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映画を観たら書く Koshida(2006.12.29)
「記憶の棘」
髪を短くした二コール・キッドマンを観るための映画。それだけ、と言っていいかもしれない。ストリー、そんなのあったのか。
二コール・キッドマンが太る前に、いろんなドレスを着せたり入浴シーンを撮ったりして、客を集めようという映画だな。などと言いながら、しっかり彼女の顔を見ていました。
この映画を観て「美女問題」を思い出した。周りの男から「美女」と見られている女性が、それが嫌なので、できるだけ地味に目立たないようにするのが大変だった、という話だ。その話は、「でも30過ぎたら、それがパタッとなくなったの。結局、女は若くなければいけないってことなのよ」ということで終わる。
たしかに男の気持ちとしてはそうなのだ。同じ「美女」なら、そして相手にしてくれるのなら若い方がいいのである。
二コール・キッドマンのような女性は、そんな男のアホな考えや視線に対して敏感すぎるくらい敏感なのだろうな。世間から「美女」と思われるのも大変ですな。映画とは全く無関係な感想でした。
12月28日に蠍座で(無料招待券を使って)観ました。
映画を観たら書く むっちゃん(2006.12.26)
「鉄コン筋クリート」
監督は、マイケル・アリアス。
原作は、松本大洋の漫画。
札駅のロッカーのある通路に、どでかいポスターが、貼ってあった。
わりと名の知れた俳優達が声の出演をしているというポスターなのだけど、誰が何の役をしているとかは、この作品には関係がないような気が
する。
声がキャラクターと一体化しているとも言えるし、主人公のクロが二宮和也だということは、よく分かった。でも、シロの声が、声優なのかなと思わせて、実は蒼井優だと分かった時は、少し鳥肌が立った。
主人公は血縁を持たない二人のこども、クロとシロ。場所は、古い家屋が密集する宝町。
古い懐かしい町並みを描いているのではなく、こんな街は実際にあるという力強さで描いている。
昔気質のヤクザや古いタイプのケイサツや仕切っているチンピラや家のない老人やこどもが、ある意味バランスを保っていた街。
そこに、権力と金を得るための新開発で、町を破壊し、古い邪魔なものを怖し、追い出そうとする組織が動き出す。
このようなお話は、この日本の現実の歴史を背景として、幾度もテーマになってきただろうと思うが・・・。
「こどもには、夢やおとぎ話が似合っている」と思っている人もいるだろうけど、この作品を単なる作り事として楽しむことはできない。
血縁を持たず、保護されないこどもの無力感や真剣さをリアルに感じてしまうのだ。このリアルさは、世界共通のものだと思う。
人物の簡略されたような描き方に独特な味わいがあるし、街の構図や風景の色使いがいいと思った。
ただ一言、すごい。
年末のうちに観た方がいい。
映画を観たら書く Koshida(2006.12.24)
「マッチポイント」
ウディ・アレンが監督する映画だから、喜劇だろうと思って観にいったら、とてもまじめな恋愛映画。サスペンス映画なのかもしれないけれど、それほどの盛り上がりもない。
誉めて言うと、ウディ・アレンによる「気取ったロンドン観光地紹介映画」ということになるかもしれない。
元テニス・プレイヤーが、金持ちの娘と結婚する。ところが、この男は、妻の兄(義理の兄か)の婚約者が好きになる。この婚約者が、女優をめざすアメリカ女性で、かなり挑発的なので、この二人はすぐにできてしまう。
ここからは、ご想像通り、このダメな男が二人の女性の間でグダグダするというお話。話は、とくに盛り上がるわけでもなく進んでいく。その合間に、オペラハウスやら美術館、高級ショッピング街のようなところが映し出されるという何の変哲もない映画。
私はウディ・アレンの自意識過剰な映画がすきなのだが、この映画では、何がドストエフスキーだ、何がノラ(アメリカ女性の名前)だ、ケッという感じでした。
しかし、「世界一セクシーな女性」(と宣伝されている)スカーレット・ヨハンソンを観ることができてので良しとしますか。でも、どうせなら徹底した悪女映画にすれば良かったのに。次作には、ウディ・アレンが出ているらしいの、それに期待しよう(でも、もうそろそろ・・)。 12月23日に蠍座で観ました
映画を観たら書く USAGI(2006.12.23)
「硫黄島からの手紙」
同じ監督の「父親たちの星条旗」から続けて見ると、あの洞窟の中から反撃していた兵士たちには、こんなドラマがあった、とわかる仕組み。
「日本兵」の立場から考えると「鬼畜米英」と言われていた米兵が、故郷を持った同じ人間だとわかる瞬間がある。それにしても、何故、日本兵の上官は自分の部下に向かって日本刀を振り回したりするんだろうか?こんな上官のために命を落とす気にはなれない!
くそったれ愛国心!
「戦場のアリア」
やはり、戦場での敵見方の「友好」の話。第1次世界大戦の戦場(フランス)で、クリスマスイブにドイツ軍のテノール歌手が歌う歌声に、スコットランド・フランスの連合軍が唱和し一夜の「クリスマス停戦」が実現したという実話に基づいているらしい。この話の背景には第1次大戦がクリスマス前には終わると思われていたのに思いのほか長引き、兵士たちには嫌気がさしていたことがあるのでしょう。それと、スコットランド兵の神父が戦場でミサを行うなど、同じ宗教のベースがあった
と思う。映画としては少し盛り上がりが欠ける。テノール歌手とその妻の2人の戦前のエピソードがもっとあったらよかったのに。
ところで、この戦場にも塹壕がたくさん出てくるが第1次大戦ではドイツが大掛かりな塹壕を掘ってから、戦線が膠着したらしい。
いくらクリスマスとはいえ戦場にバグパイプやあの演奏用のスカート、クリスマスツリーを持ち込むとは、硫黄島とはたいした違いだ。
「イングリッシュ・ペイシャント」
突然古い映画ですみません。DVDで見ました。
これも戦争の悲劇?古い修道院で重症の火傷の治療を受けている「イングリッシュペイシャント」と呼ばれる患者。名前も思い出せないのが、だんだん回想シーンが登場。話のメインは恋愛ですが、やっぱり、洞窟が出てきます。
イギリス人が飛行機事故で傷ついた女性をアフリカの砂漠の洞窟に置いて「必ず迎えに来る」と助けを求めに3日も歩いて町に行くのに、イギリス軍に相手にされず、敵のドイツ人に情報を売って助けを求めることになる。洞窟に戻ると女性は死亡していて、彼も結局全身にやけどを負って死んでいくのですが、愛が2人を滅ぼしたとしか思えない。すぐれものの映画です。
「ブロークバック・マウンテン」
これもDVDで見ました。
アカデミー賞の脚本賞(だったかな?)を取っていますが、作品賞を逃したのは同性愛を取り扱ったせいなのでしょうか?
別々に暮らしながらお互いを思っている、20年にわたる2人の男性の愛情が描かれる。なかなかいい映画だと思うが、やっぱり女の立場からは疑問が残る。同性愛への偏見が強かった時代、2人が一緒に暮らすのは難しかったのだろうが、お互いの妻の存在は何なのだろうか?ただ子供という家族を得たいための存在なのか?
