飯塚市の水江から幸袋方面に旧国道200号線を走ると、途中、2車線の道路が
並行して150m位走ります。各々の車線からの車の出入りもでき、”こんな走行
をする道路は珍しいな”と以前から考えていました。

この西側の道路に関し、”筑豊を歩く 海鳥社”64ページでは、”市道で国鉄
幸袋線の跡地を市道にしたもの...1894年鉄道が小竹から幸袋まで延長され、次第に
落ちぶれた”とあります。よって、並行する西側の道は、旧国鉄の線路の跡であるらしい
のです。並行している道路から許斐(このみ)神社の下を通り北へ向かう道は線路の跡
であるらしい.....納得がいきます。
すると、その逆方向の延長線にあたる、東川津のメインストリートも、鉄道の跡であった
のでしょうか? ひょっとして、さらに延長線上のジャスコ裏通りから穂波の小正辺り
まで、鉄道が走っていたのではないでしょうか? 故里が飯塚でない私は、興味駸々の
状態となってしましました。(昔からいらっしゃる人に聞けばすぐ分る問題ですが....)
図書館に行って、飯塚の古い地図がないか、聞いてみよう!
どなたか、御存じですか?

2000.6.12 飯塚周辺の地理と歴史に詳しい、岡松氏によって、この謎は解決されました。
やはり、この道は、鉄道だったそうです。 幸袋の並行する道路から、川津、横田、小正に
至る道は、炭坑の引き込み線だった。 また、その引き込み線は現在の明星寺団地まで至って
いたとのことです。 この道沿いでよく見かける陸橋は、まさに鉄道の上を横切る陸橋だったのです。
また、西川津から鋭角に二瀬方向に分かれる細い道も、二瀬の炭坑に行く引き込み線だったそうです。
二瀬や明星寺にも炭坑があったんですね。
そんな事を考えて、運転をしてみると楽しいものです。