書庫出し日記 2004/12月

12月8日
※書庫から出てきた1冊・・・・・昭和18年頃発行「教育紙芝居・小冊子

 数年前にどこかの同業者から購入したまま放置していたこの小冊子、やっと出てきました。日本教育紙芝居協会製作、日本教育画劇株式会社発行の本書は、紙芝居の用途と同協会の活動表、実演の手引き、そして作品目録の本文16頁で構成されています。時代が時代なので、表紙には「何時でも何処でも だれにも出来る 文化の挺身隊」と表記されていたり、「常会で=国策の解説と和楽に」などと謳っているのが時代背景を強烈に感じます

 活動表には紙芝居のコンセプトから利用方面まで詳細極まる構成図で解説されていますが、「作品の型」の項目で、標準型が新聞紙四つ切300人迄、中型が新聞紙1頁大700人迄、大型が新聞紙全紙大1000人という記載がありますが、新聞紙全紙大で1000人ですか・・・現在から考えると物凄い数字ですね。

 複製方法の項目では、肉筆原画・塗絵貼絵・版画・型紙・石版・謄写版・写真版・・・という種別が書かれていますが、石版までは見たことがありますが、謄写版や写真版は残念ながら見たこと(扱ったことが)がありません。一度見てみたい気になります。

 作品内容の項目には、保育紙芝居・教材紙芝居のほかに翼賛常会紙芝居や宣撫紙芝居というのが見受けられます。本当に時代を感じます。

 利用方面の項目はさらに時代を反映して、街頭・家庭・幼稚園保育園学校は当然として、青少年組織・自治団体常会(教化宣伝)・諸官庁(民心作與・国策浸透)・共栄圏施設(開拓移民の慰安・宣撫工作)などなど大政翼賛の正確がよく表れています。

 でも、一番参考(面白い)になるのが作品目録です。常会・一般・和楽向きとして、大政翼賛・戦争をしているのだ・家庭防空陣・スパイ御用心・隣組・ルーズベルトは叫ぶ(世界の平和を口にして東亜の侵略を企画したも束の間、今は自国の保全に狂奔する米大統領の悲鳴・・・と解説してあります。ほ、欲しいです)。銃後後援向きとして、お米と兵隊・鍬の兵隊・進め日の丸・チョコレートと兵隊などなど。他にも銃後生活指導向きとか宗教向きとか幼児向きが紹介してあります。で、欲しいのが写真紙芝居・・・ロンドン爆撃(ドイツ機のロンドン爆撃は日を追って烈しくなる一方である。空襲下のロンドンの有様はどうであろうか)・愛馬)前線に、銃後生産陣に雄々しくも参加している者云わぬ戦士『馬』が如何に我々人類の為に役立っているか)・海の戦い(無敵日本海軍の偉容或いは敵の軍備の詳細を)・米国太平洋艦隊(遂に対米宣戦布告既に緒戦惨敗を喫したりとは云え、その宏大な軍備は)などなど。

 現在では、交通道徳を啓蒙する目的のモノもいまだに作られていますが、一方的に何かを教え込ませるには最適なアイテムだったことは確かなようです。

12月6日
※書庫から出てきた1冊・・・・・昭和43年5月発行「新宿中央公園造成工事の概要

 とにかく自分にとって懐かしいのが出てきました。財団法人新宿副都心建設公社が発行したこの小冊子は、昭和35年都市計画事業決定を受け、新宿淀橋浄水場跡地を中心とした約56ヘクタールの副都心建設に当たって、約10ヘクタール弱の都立公園造成計画の概要をまとめたものです。植栽工事の基本方針や植栽樹木一覧、施設工事(野外ステージや休憩所など)、事業費の概算などのほか、付加項目として西口街路樹西口広場の緑化など40ページにわたって表や写真などが報告されています。

 何が懐かしいかというと、この造成工事が始まった頃からグリム、新宿で無闇にたむろしていたので公園完成までの期間を含めてリアルタイムに見ていたことになります。公園が完成してから最初に建築が始まった高層ビルがたしか京王プラザホテルでした。鉄骨が最上階まで組み上がった時のクリスマスには、工事用ライトで大きなクリスマスツリーを描いていたことなど急に思い出しました。また、当時公園側の歩道橋脇にあったカフェテラス(今の小田急センチュリーハイアット・ホテルの場所)に入り浸っていて、マスターが休んだ時などにアルバイトなどをしていた思い出があります(ピラフとかドライカレーなんかも無謀に作ってました)。

 なんてこともない工事概要の小冊子ですが、人の思い出ってこんなところでも見つかるということ、改めて知りました。

書庫出し日記 2004/11月

11月25日
※書庫から出てきた1冊・・・・・資生堂1968年頃発行「資生堂花椿会メンズグループ・入会パンフ

 なんだか随分間が空いてしまいました。やはりコンスタントな連載というのは結構辛いものですね。こういう状態ですので、トップへの掲載は恥ずかしいのでこちらの格納された場所でチンマリ続けようと思います。

 今回出てきたのは、バイタリスと共に当時のアイビー・ファッションに欠かせなかったヘアーリキッドなど一世を風靡した資生堂MG5をイメージした花椿会男性版の入会案内パンフです。団次郎もそれはそれはカッコよく、手に持った会員証が男心をくすぐります。とにかく、いきなり”キミも仲間に”で始まる文句にも泣かせます。当時は平凡パンチなどで、”キミ”というフレーズが頻繁に使われていて、ボクたちもこの手の雑誌を指して”キミ雑誌”と呼称していました。う〜ん、とにかく懐かしいですね。この資生堂花椿会メンズグループという資生堂男性化粧品の愛用者会は1968年11月にスタートしていますが、会費は無料で名前と住所が会員名簿に記載され、会員証発行と同時に製品購買毎にスタンプを捺してくれてその数によってクラスが分かれ記念品がもらえるというだけのシステムだったようです。それでもこの会員証がモノを言ったのでしょうね。でも当時自分の周りにはそんな手帖みたいなものを持って自慢げに見せびらかしていた知り合いはいませんでいた。花椿会はいまだにありますが、このメンズグループというのはいつ頃まで続いたのでしょうか。

