言う事でもあり早めに出かけることにする。

阪神電車で梅田まで行き、西梅田から地下鉄四ツ橋線に乗り肥後橋で下車。30分程で着いた。そこから 歩いて10分程すると国立国際美術館の特徴のある頭部が見えてきた。

地下へのエスカレーター 国立国際美術館は1977年に「主に現代美術を中心とした作品を収集・保管・展示し、関連する調査研究及び事業を 行うことを目的」に開館。
当初建物は1970年の万国博美術館を活用していたが、2004年3月竣工したこの美術館に 新築移転された。そして新美術館での開館記念展がこの『マルセル・デュシャンと20世紀美術』である。

国立国際美術館入口 設計者はシーザー・ペリアンドアソシエーツ。シーザー・ペリは1984年にニューヨーク近代美術館の展示室の拡張を 手がけている。以前テレビでその開放的な展示室の紹介を見たことを思い出す。

その展示室は「ガラス張りのアトリウム的空間を設け、ガーデンを眺めながらエスカレーターで移動できる動線をまとめる。 結果としてデパートのような開放的な動線空間が生まれた。」と紹介されている。

国立国際美術館の場合はその動線を地下空間へと伸ばしている。入口のある1階から地下3階まで、開放的なエスカレーター空間 が広がる。ニューヨーク近代美術館と同じ発想であろう。従来の美術館の閉鎖的展示室でなく、開けっ放しの明るく広い展示空間 がそこにあった。

マルセル・デュシャンの作品は始めてであったが、さすがにいい。前衛的な驚きは今では無理であるが、それでも十分感動を与える シンプルで透明感の漂う作品達である。代表作品「泉」も当時のありふれた便器なのであろうが、今見ると、もはやその造形じたいに 古典的な風貌がある。

その外に美術館の所蔵作品の中の、ピカソの初期や後期の作品、クリストの「梱包された缶」、マックス・エルンスト、舟越桂の 彫刻作品など、すばらしい作品にも出会うことができた。









姫路市立美術館



姫路市立美術館 『ヨーロッパ幻想の系譜』 
2004年9月11日(土)〜10月24日(日)

朝から、北よりの爽やかな風が、開けっ放しの窓から入り込み、頬に心地いい。爽快な気分で目覚める。
今日、9月25日(土)は、姫路市立美術館の『ヨーロッパ幻想の系譜』展を見に行く予定である。
JR三宮から新快速で姫路まで約35分。我が家からでも1時間程度で、あんがい近い。

さて、JR姫路駅から美術館まで、歩いてでも行ける距離ではあるが、体力に自信の無い私は、すぐバス乗り場に急ぐ。 JRバスは美術館には行かないと言われ、神姫バス乗り場へ行くと、美術館に行くのなら姫路城の周りをぐるりと回っている 「ループバス」が料金も安くてよい、と教えてもらう。
なるほど、100円は安い、と言う事でループバスに乗り、美術館前で降りる。
姫路市立美術館
姫路城の東側に隣接して、目的地である姫路市立美術館が、青々とした芝生の奥に、赤いレンガ造りのシックな姿で迎えてくれた。 借景になっているのが、世界遺産に登録されている姫路城である。なんとも贅沢な美術館ではある。

創設は1983年で、明治時代の元陸軍兵器庫を、地元姫路市の乃村工藝社が美術館にリニューアルした。 また、第1回兵庫県緑の建築賞(昭和60年)や、環境色彩10選公共の色彩賞(昭和63年)を受け、平成15年には国の登録有形文化財に 指定されている。 姫路市立美術館

低層でシンプルで、訪問者を暖かく包み込むような、なんとも居心地のよい、それでいて気品に溢れた美術館である。

正面の玄関を入ると、左右に展示室があるが、右側奥が『ヨーロッパ幻想の系譜』の展示室である。数人の客がいたが、よく空いている。 客層は若い人が目に付く。しかしアベックでは無い。静かに、本当に展示作品を見たくて来た、という感じで熱心に作品を覗き込んでいる。 同類という感じで、とても鑑賞しやすい雰囲気がうれしい。
私も幻想絵画の世界へと入って見ることにする。