私としては性転換した「女性」を描いた「トランスアメリカ」の方が好きです。
映画を観たら書く むっちゃん(2006.12.20)
「王の男」
監督はイ・ジュンイク。韓国映画だ。
何だ?この邦題は!作品のテーマからずれている。素直に「王と道 化」とか「王と芸人」という意味を表す方がよい。よい作品は口コミでも人を集めるだろう。
何回か出てくる朝鮮の舞踏の美しさに見とれてぼうっとなってしまった。真上からのカメラワークが効果的だ。帽子に付けた長い帯布がく
るっくるっと回るのをこんなに長い時間見たのは始めてだったので、興奮してしまった。
お話は・・・
暴君が富と権力を思うままにしている時代、政治が腐敗し、人民は飢えている。ましてや、芸人は飢えていおるだけではなく、権力から迫害
され、取り締まりの対象だ。そんな時代に生きた芸人の生き様と暴君の姿を描いている。
王/ヨンサングンを演じるチョン・ジニョンはまさに怪演。単に悪役ということではなく、その生い立ちの悲劇がこの王の性格や言動をゆが
めていることを演じている。芸人はカム・ウソンとイ・ジュンギ。迫害されてもなお、世の中を皮肉り、権力者を笑い者にするという芸人たる
ゆえんを小気味よく演ずる。
民衆芸能の中から生まれた芸は、権威や権力におもねるのではなく、権力に迫害されてもなお権力を皮肉り世の中のゆがみを笑いとばし皮肉
る。一本の綱の上で自由自在に動き回り、上空へ高くジャンプする芸が、すごい。
女形の芸人コンギルを演ずるイ・ジュンギは単に姿が美しいのではなく、伸びやかな品性を感じさせながら、喜怒哀楽、感情の揺れを観る人に伝えてくる。この人が、王の前で、かわいらしい指人形を使って語る「盗んだ指輪の話」では、涙が出てきてしまった。
年末に観る最高の作品、「王の男」は、今年のNO.1
映画を観たら書く むっちゃん(2006.12.17)
「硫黄島からの手紙」
ロサンゼルス映画批評家協会賞の最優秀作品賞を受賞。アメリカ映画協会賞の今年の作品賞トップ10”にも選出。ナショナル・ボード・オ
ブ・レビュー賞の最優秀作品賞。何が評価されたのだろう。「過酷な戦争の中の、敵味方でありながら、兵士には、共通の姿勢があり、どちら
かが正義でどちらかが悪であると言う視点ではなく、そこにいたのは、どんな人間であったかを知ってほしい」というクリントイーストウッド
の意志が評価されたのかと思う。
「硫黄島からの手紙」を観て、兵隊役の俳優の顔つきが、よく観られる戦争映画のきつい表情に変化しておらず、わりと素のままの表情なのに
気づく。監督は、この人々が本来どんな人間なのかということ描こうとしているのだろうと思う。
わたしは、惨い戦闘や自爆シーンには「命を捨てて戦う」「捕虜になるまえに自暴して死ぬ」ということの恐怖を強く感じたのだけど、観る
人によっては、自決する姿に、サムライスピリッツのようなものを重ねて思い、敬意をもって描いてくれたことに感謝し、美化して受け取って
しまうかもしれないと思った。
戦争前にアメリカに留学しアメリカ人と交流のあった人物で、日本軍の最後の闘いを指揮するのが軍人の栗林中将。これから生まれてくるこ
どもに「父ちゃんは生きて帰ってくる」と語りかけたパン屋の若主人西郷。この人は名字しか紹介されていない名もなき庶民。この対照的な二
人の視点で、描かれているように思う。
激しい戦闘をかいくぐりながら、その壮絶さや死んで行った人の姿を見続けた西郷が、最後に栗林中将のそばにいることになる。彼が最後に
観た沈む夕日の美しさに、わたしは始めて安堵する気持ちになった。
この硫黄島の闘いを語るとき、圧倒的に日本軍の死者の方が多いのに、死者と負傷者あわせると、アメリカ軍の方が日本軍よりも多くなる
という統計が引用されて、日本軍がアメリカ軍にまさった闘いと表現する文章に何度かであったのだけど、そのような表現は虚しいものだとい
うことがこの映画を見たら分かる。
過去の戦争をどう見るのかだけではなく、今進行している現在の戦争や戦争を引き起こす政治のあり方とどうつなげるのか、そこが問題だ。
そのことまでは、クリントイーストウッドは踏み込んではいない。それこそ、ここからは、こちら側の視点で考えなければいけない。
映画を観たから11発連打 K-ta(2006.12.16)狂気の日
「007 カジノロワイヤル」
あの音楽を聴くとシビレル。入ったか?入ったか?状態突入か?ってなりませんか?なるのは今や過去の裏物パチスロファンだけです。映画の方は、やっぱり金を掛けて作っただけあって文句無し!色々言われてましたが、新ボンドも良かったです。って俺は初めて007を見たんですが。MI3も007も見た事が無かったので007を選びました。MI6を持ってしても恐れられるゴルゴ13は最強だと思いました。最後の最後まで突っ走ってて面白かった。
「パプリカ」
精神治療を施す上での最強の手段は無意識下への直接関与。そんな夢のような「夢に直接働きかけが出来る機械」が出来ちゃった。あ〜らビックリ、これで精神治療が飛躍的に進むかと思いきや、それを使った犯罪が発生。夢に勝手に入り込み、その人の夢を支配してしまう。起きているのに夢現つ。関係者が被害にあう中、パプリカという女が・・・。
文句無〜し!最高!ジャパニメーションのクオリティの高さとかは知らんが、筒井の夢の世界をよくぞ、まぁ、あれだけキ○ガイ地味た世界を映像化したもんだ。何回も見たくなる悪夢の祭が最高!五七五の文体を巧みに操り、悪夢の世界に取り込まれたオッサンが、夢に対する人間の思い上がりを現世に伝えた挙げ句のダイビングは圧巻!あれだよ、あれ!筒井の世界は。お見事!俺の夢も、他人にとっては悪夢にしかならず。そうだろうな。
「父親達の星条旗」
国家の為に戦うのでは無く、戦友の為に戦うのだ。戦場で信頼出来るのは戦友なのだ。へぇ〜そうだったの!なのにあの結末なんだね。へぇ〜驚いた。
感動した!なんて言葉はシンデも出て来んちくしょうな映画。インディアンは嘘を付けなかったんだね。あっそ!俺はクリントイーストウッドが嫌いなんだな。ああいうナイスガイが。ナイスガイは日本人と中国人と韓国人の区別がつくのかね?俺ですらヤンキーとドンキーとモンキーの区別は付くのにな。
俺は死にたく無いので、戦友の為にも戦わないでケツまくって逃げます。
「日本国憲法」
意外と見れる作品でしたが、他国の方達のインタビューでどうにも腑に落ちないのが、「9条」の必要性や大切さを訴える言葉。そんなに良いっていうなら、お前らの国でも採用しろよって思いました。核兵器を御持参なさっている国の知識人のクソ有り難い提言に対しては特に思いました。
「王の男」
「達磨よ、遊ぼう」に出ていた俳優が暴君。素の顔が鈴木邦男さんに似ているのが大道芸人。あと超絶な色気を出す若い俳優。あとチャングムの悪役みたいな側室も良い。大道芸がお見事でした。
本来、芸人というのは庶民の権力に対する醒めた感情を代弁し、茶化す者でなきゃならない。また社会で当たり前だと言われている常識を徹底的に馬鹿に出来ないとならない。と、思う。今の若手芸人にどれだけ時の権力を小馬鹿に出来る器量があるのか。無い。悲しいが、無い。だから立川談志が凄いのだ。憲法9条を世界遺産に、にも似たような事が書いているらしい。太田光は立川談志に隠し子だと言われるくらいのお気に入りなのだ。良く判る。今こそ洒落で権力を持っていると勘違いしている輩を鼻で笑い飛ばすくらい小馬鹿にしなきゃならない。その為に必要な余裕と冷静さは、と言われると右にも左にも無い。俺も最後まで「王のお抱え芸人」だった、この二人の様に生きたいと思った。
「隠された記憶」
意味が判らん映画。苦行の類に分けられる。フランス映画。
「戦艦ポチョムキン/ストライキ」
プロパガンダ映画なのか?まづは、一先ずお茶飲んで落ち着けよって映画でした。何なのよ、この映画は。デビットリンチの不可解で不快な映画みたいだった。俺には判らん。非常になんだか・・・って、ウーン。ヤダ。
「テキサスチェーンソービギニング」
何故、あのテキサスチェンソ−大虐殺の一家が産まれたのか。どうなることかと、あの伝説映画に敢えて前段の話をぶち込むのか?と不安一杯でしたが。
最高!最高!レザーフェイス万歳。テキサス万歳。リーアーメイはビルモーズリーに匹敵します。一族の社会に対する反抗(犯行)っぷりがやっぱり良い。朝鮮戦争が悪いんだな。そうだったのか。タクシードライバーなみの社会に対する不満が渦巻いていたなんて。そんな思想映画だったなんて。俺は知らなかった。ベトナム戦争で死ぬか、トーマス・ブラウン・ヒューイット一家に殺されるかの違いだけだもんな。家族愛に満ち溢れる言葉の数々。中でも爆笑してしまったのは「バランスだ!」。そうだ世の中バランスだ。誰の基準でもない、俺のバランスだ。ウーン、納得!
「ソウ3」
一作目の100倍、二作目の20倍。いやいや残酷度の上がり方ですよ。別な言い方でゴアシーンのレベル。ここまでやるかいな。俺でも二回吐きそうになった。ダメな人が見たらヒキツケ起こす。案の定、退場者ニ名を出す始末。一番キタのは、脳手術のシーン。二番目は身体に取り付けられた大型クリップを時間内に取れ。三番目は豚に埋もれて。四番目は、酸。他アバラ骨バラバラとか色々考えつくもんだな。
前作で謎だった部分の解決と、今回出てきた新たな謎。4に続くって終わり方だから、また見に行くさ。残酷度も凄いが、やっぱりあのストーリー展開がお見事です。
★「ハイテンション」
ゆきちゃんと見に行った。前評判ほどではなかった。期待し過ぎたのかも。けどさ、やっぱりあの落ちは、ねぇ・・・。ブロークバックマウンテン+アイデンティティーのスプラッター版だし。愛とは、とかく一方的な思い込みにしか過ぎない。一方通行では相手の思いは判らない。たんなるストーカーになってしまうのだよ。この映画に出てくる「逃げまどう女」は、まるで皆に一方的に愛を押し付けられている亡国みたいだ。
お話は、盲愛されている事に気づかない女と、同性に対して伝わらない愛を認める事が出来ず乖離して行く主人公の妄想による悲しいお話でした。
最高だったシーンが、箪笥でゴン。あれは良かった。首チョンパで満足。
アメリカ版だったのでゴア度が低いらしいので、是非フランス版を見てみたい。多分、お母さんのシーンが長いんだろうな。ユキちゃんは今回も非常に激しく楽しんでました(嘘)。
「地獄の変異」
クソ映画。もういらないよ。二番煎じは。山のあなあなあな〜はディセントに限る。全くもって面白くなかった。
映画を観たら書く むっちゃん(2006.12.8)
「7月24日通りのクリスマス」
もうすぐクリスマスなので、この映画を観たのです。
監督は村上正典。前作「電車男」は見ていないのだけど、似通った映画なのかもしれないと思いました。
主役は、中谷美紀、大沢たかお。
中谷美紀は、夢と妄想の入り交じった世界を持つ女性。こどもの時に読み始めた漫画の世界を引きずり続けているらしいが、仕事もそこそこ
できている地味で平凡という役どころ。自分に自信がなくて、時々卑屈になってしまうのが問題なのかな。
映画の主人公としては、本当に平凡で、いまいち面白みに欠けると思います。いっそ、女の漫画オタクという設定にすればよかったのにと思
いました。
対する、王子様は、大沢たかお。この人物が意外と面白かった。
俳優の大沢たかおだと思えば、王子様のような気もするけど、お話の中では、普通の男なのだ、本当はね。でも、彼女から見たら、憧れの王
子様なのです。
最初は、本屋で自分の著作のサイン会をしたりする新進気鋭のナンダカ?に見えるのだけど、実はもう売れてもいない人で、仕事の依頼もそうはないという現実なのだ。そのことに自分でも気づいている普通の男
なのだ。
平凡で地味な女性が、憧れの人に近づこうとして、美しくなって、彼 の愛を手に入れるのでしょうか・・・、という話かなと思わせておいて、途中で男が「自分は、王子様なんかではない。現実を見ろ」と説得
しようとする話に変わるのです。この辺の変化をどんでん返しのようにしたら、面白かったのに、結局夢見心地のお話になってしまっているの
で、いまいちです。
お話としては、そう面白くはないけど、「長崎はいいなあ」と思うし、大沢たかおという俳優の持つ雰囲気が、そう面白くない映画の救い