書庫出し日記 2004/10月

10月7日
※書庫から出てきた1冊・・・・・婦女界昭和11年8月号付録「誰にも出来る新手芸全集

 表紙がちょっと汚れているけど、表紙絵がグーです。内容は第1課から10課まであり人形・編物・手彫・刺繍・造花・染色・組紐・小布・廃物利用・3分間手芸集となっています。
 第1課の人形手芸集で川崎ブッペが「ブランコに乗るマドモアゼル」と題してフランス人形の作り方を丁寧に解説しています。材料や型紙、身体の作り方やコスチュームの作り方や着付けまで書いてあります。川崎ブッペはこの当時文化裁縫女学校の講師だったんですね。ほかにも汐見八重子が日本人形を・・・上村露子がベビー人形の作り方を寄せています。で、驚いたのが第4課の刺繍手芸集で武井武雄がアップリケで作る壁掛けなどを3種掲載してました。「魚・魚・魚」と「壁掛け・門の前」、そして「ラムラム王の壁掛け」。。。作り方の図もご自分で描いたようで、これにはビックリしました。肩書きには「イルフ・トイス」となっていますが、なるほど挿絵家ではなくてトイスなんですね、ここでは。。。
 で、結構笑えるのが第9課の廃物利用手芸。「敷布一枚で出来る浴場用マット」はなるほど・・・と思いますが、「絹靴下の乳押へ」(”乳押へ”にブラジェアとルビが振ってあります)がすごいです。上等の絹メリヤス靴下だとあたりの柔らかい乳押へが出来るそうです。ふ〜ん。。。第10課の三分間手芸集では「ジョーゼットの電灯カバー」とか「女学生好みの状差し」などなど・・・材料や工夫はともかくとしてその表題がナイスですね。

10月6日
※書庫から出てきた1冊(1枚)・・・昭和40年3月「トヨタ・パブリカ リーフレット

 昭和40年3月付けで発行されたこのパブリカのリーフレット、特別に懐かしいんです。。。実はグリムが運転免許を取って最初に所有した車(いわゆるマイカー・・・ね)がこのパブリカ(しかもスタンダード仕様)の昭和42年式でした(お断りしておきますが、当然中古車でしたので昭和47年頃に乗っていた話ですからね)。色はホワイトで、フロントガラスの上の屋根には雨どい(ひさし)が付いていて、空冷水平対抗2気筒エンジンで800cc。このカタログでは700ccとなっているので、発売当初は700だったんですね(今知りました)。当然2ドアで4速のコラムシフトだった記憶があります。よく覚えているのが運転席も助手席もリクライニングにならないベンチシートだったことですね。後ろに人を乗せる時には背もたれのレバーを引くだけで背もたれが倒れて・・・また自分で直して・・・たったそれだけでした。空冷エンジンだったため冬場は暖房があまり効かなかったような気がします。このパブリカはたしか第1回日本グランプリにも出場して好成績を残したと思いますが、その時のツインキャブを搭載したものがパブリカ・スポーツでした。シフトレバーもフロアタイプで、当時は本当に憧れてました。で、ラジオは当然付いてましたが、カーステレオがなくて、8トラックのものを付けた覚えがあります。
 この車で初めて東名高速を走った時、東京料金所の手前でクラッチワイヤーが切れてしまい走行不能になり、知り合いに電話して現場まで来てもらい、その場で修理をしてもらったことを急に思い出してしまいまいました。数年乗ってから友人に譲りましたが、この車、自分のカーライフの原点なんですよね。

書庫出し日記 2004/9月

9月26日
※書庫から出てきた1冊(1枚)・・・1958年「世界のトップの征服者」?

 1958年にスカンジナビア航空で東京を発ちアンカレッジ経由でコペンハーゲンへ飛ぶというコースが全てこの航路かどうかは知りませんが、そのSAS航空DC-7C機の乗客全員に発行されたと思われる「北極点通過証明書」です。地球儀と王冠をかぶったシロクマとオットセイ?が微笑んでいるこの証明書・・・何故か書庫から出てきました。機長の版上サイン入りの4色刷り証書には、名前と日付だけがタイプで打つようになっています。1958年に東京から北欧のコペンハーゲンへ旅し、北極点を機上通過したMr.T.M氏は何方か知りませんが、1958年はフラフープ・ブームとチキンラーメンの発売・・・テレビ契約者も100万人を突破し長島茂雄が4三振のデビューをした年でもあります。そう考えるとそのような時代に北欧へ飛行機で出かける人はそれほど珍しくなさそうですし、ましてやこの証明書のようにあらかじめ印刷済みで用意してあり、あとはその時の機内乗車名簿をタイプするだけという事を思うと航空会社のちょっとした機内サービスのひとつなんでしょうか。調べてみたら、いまだに北欧へ旅行ツアーではこの北極点通過証明書発行を売りにしているようです。なんでもその当時北欧への飛行は、ソ連邦上空を通過できないため北極圏を通過していたそうです。だからなのでしょうか。。。最初にこの証明書を入手?した時これが北極点通過航路1号だったら・・・とか、この飛行機が歴史的事件に絡んでいたら・・・とか妄想しましたが、なんだかよくある紙のようです。なかなかお宝は発掘されませんね。(ちなみに、数年前仕事で生まれて初めて飛行機に乗って北海道へ行った時には津軽海峡通過証明書なんかもらえませんでした・・・) 

9月25日
※書庫から出てきた1冊・・・昭和14年日本郵船「香取丸」晩餐献立2種

 明治18年に創業された日本郵船は創業当時69隻もの貨客船を所有していた日本初の外国定期航路を開設した大船舶会社でしたが(今も飛鳥などのクルーズシップで有名な大会社なのでいわゆる業界最大手ということなのでしょうか)、このメニュー2種は昭和14年8月18日金曜日と19日土曜日の晩餐分です。どちらも海外のお客を意識した装丁となっていて18日分は歌麿(色刷りオフセットのようです)で19日分は絵師不明ながらも手刷りの5色刷木版印刷です。両日とも凝った献立が記載されていますが19日には特別料理としてお吸い物と鯛ご飯が加えてあります。日本人向けに用意したのかどうかわかりませんが、日本郵船ではこの当時(昭和9年から12年にかけて中南米やアラビア湾、北欧、マドラスなどの東回り世界一周航路を開設したばかりですので、どちらにしても爵位クラスの日本人かVIPな外人将校や富豪だったのでしょう。。。でも、メニューが既に活版で印刷されているのを見ると、航海中の料理は事前に全て決められていたようです。もし世界一周航路でしたら、当時はこのメニューがどれだけ必要だったのでしょうか・・・。この香取丸の就航は1913年で、あのタイタニックが試験航海で悲劇があった翌年に完成し、昭和16年にボルネオ島北西岸クチン沖で仮泊中にオランダ潜水艦K-14の雷撃により、翌日沈没したそうです。

9月16日
※書庫から出てきた1冊・・・文芸春秋 漫画読本(昭和39年11月号)