まず、18世紀後期から19世紀前期にかけて隆盛した、ロマン主義のモノクロームな版画作品が並んでいる。
ウィリアム・ブレイク(1757〜1827)のダンテ「神曲」の挿絵、ウジェーヌ・ドラクロワ(1798〜1863)のゲーテ「ファウスト」の挿絵は、 テキストの原作を凌ぐほどの鮮烈さで観る者を魅了する。

解説書の「白と黒だけに支配される画面には、色彩によるイメージの限界をのがれた無限の世界が内包されている。色彩を欠くだけ にいっそう重要な役割をゆだねられる多様な線は、細部に宿る幻想を示唆し、観る者の想像力をかきたてる。」の言どうりである。

続いて、19世紀後期象徴主義の画家、オディロン・ルドン(1840〜1916)のピカール「陪審員」の挿絵。そして、ルドン後期の幻想に満ちた油彩画。 やっと色彩のある絵画の登場である。

次から姫路市立美術館所蔵の作品が続く。

ベルギーの画家、フェリシアン・ロップス(1833〜1898)の仮面を持つ女の油彩画や木炭画。澁澤龍彦は「ボードレール的な都会の廃頽と 悪徳の雰囲気を描かせたら、おそらく彼の右に出るものはないだろう。」と。この絵の女も悪徳のにおいがする。

続いて、またベルギーの画家、ジェームス・アンソール(1860〜1949)の仮面や骸骨のエッチング。あまりにも過激すぎて長らく日の目をみず、 1929年の回顧展でようやく真価を認められる。
有名な代表作「キリストのブリュッセル入市」はベルナール・ドリヴァルが「そこでは道化が死神と、風刺がユーモアと、陽気が怒りと、 じょうだんがまじめと、グロテスクが悲劇と、幻想が憤怒とまじり合っていると同時に、道化師が薬剤師と、軍人が魚売女と、僧侶が売春婦と、 骸骨が生者と、仮面が顔と並んで、群がり行進し、すべてが動き、うごめいて、唸っている。...」と解説している。
エドヴァルド・ムンク(1863〜1944)の版画作品、フェルナン・クノップフ(1863〜1944)の女性の幻想的なパステル画が続く。

そして、最後がシュールレアリズムの時代である。無意識(超現実)の世界を絵画で表現するため、作り手の意識をなるべく排除する表現法が試み られた。その結果としてもたらされた幻想的な世界を、意識的に作り出そうとする画家が現れる。

コラージュやフロッタージュで、超現実の世界を表現しょうとしたマックス・エルンスト(1891〜1976)。
そして姫路市立美術館の所蔵するベルギーの画家ルネ・マグリット(1898〜1967)。彼の絵は写真のように平板な写実の手法で、婦人の首から 上だけの横顔と正面顔を壁に張り付けたり、男のシュリエットの中に風景画を入れたりと、「絵の中でデペイズマンを試みたり、物体の ダイメンションをちょっと狂わせたりする。」「すると、この現実の内部に、見えない亀裂が走る。」「マグリットは表現された物体から、 意味を剥奪する。意味の剥奪された、おそろしい物自体を彼は描く。」と澁澤龍彦は著書に書いている。

次のコーナーでは、ベルギーが誇るシュールレアリズムの世界的巨匠、ポール・デルヴォー(1989〜1990)の青い世界が眼に飛び込んできた。 この作品も姫路市立美術館所蔵である。
デルヴォーの裸の女が前を向いたり、横を向いたり、後ろを向いたりして立っている。同じ顔をして。絵の前で立って見つめていると、その 不思議の世界の中に引き込まれそうである。