になっていると気づくのです。
「子ギツネヘレン」も「陽気なギャングが地球を回す」も、わたしには、いまいちの映画だったのだけど、大沢たかおという雰囲気があったから、印象に残ったと思うのです。
大沢たかおは「深夜特急」の時から、変わりようがなく大沢たかおの雰囲気を持った俳優です。私、ファンです。大沢たかおが出ていれば、
どんな映画も楽しめてしまいます。中でも「花とアリス」と「天使の牙」が気に入っています。
映画を観たら書く Koshida(2006.12.5)
★「麦の穂をゆらす風」
ケン・ローチが撮った映画が好きだ。この人の映画には「階級的視点」がある。
「階級的視点」という言葉が死語だとすると、貧富の差が広がっているという現実を説明する視点と言い換えてもいいかもしれない。ケン・ローチは、その視点を経済という視点だけで語るのではなく、民族や世代、宗教、ジェンダーなどの視点をからめて描く。そして風景の描き方も美しい。
前置きはこの位にして、この「麦の穂をゆらす風」はアイルランドの歴史を題材にして、民族解放とは何か、国家とは何かを、問う映画だ。
主人公は、デミアン(を演じるキリアン・マーフィーは私の大好きな「ダブリン上等」にも出ていました)とテディという兄弟。デミアンは医者になるはずだったが、イギリス軍の暴虐を何度も目の当たりにしてアイルランド解放のたたかいに身を投じる。兄のテディは、民族解放闘争のリーダー的存在。兄は独立国を重視し軍服をきて新しい国家を守ろうとする。弟は解放闘争の理念を重視し、イギリス国王に帰属する新しい国家を批判する。しかし、医者になって人の命を救うつもりだった弟デミアンも、解放闘争で銃をとり、仲間を裏切った幼なじみを銃殺していた。
その結果、強い愛情で結ばれていた二人が、アイルランド自由国(アイルランドの南)が独立した後で対立し、ついに兄は弟の射殺を決断する。
これだけを書くと、国家建設をめぐるお話ということになる(それだけでも、充分に感動的だ)が、そこに「階級的視点」が加わるから、この映画は現代的な意味を持つ。アイルランドの独立は、21世紀における国家とは何か、植民地支配から独立した国家の存在意義はどこにあるかを、この映画は考えさせるのだ。
東ティモールという2002年5月に独立した「世界で一番新しい国家」がある。この国が、5年も経たない2006年4・5月に内戦状態になった。指導者層の対立もあるが、それよりも「社会主義的」政権をつくろうとした首相グループと、アメリカとも友好的関係を結び「経済のグローバル化」にフィットした国家を造るべきと考える現大統領派の対立ではないか、と私は考えている。
この映画は、この東ティモールの状況を先取りして描いている。それは、植民地支配をやめさせ、自分たちが独立するというビジョンが他の国に承認されるためには、妥協が必要だかもしれない、しかしそれが、独立を求めた人たちの暮らしを悪化させるものでも良いのだろうか、という問題である。
こんなことを考えさてくれただけでも面白いえいがでした。
12月1日(映画の日)に、シアターキノで観ました。
映画を観たら書く むっちゃん(2006.11.28)
「麦の穂をゆらす風」
監督 ケン・ローチ
小さな映画館では、満席になり補助椅子が出されていた。 なぜこんなにに混んでいるのだろう。監督が巨匠だから?上映の宣伝効果がよ
かったから?上映時間ギリギリにきた人が、補助席の折りたたみ椅子をすすめられているのを観ると、気の毒だなあと思ってしまうけど、それほど、この映画が好評ということだ。
1920年のアイルランド。アイルランドの人たちは、独自の文化を持ち、独立を望んでいた。しかし、町には、イギリスの軍隊がおり、イ
ギリス兵は、アイルランドの人々を蔑視し、女性を売女と呼んだ。植民地支配された屈辱はいい知れないものがあり、抵抗すれば殺される。
支配と抵抗・・・そして、内部対立の中で翻弄される人々の苦悩が描かれている。
ふと、イギリスでは、自分たちが「植民地支配してきた侵略と収奪の歴史をどのように、総括したのだろうと思った。
自分達の政府がイギリスと条約を結んだ後に、アイルランドでは内戦が始まり、かつて共に戦った仲間や兄弟や幼なじみを銃殺するという事
態が起きる。
銃殺される前に、遺書を書くように言われた若者が「母は字を読めないから、自分は遺書は書かない」と言う。このまだ幼さの残る知人を処
刑しなければいけない道理がどこにあるのか。そんな理不尽な組織の命令に、逆らうことのできない状況はなぜ起きるのか。これは、あまりに
リアルな悲劇だけど、この有り様は、何かが決定的に間違っている。
支配と抵抗と内戦を背景にした人々の苦悩を描いたこの作品では、登場人物の誰一人として、英雄的には描かれていない。武器を置けば、普
通の人だ。
そして、1920年と言えば、日本では、元号年・大正9年。大規模な労働争議も起きている。そして、日本が朝鮮を植民地にしたのが、1
910年で、後の関東大震災が1923年。デマや煽動があり、日本人は朝鮮人をたくさん殺している。そんな時代だ。
アイルランドとイギリスは日本と遠く海を隔てているけど、時代という流れは、地続きだ。
ケン・ローチは、世界の人々に、大いなる問いかけをしているのだと思う。でも、わたしに、歴史と人々の思いを感じるとる想像力と感性は
あるだろうか。消化しきれないものを飲み込んだように、胃が重くなった。
シアターキノで観ました。
映画を観たら書く むっちゃん(2006.11.26)
「ただ、君を愛してる」
この映画だけを単独で観るなら、主役の宮崎あおいの愛しさ・・・でしょうね。
でも、「恋愛冩真」「今、会いにゆきます」「ただ、君を愛してる」の三作品を関連づけてみると、別のお楽しみが生まれてきます。ストー
リーも役者も、「今、会いにいきます」が、抜きん出ていますが。
共通するのは、「恋愛と人生」。先に死んだ人の思いが、生きて残った人の中に、どのように影響するのか。そこが美しく描かれています。
「恋愛冩真」は、広末涼子が静流で松田龍平が誠人。「ただ、君を愛してる」は、宮崎あおいが静流。誠人は、誰かな・・・知らない人。
「今、会いにゆきます」は、中村獅童、竹内結子。
どの作品にも、現実の世界とのつながりで言うと、あえて、リアルさがないのでしょう。ただ、「恋愛冩真」の小池栄子の演ずる友人はリアルだ。静流に嫉妬し、おとしいれる怖さには、笑ってしまうくらいに、
妙にリアル。裏のある奇妙なやつには気をつけろということがよくわか ります。ただ、「恋愛冩真」と今回の「もう1つの話」である「ただ、君を愛してる」の結末は、別物です。
「ただ、君を愛してる」は、かわいい三角関係って感じでしょうか。この三角恋愛が実に歯がゆく描かれています。女の子はまっすぐに愛して
いるのに、どっち付かずののほほんとした男は、その女の子の真実に気がつかないのです。男が、ここから二人は始まるのだと思った時には、
もう既に女の子の人生はきっぱりと別な方向で走り出しています。
まっすぐに愛し、自分の人生を決めてしまった女とそのことに遅れて気づく男・・そしてやがて決定的な別れが来て、男は自分の中に相手が
残したものの大きさに気づきやっと新しい人生を歩みだす。
成就するばかりが、恋愛ではない。すれ違う片思いと人生のお話でした。
フロンティアで観ました。
映画を観たら書く むっちゃん(2006.11.23)
「父親たちの星条旗」
監督 クリント・イーストウッド
1945年の硫黄島。それは第2次世界大戦末期の日本軍とアメリカ軍の激戦の地。
クリント・イーストウッド監督は、アメリカ側から観た視点と日本側から見た視点の作品の両者を作った。先に、アメリカ側から描いた「父親
たちの星条旗」を観ることになった。
戦闘シーンの惨さには驚かされる。まだ息があるかもしれない兵士の上を、キャタピラが踏んでいく。味方の弾に当たって死ぬものもいる。
傷口から飛び出た内蔵を押し込んで、止血しようととするも息絶えていく。「もういやだ」と嘆いた次の瞬間に砲弾を打ち込まれて、倒れる。
こんな惨劇の続く中、一瞬の平穏な時間に、掲げられた星条旗。さらにそれを取り替える作業の瞬間に写された一枚の写真。写っていた6人
の中で生き残った3人の若者が英雄に仕立てられ、戦争持続のための資金集めツアーにかり出される。その苦悩とその後の人生の有り様が描か
れる。
アメリカ側から見た視点というよりも、人間の作り出した戦時体制の「正義」の裏側を戦場で行われている事実から描いているのだと思う。
ロケ地は、硫黄島そのものかと思ったのだけど、そうではなく、アイスランドだった。
硫黄島は、今は、日本とアメリカの共同の軍事上の要地なのかもしれない。
登場人物の中に、好戦的な命知らずの兵士は出てこないし、アメリカ兵の誰も「ジャップ」というような言い方はしない。それぞれに個人の
尊厳を保っているように描かれている。ネイティブアメリカンに対する差別をていねいに描こうとしているのも分かる。惨劇を描きながら、品位を保とうとしているところに、観るものの良心に訴えようとしている意図をかいま見る。
この作品に対をなす「硫黄島からの手紙」はこれから公開される。観ようと思いながら、何かしら不安を感じる。
映画を観たら書く むっちゃん(2006.11.20)
「Salud! ハバナ」(サルー!ハバナ)
監督 井坂泰成
かつて食料の自給率40%であったキューバは、ソ連の崩壊で、食料が輸入できなくなった。人口260万都市のハバナは、深刻な食料危機に見舞われた。
そして、都市の空き地で、作物を作ることのなった。しかも、有機農法に転換。
そして、10年の年月をへて・・・。
北海道で有機農業を営んでいるKさん(はるきちファーム)と通訳のHさんの二人がハバナの人々訪ねていくドキュメンタリー。
とにかく出てくる野菜がとっても元気がいい。有機野菜ってこんなに元気なんだなあ。
そして、ミミズの力ってすごいんだなあ。わたしは、有機農法の力強さを始めて知った。
野菜を作り始めた女性の「農業をを好きになったら、太陽が怖くない。」という話や、農作業を少し手伝ったKさんに「今度はあなたの畑を手伝うよ。」と言った会話に感心した。
わたしはキューバで有機農業が広がって、人々が食料危機から脱しただけではなく、新しい人のコミュニティーができてきているのだと知った。人々の人生と国の方針がそっているのだだなあということを感じた次第です。
そしたら、唐突に、日本のことを思った。
成田空港建設のために、自分たちが作って来た農地を国に奪われた三里塚の農民のことがだぶってきて、悲しくなった。
映画を観たら書く Koshida(2006.11.19)
「黒い雨」
今村昌平はどうしてこの映画を撮ったのだろう。アカデミー賞のような世界的な映画の賞が欲しかったのだろうか。
広島を破壊した原爆をテーマにしたとてもまじめで、人の心をうつ映画だ。原作は井伏鱒二の同名の小説。思わず涙を流すシーンがいくつもあった。被爆者の姿をできるだけリアルに描こうとしたことにも感動した。
しかし、それでもなお、なぜ今村昌平がこんなにまじめで、冒頭に「文部省特選」などという文句を掲げた映画を撮ったのかと思ってしまう。「文部省特選」などというものを拒否してきたのが今村昌平だったのではないか、と私は思っている。だから、どの映画にも過剰なまでに粘っこいセックス・シーン、ドロドロした人間関係を描いてきたのではなかったのか。
この映画ではセックス・シーンはない。ほんの数カット、キス・シーンがあるだけだ。若き日の今村昌平なら、被爆者への差別や村の複雑な人間関係などの問題にもっと突っ込んだ映画を撮ったのではないか。
逆に言うと、これは、被爆という事実の前に私たちはそんなに行儀良くふるまわなければいけないのだろうかという問題でもある。まじめに考えなければいけない問題であることを前提にしても、どう考えるかはもっと自由であってもいいのではないか。広島や呉を舞台にした『原爆の子』(新藤兼人)と『仁義なき戦い』(深作欣二)を混ぜ合わせた真面目・不真面目な映画はできないのだろうか。
11月16日に蠍座で観ました。
映画を観たら核 K−ta(2006.11.13)
「ドラゴンスクワッド」 最高!!