 特集が東京オリンピックということで、表紙がいきなり園マリが日の丸を纏ってオリーブの冠を頭に載せピースです。スポンサー付き折込ピンナップ・ヌードも素人のハーフを日常スナップ写真?と裏表で使うなど工夫が一杯で当時の人気がうかがえます。折込目次頁の絵は伊坂芳太良ですし。この雑誌は毎号お色気たっぷり?の漫画と読物で構成されていますが、今号は特集が東京オリンピックということで『漫画版五輪競技解説』と銘打ってマラソンを清水崑、レスリングを杉浦幸雄、重量挙げを加藤芳郎、近代五種を岡部冬彦、水泳を鈴木義司、ボートを柳原良平などなど総勢22名が見開き2ページづつ描いています。ここでも長新太さんは仕事をしていてバスケットボールをナンセンスに描いていますが、この当時はサインをカタカナで入れていたんですね。特集とは別に「名士漫画ギャラリー」というコーナーがあり俳優の仲代達也が”深夜営業禁止”と題して漫画を描いています。それとこの号で発見しましたが毎号の連載企画として「新人漫画教室」というのが巻末の方に掲載されています。西川辰美というたぶん漫画家(名前を知らないので・・・)が自由教室という形で投稿の一コマ漫画を寸評していますが、杉浦幸雄も出題したタイトルの一コマ漫画を選評しています。その中に岩本久則さんの名前を見つけました。たぶんあの岩本さんだと思いますが、杉浦先生、ご自分で選んでおいて酷評です。「これも案だけにたよった気のない絵だ。ことに手前の四人の顔はただかいてあるというだけでなんの反応もない。あなただけではないが、漫画に興味があるんですかと聞きたくなるね」との評です。想像ですが、この評を受けて発奮されたのでしょうか・・・。

9月12日
※書庫から出てきた1冊・・・大礼記念京都大博覧会『団体観覧の栞

 昭和3年9月20日から12月25日まで開催された昭和天皇即位記念の博覧会案内パンフです。この栞は比較的厚手の細長い紙に両面印刷を施し縦に五つ折してポケットに仕舞いやすいサイズに作ってありますが、何と言っても表紙のデザインが洒落ています。網点カラー印刷ですがボテッとした感じの厚紙に印刷すると味わい深いですね。
 大礼の諸儀式は11月6日京都へ行幸してから26日に東京へ還幸するまで途中4日間しか休まずにハードスケジュールで行われることも記載されています。なので観光客向けにこの手のパンフを沢山印刷して配ったことが想像されます。制作は博覧会事務局となっていますが、割り当てか自己申告かはわかりませんが、手元にあるのは京都駅前烏丸通りの物産館百貨店の広告入りです。
 この京都・物産館は大正9年に京都駅前で創業して昭和6年に合名会社丸物に商号変更しています。その後いろいろな鉄道会社などと合併統合を繰り返し今の近鉄百貨店となったんですね。
 当時の営業時間は8時から9時半までで、建物は6階建て、屋上に展望台まで付いています。今のデパートとフロアの分類が基本的には一緒なのが面白いです。1階に(地下はなかったのですね)土産品や食料品、雑貨類と別館食堂。2階に呉服などいわゆる着物売り場が集中しています。なんと美粧部というのがありますが、今の化粧品売り場みたいなものなのでしょうか?それと休憩室も2階にあります。3階には子供雑貨や文具書籍、玩具や洋服売り場になっていて、貴賓室が設けてあります。やはり時代を思いっきり感じてしまいます。4階には家具や陶器、美術品や貴金属そして日用品。5階に催事場と大食堂。それに園芸用品や玩具菓子のほかに理髪室があります。最上階の6階には喫茶部と遊技場(って何が置いてあったのか興味しんしんです)それに放送局と演奏室(まさか実演はしてなかったと思いますが)。こうやってみると、昔も今もデパートはシャワー効果で期待しているんですね。

9月11日
※書庫から出てきた1冊・・・雄鶏社版実用叢書『ブラウスとスカートの作り方第4集

 昭和30年に出版された本書は1950〜60年代に活躍された笹原紀代さんのエレガントでハイセンスな?なデザインのオリジナルを完成写真と縮小型紙と裁ち方で構成されています。写真のモデルは全員外人でなんとなくゴージャスな感じがします。。ビジネスウェアーのブラウスを着ている外人5人がいい味を出しています。当時の社長秘書って映画で観ると皆こんな服を着ていた気がします。そういえば、以前に大正期に発行された日本のモード雑誌を扱ったことがありますが、そこで紹介しているような服を着た女の人って、当時ホントにいたのでしょうか?この本でもオシャレな(当然時代をたっぷり感じさせますが)服が沢山載っていますが”年齢を問わぬ上品なブラウス”って書いてあるこの服と帽子・・・一体どなたが着るのでしょうか。。。”実用叢書”と言っているのですからきっと実用されていたとは思いますが・・・なんだかすごいですね。このシリーズは編み物と料理を中心に染めや折紙、生け花など幅広いラインナップで相当数出版されています。当時は既製服も殆ど無かったようですし、食事もほとんど家で食べるような生活でしたからちょっとゆとりのある主婦にはオシャレな雑誌だったのでしょう。定価80円というのが高いのか安いのか分かりませんが・・・。

9月5日
※久し振りに今日の1冊・・・ひまわり9月号付録『ミニミニ・メモ帳

 表紙を中原淳一が描いているこのミニ・メモ帖・・・懐かしいですね。昨年の2月7日にここの日誌で北朝鮮に渡った方の寄せ書き帖について書いたところ、あれよあれよという展開になってしまい、それでも無事一件落着となり、肝心の寄せ書き帖も元の持ち主さんへお返しできたという、グリムにとっては大事件がありました。お陰でテレビにも出てしまったしね。。。それもこれも寮美千子さんのお力だったこと今思い出しました(すみません・・・マスメディアへのアプローチ、全部やってくれたんですよね。。。)。で、そのほんの一時的でしたが、当店はまるで中原淳一の専門古書店のような印象を与えてしまったようで(視聴者にですよ)、全国から問い合わせが殺到(電話が数本と、ご来店者が数名でしたが)し、後日談を含めて随分盛り上がってしまったことが懐かしく思います。 
 で、今回書庫から出てきたこのミニ・メモ帖もその時の寄せ書き帖と一緒に仕入れたものだったような気がします。今までそのままになっていたのは、未使用なのはいいのですが、如何せん表裏表紙が中原淳一だ、というだけであまりにも小さすぎ古書展などで使ったら失くしてしまそうな気がしてそのまま放置してそれっきり忘れていました。今度は暇な時に大き目の台紙に埋め込んでそれなりの扱いをしてあげようと思います。

