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私の代は1年秋に2部最下位で3部との入替戦、2・3年秋に2部優勝で1部との入替戦と、まさに天国と地獄?を味わった世代でした。
私が1年の時の3年の先輩方は、体が大きい方が多かった上に、出身校を見ても強豪高校出身者揃いで、練習や試合ではいつもぴりぴりとした雰囲気があり、ミスでもすると罵声が飛んできました。大学から野球を始めた私にとっては、とんでもないところに入ってしまったという感じでした。それと同時に、いかに野球に対して無知だったかを思い知らさ れました。何せ、大学に入るまでは、バッティングセンターに行って、130キロ位のボールをミートすると、「俺って、もしかしたらプロに行けるかも。亜大に入ったら、2年目で硬式にスカウトされて・・・」と本当に思っていた位ですから。今思うと笑っちゃいます。亜大軟式に入部して、野球経験者の技術や経験談を見たり聞いたりできて、とても貴重な経験ができたと思っています。先輩や同期・後輩の中には、現在プロや全日本メンバーで活躍している選手の後輩も結構いて、高校時代の裏話なんかも聞けて楽しかったです。
私が1年の時は、週に1日しか練習がなく、その分練習日である日曜日や春・夏合宿で練習をたっぷりするというのが慣例でした。1年は朝8時に集合して草むしり、9時から練習が始まって日が暮れるまで練習、合宿では夕食後に更に2〜3時間ナイター練習という感じでした。当時の3年生のメンバーだったら、普通に力を出せれば優勝できたと思うのですが、なぜか秋季リーグでは最下位になってしまいました。でも今考えると私達の時よりも、先輩の時のほうが東都のレベルが高かったような気がします。3部との入替戦で対戦したのが、その年に連盟に加盟したばかりの目白大 でした。入替戦は3戦までもつれ、最後は亜大のサヨナラ勝ちと大苦戦を強いられましたが、何とか2部に残留できました。サヨナラの走者が私の同期の石川で、今でも抱き合って喜んだ時の感触?を覚えています。
私が2年になり、最初の春季リーグ戦は最悪でした。新入部員が少なかったのと、AUAPで主力の何人かが抜けてしまい、試合をするのもやっと、という状況でした。負けて当たり前になってしまい、コールド負けも数試合ありました。結局、1分けの差で何とか入替戦は免れましたが、そのままの雰囲気で夏合宿が終わり、秋のリーグ戦が始まりました。しかし、秋からの新入部員やAUAPから帰国した部員がチームに加わったこともあり、秋から2部に上がった目白大や1部から下がってきた東洋大には苦戦しましたが、気が付くと優勝争いに加わっていました。亜大が先に試合を消化し、優勝が目白の結果待ち(目白が引き分け以下だと亜大の優勝)になりました。目白の最終戦が、私の実家近くの越谷市民球場だったので、授業をさぼって試合を見に行きました。結局目白が引き分け、優勝の瞬間を1人で噛み締めて、すぐに部室へ優勝報告に向かいました。到着したのは確か5時位で、外はもう暗かったのですが、何人かが優勝報告を待ってい たのを覚えています。1部との入替戦の相手は東洋大工学部で、春までは同じ2部だったので、自分達の力を出せれば、何とかなるんじゃないか位の気持ちでした。しかし、1部で戦っている事だけあって、レベルが1回りも2回りも上がっていて、1部の実力を見せ付けられ、何もできなかったというより、何もさせてもらえなかったという感じで、大差で2連敗でした。私は悔しかったというよりも、今のままの練習じゃ東洋工には勝てないと思いました。
3年になり自分達が部を引っ張って行く立場となり、私自身はやっと自分達の主導で野球ができるようになった、という感じでした。キャプテンの石川は、優勝メンバーがほとんど残った事もあり、これで優勝できなかったら・・・とプレッシャーを感じていたようです。やはり私以外にも昨秋の東洋工戦の敗戦で、練習方法について考えた部員が結構いて、練習方法を模索しながらのスタートになりました。練習日数を増やしたのを始めとして、今まで各個人でやっていた練習や試合前のアップを全体でやる事や、練習では実践練習よりも基本練習を多くしたり、全体練習を短くして各個人の裁量に任せ、個人練習の時間をを長く設定したり等と。練習方法にはチームによって向き不向きがあるので少し不安になりましたが、私の代の場合は全体練習よりも個人練習の方が活気があったので練習方法は間違っていなかったと思います。あと内面 的には、野球をしている時には上下関係をなくし、先輩・後輩関係なしに何でも言い合える環境を作るようにしました。そのお陰もあり、練習や試合では先輩がミスると後輩が野次るというような、活気のあるチームになり、試合の方もコールド勝ちを含む開幕3連勝と秋春連覇も狙える位置に行きました。しかしその頃から部員の心の中におごりが生じ始め、同期の中には野球観の違いから部を退部するものも出てきて、チームワークが、がたがたになり、結局3連勝の後に1分けを挟み
4連敗の3位となってしまいました。しかし、この経験があったお陰で、夏合宿を充実させられ、秋季リーグには気を引き締めて臨む事ができました。「目標は1部昇格、だから2部で優勝するのは当たり前。」ちょっと強気の目標でしたが、メンバーが一丸になり開幕5連勝で一気に2部優勝を決めました。優勝を決めた瞬間、その目標があったこともあり、ベンチを飛び出して喜んだのは私くらいで、他のみんなは「喜ぶのは1部に昇格してから」という感じで、あまり喜んでいなかったのを覚えています。軟式が優勝を決めたのと同じ日に、ちょうど神宮でも硬式が青山学院と優勝決定戦をやっていて、「硬式が優勝したら俺達も一緒に硬式のビールかけに混じっちゃおう」なんて言っていたのですが、硬式は僅差で負けてしまい、ビールかけはできませんでした。
いよいよ最後の総決算、泣いても笑ってもこれが最後の試合。1部との入替戦の対戦相手は、昨秋と同じく東洋工でした。体育会委員長や本部役員、非公式で応援団長までが応援に駆けつけてくれました。これで公式戦最後という事や、対戦相手が昨秋と同じという事で、特に私達3年は気合が入っていました。恐らく、私が3年間経験した試合の中で、あれほど気合が入っていた試合は 、他には無かったんじゃないかという位でした。試合は昨年とは違い、1点を争う好ゲームとなりましたが、2試合連続で僅差で負けてしまい、1部昇格はなりませんでした。もう自分達の代ではどうする事もできない。この様な思いから、特に私達の代はみんなで涙を流してくやしがりました。今でもあの時のくやしさは忘れていません。でも、これだけ真剣に野球に取り組み、心から野球を楽しめる仲間を持つことができて、とても幸せでした。
色々あった4年間でしたが、この4年間の思い出や一緒にプレーした仲間は、私の中の何にも替えられないものの一つになっています。ただ一つ悔いに残っている事は、あれだけ時間があったのだから、もう少し練習を多くしとけばな。という事です。でもこの事は、社会人にならないと実感できない事かもしれません。
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