澁澤龍彦は「アングル風の冷たい外観の下に、放射しょうのない熱っぽい欲情が息づいている。この蒼白い裸女は、わたしたちの潜在意識に巣食う リビドーの姿そのものだ。デルヴォーの画家的手腕は、なによりもまず、その凍りついたような冷たいマティエールの下から、奥ぶかいリビドーのほのめきを 解き放って見せたことであろう。」と評する。


これら、姫路市立美術館が誇るすばらしい作品群にかこまれ、楽しい時間を過ごす事ができた。図録や解説書で見たり読んだりしてはいたが、本物が こんなに身近な場所に常設されていたとはうれしい。地方美術館を侮るなかれ、姫路市立美術館の皆様に敬意を表して帰路に着いた。



”姫路市立美術館”の ホームページです。






神戸市立博物館



神戸市立博物館 『栄光のオランダ・フランドル絵画展』 
2004年7月17日(土)〜10月11日(月)

かつて(2000年4月〜7月)、大阪市立美術館での『フェルメールとその時代展』で初めてフェルメールの 絵画を観た。
特に「青いターバンの少女」に魅せられ、模写したりしていた私は、今回また神戸市立博物館で彼の一番の傑作 「画家のアトリエ(絵画芸術)」が観られると知り、人の混まない平日を選んで今日(7月28日(水))出かけることにした。

神戸市立博物館は、神戸の三宮と元町との中間に位置する。朝の9時頃家を出て、阪神電車で三宮駅で降りると、10時前 だったが、外は既に猛暑の中。ビルの間の日陰の道を選びながら海岸方向に下って行く。歩く事約10分、やっと神戸市立博物館 が見えて来た。

1935(昭和10)年建築、昭和の名建築と言われるドリス様式の円柱が立ち並ぶこの重厚な建物は、以前は旧横浜正金銀行( 現在の東京三菱銀行)の神戸支店ビルだったそうで、付近は旧外国人居留地である。

神戸市立博物館 あらかじめ、阪神三宮駅で購入していた前売り券を持って博物館に入った。
1階は以前の銀行の窓口だった事を思い起こさせる広いフロアになっており、入場者はまず3階へ上って行くことになる。

私はエレベーターを探して一気に3階まで上った。いよいよ”ウィーン美術史美術館”の名品を堪能できる。

特に私が感銘を受けた作品として、16世紀ヤン・ブリューゲルの「小さい花卉画ー陶製壷のー」51x40cm「動物の習作」34.5x55.5cm。
17世紀フランドル絵画の巨匠、ペーテル・パウル・ルーベンスの「キモンとエフィゲニア」208x282cm「自画像」109.5x85cm。
おもしろいところでは、アブラハム・テニールス「猿の床屋に猫の客」24x31cm。

続いて、17世紀オランダ絵画のレンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインの「使徒パウロ」135x111cm 「金鎖の首飾りとイヤリングを付けた毛皮の上着の自画像」66x53cm。

そして、ヨハネス・フェルメール・ファン・デルフトの「画家のアトリエ(絵画芸術)」120x100cm。
この絵だけで1コーナーが用意されている。やはりすばらしい。静謐で気品に溢れた絵画世界に引き込まれ、いつまでも立ち付くして いたい。ふっと後ろを見ると皆がこの絵に魅せられている。
神戸市立博物館
フェルメールの絵はだいたいに小品が多い中で、この絵は大きさから言っても、画家が手放さず最後まで手元に置いていたという 点から言っても、特別な絵である。

平日の午前中に観に来たにもかかわらず、夏休みのせいもあるだろうが、思った以上の入場者であった。

10月11日の最終日までに、もう1、2回は行きたいものである。






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大阪市立美術館



大阪市立美術館 『祈りの道』〜吉野・熊野・高野の名宝〜
  2004年8月10日(火)〜9月20日(月)