書庫出し日記 2004/8月

8月15日
※今日の1冊・・・コダマプレスの『少女のためのミュージックプレゼント

 音の出る本として朝日ソノラマと共に一世を風靡したソノシート本ですが、33回転LP4枚付きのソノシートが1枚だけ欠けています。発行年は書いてありませんので正確にはわかりませんがたぶん昭和30年代後半ではないかと思います。曲名はエリーゼのために・トロイメライ・乙女の祈り・夢見る佳人・ともしび・マドンナの宝石・別れの曲・シンシアのワルツなどで、合唱がKODAMA女声合唱団、演奏がKODAMAアンサンブルとなっています。これだけではただのソノシート本ですが、本書は本文のカットを内藤瑠根が描いています。ルネとカタカナではなくて漢字で書いていた時期もあったのですね。これは知りませんでした。内藤ルネといえば、可愛らしい挿絵だけでなく、エッセイも書いたりビスクドールのマニアとしても有名です。昭和40年代後半頃に出版されていた「ふたりの部屋」とかいう雑誌にも毎号ルネ・コーナーが掲載されていて、その当時のお嬢様趣味とは一味違ったマニア風のこだわったルネ・ワールドを連載していました。サンリオからも、人形の写真詩集みたいなミニブックも出してたりで、中原淳一に次いで人気が高まっています。当然古書値も上がってしまい、めったに見かけない内藤ルネ責任編集の「薔薇の小部屋」という雑誌はかなりの値段になってしまっています。去年創刊号を入手したのですが、売れてしまったあとは、なかなか手に入りません。⇒ 1

8月11日
※今日の1冊・・・1969年7・8月号『うたうたうた フォークリポート

 アート音楽出版の月刊誌フォークリポートは、秦政明と西岡たかしが編集人として発行されています。秦さんはこの以前に大阪で音楽事務所をやっていて高石友也や中川五郎などのいわゆるアングラ・レコードを会員制で通販していました。岡林信康やジャックス、休みの国などのLPも手がけていて、友人の家のレコードプレイヤーで聞かせてもらった思い出があります。この直後に高石事務所とアート音楽出版が提携して「URCレコード」を設立しています。第一回新譜として岡林信康「フォークアルバム第1集」五つの赤い風船「あとぎばなし」や「新宿1969年6月」(これは西口広場のドキュメントレコードですね)などなどが発行されています。なんだか懐かしいですが、なんのことか分からない人も多いかも知れませんね。この雑誌も出版コードがなく直販だったようです。内容は三橋一夫や中村とうようがエッセイを書き、西岡たかしが詩を書いていますが、情報頁が泣かせます。”解放と変革”と謳う「高校生フォークタウン」の案内では、高石友也、岡林信康、中川五郎、高田渡、などなどが大阪城公園に集います。また’69フォークジャンボリーやはしだのりひこのシューベルツリサイタル(当時はやはりリサイタルなんですね)などがPRされ、投稿欄も当時の熱い思いが盛りだくさん。でも改めて読んでみると、どう見ても中高生向けに思えてしまいますが、それもご愛嬌です。

8月10日
※今日の1冊・・・佑学社刊・1977年初版・函・カバー『世界の迷路と迷宮

 定価が2900円もするこの本は、佑学社に珍しく(でもないけど)、迷路と迷宮好きの人に向けた案内解説書です。本文165頁もある立派な体裁の本で、全頁にモノクロですが図版や写真が載っている豪華版です。内容は、古代から現代までに世界のあらゆる場所に、あらゆる形で存在(または存在していた)する迷路や迷宮の紹介と共に迷路の意味の各種学説を真面目に取り上げています。35ヶ国にわたる地域から250を超える写真で採集例を紹介しています。この手が大好きなグリムとしては、興味深く読ませてもらいました。今は無き佑学社・・・ですが、いわゆる皆さんが良くお探しの翻訳絵本ばかりでなく、天文関係や古代史または恐竜などの科学写真絵本とか、地球環境関係の絵本なども沢山出版していました。この本は専門図版本として、佑学社のもう一つの顔がチラッと見える面白い出版ですね。⇒  

8月9日
※今日の1冊・・・主婦之友昭和9年2月号付録『婦人の手紙

 当時は、というより明治期からとにかく”手紙文の書き方”のようなハウツウ本が驚くほど出版されています。裁縫やお料理本は、定番ハウツウ本として今も数多く出ていますが、どういうわけか手紙文・・・特に婦人向け手紙の書き方なる本は戦後しばらくしてあまり見かけなくなってしまったとはいえ、大正から昭和の初めにかけて刊行された婦人雑誌の多くに決まって付録として付いてきました。もしかして大和撫子の常識として裁縫・料理・達筆というのが必須科目だったのでしょうか。。。
 当時、似た企画の類書が多かったためか、編集者が創意工夫してオリジナリティ溢れている風を装うため時には面白い内容(今となっては)の本も時たま見受けられました。本書もその中の1冊と思えます。
 手紙文の書き方本は、祝賀・招待・見舞い・などから弔意・依頼・感謝・贈答などの例文で終始してますが、この本には巻頭に名流婦人の肉筆手紙や人気者のお葉書拝見・・・があって今でも楽しませてくれます。名流婦人って誰かと思ったら、「九條武子」「乃木大将夫人」「村雲尼公」「守屋東女史」「今井邦子」「与謝野晶子」「岡本かの子」「吉屋信子」「山崎光子」でした。一部を除いて皆さん達筆です。人気者・・・はというと、「西条八十」「田中良」「高畠華宵」「吉井勇」「入江たか子」「水の江滝子」「エノケン」「水谷八重子」などなどでした。松竹キネマ蒲田撮影所の飯田某さん宛ての長谷川一夫もあります。宛先は当然マチマチですが、しっかり住所氏名まで写っている葉書も多いのに驚きます。プライバシー保持のかけらも無い掲載だけど、これが今だったら大変なことになってしまいそうですね。