Gメン75とかいうドラマを俺は知らないから良く判らんが、Gメン75にリスペクトを表した作品らしい。丹波哲郎もコメントを出している。若きGメン達と国際テロリストの戦いの話。
何が凄いかって出演人の豪華さ。サモ・ハン(SPL)、サイモン・ヤム(SPL)、マギーQ(MIV)、ホァン・シェンイー(カンフーハッスル)、ショーン・ユー(インファイナルアフェア)など、知ってる人にはたまらない出演人。サモ・ハンVSホ・ジュノの因縁の対決は最高のシーンでした。イケメン香港警察映画だと勘違いしている女子が館内に混入されていて、中国マフィア特有の猟奇殺害シーンでご退場されていたのが馬鹿受けしました。韓流恋愛映画みたいなのと同じ感覚で入ると、香港アクション映画はイケメンが出ていても腰を抜かします。スピード感があり面白く、やっぱり香港映画だと納得できるお約束もあり、スゴク良かった。が、悲しいシーンで「あの曲」を流すのイイカゲンに止めれば良いのに。今年だけで3回は聞かされてる。
「デスノート 後編」
ウザイ、うるさい、きもい。おいっ!そこのキモイガキぃ、今「オチ」いっただろ!あ゛ぁ〜、てめー殺すぞ!こ゛らぁ。っていう風な雰囲気によくなりませんね。皆さん大人なのか「ガキとオタク」しかいないのか。入場する瞬間からオチを話している「オタクの方々」に対して、久しぶりに強請ろうかと思いましたよ。冗談です、はい。会場全体を覆うアニメな雰囲気の中、「Lが、Lが」とか「キラサマは」とか、重度の忠臣蔵マニアかと思いました。
むっちゃんにすんげー面白いって言われたので見ました。すんげ−面白かったです。監督が「いくら天才といえども所詮はLもライトもガキだ」と言っていた意味が良くわかりました。僕はもっと「ガキ」なので、しばらくは「オタクなクソガキ」が行きそうな映画には近づかないようにすると誓いました。僕はノートに名前を書く前に行動してしまいそうなので。中身は前半の苛立たしさは消え、より遥かに面白かったのですが、映画館は一種独特の雰囲気に包まれていて、僕はスカーフェイスになりそうでした。
「トンマッコルへようこそ」 良いよ、この映画は
こう描けば良いのだよ、シャマラン。
何を書いても中身がでてきちゃいそうなので、書きません。
ファンタジーってCMに騙されて見にいってください。出だし15分ですよ、あのCMは。南と北と米国の兵士が、とある村に着いた。そこはトンマッコルという桃源郷みたいな村。
こんな生易しい話ぢゃないノダ。
こういう映画を何故作れないか、イルポンは!トイレドコダ、そこのスミダ。
ダメだ、ダメだ。また悪い癖が。真面目ニダ。
予告編を信じて見に行ってください。またこう来たかと、思いつつ涙が出ました。オラは。マノジ・シャマランに見せれば良い、「レディインザ〜」が如何に手前勝手か思い知れって。
映画を観たら書く むっちゃん(2006.11.8)
「もっこす元気な愛」
脳性麻痺で両手が不自由で、両足の器用な哲也さんの日々のドキュメンタリー。テーマの中心は、4年間つき合った美穂さんとの結婚への道。
こんなにもまじめに結婚したがっているカップルがいるのかと思うと、正直、疲れます。その背景には、娘の結婚に頑に反対する美穂さんの母の存在があるようです。最後はもうほっときなという感じですが・・・。
純愛ですかね。この二人が、いい人過ぎですよ。やさしさは強いんだってことかな。
むしろ、同居人で、精神病院から退院して来て間もない佐藤さんのカッコ悪さに、惹かれるものがあります。
シン・スゴさんがナレーターをしているのだけど、ナレーションや字幕って、必要だったのかな。見る側と出ている当事者との間に、距離感がうまれてしまうような気がするのだけど。聴こえない人のための字幕つき上映なのかも知れません。
哲也さんが、車の免許を取る話の方が、結婚の話よりわくわくします。
免許を取って間もなく、なんと首都高速を走り、追い抜かれたトラックにミラーを擦られた場面では、本当、おお・こわという感じ。こういうハプニングは、作ろうたって、作られませんもの。
幸せって何だろうなって考えること自体が、なんだか恐ろしいですが、この映画を観る限り、キーワードは「前向き」ですね。
ハチャメチャではないけど、少しドキドキする、真面目でほんわかしたドキュメンタリーでした。
シアターキノで観ました。
映画を観たら書く むっちゃん(2006.11.6)
「デス・ノート/ザ・ラスト・ネーム」
「誰も知らない結末」と宣伝されていて、期待していた。なるほど・・・ものすごく納得した。原作のややこしさや難しげなやり取りが大胆に省かれ、「正義や裁きはどういうことなのか」というテーマにぐんぐん向かっていく。
俳優・藤原竜也は、前編で役を演じる前に「Lの役をやるのか」と思い、「Lの方が面白そうだ」とも思ったそうだ。しかし、藤原竜也には、月(ライト)という頭脳明晰で冷酷な役が似合っているし、実によくはまっていた。これは皮肉ではなく、賞賛。
そして、L役の松山ケンイチの怪しさは絶品。この人物は、いつもお菓子を食べているから、こどもに親近感をもたれるようだ。劇場でも、結末を観た複数のこども達が、「Lが」「L
が・・・」と興奮してしゃべっていた。
Lのおやつは、前編は洋菓子だったが、後編は和菓子が多い。 まじめな台詞を言うLの口に名物の和菓子がくわえられていたりすると、泣くか、笑うかしたくなる。
リメイクのオファーがいくつも来ているのだそうだが、リメイクはさせないでほしいと思う。だいたい、アメリカの作品になったら、
Lが何をおやつにするのだろう。ジェリービーンズとかラプンツェルとかマシュマロとか、ピーナッツ入りのチョコとか、コーラとか、アップルパイとか・・・。すごい肥満のLになってしまいそうだ。
そして、第2のキラであるミサを守ろうとする死神レムの声は、池畑慎之介。人間の命を操れる死神にさえ、思い詰めた感情や運命があるということをよく伝えてくれた。
この映画を観たら、月(ライト)が手に入れたいものは、自分の理想とする世界を作るための権力であることが分かる。しかし、Lの求めているものはなんだろう。そのところは、原作の方が少し深いかもしれない。
でも、ま、いいか。とても面白かった。それでも、聞き逃しや見逃しのシーンがあったようなので、時間があれば、再び観たいと思っている。
映画を観たら書く K−ta(2006.10.31)
「ヅラ刑事」
今や巨匠のニホイすらする河崎実監督作。次は蟹ゴールキーパーだそうな。月曜日にしか見に行かない映画リストに入れておきます。でかい画面で見ると、あら不思議、ある程度のレベルをクリアしていれば観賞に耐えうるという事が多々ある。本作もなるほど映画館でしか見られない映画だ。ヅラ刑事、デカチン刑事(役名は中東和平)、イケメン刑事、オヤジ刑事、デブ刑事など、特色があるのは若干名だが、国家(東京)の危機に果敢にも立ち向かう。絵本の「九人の兄弟」のごとく、それぞれが得意技を繰り出していくのだが・・・。いやはや、世界初スペシャルウィッグエフェクトには、もはや脱毛、いや脱帽でした。モト冬樹が監督に天地茂で!と指示されたらしいが、意外に天地茂に見えましたよ。最後の最後まで真面目に馬鹿をし続ける巨作でした。これを見て本気で怒る奴がいたら、花曲署に入れてやる。
「アタゴオルは猫の森」 もう終わるけど見なきゃ損!