「紀伊山地の霊場と参詣道」と銘うち、世界遺産登録記念の特別展が大阪市立美術館で開かれた。

例年にない暑さに、もう少し涼しくなってからと、伸ばし伸ばしにしている間に、気がついてみると最終日になっていた。 あわてて9月20日の最終日に、最終日の人ごみを覚悟して出かけることにした。

祈りの道 11時前に美術館に着いたが、恐れていたとおり美術館の入口には人の列が出来ており、入場制限がされている。 それでも程なく、切符売り場に導かれ入場できた。

順路版に従って2階に上ると、山岳修行の中心霊地である「吉野・大峯」の、修験道の開祖「役行者几像」が眼に入る。祠のようになった古木の中に 下駄を履いた姿で鎮座している。図録でみると絹に描かれた像も下駄を履いた姿である。これであの標高1000m以上の 険峻な大峯山系を巡ったのであろうか。

他にもガラスケースには絵巻物が並べて陳列されているが、人が多くてじっくり見れない。人ごみをうろうろするだけでも疲れる。
曼荼羅図や山系図などを見ながら、次々巡って行くと、霊場高野山の名宝に行き着く。

まず空海によって創建された金剛峰寺の、木造「阿弥陀如来像」と、金剛峰寺の南東にある如意輪寺の、木造「如意輪観音坐像」。 特に「如意輪観音坐像」は気品に満ちたお顔でありながら、はっとするほどの肉迫感で見る者を圧倒する。再度図録でみてみたが、 到底その時の感動を呼び起こすことはできなかった。如来より、人々に近い存在として親しまれていたのだろうか。 この「如意輪観音坐像」と「阿弥陀如来像」の2体に一番心を打たれた。

最後に、順路に従って1階に下りていくと、そこに巨大な「蔵王権現立像」が待ち構えていた。像高4mを超える巨像で、美術院 での解体修理が終わって、本展に出品された。霊場「吉野・大峯」の金峯山修験本宗の総本山金峯山寺蔵王堂の外陣、奥に安置されて いる。

その大きさに度肝を抜かれながら、恐ろしげな顔を、前から横から眺めまわりながら、会場の出口へと向かった。

入場者が多くて、じっくり鑑賞することがむずかしかったが、平日に行った友人に聞いたところでも、混みあっていたと言う事だから 多くの人の関心を引いた展示であったと言えるのだろう。



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大阪市立美術館 第41回『関西独立展』
  2004年3月23日(火)〜3月28日(日)

大阪市立美術館で3月23日(火)〜3月28日(日)まで『関西独立』が開催された。

大学の絵画部でいっしょだった友人は、卒業後も『関西独立』に席を置いて、製作に励んでおり、毎年 この時期に、案内兼入場券付きはがきを送って来てくれる。

関西独立 その母体である『独立美術協会』は佐伯祐三、前田寛治を中心とする1930年協会展が発端となり、 1930年に組織されたと、そのホームページにある。

当時の創立会員は小島善太郎、児島善三郎、里見勝蔵、林武、三岸好太郎らであり、 その後須田国太郎、海老原喜之助、鳥海青児らを輩出している。

秋に、東京の上野の美術館で開催される『独立』展を彼女は『本展』と呼んでいるが、今回の 『関西独立』展は、関西地域の応募展である。

友人も毎年出品を続けており、はがきで知らせて来てくれる。


また、この美術館は我々が学生だった頃、毎年作品を飾ったなつかしい場所でもある。

関西地区の多くの大学美術部が加盟していた、『全関西美術連盟』の年に1回の大阪での出展場所であった。

慶沢園 長屋門 天王寺公園の中にある、この美術館は住友家の本邸があった場所に建てられており、隣には名園、『慶沢園』 がある。共に大阪市に寄贈された。

また、美術館の入口付近には、中ノ島周辺にあった諸藩の蔵屋敷の中の、黒田藩屋敷の長屋門が移築されて おり、入館者を迎え入れてくれる。

この日も、友人と作品を見てまわった後、地下の喫茶室に入り(ここも懐かしい場所である。)作品の苦労話を 聞きつつ、私の感想を述べ、東京の『本展』(ここは入選するのがたいへん難しい。)への入選を励ましながら 帰路に着いた。

