東日本大震災でキャンプ道具は大活躍

(はじめに)

 2011年3月11日に発生した地震は、これまでに経験したことのない大きな揺れ。そして非常に長い時間でした。
 沿岸部では巨大な津波で街がのみ込まれ多くの方がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りしますとともに、ご家族の皆様には心よりお見舞い申し上げます。

 あの地震の後、沿岸部の被害状況について各地を歩いてきましたが、テレビで見る以上の惨状に言葉を失いました。また、目頭が熱くなりました。

 あれから100日以上の日が経ちましたが、いまだ大きな爪痕は残されたままで、避難生活を続けられている方がたくさんおります。一日も早く正常な生活、仕事などに戻られることを願っています。

 この地震の経験を私自信の記憶として整理するため、役に立った
キャンプ道具などを紹介させていただきながら記させていただきます。(2011年6月26日記)


(自宅の被害)

 地震発生時、私は職場にいました。8階の執務室は机が大きく動き、キャビネットからは書類が飛び出しました。
 テレビも落下。幸いにも怪我人は出ませんでした。

 妻とは連絡がつき、職場にバイクで迎えに行きました。妻は車イスのため、3階から地下駐車場まで抱っこをしました。
 雪が降る日でした。信号機は止まり道路は渋滞で動きません。私はバイクで先に帰宅しました。

 マンションの部屋に戻りました。愛犬のモモとみかんはゲージでおとなしく待っていました。
 ゲージもかなり動いていました。隣にあった小さな書棚は転倒していましたが、愛犬に被害はありませんでした。
 ほっと胸をなでおろしました。


 片づけをする前に部屋の中を撮影することから始めました。ある意味どこか冷静だったと思います。
 リビングは、テレビが転倒していました。ファクシミリは落下し、テーブルはその場所を移動していました。
 しかし、テーブルの上に置いてあったものは殆ど落下することなくとどまっていました。

 台所も大きな被害はありませんでした。熱帯魚の水槽の水は半分以上あふれ、床は水浸しになっていました。
 冷蔵庫は動いていました。備え付けの引き出しは開いていたのですが、食器は数枚割れただけで済みました。
 食器棚がロック式の扉だったことが幸いしました。

 とりあえずリビングだけを早急に片づけることにしました。
 床を拭き、散乱していたものをテーブルの上にのせただけでしたが、車イスの動線が確保できました。

 次に今晩過ごすための、キャンプ道具を集めてきました。
 
ヘッドランプ、ランタン、ラジオ、乾電池などだったと思います。
 車で帰宅してきた妻を4階の部屋まで抱っこしました。

 妻には長期戦を覚悟して、電池消費量の少ない
LED電球を中心に過ごすように話をしました。
 私はまた、仕事にもどらなければなりませんでした。妻の不安はいくばくかと思いながら職場に向かいました。

部屋の散乱状況
部屋の散乱状況
キャンドルランタン
(発災日の夜)

 私の職場も災害対策本部が設置されました。非常用電源で最低限の電力が確保されています。
 シフト編成が組まれ、私は夜9時上がり、翌日午後出勤を命じられました。

 家に帰宅しました。妻はワンコ達と暗闇の中ソファーに座ってました。ライトもつけず、ラジオを聞いていました。
 余震が続く中、一人で不安だったでしょう。仕事をしている私のほうが仲間と一緒で恵まれていたのです。

 妻にはもう少し我慢をしてもらい、私はまた出かけなければなりませんでした。
 地震の直後にメールで安否を確認した実家と連絡が取れませんでした。
 実家は名取川の下流に位置しています。まさか、津波があそこまで押し寄せたのではないかとの不安がつきまとっていました。

 信号のない真っ暗な道をバイクで走りました。実家は津波の被害はありませんでしたが、無人でした。
 近くに住む姉宅で避難しているのがわかり安心しました。
 姉宅には
蛍光灯ランタンがありました。持っていたLEDのヘッドランプを予備に渡しました。

 帰り道、コンビニで30分以上も並び、お菓子と少しばかりの食料を購入しました。電池や食料などほぼありませんでした。
 帰宅したのは夜中の0時過ぎでした。
キャンドルランタン(ロウソク)に火を灯しました。
 妻には一人にしてごめんねと抱き締めました。
 
非常食

(翌朝12日)

 朝になりました。余震は続きます。家にあるレトルト食品やスナック菓子などを集めて写真をとりました。(上)
 妻には、冷蔵庫の中のものを含めてリストを作成し、1週間食べていけるような計画を作ってと伝えました。
 冷凍庫の中も含めるとある程度食材がありました。メニュー作りは妻が考えていました。
 このときは、電気、水道、ガスとライフラインは止まっていました。復旧までかなりの時間を要すると覚悟をしていました。

 
キャンプ用のガスは2缶ほど在庫がありました。どちらも使用していたけど、半分以上入っていました。
 他に
ホワイトガソリンが4L缶の半分くらい残ってました。アルコール燃料も少しありました。

 2日目は朝昼兼用で、質素な食事をとりました。
ガスバーナーでお湯をわかします。余震を考えると、大型のごとくがあったのも安心感が増してよかったと思います。
 そう、飲み水も少ないのですが確保できました。