8月4日
※今日の1冊・・・東京読売巨人軍『創立50周年記念入場券

 東京西鉄道管理局の水道橋駅で昭和59年4月6日に発行した記念切符(普通入場券)9枚綴りです。@は巨人軍誕生の昭和9年〜10年Aは栄光の幕開けと第1期黄金時代昭和11年〜19年(沢村や水原が写ってますBは戦後の巨人軍復活と第2期黄金時代昭和21年〜32年(千葉・青田・別所なんかが写ってますCはОN時代の到来昭和33年〜49年(長島の華麗なフィールディング・・・)D第3期黄金時代昭和40年〜49年(堀内・高田・柴田ですね)EV9達成昭和48年(川上監督の胴上げシーン)F”ミスター・プロ野球”長島茂雄(長島の引退・・・G”世界のホームラン王”王貞治(これはもう756号の写真・・・)H第4期黄金時代をめざして(王監督以下定岡・江川・原・中畑・篠塚・・・)。
鉄道グッズはとにかく人気があって、幅広くいろいろなものが高額で取引されていますが、唯一安いのが鉄道記念切符。切手と一緒で、とにかくこの手出しすぎたようです。なにかの記念を装って乱発した記念切符は、やはり数が多すぎるというのでコレクターも集めるのにうんざりするのかもしれません。それはそうと、阪神ファンの管理人がなんで巨人の記念入場券を・・・なんて言わないで下さい。不人気の記念切符のなかでも比較的目立つのがこの記念入場券です。ほかにもいろいろ変わった乗車券やらいろいろと書庫に入り込んでいるはずですが、どこかに紛れで出てきません。何か見つかりましたら(面白そうなのが)またここで紹介します。

8月2日
※今日の1冊・・・『マッチ・ラベル貼り込み帖

 戦前のマッチラベルが48枚、マッチより一回り大き目の折帖に貼り込まれています。時代を感じさせるデザインのラベルばかりですが、日比谷や新宿など東京と、どういうわけか神戸や徳島、大阪のもありますが、眺めているだけで楽しめます。最初に貼ってある「日比谷・美松」は戦前の洋食屋さんらしいですが、他にも買い物が出来たようです。そして「神楽坂・田原屋」。ここは明治期に創業した洋食屋の老舗で漱石や菊池寛、永井荷風などが贔屓にしていた有名店です。マッチラベルは、その1階にあったフルーツパーラー仕様です。その他「洋菓子の白十字堂」とか「上野・フランス茶房」「日比谷・東宝グリル」「新宿・モナミ」「角筈終点・新宿パレス」「新宿・不二家」「根津八重垣町・白馬車」などなど・・・。。。このマッチラベルは昔からコレクターが多くて人気があります。明治期に神戸で作られたラベルなどは木版刷りでデザインもオシャレですが種類やサイズも豊富で、つい集めたくなる気持ちが分かります。あの、ライター南陀楼綾繁さんとは、最初の出会いがこのマッチラベルが縁でした。マッチのラベルも戦後になってデザインもアヴァンギャルド風なものが多くなりデザイナーの腕の見せ所といったところだったのでしょうが、これほど早く廃れるとは誰も予想しなかったと思います。当時、何でもスクラップするマニアが沢山いて、丹念にラベルを剥がして貼り込んだスクラップ帖は、今でも時々こうした形で出てきますが、決してゴミではありませんので、間違っても捨てちゃわないように・・・ね。

8月1日
※今日の1冊・・・昭和14年発行フレーベル館発行の『幼稚園手帖

 この手帖、多分ですがキンダーブック定期購読者向けに無料配布したものではないかと思っています。「全国の幼稚園々児は 幼稚園の準教科書とも言われているキンダーブックの愛読者でありたく、事実、亦、殆ど”然り”と申さるゝ現状にあります」と書かれた見返しの口上書きが笑えます。他にも「”ウソ”をかゝぬ絵本」とか「大きい見よい絵本」、さらに「実費で買える安い本」というコピーも。。。見開き頁には顧問の名前が記載されてますが編集顧問に倉橋惣三、絵画顧問に清水良雄、童謡顧問に西条八十が。。。また、普通の手帖と同じように昭和14年の七曜表やメートル法換算早見表も載ってます。それと、やはり幼稚園用らしく「幼稚園関係法規・幼稚園令」「幼稚園令及幼稚園令施行規則制定ノ要旨並ニ施行上ノ注意事項」が載っていますが大正15年に制定された条文です。他に「キンダーブック受渡表(家庭と園)」「キンダーブック精算表」。間にミシン目が入っているメモ用紙があり、最後に郵便料金表や郵便為替料金表まで載ってます。この手帖、未使用なので手帖の背に昔懐かしいミニ鉛筆が差し込まれています。だたそれだけなのですが、当時に幼稚園児を抱えた家庭の雰囲気がそれなりに感じる手帖です。

書庫出し日記 2004/7月

7月31日
※今日出てきた本は、昭和37年発行の明星10月号付録『ポピュラー・ヒット曲のすべて

 ”日本語の歌詞で歌える”と副題が付いてますが、表紙を中尾ミエがキュートに飾っています。全部で45曲66頁の構成になっていて、この時代に青春を過ごした人には涙がでるほど懐かしい歌本です。ちょうど中尾ミエの”可愛いベイビー”や飯田久彦の”悲しき街角””クライ・クライ・クライ””ルイジアナ・ママ”(この人、その後ピンクレディのプロディーサーなんかやっていましたよね)。昔も今もグリムが大好きな弘田三枝子”子供じゃないの”とか森山加代子の”ジョニイ・エンジェル”などなど・・・。NHKでやっている新撰組にも出ていた佐々木功の”ロッカ・フラ・ベイビー”も収録されています(宇宙戦艦ヤマトを歌ってた人っていった方が分かりやすいかも)。その他、スリーファンキーズとかまだパラキンと一緒だった坂本九、そしてあの克美しげるもいます。いやー、なんだか妙に懐かしがって紹介してますが、管理人は当時思いっ切り子どもでしたので、誤解のなきよう。。。。

7月29日
※今日の1冊・・・京都・天文書院『ぼくらの時代のモンタン

 著者は今江祥智さん。1992年刊行の本書は、本文16頁のマメ本で130部限定出版、非売品です。内容はイヴ・モンタン死去にちなんだエッセイでどうってことはない手作り本ですが、版元の京都・天文書院というのが全然知りません。そこで奥付をよくよく見てみると、刊行者が秋野等となっていて、記載住所が京都市下京区富小路通四条の徳正寺町となってます。ということは、画家秋野不矩のご子息で徳正寺住職の秋野等さんということになります。この秋野さんは、建築家の藤森照信の設計でユニークな茶室を作ったりして交友関係もその茶室同様にユニークな人といわれてます。装釘者が井上章子さん。。。たしかご夫婦ですよね。それにしてもこの天文書院って、他にどのような本を出版したのでしょうか?