100点満点。いや〜思わぬ伏兵がこんなところに。オラの嗅覚もまだ大丈夫だな。クレシンの大人帝国の野望とかも話題になったが、日本のアニメはロリオ以外もやってんじゃん。ゲロ戦記の半竜女や反抗期男が物を申すのには腹が立つが、ヒデヨシは何だか許せる!水木御大のニホイがぷんぷんとしてくるから。秩序ある世界に騙されるなとか、国や村や誰かの為に生きたり(ここ肝心!)死んだりするなとか、もうすんげ〜の。子供用なのでメッセージ性が俺でも完璧に判るんだよ。生まれたからには笑って楽しく生きなきゃだんめ〜ってヒデヨシがハッキリ言います。蟻の兵隊なんかよりズシンと来てまった。子供が命を賭けて正義を遂行するときに、止めようとしない親は親じゃない。一緒に逃げろ、死んで花実が咲くものか。腹の足しにもなりゃせんのです。納得×2。
「カポーティ」
凄い映画なんだろうな。マイネームイズ、カポッティって台詞が妙に印象に残りました。ゲイでアル中で勝手気ままでチャイルディッシュな人ってのはすごい魅力があるんだろう。俺も魅力的になるために、後残すはゲイになるだけだ。なろうとしてなれるのかは疑問ですが。為せば成るか・・・。フィリップシーモアホフマンを見に行きました。多分、名作なんだろうよ。カポーティを知らないで見に行ったのが大問題だった。タールマンなら知ってたのに。
「MAXX」
軽業師のアクションを、ましてや西洋臭がする、非アジア人が主役の格闘映画に期待した俺のミスです。まず、アクションの重さが0。内容もムカッ。スピリチュアにする必要は何にも無し。最後の大乱闘シーンも銃を捨てて日本人ヤクザ対チャイニーズマフィアが刀で戦うなんて・・・馬鹿にしすぎです。タイのバンコクが舞台で日本人が悪役ですか、はぁ〜?!非アジア人さんたちよ、ヤッチマイナ程度の知識でアクションすんじゃねーよ。三沢と北野って名前を付けるところが甘すぎなんだよ!ドニーとサモハンと坂口拓に言いつけてやる。
「マスターオブサンダー決戦!!封魔龍虎伝」
日本が世界に誇る格闘指導の谷垣建治さんが監督の映画。出ている若手はどうでも良く、主役はJJソニー千葉と倉田保昭。これで感動しなかったら、もう何を言っても通用しない映画です。ほぼ全般に香港コメディな味付けがされていますが、合計127歳という二人のアクションはカッコイイのなんの。さすがディノスなセンスの映画です。次のドラゴンスクワッドはサモハン出るしぃ、ホステル来るしぃ、相変わらずの完璧さ。
映画を観たら書く Koshida(2006.10.31)
「ええじゃないか」
とにかく人がたくさん出てくる。時代が江戸から明治へ変わろうとする直前、江戸の川向こう両国が舞台。そこには見世物小屋が立ち並び、公序良俗など無視した人びとが集まっていた。おまけにインドから象までやってきた。
こんな場所に集まってくるのは、世間からはみ出したヤクザ者、見世物小屋の芸人、屑拾い,乞食など。とにかく、なんか楽しいことないかと人がうじゃうじゃ集まっている。
この映画の主人公である源次(泉谷しげる)は船が難破しアメリカ船に助けられ、そのまま6年アメリカにいて帰ってきたばかり。故郷に帰ってみると、妻のイネ(桃井かおり)は生活苦のため女郎に売られていた。そのイネが「それ吹け」という声にあわせて股を開いているのが両国。二人はそこで再会し、アメリカへ行こうとしたり、田舎へ戻ろうとしたりするのだが、やっぱり両国へ戻ってくる。そして、盗みをしたり、お尻を出したりしながら暮らすことにする。
そこに権力を守ろうとする侍、新しく権力をとろうとする侍、その両方から利益を得ようとする大商人と小商人が絡む。面白そうなテーマなのだ。でも、何だかもう一つ心に響いてこなかった。
この映画を今村昌平は、野外に一大セットを作り、そこで撮影した。見世物小屋という「賤しい」場所が持つ魅力とそこに集まってくる人びとのエネルギーを撮りたかったのだろう。その象徴ともいえる、何千もの人が「ええじゃないか」といいながら舟に乗り込んで川を渡るシーンにインパクトがないのだ。たしかに大勢の人が移っているのだが、「豚と軍艦」で豚が画面にあふれたシーンのような緊迫感が感じられない。
もう一つは、セックス・シーンが粘っこくないのだ。今村映画は、ねちっこいスケベシーンが売り物なのに、この映画での源次とイネのセックス・シーンは何だかあっさりしている。桃井かおりは、今村昌平の好みではなかったのだろうか。
面白かったのは、磁石を引きずって金物を集める屑やの親子。犬塚弘(クレージーキャッツのベーシスト)のボーッとした顔が良かった。
でもほんとにこんな仕事があったのだろうかと思い、時代は少し後になるが松原岩五郎『最暗黒の東京』(岩波文庫)を読んでみると、貧窟に住んでいる人の仕事は、車引、日雇取、土方諸職人、屑買、屑拾い、羅宇屋、鋳掛屋、蝙蝠傘直しなど「世の廃物を繕うて活計する手工人」と祭文語り、辻講釈、覗きからくりなど「縁日的野師」、それから按摩,看板書き、巡礼、小八百屋、小魚屋などなど。なんだ、これなら今、私たちが『コミュニティ・ビジネス』とか言っているものとそんなに変わらないではないか!?そんなことないか。「金なんかなくても、ええじゃないか」
10月26日に蠍座で観ました。
映画を観たら書く むっちゃん(2006.10.30)
「薬指の標本」
冒頭に、清涼飲料水を瓶詰めする工場のシーンがあり、そのはじけるサイダーの音が印象的。劇場で、ニッカシードルの赤いのをもらいました。しばらくは飲まないことにします。
忘れたい思い出の品を標本にするというラボ(?)にたどり着き、事務の仕事をすることになった21歳のイリス。そこで、贈られた靴を履き続けるように言われ、従ってしまうのです。贈り主の標本技術士は、ドラゴンズの監督に似ていて、それだけでも怪しい雰囲気。
もう一人若い男が出てくるのですが、この人物は原作にはない設定。イリスが入り込んでしまう不可思議な世界とは違う、もう1つの世界の入り口をこの新たな登場人物で表そうとしているのでしょう。
同じ部屋を昼と夜で使い分けるすみ方は、以前にも「堕天使のパスポート」で知ったのですが、昼間は夜勤専門の男が使い、夜は女が使う。お互いの存在を知りながら、言葉を交わし合うことも、ふれ合うこともない。気づいているようで気づかないもどかしさがそこにはあります。
幻想的な情景は、「そう」と「そうでない」世界の境界線を彷徨っている感じ。
原作と映像の作品を比べてみれば、映画の方が多くを語り、感情は深い。しかしながら、小川洋子の原作がなければ、この不可思議で、ある意味美しい映画はできなかったと思う。
ドックのある港の風景は、わたしにとっては、あまりに懐かしい映像でした。
シアターキノで観ました。
映画を観たら書く Koshida(2006.10.26)
「復讐するは我にあり」
今村昌平シリーズの第9作目、1979年の作品。この映画あたりから、公開時に観ている。
佐木隆三の原作も読んだ記憶があるが、ストーリーは忘れていた。ただ一つ記憶にあるのは、ミヤコ蝶々演じる主人公の母親が階段の下からスーッと現れて、場面が変わるシーン。
観なおしての感想は、主役を演じる緒方拳だけでなく、出てくる役者がみんな好演しているということ。
緒方拳が演じるのは、連続殺人犯。金ほしさに二人を殺し、逃亡中にも詐欺を繰り返し、さらに三人を殺す。逮捕されても一切「反省」しない。この男は、小さい時から盗みを働き刑務所を出たり入ったりしている。そして自分の父親(熱心なカトリック信者)を憎み、自分の妻と関係しているのではないかと疑い、父親と妻に悪態をつきまくる。この生まれついての「悪人」のような男を、緒方拳は、見事に演じる。あまりに見事すぎて、この男に好感を持ってしまうほどだ。
ここが映画の難しいところであり、面白いなのだなあ。同情すべきところなど一つもないように描かれているはずの男(死刑になる前に面会に来た父親にも、妻を抱いてやれ、本当はお前を殺したかった」などと言う)が、役者の熱演によって、もともとの設定からずれていくのだから。
この男の正体を知りながら自分の家に匿い、「あなたの子どもがほしい」と言ってセックスし、最後には殺される女性を演じる小川真由美も良かった。今村昌平は、さすがにねちっこいセックス・シーンを撮るのがうまい。
この映画を観てから、『年報・死刑廃止2006 光市裁判―なぜテレビは死刑を求めるのか』を読んだ。18歳の少年が、母親と11ヶ月の赤ちゃんを殺した「光市事件」は「無期懲役」判決が出ていたが、被害者の夫が「司法に絶望した。死刑以外、納得できない」と発言してきたこともあり、最高裁判所で、その判決を破棄し審理を差し戻した。また最高裁での弁論を欠席した弁護士に対して、マスコミはその理由をきちんと報じずに、バッシングを繰り返したことは、まだ記憶に新しい。
「光市事件」だけでなく、テレビは、次々と「凶悪事件」を報道し、その犯人は「死刑にしろ」という声をあげている。「凶悪犯罪を起こす人間は、凶悪な人格の持ち主」だ、というのが、テレビのメッセージだ。
それに対して、この映画は、殺人と犯罪を繰り返す男にも、母親や愛人との優しい言葉のやり取りがあるという「当たり前の事実」を伝える。
10月19日に蠍座で観ました。
映画を観たら書く むっちゃん(2006.10.25)
「サム・サッカー」
映画の出だしの写真のような風景の美しさに驚く。動画なのに静止画のように美しい。
主人公の高校生ジャスティンの人間関係のはなし。一見ジャスティンが自分らしく自立していく話のように見えるが、彼を取り巻く複数の人々が自分らしさを問う話になっている。