 浴槽に水を溜めていたことも幸いしました。トイレの水に使用しました。
 愛犬のフンはトイレに流すのをやめました。トイレシーツは買ったばかりでした。使い古しのシーツに何度か私も用を足しました。
ガスバーナー 2日目の昼食

(行列)

 震災2日目は朝から行列ができてました。近くのイオンは休業。COOPもホームセンターも薬局もケーキ屋まで行列ができていました。

 誰もが、不安を抱えて食料などの確保に走ったようです。
 うちは米、パスタにカップラーメンも少しあったので、初期に並ぶことはしませんでした。

 信号機の消えた十字路は渋滞していました。車も人も統制がとれない状態でした。お店にはきちんと並んでいました。

 ホームセンターでは、並ぶ客に次の表示をしていました。

○以下の商品はありません。
・カセットガス、ボンベ ・水缶 ・携帯充電器 ・携帯トイレ ・ストーブ ・水(ジュースあります) ・電池 ・ホッカイロ ・懐中電灯 ・ラジオ ・木炭 ・ホワイトガソリン


 その時に必要だと思うものが、あっという間に売り切れたのでしょうね。人の行動パターンが見れたと思います。

 この日は夜間勤務だったけど、休み時間ということで帰宅しました。テーブルは片付いていました。
 妻が寒いというので、
MSRのガソリンストーブで暖をとることにしましたが、わずか10分ほど部屋を暖めただけでした。私は、すぐに職場に戻らねばならなかったのです。
 代わりに私が冬山で着る
フリースを肩にかけて出かけました。

ホームセンタの行列
ガスランタンとストーブ
ホットケーキ
(ご近所さん)

 地震のあった夜に、お隣さんが声をかけてくれたそうです。
 自治会の防災組織は機能しなかったと思うのですが、近所の人たちに助けていただきました。

 これまで、隣人ともお付き合いがなかったのですが、今回は何人もの方が気にかけていただきました。
 私が家にいることが少なかったので、玄関に「車イス1人中にいます。」と紙を貼って出勤を続けました。

 マンションの受水槽から水を運んできてくれたり。果物のおすそ分けがあったり、隣人さんはホットケーキもいただきました。
 ありがとうございます。やさしををたくさん感じました。

(電気が復旧)

 震災3日目の13日から14日目の夜にかけてです。
 日付もかわり寝ている時に、急に電気がつきました。うれしかった。テレビがついた。水がでた。夜中に洗濯をした。掃除機もかけてしまいました。

 携帯電話も充電したり、乾電池も充電したり。もう停電になってほしくないと思いながらも、それが最初の行動でした。

 私は冷たい水で洗髪したらしいです。妻が思いださしてくれました

 しかし、次の日受水槽の水がなくなり、また断水になりました。残っていた水が使われたようです。
 数日分の水は確保できたので、難は逃れることができました。

(エレベーター復旧)


 15日(火)には、エレベーターも復旧しました。思っていた以上のスピードでびっくりした思いが残ります。
 これで、ようやく妻も外に自由に出歩くことができるようになりました。

 この日、妻はスーパーに並んで、お一人様10点限りで、肉などを買ってきたのを覚えています。
 夜は久しぶりに、おいしいものを食べました。元気がでました。
 電気と水が来たので、普通に生活ができるようになりました。

 3月18日は満月でした。空を撮影する元気もでてきました。
 あの真っ暗闇だった停電の日は、仙台の空も星が綺麗でした。
 バイクで走行中は、フマジメにも星空撮影を考えたりもしたのだけど、実際にはそんな余裕もなかったようです。

満月
ストーブでお湯をわかす
(ガス復旧まで)

 仙台の都市ガスは壊滅的な被害を受けたとの報道が流れていました。
 最低でも復旧に1か月以上かかると。だから諦めていました。
 お風呂に入ることができなかったので、ワンコ用のウエットティッシュなどで済ました。

 水道が出るようになったので、電気ポットと
ガソリンバーナーでお湯を沸かすことができました。
 ペットボトルとバケツに、丁度良い湯加減にしたお湯を作って、少ない湯で全身を洗ったりして・・・。
 ひさしぶりのシャワーは気持ちよかったのです。

 3月も下旬になりました。
 この頃はガスを除けば普通の生活に戻っています。
 3月22日には、30分ほど並んでイオンで普通に買い物ができるようになていました。
 30分並ぶのくらいは、この有事では普通だと感じるようになっていましたね。

 一番困ったのはガソリンですが、3月27日には並ばずに給油できるようになりました。

 そして、予想より早く、3月末にガスが復旧しました。完全に普通の環境に戻ったように感じました。
ガスストーブ

(むすびに)


 震災直後に役だったのが、各種のランプでした。
 幸いにも左のようにたくさんランプがあって、電池もありました。
ロウソクも心強い味方でしたが、余震の度に消す準備が必要でした。

 
コールマンのLED(右)は明るいのですが、電池消費量が大きいのを知っていたので、ほとんど使いませんでした。
 
ヘッドランプは強い味方でした。
 
ガスランタンも私がいる時だけ。ミニマグライトは寝室に常備して重宝しました。
各種ライト

 甚大な津波被害を被った地域については、何回か足を運んでみました。
 その時の記録につきましては、私のブログ記させていただいています。モモフォト♪東日本大震災

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