7月28日
※今日の1冊・・・嘉永4年新版『女大学玉文庫

 貝原益軒が書いた”女大学”は、近世社会では、女性は「父の家にありては父に従い、夫の家にゆきては夫に従い、夫死しては子に従うを三従という。身を終わるまで、わがままに事を行うべからず、必ず人に従いてなすべし」という、いわゆる女性のための人生訓を述べた書物として江戸後期に流布したようです。この人生訓は、ニュアンスは違っても未だに”冗談で”使っているような男を見かけたりしますが、その元になったのが本書です。一番古いとされている版は享保元年だそうですが、本書は嘉永4年の新装簡約版?です。そういえば、もう少し古い完本もどこかにあったような記憶がありますが、その本は厚さが10pほどもあります。なんでそんなに厚いかというと完本版は女性の為の百科事典的構成となっていて、今で言うと国語辞典と漢和辞典に地理の教科書から手紙の書き方まで収録していて、近世の庶民生活の殆どが分かるような内容になっています。今日書庫から出てきた本は、80頁ほどの版本(木版印刷)で、人生訓に加えて古今和歌集などの詩歌や文書の書き方、小笠原流折形の図解やらが併載されています。内容が内容なので、古書的価値という面からは評価が低い本ですが(あまりにもいろいろなバージョンが出版されていたため、未だに良く見かける和本の1冊といえます)、自分なりになんとなく面白いな・・・といつも思っています。

7月27日
※今日の1冊は大正4年8月に芸艸堂から出版された『世界文様集

 この本は、装丁から本文まで全て木版刷りで出来ています。10数年前に仕入れたのが(いや、とにかく刷が綺麗なので大事に取って置いたのが今頃出てきたのですよ・・・ホントです。。。)今頃出てきました。本の作りは折帖仕立て(蛇腹のように互い違いに折畳んだ経本のようなモノを折帖といいます)で、全部で30図の木版画で構成されています。目次を見ると、5図づつ、蛮族・エジブト(ママ)・アッシリア・ペルシャ・グリーキ・ポンペイという具合に編集されていますが、基の文様が破れているところまで木版刷りとして再現されています。絨毯の模様だったりタペストリーのような質感まで木版刷りで表現しているというのが凄いです。職人の手業・・・恐るべし。

7月26日
※今日の書庫出し日記は,、皓星社が発売元だったペヨトル工房の『夜想1号

 特集は”アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ×ボナ”。。。1979年9月に創刊されたこの雑誌は、今更説明も要らないとは思うけど、本誌の存在価値を掻い摘むと、当時表層的には終焉していたシュルレアリスム・神秘主義・ロマン主義が、今なお芸術・思想という地底を脈々と流れ”今”に相変わらず効力を持続させている存在だとすると、その内実を検証しつつ今後の可能性を探る・・・といったところではないかと思う。
この創刊1号も、20世紀最後のシュルレアリスト作家マンディアルグと1950年にマンディアルグと結婚したシュルレアリスト画家のボナ・・・この二人の軌跡を特集することによって、今後のシュルレアリスムの可能性を示唆した内容となっている。
マンディアルグは、昔から大好きでフランス人作家で唯一翻訳されている本を全部読んでました。あの細かくしつこい描写が堪らない・・・という時期がありました。ボナは容姿の美しさがいかにもシュルレアリスト風で作品と共にそそられます。このカップル特集なので故・生田耕作が白水社との交渉や青木画廊が資料の提供をしたそうです。また、この特集に合わせたように組まれた「幻想美術館」もモノクロ印刷ながらマニアックな構成になっています。金子國義藤野級井川口起美雄奥山民枝四谷シモン片山健といった面々。。。このペヨトル工房、2000年に惜しまれながら解散したけど今年『夜想』が復刊しています。今月の4日で終わった『夜想リターンズ展』案内には”夜想が目指していたのは、若手のクリエイターに役立つ雑誌。その姿勢は変らない”と書かれてました。

7月22日
※今日出てきた1冊は昭和14年・東京宝塚劇場発行の『役員並社員名簿

 新書サイズほどの大きさでたった42頁の小冊子ですが、連なる名前が凄い・・・というより面白い。最初の頁に折込で職制一覧表が図で表してますが、重役の下に支配人が配してありその下に庶務課、監査課、会計課そして営業部、文芸部、出版部そのあとに食堂課、電気課という職制になってます。営業部の下に営業課(その下が映画係)、広告課(その下が新聞や印刷、事業・収入広告の係があって、事業係の下に美術が入ってます。劇場課は東京宝塚劇場をはじめとして有楽座、日本劇場、日比谷映画劇場や銀映座や東横映画など15の劇場や映画館が連なっています。面白いのが文芸部。この下には研究課や東宝劇団の他に東宝古川緑波一座や榎本健一一座、東宝名人会、日劇ステージ・ショウなんかが入っています。当時の重役は会長が澁澤秀雄で社長が吉岡重三郎でした。そして専務に秦豊吉。この人は、ゲーテ作品の翻訳で有名なドイツ文学者ですが、日劇ダンシングチームの生みの親でもあった人です。また、丸木砂土というペンネームで風俗系の軽い読物もずいぶん書いています。他にも日本ボーイスカウトの生みの親でもある三島通陽や吉本興業初代会長の林正之助や味の素の鈴木三郎助も取締役として名前が載っています。相談役には小林一三があるのは当然として、鉄道王と言われた東武鉄道の根津嘉一郎やホテル・オークラ創始者の大倉喜七郎の名前もあります。そして文芸部の部長は社長の吉岡重三郎が兼任をしていたのには驚きます。さらに文芸部嘱託に河竹繁俊の名前や古川緑波一座嘱託に菊田一夫の名前まで載ってました。などなどとただそれだけのことですが、古い名簿を見ていると当時の組織の人間模様なんかが想像できて面白いですね。この名簿の最後の方には出征並び入営者名や特命休職者名簿(これは良く分かりませんが)まで掲載されていて時代を感じます。