題名は「指しゃぶりをする人」というような意味。自信のないはっきりしないジャスティンが、掛り付けの歯医者から、指しゃぶりができないようにされて、何事にもいらつくようになり、学校を飛び出したりする。そして、学校の教師にADHD(注意欠陥多動性障害)と判断され、薬を飲むように進められる。看護師の母は薬は飲ませたくないというそぶりを見せるのだが、ジャスティンが自分が変身できるかも知れないと思って飲み始め毎日飲み続ける。効果てきめんのように絶好調。頭がクリアになって、ディベイトの大会で優勝したり、教師や両親を批判したりやり込めたりするようにもなる。歯医者から「根本的に解決したのかい?」といわれ、彼は揺らぎ始める。絶好調と思われた彼は、ディベードの大会で負る。薬をゴミ箱に捨てたジャスティンは、次に麻薬に手を出す。そして・・・。
こどもの自立や反抗とおとなの無理解という関係ではない。取り巻くおとなの心のゆれ動きが、苦しみとして描かれるのではなく、あたたかなまなざしで描かれている。
ジャスティンは自分の母親を半ば見下げていたのだけど、その母親が、彼女の可能性を自ら切り開き、看護師として、感謝されるよい仕事をしていると知る場面が好きだ。
スガイで観ました、
映画を観たら書く むっちゃん(2006.10.23)
「マーダーボール」
題名は「殺人ボール」という意味、以前はそう呼ばれていたが、スポンサー受けするように今では「ウィルチェアーラグビー」と名前は変わっている。
車椅子を使用して戦う障害者スポーツ、原型はラグビー。車椅子の機能に「ぶつける」が加わっている。
俳優が障害者の役をやって、それらしく見えることを評価されるのは好きではないが、この作品は、障害者自身が主役のドキュメンタリーだから文句はない。
観て感じるのは、感動というより興奮だ。とってもエキサイティング。
障害者として甦った人たちの夢と可能性のドキュメンタリー。面白かった。
ファクトリーのユナイテッドシネマで観ました。
映画を観たら書く Koshida(2006.10.19)
「にっぽん戦後史―マダムおんぼろの生活」
今村昌平シリーズの8本目。ここまで来たら、全作品観るぞー。全作を観たときの記念品、何をもらえるんだろう。今村昌平の顔写真なら、怒る。若き沖山秀子の写真ならうれしい。
さて、この映画(1970年の作品)、面白かった。にっぽんの戦後がアメリカ抜きに語れない、つまり植民地支配だということがよくわかる映画だ。
何より、冒頭に映し出される屠場に圧倒される。牛の脳天にハンマーのようなものを振り下ろすと、牛が倒れ、その後もピクピクしている。その牛を逆さに吊り下げ、血抜きをする。このシーンが克明に映される。
これが、この映画のもう一つのテーマである被差別部落を示している。映画の中で「部落」という言葉一切出てこないが、被差別部落のことを抜きにこの映画を考えることはできない。
主演の女性は、横須賀のバー「おんぼろ」のマダム。彼女に、戦後にっぽんの大事件―原爆、天皇の終戦のことば、2・1ゼネスト、戦犯の釈放、三鷹・下山事件、60年安保、皇太子の結婚、警察予備隊・保安隊の創設、60年安保、売春禁止法、大学闘争などーの映像記録を見せながら、思い出を語ってもらうことを太い流れにしながら、話はどんどん彼女の人生と家族の具体的なことに入り込んでいく。こうなると、「戦後史」と呼ばれる国家の歴史は、あまり関係なくなっていく。
この女性が、とてもあっけらかんとした人で、ここまで言うかという位に自分の性、のみならず母や娘の性についても話す。映画になる。つまり多くの人が観ることがわかっていて、ここまで(自分の元夫と母親が関係していたとか、娘が初めて男とセックスをした時のことなど、しかも母親も娘も出演している)話す人というのは、性に関するタブーがなくなったような現在でもなかなかいない。何が彼女を、そこまでさせているのか。とても興味をもった。出演料なのか、自分は米兵と結婚してアメリカに行くから、後はどうでもいいと思ったのか、話を引き出した今村昌平に魅力があったのか。
この女性は、愛情というものをほとんど信じていないというのがすごい。結婚は「手段」だという割り切っている。警察官だった最初の夫と結婚したのは、警官だと彼女の家族が当時していた肉のヤミ商売を見逃してもらえると思ったから。その夫が「浮気」すると自分も積極的に「浮気」をする。米兵と結婚するのも、別の米兵との間に生まれた娘をアメリカで育てた方が良いと判断したからのようだ。そして年下の米兵が自分に飽きたら、アメリカで年寄りでも見つけるわよ、と言い切る。
彼女にとって信じられるのは、自分の体と金だけなのかもしれない。
今村昌平は、横須賀を舞台にして「豚と軍艦」を撮った時から、この「マダムおんぼろ」のことを気にかけていたのだろう。だとすると、今村という人の女性にかける情熱はすごい。「重スケベ」だ。
10月14日に蠍座で観ました。
映画を観たら書く K−ta(2006.10.14)
「レディー・イン・ザーウォーター」
監督/脚本/ほとんど主役 マノジ・ナイト・シャマラン
ユキちゃんに「これからやの映画感想の雰囲気を一人で真逆にしている」といわれたので、長文+映画のサイド情報+見た気にさせず、見る気にさせるように書いたら、店主に「変態で病気だ」だと誉められた。光栄なので、あと一回だけ真面目に書こう。このページの下方に書かれてある本作の感想文はM・ナイト・シャマランを見る上でのたった一箇所の楽しみを決定的になくした。何かは言わない。いくら先にシャマラン自身が公言していても、あれを言われちゃうと、シャマランの映画はまるでシマラン。あーいかん、いかん真面目にだ。
シックスセンス(99年)、アンブレイカブル(00年)、サイン(02年)、ヴィレッジ(04年)と完全に名前で客を呼べる監督に成長したシャマランの作品は、衝撃のラストシーンに限る。つじつまが合おうが合うまいが、観客の要求はそこにある。第六感は男性と少年が写っているポスター自体が衝撃の写真であり、宇宙人は「全ての必然」にやられ、村に到ってはそりゃないぜというレベル。考えればどんどん格落ちしていく感が拭えない落ち目必死の監督だ。しかし格落ちに伴い、B級路線にどんどん近づいて、あらゆるホラーやSFの要素がふんだんに散りばめられてきている(パクリとも言う)。それ自体は良いことだ。落ち目の監督がたまにぶっ放す開き直り映画は面白いから。
しかしシャマランは落ち目だなどと全く思いもしておらず、自分に対して頑ななプライドを崩さない(パンフレットのインタビューを読んだら笑ってしまった)。「第六感」の時にもてはやされ「第二のスピルバーグ」と呼ばれたのも昔の事で、「村」では世界中で散々コケにされていたのに。今回の映画は実は関係者がシナリオに対して苦言につぐ苦言を呈したのに「ダダッ子シャマラン」は自分の要求を押し通すため、散々世話になった会社(極悪ネズミ一家)を捨てて、違う会社(罠兄弟)で自分の思い通りに作っちゃった映画だそうな。
シナリオの不備なんて俺は気にしない。だっていつもの事だから。いくらシャマランが今回は・・・と公言してたからといって、期待するのは衝撃のラストですよ。って思ってたが下の感想を見ちゃって、見る気半減。まぁ良いやと見てみた。
凄い!と思った。
今までも出たがりだとは思っていたが、今回は完全に重要な主役クラスの役をシャマランがやってる。こりゃタマラン。やべっ、悪い癖だ。びっくりな役所についているんだもん。あぁ、そう、アンタよっぽど極悪ネズミ一家に否定されたのが悔しかったんだね。だから、自分にこんな役を与えたんだ。まぁ良いよ、君の映画だもん。僕の映画は僕だけのもの!僕を理解できない奴らには復讐を!というチャイルディッシュな思いが画面からヒシヒシと伝わってきて、俺は涙が出そうになったよ。あんた凄いよ!お客を全く無視だもんな。
肝心の内容は、プールの下から妖精が現れ、良い(どうでもいい)人達に色々メンドクサイ事を要請(グハッ!)するんです。それで、良い(どうでもいい)人達が力を合わせ協力するのですが、やっぱり良い(どうでもいい)人たちなので・・・。最後はねぇ〜、もう本当に(どうでも)良くて「2001年宇宙の旅」みたいになっちゃうんだから(シャマラン風のミスリードですので安心を)。
出演者は、俺の分野(主にB級ホラー、アクション)に出てきたら、全員が冒頭5分で死ぬような地味キャラオールスターです。ポール・ジアマッティ−が主役!って普通はわからんよ。字余りみたいな名前だがダメキャラやらせたら似合うオッサン。
フレディーロドリゲス(次回作はタラのグラインドハウス!)がシャマランの綻び過ぎた辻褄を必至で縫い合わされる役。ボブバラバンは、「村」を酷評した世界中の評論家に対してシャマランが思い入れたっぷりに復讐するための役で、一人で「未知との遭遇」させられます。
最後に、良心的な感想も。♪世界はひ〜とつ♪みたいな歌が延々と壊れたレコードみたいに流れて世界一周旅行をさせられる極悪ネズミ−ランドのアトラクションがあった。世界平和について、皆が各々出来ることは小さくても着実に草の根で平和に対して語っていけば、ある日世界は変わるんだ。一人一人がバラバラになっていても、小さなきっかけで協力しあって世界の平和を信じれば、それが本当になるんだ。
さぁ、信じてごらんよ、平和な世界を。夢想家って言われても諦めないで。世界の平和に対して語ろうよっていう大人の童話です。
ただね、それがシャマランだってのが納得いかねーんだよ!お前はジョンレノンを目指してるのか、馬鹿たれが!
