たった一人のフォークグループ

P L U S O N Eのプロフィール

 

グループ構成

ボ ー カ ル =田 口 勝 博(タグチカツヒロ:昭和33年12月9日生まれ)

アコースティックギター=田 口 勝 博

バックバンド=YAMAHA MUSIC SEQUENCER QY70

 

中学校の音楽の授業で初めてギターに触れ、1年ほど練習したけれど、それほど熱心になれず、知らず知らずのうちにギターから遠ざかってしまった。時は流れて20歳のころ、カラオケというものがこの世に普及を始め、楽器を演奏できなくても本格的なステージに立った気分で歌うことを覚えた。

さらに時は流れ、1994年11月、ギターを購入し、いつか人の前でみずからギターを弾き、歌うことを夢見て練習を再開した。

 

1995年1月17日、神奈川県川崎市(当時在住)にて阪神・淡路大震災を知る。買ったばかりの愛車(マツダ・ボンゴブローニィ=通称・コルメナ号)で救援物資の配達をしようと決め、1月19日、神戸へ向かった。

 このときにギターが弾けていれば、きっとギターを車に積んでいったと思う。歌は元気を与えてくれるし、悲しいときには思い切り泣かせてくれる。被災地の人たちと一緒に歌い、ともに涙し、ともに踊りたかったから。

 

1995年1月21日、西宮市神楽町にある西宮YMCAの存在を知り、ボランティア活動を始めた。

全国各地から駆けつけたボランティアがそこにいた。みんな同じ気持ちで被災地に向かってきた。夜のミーティング、いろいろと語り合う中から「標語in兵庫」という曲が誕生した。「標語in兵庫」がきっかけとなり、自分の気持ちを曲にしたいと思い出し、詞を書いた。ギターさえまともに弾けないのに、作曲なんてできないと思っていたけれど、このときは自然と曲ができた。

Let’s Sing Together」「泣かないで」「ボランティアの歌」「あれから半年」

わずか半年の間に4曲のオリジナル曲が誕生した。

 

1995年3月2日、神戸市役所南の東遊園地で開催されていた「フラワーテント(被災者による、被災者のためのシアター)」にて、初めて人前でオリジナル曲を歌う。

 

1995年7月17日、西宮市青木町にある居酒屋「阿留酎(アルチュウ)」にて「勝手にライブコンサート」。未完成ではあったけれど、「あれから半年」を歌う。

 

 このころから、たとえ10分でも毎日ギターを練習して、少しでもうまくなって、いろいろな場所でオリジナル曲を歌っていこう、特に、震災関連のイベントには1つでも多く参加して、震災直後のボランティア活動で感じたことを、1人でも多くの人に聞いてもらおうと決心し、「たった一人のフォークグループPLUSONE」の音楽活動が始まった。

 

>>>>>>>> 1996年以降の活動については、活動記録をご覧ください。<<<<<<<<

 

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