7月21日
※今日もまたまたまたマメ本・・・というかマメ絵本。白木屋子供部発行シロキヱホンの出来るまで

 一体いつ入手したのか全然覚えていないけど、書庫の引き出しに入れっぱなしでした。発行があの白木屋の子供部。その他には”六階”って書いてある他はなにも記載がありません。副題に「ノリモノ、コドモノオウチ」と書いてある。ノリモノは道路を走っている車や都電(当時は市電ですね)を指していると思うけど、コドモノオウチは・・・白木屋六階の玩具売り場のことかしらん。。。
10頁しかないこの絵本、印刷工程<黄 一色刷>をわかり易く解説しただけとはいえ、ものすごい珍本と思われますが、一体どういうわけでこのような絵本を作ったのか・・・ちょっと理解に苦しみつつ推理だけしてみます。
まず、販売目的でないのは一目瞭然(売価もついていないし、刊行年月日も記載無しですので・・・)です。たぶん、白木屋百貨店で戦前(書き文字が右から左に書かれているのは殆ど戦前の出版物です)に玩具売り場にでも来たお客さんのお子さんに無料で配布したものと思われますが、もしかしたら外商部(当時にこういう部署があったかどうかは知りません)の人が、お得意様の家を訪問する時にその家のお子さん向けにお土産としてプレゼントした拡販グッズの一つだったかも知れません。で、なんでこのような内容の絵本作ったのか・・・ですが、白木屋広報部だか広告部だかデザイン室だかわかりませんが、もう少しマシな絵本形態のものにしたかったにも関わらず、外注に出せず社内だけで制作をしようとしたためアイデアに詰まり、印刷所との打ち合わせの時に、印刷所の仕事をそのまま絵本に・・・と言って苦し紛れに作ってしまった・・・かな〜?それとも、このサイズの絵本がシリーズ化されていて既に何種類かの絵本を作っていたので、その解説の意味合いでオマケとして発行した。。。この方が当たってるかもしれません。それにしても5色刷り完成絵を順に追っていくと改めて具体的な色刷りの工程が理解できます。そういえば、その昔メンコの未断裁を数セット入手した時、その内の何セットかが(3色刷りで完成なのに)2色しか刷っていないのが混じっていたことがありました。たぶん、印刷工場経由でなにかの都合で廃棄されたものが一緒になってしまったと思われますが、エラー刷りや印刷見本ではなくて、完成された絵本としてこのような作りをしているのは本当に珍しい気がします。いつか販売する時には、売価をいくらにしようか悩みそうです。<黄・赤 二色刷><黄・赤・墨 三色刷><黄・赤・墨・藍 四色刷><黄・赤・墨・藍・淡 五色刷完成絵

7月20日
※今日出てきたのが、またまたマメ本。山梨シルクセンター出版部『季刊・ミニマガジン<初秋号>

 山梨シルクセンター出版部といったら、サンリオ出版の前身出版社ですが、このミニ雑誌は昭和43年8月に発行された創刊2号です。122ページある本誌は小さくてもしっかりと特集を組んでいて<水森亜土>。今、亜土が一部で流行っていてTシャツになっていたりファンシーグッツなんかも売り出されていますが、”小さな英雄”と題して11ページも割いています。亜土さんは当時も今も変わりませんね。ちょっと不気味です。他にも面白い記事が満載です。羽仁進監督「初恋地獄篇」の例のポスター(宇野亜喜良・画)を見開きに掲載して荒木十吾というポスター評論家(当時にこのような活動をしている人がいたのが驚きです)が「サイキデリックポスターについて」という短文を寄せています。”横尾忠則がその初期に労音ポスターで「何と言う田舎臭い下品なポスター」と毛嫌いされたのが、現在時代のトップにあるというのは皮肉な現象ですね。今ではネコもシャクシもサイキ調(ママ)といってさわいでいますが、さすがに宇野亜喜良クラスはサイキ風画風はとりいれても、根本的に自分を見失ってはいません”との評・・・。他にヤング・リビング頁には内藤ルネが「ファンタジックな小さな世界」と題してルネ・ワールドを展開しています。その他、前田亜土のコラージュで立原えりかや三浦哲郎が寄稿していたりの盛り沢山。何号まで続いたのか知りませんがとにかく夢のある?編集になっています。

7月19日
※で、今日の1冊・・・シンガポール・陥落記念「ヨクサンマメグラフ1

 発行は大政翼賛会宣伝部となっていて、発行年は記載されてませんが切手の記念消印から昭和17年と思われます。画像でお分かりの通りとにかく小さな写真グラフの体裁です。一応36ページもあって糸で製本してあるこの本は定価が10銭+切手3銭=13銭と表記してあって笑えます。それにしてこんな小さなグラフ誌をどういう形で配布販売したのかわかりません。一応紐が付いているので何かと一緒に抱き合わせ販売をしたのでしょうか?取扱所が「日本写真工芸社」となっていて実用新案登録出願とも書いてありますがこれほど小さくする理由が想像できません。直ぐに失くしてしまいそうなので、どこかにしまっておこうにも一度しまってしまったら二度と見つからないような気がします。

7月18日
※今日の1冊・・・文芸春秋社版小学生全集83巻『メンタルテスト集』(昭和4年発行)

 この雑誌形態の全集は全部で88冊出たのだけど、かつて一度しか全冊揃いを扱ったことがありません。とにかくこの本は、子供向けだけあって痛んでいるものが多く、状態のいいものが少ないのがネックですが発行部数が多かったようなのでいまだに古書の市場にはよく出品されます。(でも揃いは最近トンと見かけませんね)
この全集はいろんな画家が表紙絵を描いているけど、中でも秀逸なのがこの本。4色刷の平板印刷で色合いデザイン共に洒落ています。描いているのは、岡本一平。岡本太郎の父親ですね。本業が漫画家だけあっていかにも一平風の画風ではあるけど、この全集のトータルな装丁を考えて、このようにモダンな構成にしたようです。で、この本の題名が「メンタルテスト集」。つまり知能テストとか心理考査とかいうらしいけれど、この時代、今と一緒で試験地獄に学生父兄が苦しんでいるので、入学試験を廃止し、そのかわりに知能検査や常識考査、口答試験に取って代わった・・・ということで、この全集に加えられたようです。当時は就職する時の試験を”雇入試験”といったそうだけど、これも一種の精神考査に変わったそうです。そのためその考査や検査の仕組みや模範的問題集または実際的問題集を含めこのテストの意義などを編集してあるけれど、どうみても少年少女向けではなくて父兄方向けの参考書のようにしか読めません。結局、入学や就職の選考方法が変わったというだけで、この手の本を熱心に読んでまたまた試験地獄に陥ってしまった様な気がします。そういえば、グリムも小学生の頃知能テストをやらされた記憶があります。要領が良かったのでいつも知能テストで高点数を上げてしまい、お陰ですっかり勘違いしてしまった母親にその後長い間、”あなたはやれば出来るのよ〜”と言われ続けて数十年。。。挫折ばかりの人生はこのテストから始まったような気がします。

7月15日
※今日の1冊・・・新建築社発行『建築昭和史

 この本は雑誌「新建築」の創刊50周年を記念して編集されている”約600冊”からなるバックナンバーのダイジェスト版です。本文は大正14年から昭和50年までを7章に分けてオール写真ページで構成されてます。とにかく1920年代からの有名建築家の作品ばかりじゃなくて当時の雑誌掲載の広告まで載っています。アールデコ風の個人住宅や斬新なビル建築も面白いけど、戦後直ぐに流行ったバラック建築や15坪前後の小住宅写真や図面がまた面白い。戦後の住宅難に対応していろいろな建築家が小住宅の設計を請け負ったので、当時はその図面集がいろいろと発行されたりしてました。その後の文化住宅の原型のような間取り設計には時代を反映させた創意工夫が感じます。昔から建築物が大好きな自分にとって、建築写真集や設計図面集を眺めるのがささやかな楽しみの一つでしたが、この本はたった50年間での建築様式の移り変わりと雑誌「新建築」の表紙デザインの変遷もあわせて楽しめます。