映画を観たら書く K−ta(2006.10.13金)
「怪談新耳袋 ノブヒロさん」
監督 豊島圭介 代表作「怪談新耳袋」「怪奇大家族」「幽霊vs宇宙人」
出演 内山理名 平田満 佐々木すみ江(ユキ的怖さ大!) でんでん(少) 飯島大介(極少)
怪談新耳袋とは、一巻が99話+1話で構成されている現代百物語。原作は既に第十夜まで逝きつき完結されている。テレビではBS-iで放送されてた怪談新耳袋というドラマが一話5分完結形式で、清水崇監督(呪怨、輪廻)、山口雄大監督(地獄甲子園、ババアゾーン、ミートボールマシーン)、井口昇監督(恋する幼虫)、佐々木浩久監督(血を吸う宇宙、発狂する唇)、高橋洋(リング)他、様々な監督に、豪華な出演者達で最高に楽しめた。
劇場版の前作「幽霊マンション」は、夜の12時までにマンションに帰ってこないとお仕置き幽霊にブチ殺されるという、現代社会の子供達に対して至極真っ当な正論をかます文部省推薦必至な道徳的内容であった。
ちなみに原作の幽霊マンションは、かなり世俗的な幽霊お姉さんが現れるマンションに住む人の話なんだが、何だかお姉さん幽霊VSそれを取材したい業界関係者の攻防戦になってしまい、俺はお姉さん幽霊を応援してしまった。死んでから取材に来たってさぁ〜、みたいな気持ちが理解できてしまう。生きてるうちが花なのよ宣言ですよ。
本作は豊島監督の初の長編作品。そもそも「ノブヒロさん」の原作は、怪談新耳袋第七夜の「縁にまつわる十四の話」にでてくる話で「山の牧場」、「幽霊マンション」と合わせて新耳袋三大話みたいに言われている。
「山の牧場」はマジでヤバイから読まないほうが良い。世の中で宇宙人が一番怖いと思う俺は、恐怖のどん底に叩き落された上に、やっぱりそうかぁ!昔々、某所に甚平+ゴムサンダルで入ろうとしたら黒服(多分MIB)に止められたのも、きっと俺がXファイルを全部見たからに違いないと思う次第であります。
ある日、女性が帰宅途中に電車でばったり出会った竹久夢二の画集を持った初老のオジさんと目が合い親密になるが、そのオジさんが不慮の事故で死んじゃった。なのにそのオジさん(故)が自分の周りに出てくる。はじめは悲しみに暮れていたから良かったが、だんだんと行動がエスカレートし始めて・・・。気づけば物凄い執着心でストーキングを仕掛けてくる。
こりゃ大変だって霊媒師に見てもらうと、なんと「200年前にあなた達は死に別れている」と言われる。あんたも危ないが子供も狙われるぞと言われてたら、子供がどんどん危なくなって・・・。ちなみに未だ決着が付いてないイワク付きの話なんですな。
詳しい後日談は俺の聖書「映画秘宝」2006年8月号に出ています。へぇ〜、そういうもんなんだねって感じでした。
本作品は原作をあまり踏襲しておらず、それはそれで楽しかったのだが、一番受けたのは道連れにして一緒に見たユキちゃんでした。全身での痙攣、途中途中での安堵の溜め息、ヒッっていう短い悲鳴などなど、隣で見てた俺は思わず噴出してしまいました。出るっ、出るって瞬間にばっちり合わせて足をぶつけてやったら「全身跳ねました」ね。いや〜笑った。
ストーカー幽霊ノブヒロさんの役が平田満さんなんですが、とにかく全身全霊で演技してくれるんです。さすがな怖さを見せ付けます。しかし非常階段で下から這ってくるシーンでは、ユキちゃんは「ウワっ!」てビビルのだけれども、俺は「ヤス!ヤス!上がって来い」っと思わず感動してしまいました。往年の名シーンですよ、ユキちゃん。
万力を使っての虐殺シーンの丁寧さやカセットテープを使った小技など随所に「Jホラーブームは去ったけど、まだまだやれるんだぞ」という豊島監督の思いがヒシヒシと感じられ、応援したくなりました。
ホラーはとにかく「笑い」との戦いですが、きちんとした役者を使えば「笑いと恐怖は紙一重」という清水崇監督の言う所の「恐怖」に近づけることが証明されてます。やっぱりホラー映画は役者が命です。平田満さんと名脇役の佐々木すみ江さんが最高でした。
客席には四人しかいませんでしたが、ユキちゃん一人で5人分だったのでノベ8人で盛り上がりました。一番ユキチャンを驚かせたのが佐々木すみ江さんです。さすが「のど自慢」のバアチャンです。役者です。
一昨年に続き新耳袋を上映してくれたキノに心から感謝します。ホラーを流すときに困ったら是非これからやに相談してください。今年のキノでやったホラー映画は全然、B級ファンにとって愛が足りませんでした。
次回の札劇スガイ「ハイテンション」にはユキちゃん&ユカチャンを道連れにします。スガイ系列は恵まれない映画ファンに愛の手を差し伸べてくれる。
最近気づいたのですが、な!な!な!な!な!な!な!なんとイーライ・ロス監督の「ホステル」のポスターが白石ディノスに張っているではあ〜りませんか!ディノスの親父さん、やるぢゃねーかよ。ここのページを実はみてんだろ?
映画を観たら書く Koshida(2006.10.9)
「神々の深き欲望」
今村昌平シリーズの第七作目。しかも3時間ほどの長編。
観にいく前から、この映画を見たような気になっていた。私の愛読書の一つ「鞍馬天狗のおじさんは:聞書アラカン一代」(竹中労、ちくま書房)で、この映画に出た嵐寛寿郎がこんな話をしていたからだ。
「おまけに今村昌平、自分ばかり女抱いとる。あの沖山秀子、頭おかしゅうなってビルから跳びましたやろ。七階も上から、ほてからに生命助かった、バケモノや。これですわな相手が、大けな女なんダ、おまけに素っ裸で歩いトル、フリチンで。いやフリマン、おっぱいも下のほうの毛もまる出し。何とズロースはいとらん、この世のこととも思えん。ワテも奇人やと自認してま、だがこれはタダゴトやない」
こういう話がまだ続く。何しろ、アラカンはこの映画で、テスト38回、本番18回もやらされたので、途中で逃げ出したりしたらしい。
こんな風にして作られた映画は、どんなものなのだろうかということに興味があった。そしてアラカンにむちゃくちゃに言われている沖山秀子とはどんな女性なのかにも。
観ている時から違和感があったけれど、3時間あきることはなかった。だから、面白い映画ではあるのだ。何しろ、1968年の石垣島など八重山の海が美しい。そして、沖山秀子、演技というか存在感がすごい。アラカン演じる祖父の葬儀の時に、彼女に祖父の霊が乗り移るのだけれど、その長いシーンを沖山秀子は転げまわりながら、せりふをしゃべり、座敷からドスンと地面へ落ちてしまう。何だか訳がわからないけど、とにかくスゴイ。何しろ目がスゴイ。
でも、この映画は、兄(三国錬太郎)と妹(松井康子、この人がよかった)の恋愛映画なのだ。そこに、神話や八重山の信仰、日本による「開発」、共同体などなど、いろいろな要素がからんでくる。しかも、今村昌平が何故かこだわる「日本人論」みたいな色合いも強いから、ますますわからなくなってくる。
それでも3時間の映画が破綻せずに、最後まで話を描ききるのだから、大したものだ。ラスト近くで兄と妹が、村を抜け出し、舟に乗って西の島へ行こうとするシーンは、大海原でのラブシーンとして素晴らしい。
そしてアラカン、三弦を弾いて唄うところが良かった。それに比べて、一番違和感が残ったのは、狂言回しのように出てくるイザリが歌う島に伝わる歌。私は、今村映画で音楽をずーっと担当してきた黛敏郎を、「思想は変だが、いい映画音楽をつくるなあ」と思ってきた。でも、このメロディはよくない。へたに八重山風にしようとしたのが最悪だ。そして一年近くも八重山にいた今村昌平は、なぜこんな歌を重視したのか。
ひょっとして、今村は女は好きだが、音楽は嫌いなのかもしれない。あるいは、女と男が浜や野に集まって、みんなで唄い踊りながら、だんだんとカップルとなって消えていく「フリー・ラブ」(毛遊びー)が理解できなかったのかもしれない。だから、スケベが重たくなるんだ、きっと。結論が出ました。
10月5日に蠍座で観ました。
映画を観たら書く むっちゃん(2006.10.8)
「イルマーレ」
リメイク版を好んで観るわけではないのだけど、韓国のオリジナル版がわりと好きだったので、それがどう作り変えられるのかという興味もあって、観る事にした。
オリジナル版の時は、SF的謎解きが良く理解できなかったので、リメイク版を観る前に、少しおさらいを試みた。2年の時差で文通する二人が、最初にあったのはいつで、約束しても会えなかった理由は何で、最後に会えたのはなぜなのか・・・を明確に思い出せなかった。
その最終的結末をおさらいしたい気持ちもあって、リメイク版を観た。
最初の印象は、お話がおとなの話になっているという事。韓国のオリジナル版は、登場人物が若いという設定も確かにあったのだけど、こどもっぽかった。
2004年の男が、キアヌ・リーヴスで、2006年の女がサンドラ・ブロック。
女が声優を目指す女の子だったのが、医者に変わった。医者と分かって高収入なのかと思ってしまうのだけど、そういう事より、過密な現場仕事をやっている感じが表されており、そのあたりが、「カワイイ」よりおとなのだ。
男の役柄もオリジナル版より、苦悩している感じが良く出ていた。
謎解きもすっきりしている。何せ、リメイク版だから、すべてをなぞにする必要はない。
なぜ二人は恋に落ち、運命を変えてまで会いたいのかが、素直に分かった。
ここで、ひとつの結論。オリジナル版よりリメイク版の方が、いい感じになる。リメイクする側は、オリジナル版よりもっとよい作品にする目論みがあるからこそ高い金でリメイク権を買うのだろう。
落ちついて、あっさりした感じなので、静かに気分を落ち着かせたい時には、DVDなどで、また観たいと思う。