私もいつか、この『関西独立』展に出品できる日を夢見ているのだが.....。







兵庫県立美術館



兵庫県立美術館 『具体』回顧展  2004年1月24日(土)〜3月14日(日)

「二話」
まず、目に飛び込んできたのが、金山明の、足跡を付けた白い長い紙が、階段から展示会入口、展示会場内へとつながった作品である。

それに導かれて行くと、「具体」の初期の作品がある。
1954年から1957年。野外での展覧会や、パフォーマンスの時代である。
白髪一雄の「泥にいどむ」や、村上三郎の「紙破り」などの映像記録が、会場の壁に映し出されている。

東入口 白髪一雄氏も、元永定正氏も若い。

1957年「アンフォルメル」の提唱者ミシェル・タピエが来阪、具体の作品を絶賛する。
その後、タピエ氏がらみの、国内外での展示会が、次々に開催されることになる。
「具体」の中期である。1957年から1965年。

学生時代、元永先生のお家に伺った時、アメリカで奥さんが出産された話をされていたが、この頃だろう。
「僕らは、外国の方が有名やねん。」と言われていた。
当時、アメリカに滞在して作品を制作されていたのだろう。

1962年には、あの具体の美術館「具体ピナコテカ」が開設される。名付け親はタピエ氏とのこと。
なつかしい「具体ピナコテカ」の写真がある。大阪の中ノ島にあった。ここには何回来ただろう。

白髪先生、元永先生、吉原氏の作品も、すべてここで見た。

次に1965年から、吉原氏が亡くなられた1972年までが、「具体」の後期である。
私が、大学の美術部で白髪先生や元永先生に会うことになったのが、1967年頃か。
当時の関西の大学の美術部は、「関西美術連盟」に多くの美術部が加入しており、年1回「関西美術連盟」展を開催していたが、 白髪先生と元永先生はそれの審査委員をされていた。

出品作品は圧倒的に、抽象画が多かった。
当時学生達はこぞって、芦屋市展にも出品したが、そこは具体への登竜門でもあったらしい。
私は気づいていなかったが、今に思えば、関西の学生達は「具体」の影響を大きく受けていたのだ。

また、1970年には大阪万博が始まり、「具体」も参加要請があり、お祭り広場でいろんなイベントを行なった。
私も、見に行ったが人ごみが苦手で、よくおぼえていない。
今も心に残っているのは、万博美術館の方である。

後期の作品は、学生時代に見慣れた作品ではあるが、今見ても、その迫力やフォルムのすばらしさ、色使いから受ける感動は変わらない。
「ぱっと見た時、一番めだっていないといけない。」と教えられたことを思い出す。
大胆で繊細、吉原氏の作品などは哲学的でもある、と思う。



「一話」 
2月21日土曜日、今朝は朝寝坊をし十分睡眠が足りていて、気分は爽快である。
急に、県立美術館の『具体展』に行こうと決心する。
駅まで自転車で行く。頬にあたる風がなんとも気持ちがいい。春の陽気である。

阪神電車に乗り、岩屋駅でおりる。
改札を出て、南の海岸方向を見下ろすと、歩道橋が美術館へと下りながら、のびているのが見える。
歩道橋を降りて信号をわたって少し行くと、美術館や海岸へと導く、板敷きの回廊のような歩道橋が現れる。

何の疑念も無く、その板敷きの歩道の感触を楽しみながら歩いて行くと、まっすぐ海岸へ出る道と美術館の東側の、 2階入口への道とにわかれる。
もちろん、右折して美術館へ入ったが、ここからがたいへんであった。