7月13日
※今日の本は 詩人・関根弘の『わが新宿!』。昭和44年に財界展望新社から初版発行されたこの本、副題に”叛逆する町”とある。口絵写真ともいえるページには《ヌード・ペインティング(これ、当時流行ってました。花園神社近辺の怪しげなヌードスタジオみたいなところで、お金を出せば描けるような商売があった。。。描く絵は当時流行のポップアートや宇野亜喜良風の絵を水彩絵の具で裸のモデルに描くという、いわばパプニング・アートみたいな感じでした)》《アングラ劇場のホモ劇(これもやってました。映画館でもホモ映画大会と称してオールナイトで50本立てなんかがありました。。。当時のホモ映画ってジャン・コクトーのマイナー短編作品やゴダールばりの実験映画の超短編が多かったように記憶しています)》や《街頭のハプニング劇》《中央口の有名だった風月堂》などがあり、本文は新宿という街を376ページにわたりエッセイ風にまとめたルポ記です。関根弘は当時朝日ジャーナルで”ルポ・新宿”などを書くためだいぶ取材したらしく、新宿デパート戦争の記述が特に面白い。本書が出たちょうど同時期、新宿に棲んでいたので興味深いというよりは懐かしさばかり覚えますが、関根が本書でコメント付きで紹介しているどのお店も、10代後半のお金の無かった自分にはとんと縁のない店ばかりです。巻末にある折込イラスト地図に記載されているお店(飲み屋・食堂・レストラン・喫茶店etc)で入ったことのあるのは10軒もありません。でもほんとに懐かしいのが西武新宿駅前地下にあった”イエスタディ”。ここはスナックかパブみたいな感じの店だったけど、高校生の頃からよく行ってました(はっきり言って不良してました)。隣が歌声喫茶の”灯”でしたが、こちらは入ったことがありません。その後は歌舞伎町のビレッジゲイトやビレッジバンガードに入り浸りとなってしまいましたが。。。でもこの地図には、東口駅前のグリーンハウスや馬の水飲場が描いてあって、これまた懐かしいですね。こんな本が出ていたのを全然知りませんでした。

7月12日
※今日の書庫出し本は、新潮社版・日本少國民文庫第3巻の『日本人はどれだけの事をして来たか』。昭和11年発行です。著者は「世界文化史」などで有名な早稲田大の史学科の基礎を作ったといわれる歴史学者”西村真次”。この少國民文庫は全部で16巻刊行され、その内の14巻と15巻が美智子さまご愛読書として復刻された「世界名作選」。以前読んで面白かったのが11巻の理学博士石原純が書いた「世界の謎」だったけど、今日引っ張り出したこの本は、発行された時代背景を差し引いても(そうとう駆け足でもあるけど)日本人の歴史を面白く読ませます。もっとも日本人の優秀性をことさらの様に強調しているのはご愛嬌といったところですが。。。で、この16冊には各巻に武井武雄の「赤ノッポ青ノッポ」が収録されているけど、差し込み方がいかにも唐突で笑えます。読書の間の休憩といった感じで編集したのでしょうか。。。

7月11日
※今日も帰宅してから書庫を掻き混ぜたら、戦前の高島派易断総本部発行の「予言書」という毛筆手書きの和綴じ本が出ていました。高島易断といったら、お正月にその年の運勢を占う暦として有名です。グリムでも毎年9月頃には翌年の暦を仕入れて販売しています。店の雰囲気とは相反するような暦ですが、昔からの馴染みのお客さん(主にお年寄りやちょっと年齢のいったご婦人)が習慣で購入してくれています。なんで翌年の暦を秋口に買うのかお聞きしてみたら、お子さんの結婚式や家の購入、新築、増改築や引越しなどの日和を調べるとか。なるほど・・・だから皆さん刊行と同時に購入するのですね。それはさておき、今日出てきた「予言書」は60ページほどの和綴じ本に毛筆で高島象山という先生の署名と落款も捺してある「運命鑑定書」のようです。現在は1年間の運勢を鑑定してもらうのに4万円ほど必要らしいのですが、この鑑定書は「転回運命」として10年間そして「将来之吉年」または「凶年」を30年間分鑑定しています。この鑑定を受けた方(当然姓名と生年月日が書かれていますが)は、一体幾ら位支払ったのか気になるのと同時に、先行きどうなるかも分からない30年間もの未来を鑑定してしまう勇気とものすごい達筆で一字一句の間違いも無く書き綴る決断に驚きます。でもこの鑑定書はよほどの有名人で無い限り売れそうもありません。

7月10日
※書庫を掻き混ぜていたら、「魔方陣」という本が出てきました。冨山房から1973年に初版発行され大森清美という県立高校の先生が書いてます。いわゆる数理パズルのようなものとも言える「魔方陣」・・・これってなぜか管理人が中学2年の時に熱中していたこと急に思い出しました。升目に数字を書き込んで、横縦斜めの合計数がどれも同じという方陣です。よくパズルなんでみかける”あれ”です。この魔方陣って13世紀の中国の数学書に記載があるそうですが、前漢時代には登場していたとか。画家のデューラーが1514年に製作した版画にも魔方陣が描き込まれています。この本の内容は、奇数方陣や4次方陣の解説や作り方が書いてありますが、今ではとても通読する気にはなれません。それにしても、なんで中学生の自分がこれに凝っていたか、詳しくは思い出せませんが、誰か(友達かだれか・・・)に作り方を教えてもらったような気がします。それでも、魔方陣なる言葉は当然知らなくて、単純に方陣を作って、適当な数字を少しだけ消してから数字入れパズルを作りみんなに解答させていたと記憶しています。今でも10画×10画ぐらいの方陣は直ぐに作れます。いや数字を書き込む時間が違うだけでやろうと思えば何桁画でもオーケイなような気がしますが、作れるのが奇数方陣だけで、偶数はどういう訳かサッパリわかりません。もっとも数理的原理を何も知らないまま作り方だけを覚えているというだけのことなので自慢になりませんが。。。でもいきなり40年前の自分を思い出してしまいました。そうとう生意気なチュー坊だったようです。。。この本は現在絶版となっていて1992年に「新編魔方陣」として現在刊行中です。