映画を観たら書く Koshida(2006.10.6)
「蟻の兵隊」
八月に中国へ行った。その時に滞在した小さな村(定州市郊外のジャイ・チェン村)で、日本軍に殺された人たちの慰霊碑にお参りし、村人七六人が殺されたたという話を聞いた。札幌に戻ってから、井上俊夫『初めて人を殺す―老日本兵の戦争論』や田中小実昌『ポロポロ』などを読んで、中国大陸での戦争のことや兵士になることを、少しだけ考えるようになった。そして、この映画を観た。
敗戦の1945年8月以後も、武装解除せず国民党軍に合流して戦わされた日本軍兵士の話である。この事実が、何よりも衝撃である。しかも日本政府は、この事実を一切認めていない。
衝撃的だったのは、主人公の奥村さん(ロバート・デニーロが年をとったような顔立ちをしている)が「植物人間」になった、上官を病院に訪ねたシーン。中国に行って、残留命令の証拠を探し出すという奥村さんの声を聞いて、この上官は「ウーーーー」と反応する。何かを言いたい、という強い気持ちが、この上官を目覚めさしたのだ。そして奥村さんが話しかけるたびに「ウー」と声を出す。この人は、何を訴えたいのだろうと思った。無念だろうか、怒りだろうか。
奥村さんは、上官に対して「必ず証拠を見つけてまいります」と応える。この応え方を見て、軍隊での上下関係はいつまでも残ることに気づいた。
もう一つ印象的だったのは、8月15日の靖国神社で、奥村さんが小野田寛郎さん(フィリピンのルバング島で戦後30年、命令に従って闘い続けた諜報将校)に「侵略戦争美化ですか」と声をかけたシーン。それまで優しく笑って周りの人に接していた小野田さんの顔が急に険しくなり、奥村さんに近づきながら「「宣戦の詔書」に書いてあるじゃないか」と声を荒げた。この表情の変わり方には驚く。「侵略戦争」という言葉が、小野田さんの痛いところにふれたのだろう。
映画全体の印象は全く違うが、「行き行きて神軍」を思い出した。奥崎謙三と奥村さんの行動と心情には、共通するものがあるような気がする。
いろいろな事を考えさせるドキュメンタリー映画です。
10月2日の試写会で観ました。
映画を観たら書く むっちゃん(2006.10.3)
★「グエムル 漢江の怪物」
監督はポン・ジュノ。文句無く、面白かった。
まず、怪物・グエムルが動きが機敏で、ぬめぬめしていて、残虐で・・・怖い。こんな怪獣を作り上げた事自体がすごい。実写との絡みも自然で、巧みだ。
お話は、在韓米軍の医療施設で、毒を下水に流すというところから始まり、こんな危険な事をやすやすと犯すとは、考えにくいなあと思ってしまったのだけど、パンフレットをよく読んだら、実際に米軍がホルムアルデヒドを漢江に流した事実があったん出そうだ。何たることか。ならば、もっと真実味のある始まりにしてほしかった。そういう感じはあったけど、そのあとに続く、衝撃の大きさに、小さな違和感はぶっ飛んでしまった。
怪物に連れ去られた孫娘を救出するために、ある一家が奮闘するのだが、それを阻もうとするのは、警察であり、韓国軍であり、在韓米軍であり、医者、看護士、役人だ。無償で、手を貸してくれたのは、橋の下で暮らす男の人ぐらいだ。
この映画の随所に、軍事独裁政権の支配に自由を奪われていた経験や、立ち上がって自由と民主化を勝ち取ってきた歴史が背景にあると感じてしまう。それはどうしても感じる。作り話なのにリアルなのだ。
そして、この家族の設定が、すごく面白い。平凡に見えて、一人一人が実に個性的。
なんでか、全員 ここぞという時に、しくじるのだ。
最後にキメになるかと思わせた兄の火炎瓶が、手からすっぽ抜けて、後ろに落ちる・・・何で?と思う。
すると、いつもここぞという時に抜けてしまうアーチェリー選手の妹が、その落ちた火種を弓矢で拾う。あ、そうだったか。
観ている時には気づかないのだけど、パニック映画なのにコメディーの手法が使われており、笑いは誘わずに、ハラハラさせる。
この家族の孤軍奮闘と犠牲によって、怪物は倒されるがハッピーエンドにはならないのが、さらに印象深い。
最後の場面で、冬の雪降る静かな漢江のほとりの売店に、父と生き残った少年が住んでいる。父は暗闇に何かの気配を感じて、一旦銃を向け、そのあと、まやかしのニュース番組のスイッチを切り、少年と向かい合って静かに飯を食う。
一層印象深い終わり方だった。
今年観た映画の中で、この映画を越えるものは、今のところ・・ない。
映画を観たら書く ヴォーリャ(2006.10.2)
「ディア・ピョンヤン」
今日東中野のポレポレ座で見てきました。
とても重い内容で、娘は途中で気分が悪くなってしまい、あとで「北朝鮮気持ち悪い」とか言っていたけれど、監督のヤン・ヨンヒが言いたかったのは「国よりも人が大事」ということだったんだと思う。
10:20分からの上映なので慌てて出かけてハンカチを忘れていたのに、北に行った息子達家族のために一生懸命ダンボールの荷造りをするお母さんを見ていたら、涙が止まらなくなって困った。
両親は朝鮮総連の幹部で、息子を3人も北に「帰国」させてしまった。その兄たちの暮らす国に向けるヤン・ヨンヒのまなざしの冷徹さと、家族に向ける想いの熱さが対照的だ。
それにしても、ほとんどが韓国の出身者であった在日朝鮮人から9万人もの北朝鮮への「帰国者」を出したのは、日本社会の彼らへの冷たさだったろう、と思うとますます心が重い。
この映画は父と娘がやっとお互いを認め合い、理解する物語でもある。ホームビデオのような近さが気恥ずかしかったが、見て良かったと思う。いろいろなことを考えさせられる映画でした。
映画を観たら書く Koshida(2006.10.2)
「人間蒸発」
今村昌平特集の第六作目。これは面白くないだろうな、と思って観にいったら、面白かった。でも同時に、これは製作途中で収拾がつかなくなった映画かもしれない、とも思った。
「人間蒸発」というタイトルが示すとおり、蒸発した男を、その婚約者(だと称する)女性と露口茂(この人の役割は、婚約者の相談役と探偵役か)が探すドキュメンタリー映画のように話は進む。失踪した男性の足跡を追い、モーニングショー(木島則夫モーニングショーでした)にも出演し、男を捜そうとする。
ところが途中から話が変わってくるのだ。失踪した男のことを調べていく中で、なぜか、監督を含めたスタッフの会議の様子も出てくる。その会議で、今村は「この映画は、捜査映画になりすぎている。もっとネズミ(婚約者の女性)の情念に焦点を当てよう」などと言う。
そこから、ネズミとその姉をめぐる感情のもつれ、ぶつかりあいに話が移っていく。姉の過去を探り、芸者をしていたこと、旦那がいたことをつきとめる。さらに、失踪した男とこの姉が一緒に歩いていたところを見たという証言者を見つけ出し、ネズミと姉を衝突させるように仕向ける。この映画で一番面白かったのは、ネズミが姉を「一緒に歩いていたんでしょう」と責め、姉が「そんなことあるはずがないでしょう」と一貫して否定する場面だ。「他人の不幸は面白い」とつくづく思った。
さらに今村は、露口茂に向かって「ネズミは露さんに恋している」「彼女はもう女優だね」と言い、露口はそういう風に演じる。
この辺りから、観ている私は、どこまでがドキュメンタリーで、どこからがフィクションなのか、わからなくなってくる。第一、このネズミと姉の話していることだって、どこまでが「せりふ」なのかもわからない。おまけに、今村も登場して「全てはフィクションですから」なんて言い始めるし。
というような、何が何だか、人を混乱させるような映画なので、混乱するのが好きな私のような人間は「面白い」と思うだろうし、スカッとしたストーリーが好きな人は「何じゃ、こりゃ」と思うだろうな。
そして私は、今村昌平は、女性を主人公にしなければ力が入らないのだ、と思った。だから、失踪した男の足跡を追うことに興味を失い、婚約者の感情を揺さぶって、演技をさせたのだな。確かに「ドキュメンタリー」なんて言ったって、カメラを向けられているのがわかれば意識するものね。
さあ、次は3時間近くにも及ぶ「神々の深き欲望」だ。
蠍座で観ました。
映画を観たら書く むっちゃん(2006.10.1)
「レディー・イン・ザ・ウォーター」
監督・脚本はM・ナイト・シャラマン。前作の「ヴィレッジ」は大好きな作品だった。
で、今回は・・・・
「ヴィレッジ」の方がよかった。
おとぎ話」だけど、ファンタジーではありません。
登場人物が、ここではないどこかに旅をし、そして戻ってくるという事ではなく、おとぎ話の方がやってくるのです。人々は、それとは知らずにおとぎ話の一部になっているという話。
まず、説明的すぎると思う。
こどもに聞かせるおとぎ話としてはいいけれど、人間の文明に進化についての警告としては、いまいちですね。
現実の世界の方が、すっとずっと過酷なのに、M・ナイト・シャラマンには、その過酷さが見えていないのでしょうか。
次に、主人公に存在感が薄い。
主役の女優、プライス・ダラス・ハワードは、最後の最後まで、か弱くて、残念。
「ヴィレッジ」に出演していた時のように、意志の強さが少しでも表現されていたら、素敵だったのにね。
そして、決定的にだめだったのが、ラスト。
もっと感動的なラストが欲しかったです。
これで、この世の未来が変革されるとは、思えないのだから、そんな話にしなくてもよかったのに・・・・と、思った。
このように、楽しみ方をはずしてしまうと、もったいないなあと思います。でも、どうしたら楽しめるのかなあ。
わたしは、ユナイテッド・シネマ札幌で観ました。
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