まず入ったところに、『具体展』の会場への道しるべなどは無い。左行きと右に折れてから、まっすぐな通路とがあるが、 多分右だろうと検討をつけて行く。

美術館の中央に向かっているであろう長い通路は、安藤忠雄特有の、コンクリートの無機質でモノトーンで濃いグレーな世界である。 照明は暗い。道幅は4mくらいはあるのだろうか。

その、長い憂鬱な通路を歩く間に、壁のポスターや立て看板など、訪問者への案内らしき掲示は何も無い。
たとえて言えば、地下鉄を乗り換える時の、長い長いトンネルのような通路のイメージである。
不安な気持ちを抑えながら行くと、なんだかにぎやかな演奏が聞こえてきた。

相変わらずモノトーンな世界の、ホールに出たようで、その、またながーいホールの行き止まりのコーナーで 演奏会が行なわれているらしい様子が見える。

とにかく私は『具体展』会場にたどりつきたいのだが、建物全体の照明が薄暗くて、案内版が目に入らない。
近くにいた警備員にたずねると、3階だと言う。そこのエレベーターに乗れといわれ、やっと目指す3階に着いた。

エレベーターを降りると、目の前はコの字を伏せたような通路が、左手にある上りと下りの大きな2つの階段のぐるりを 四角に囲んで付けられている。

つまり、エレベーターを出て真っ直ぐ行き、壁に付き当たったら、左に壁に沿って行き、また壁に付き当たったら、 また左に壁に沿って行き、もう一度壁に付き当たってやっと会場の入口である。

何のことは無い、エレベーターの出入口を反対側も出入出来るようにすれば、エレベーターを降りて目の前が会場の入口である。

あえて遠回りをさせようとしているのだ。
その遠回りの道を歩きながら、私は、だんだん腹が立ってきた。

入口には女性が一人、演説会の演台のような物の後ろに立っていた。
「『具体展』の入口はここですか?」と尋ねると、「はい、切符をお持ちですか?」と尋ねられた。
「ないんですが?」と言うと「1階の切符売り場で切符を買ってきてください。」と言われる。

「ええっ!また1階まで行くんですか。やっと、ここにたどり付けたのに!」
私はむっとして、「また1階まで行くんですか?」を繰り返していると、近くで成り行きを見ていた男職員が、「切符売り場は 1階と案内板に書いてある。」と言う。

これからまた、1階まで買いに行くのかと考えると、どっと疲労を感じ、ダメもとで、言うだけは言おうと、 「2階の入口から入ったら、そのまま3階に行くのが、普通に考えるコースだろう。
ここまで来るにも、案内版はわかりにくいし、通路は長いし、回り道はあるし、だだっぴろくて訳が分からないしで、とても疲れた。
以前の王子公園にあった美術館の方が、分かりやすくてゆっくり出来て良かった。」
など腹立ちまぎれに言わなくてもいい事まで言ってしまった。

すると、その男職員は「現在の美術館は美術だけでなく、多目的に活用されるのが新しい形である。
昔の美術館は入口で切符を買わないと入れなかったが、ここの美術館は切符が無くても入れる。
そういう新しい形の美術館である。」などと言う。

結局、入口の切符切りの女性が、気を効かせてくれ、1階に携帯電話で連絡を入れ、切符をもって来てくれた。
言ってみる物である。

ようやく展示場に入ると、すぐあとから、私と同じ年恰好の中年女性が入ってきた。
「ここがすぐわかりましたか。」と聞くと、私と同じ様に、切符を持たずに来て1階で買ってくるよう言われたとの事。

「分かりにくくて、いったんは、もう帰ろうかと思った。」と言っていたが、ここにいるという事は、1階まで降りて切符を買ってきたのだろう。


私だけではなかったのだ。

ちなみに、目出度く『具体展』の鑑賞を終えて、最初の入口に出てきた時、まさに今から入場せんとしている夫婦連れが 「切符を買ってきました。」と切符切りの女性に、にこやかに笑いかけていた。

これから行かれる方は、十分ご注意を!!




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